こころがかるくなる心理カウンセラーかきかわのブログ

山口市で心療カウンセリングルームを営みながら日常のエピソードをまじえて泣いたり笑ったり感情を動かすお話を掲載しています。

子供の頃の記憶と付き合う方法

2017-10-24 23:46:45 | 日記
私には心身が疲れた時に必ず思い出すことがあります。

それは、子供の頃のことです。

幼い頃から運動が苦手だったので体操教室やスイミングスクールに行かされていましたが、今もハッキリと記憶しているのは、まだ全く泳げず水が怖くてプールサイドで大泣きしているところを母に連れられやってきて、スクールの先生に水に投げ入れられたことです。

小学校一年生の夏休みのことでした。
確かに夏休みの終わり頃には少なくとも水に浮くことができて、他の子と同様にプールの授業を拒まないようになったのですから母いわく結果オーライだったのかもしれません。

ただ、今でもプールは嫌いです。(笑)

昔は、どこのお宅でも大なり小なり同じようなことがあったのかもしれませんが夏休みの宿題の中でも自由研究や朝顔の観察記録などは、完全に母親の作品でした。観察記録の絵は写実的すぎて凄かったです。

絵の課題に関しては、毎年小学校時代は春に写生大会があり全校生徒が校外で描くのですが、現地で仕上がらなければ宿題になりました。

その仕上げをするのは、美大を出て絵が得意な母で、それも到底小学生の作品には見えなかったでしょうし、皮肉なことに、その絵が賞を取って、私にとっては穴があったら入りたいぐらい恥ずかしいことでしたが、母にとってはそれが今でも自慢です。

自分のことですから母がいくらやってあげると言っても断れば済むことだったのかもしれませんが、小学校低学年の私には難しいことでした。

思えば、優秀だと評価されるためには大変熱心な母でしたし、他のことも母から褒められたいがために尽くしてきたのかもしれません。

しかしながら、親が子供の学校の課題に関わり、子供の成績に強い影響を与えられる時期にはすぐに限界がきます。

高学年になり、学習内容が難しくなってくれば、自力で何とかするしかなく、それでも中学生ぐらいまでは、特に優秀ではないにせよ、母親が不機嫌になるほど悪い評価になることもなかったのです。

ところがさらに高校に進むと得意科目と不得意科目の明暗がハッキリ分かれて、少なくとも親が期待するほど自分の頭が良くないことを思い知らされます。

なぜ心身が疲れた時に、当時のことを思い出すかというと、染みついた劣等感と今の現状と似ているところを感じるからです。

昔母からよく言われた、「一番でないと意味がない」ということ。叱られた時には「あんたを賢い子に産んだのに、努力が足りない」運動音痴なことについては「お母さんもお母さんの兄弟もみんな運動が得意なのに、本当にうちの子なの?」と笑われたこと。

これらは評価基準を勝手に決めた、我が家だけのルールに過ぎず、大人になった今では気にすることもないことかもしれませんが、繰り返し言われた否定的な言葉は刻印のように深いところに残っています。

特に、何事においても楽しむことより、結果重視。他者にどう思われるかを重視する癖がついていると、人生全般においてワクワクするような夢をみつけて切り拓くことが困難になりがちです。

では、そこから立ち直るには?

私は、こうした思い出が蘇るのを心身が疲れている時だと言いましたが、元気な時は、母が言った「一番」を社会が認める一番ではなく、自分が納得できるオンリーワンだと置き換えられています。

それが立ち直りの秘訣です。

そして、うちの母は良くも悪くも親バカで、自分の子が何らかの形で「一番になる」と世の中で唯一信じてくれています。

皆さんの中にも、親や祖父母から過大な期待をされ、期待通りになれないとがっかりされ、自分自身も理想の自分になれないと辛い思いをされている方が大勢いらっしゃると思います。

ひょっとすると、あることにお金や時間を使いすぎて、それを回収するために、このまま続けてもどうにもならないことは薄々気づいていながら、方向転換できずにドロ沼化していることもあるでしょう。

これは学生、社会人両方に言えることです。

自分の心に正直になってみる。
そこが原点回帰です。

かきかわ統合医療相談室
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