こころがかるくなる心理カウンセラーかきかわのブログ

山口市で心療カウンセリングルームを営みながら日常のエピソードをまじえて泣いたり笑ったり感情を動かすお話を掲載しています。

就業カウンセリングに関わって☆何を選択していますか?

2012-05-31 20:47:10 | 日記
来談者中心療法から入る就業サポートは型破りです。

ご相談内容で経済的な困窮、仕事が安定していないことは老若男女問わず増えてきていることです。


まず、適正とはなんでしょう?

向いているお仕事に就くことができることは幸せなことですが、やったことがないことは向いているかどうかは

わからないこともあります。


また、向いている職種だと思って就職しても、実際には困難であったり、配属先が合わないといったこともあるでしょう。


カウンセリングでは、クライアントさんが解決したい問題が就業したいということであれば、それを解決するために

共にチームを組む形で関わります。

解決するためには、最初からクライアントさんが希望されている仕事だけに絞るわけではありません。


例えば、一冊の求人情報誌があって、その中で選ばれたところも見ていきますが、選ばなかったところにも着目します。

なぜ、選ばなかったのか?あるいは、選べなかったのかも考えていきます。


時には発想の転換も必要です。クライアントさんが望むことが、カフェで働きたいということで、探しても求人にはなかったと

すれば、そこで既に諦めてしまっていることにも、疑問符をつけてみることもあります。


求人を希望している経営者がすべて外部に情報を流しているとは限らない。

やる気のある人が応募してくれば、採用したいこともあるかもしれない・・・


ここで、問いかけたいことは、最初に無理という名の線を引いていませんか?ということです。


今の時代は大変だと思います。

何が大変と言って、私が若いころに仕事をする目的は生きるためで、選ぶというよりも、とにかく面接に行った先で

何がなんでも採用してもらえないと今日から食べていけないというとんでもない緊張感がありました。


これは、嫌味でも何でもありません。

では、今の私にその頃と同じ行為ができますか? と問われれば無理ですから...

現に、私は組織で働いていれば食べていくことに困らないけれど、生き甲斐を求めて起業しました。

つまり、食べることには困らないという条件だけでは満足できなくなっているのです。


満足できないと一度でも思うようになると、辛いカレーを食べたときに、一口でも水を飲むと止まらなくなるように

渇望してしまうところがあります。


だからこそ、本当にその水は飲む必要がありますか? その一杯のカレーライス。

大盛りでも並盛りでも値段は同じでも、あなたの今のお腹の空き具合にはどの量が適当ですか?

と自分に問いかける必要が生まれてきているのです。


そして、仕事をしてもしなくても、カレーライスを食べることを援助してくれる環境があるとすればいかがでしょう?


これも批判でも何でもありません。

豊かであることは決して悪いことではないのですから・・・


もし、カレーライスを食べることを援助してもらえる環境があっても、その人は毎日ステーキが食べたいとします。

そのためには何らかの仕事をしないといけない。

しかし、とてもそのためには我慢しないといけないことがある・・・ここでカレーライスが食べられるなら、

ステーキは諦めてもいいと思うのもこの人の人生。何がなんでもステーキを食べたいと思い続けるのもこの人の人生です。


カウンセリングでは、その人が目指すところを応援する。自己実現という言葉を使います。

あくまでも、他者の物差しで測るのではなく、自己の実現ですから、実現目標の設定はその人次第なのです。


現状の職場は不満足だけど、そこを辞めては生活ができない。現状のままで留まりながらストレスと向き合う方法を

見つけるのもその人なりの答えです。


自分の生きるシナリオに関して責任を持つこと。もちろん、思い通りにならないこともたくさんありますが、

少なくとも自分で選択すべきことは、その時、その瞬間は、幸せになれると信じる道を進んでいただきたいと願います。

未来は誰にも予測できませんが、今をしっかりと選んでいただきたい。


大局で見ていけば、カウンセリングに来られる方々は何らかの選択で迷っておられる状況だと言えます。

選択についての答えを出すのはクライアントさん自身です。

カウンセリングでお手伝いできることは、選んでいる状況をきちんと整理することです。


大切なのは何を選択するかではなく、自ら選択することに責任を持ち、これから先、選択する岐路に立たれる際に

自分の意思を信じて選ぶことには自信を持っていただくことにあります。


そして、選んだことは自分の責任であり、何事も他者や環境のせいにすることなく、その人らしく笑顔で生き抜く

力を持っていただくことにあるのです。


優しく、強く、しなやかに、そして言いたいことは我慢しすぎず自分の言葉として伝えること・・・

癒しの場として、学びの場として在りつづけたいです。


玄関前は夏のお花が揃いました。


山口県山口市宮野の自宅で営む小さな心療カウンセリングルーム

かきかわ統合医療相談室

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和解するタイミング

2012-05-28 19:19:06 | 日記
喧嘩になって振り上げたこぶしをどうやって下ろせばいいのかわからない?

そんな状況を感じることがよくあります。


自分が誤りだと認めていても、なかなか素直に「 ごめんなさい 」が言えないシチュエーション。

意地っ張りで素直じゃないのよね...全く腹が立つ!! あなたの上司? 頑固なお父さん?


例えば、お母さんの方は若い頃からお父さんの亭主関白に耐えてきて、ひたすら家庭を守りお父さんが機嫌よく働けるよう

右を向けと言われればずっと右を向いて、何を言われようと耐えてきた。


子どもたちも無事それぞれに独立し、家族を持って家を出て残されたのはご夫婦二人だけ。

そして、退職する年齢になり一日中向き合う夫婦二人の暮らしが始まる。


お父さんは仕事一筋で趣味らしい趣味はないし、仕事を離れるとお友達もいない。

お母さんも家庭を懸命に守って来られて、お出かけするのもお父さんの顔色をいつも見ている。


子どもさん達はご両親を心配されて、


「 お父さん、もう少しお母さんに優しくしてあげてよ。」

「 お母さん、お父さんのことを少しは放っておいて自分の好きなことをすればいいじゃない?」

「 お父さん、ちょっとはお母さんを解放してあげて。」

「 お母さん、しっかりしてよ。お父さんが自立できないのはお母さんが何でも面倒見過ぎるからよ。」


いずれも多く聞かれる言葉です。


カウンセリングで何ができますか?

“ 和解するタイミング ”をとることです。


子どもさん達が仰ることはすべて正論です。

でも、正論だけでは解決がつかないこともあります。


ご夫婦二人で暮らされるようになって、小さな喧嘩が絶えなくなっていつしか、互いにふりあげたこぶしが

下ろせなくなっている・・・


ご両親も、十分に正論はお分かりのことだと思います。

収まりがつかなくなっておられる時はお互いの言い分を十分に聞くことが最も重要なのです。

この時の聞くということは、すべてを肯定的に受けとめて聞くということです。


「 うんうんってご主人の言うことを聞いておけば、納得されるとわかっていても、どうしても心配になるから

口出しし過ぎてしまわれるのですね。」

「 長年の関わり方はすぐに変えられるものではありませんね。」

「 つい、奥さまに頼ってしまわれるのですね。」

「 奥さんに急に優しくしてって言われても、どうしていいのかなかなか難しいですね。」



カウンセリング的な共感の言葉を例に挙げました。

自分の親であれば、しっかりしてほしい。これは子供さんの願いでしょう。

私にも親がおりますから、自分の親に対してはそこまで肯定的に聞けるかと問われれば返答に窮するところです。


親子など近すぎる関係では、極めて正論の答えを突き付けて相手に考えたり十分に気持ちを発散させる

ゆとりを無くさせてしまうことがあります。


少し考えてもらいたいことがあります。

「 ああしなさい、こうしなさい。」

と言われることに素直に従えるでしょうか?


これは、あなたがどんな心境でどのような状況かによりますが、例えばご自身が夫婦喧嘩をしている時。

子どもが何度言って聞かせても言うことを聞かない時、

「 頭ごなしに言うからダメなのよ。優しくしないと・・・。」


あるいは、失恋して落ち込んでいる時、

「 私だって失恋した時はすごく悲しかったけど、こうして頑張っているんだから、メソメソするの止めなさいよ。」


わかっているけれど、できないこともありますね。

たとえ、相手が

「 どうすればいいの?。」

と質問していても、もう少しゆっくりとお話を聞いていると大抵は“ このように応えてほしい ”という

意図が見えてきます。


「 私の努力が足りなかったのよね。あなたはどう思う? 」

ここで、すぐに応えずに少し待っていれば、

「 私なりに頑張ったんだけどね...。」

と続けば、共感して欲しいポイントは、あなたから聞きたい言葉は


「 あなたなりに頑張ったのね。」

なのです。


物事によっては、あなたの意見を必要としていることもあるでしょう。

相手が本当にあなたの意見を必要としているのか?

あるいは、ここでは意見を言うべきなのかどうかを考えたうえで、伝わる、伝える言葉を...

温かいコミュニケーションを繋げていただきたいと願います。


あなたの正論を述べるよりも、相手を和ませることで、振り上げたこぶしを下ろすタイミングを作って差し上げる。

これも一つの方法です。


山口県山口市宮野の自宅で営む心療カウンセリングルーム

かきかわ統合医療相談室


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何に対して怒っているのでしょうか?怒りの対象を考えてみませんか?

2012-05-27 22:06:50 | 日記
意識しているわけではないのですが、ここ最近はクライアントさんの年代が実に幅広いです。

10代の方のお帰りになられたあとが、80代の方、次に30代の方とさまざまです。


かきかわルームではカウンセリングの時間を一時間と決めています。

これは、集中してお話を聞くのもお話していただくのも、それぐらいの時間が限界だと思うからです。


初回のカウンセリング、あるいは内容的にどうしても途中で止めることができないこともありますので、

余程の事がない限りは、最低30分のゆとりを持って対応しております。


今日のタイトル、

「 何に対して怒っているのでしょうか?怒りの対象を考えてみませんか? 」

というご提案です。


お悩みを伺う時、噴出しだすと止まらないことが多い感情が怒りだと感じています。

怒りは、一度火が付くとどんどん大きく燃えてしまうことが多いです。


怒りの感情を手放すには、何に対して怒っているのかを認識したうえで癒さないとその炎は消すことができないので、

たとえ内容が堂々巡りになろうとも、止めずにお聞きいたします。


定期的に通っておられる方は、怒りの手放し方がとてもお上手で、

(例は完全に仮説です)

「 お嫁さんのこういうところが腹が立つの・・・。」

と暫くお話されたあとで、


「 お嫁さんのことが嫌ということではなくて、私は私で食べたいもの、行きたいところがあって

心配してくれることも煩わしいと感じることもあります。それをそのまま伝えればいいのですね。」



そうして起承転結をご自分でなさいます。


つまり、最初は怒りの対象が、人物(この場合お嫁さん)全体に意識が向いて過去の出来事を含めた出来事を

巻きこんでいました。


最後は、この度の出来事に対してご自分の思いどおりにならなかったことが怒りの原因だと受けとめられ

一言で言えば価値観の違いを認めて、“ 私はこれが食べたい、ここに行きたい ”と的確に表現される

ことで癒そうとされています。つまり、怒りの対象を “ 今、この時、この瞬間の出来事 ”に限定

されています。


もちろん、それほど簡単に割り切れないこともあります。

過去の出来事がどうしても許せなくて引きずっている時は、すべてが延長線上にあるように思えて切り離せないのです。


そんな時にもう一度考えていただきたいのは、その怒りは本当にずーっと延長線上でしたか?

ということです。

怒りに縛られている時はずっとその中にいるような気分に陥ります。


おそらく、何度も同じような気分に陥ることはあっても、それは同じではなく似たような過去の事実であって

全く同じではないのです。


今もその気持ちを引きずっているのなら、過去に解消できていなかった怒りの感情の処理という宿題が

終わっていないからです。


過去のある瞬間の怒りを思い出すとき、まるで今起こっているような臨場感を感じられたとしても、すべては過去であり

あなたがどれだけ

「 あの日のことを思いだしてよ。これだけ辛かったんだよ。わかってもらえなくて・・・。」

と相手に訴えても、その時に解消しきれなかったことを100%相手に癒してもらうことは難しいです。


謝罪をしてもらうことで、何パーセントかは埋められるかもしれません。

しかし、自分の感情を100%癒すには、自分が許さない限りは埋められないのです。


この場合の許すというのは、過去の相手の行為や言葉を指しているわけではありません。

もちろん、相手の行為や言葉も許せるときはそれが一番良いですが、無理な時は自分に話しかけてみてください。

「 あの時は誰も私の気持ちをわかってもらえなくて辛かった。今は二度と同じ思いをしたくないので、伝え方を

どうすればいいかしら? 」



今、ここの問題を解決できれば、過去のあの時にはまだ対処方法を学んでいなくて怒りの手放し方がわからなかった

ということを認識できます。


クライアントさんの年代層は幅広いですが、生きている限りは皆さん人生の主題を抱えておられて、何を手放し、

何をつかむかを必死で考えておられます。


やはり、生きる限りはすべての執着を手放すことは難しく執着が芽生えるから苦しみもあるわけです。


幼児期に人はつかむと放す感覚を学びます。

二つのことを同時に得ることができないことがあることを学びます。


おもちゃで遊ぶのも、つかむ感覚と放す感覚を学ぶためにとても重要です。

お母さんのことが大好きでも、保育園に行くとき離れなければならなかったり、お友達や兄弟とお菓子を

分け合うことも知り、自分の欲求通りにはならないことも認識します。


その代わりに得られる感覚...たとえば、お母さんとは離れても保育園で楽しく遊べることもあること、

お友達や兄弟にお菓子を分ければ相手も笑顔になることも学ぶのです。


歳を重ねても、同じことなのです。

怒りの感情を手放すには?

うんとシンプルに感じてください。

何に対して怒っていますか?


そして、起承転結が自分でつけられるようになられても、仰います。

誰にも言えないからね。親しいからこそ言えないから、ここで話すことで整理できますと・・・


山口県山口市宮野の自宅で営む心療カウンセリングルーム

かきかわ統合医療相談室

6月23日(土)7月28日(日)二回シリーズ(一回のみの参加も可)
主催 山口市・山口市男女共同参画ネットワーク
「大人のコミュニケーション講座」
参加無料、託児無料

お申し込みは
山口市男女共同参画ネットワーク 電話・ファックス 083-934-2841
詳細はこちらからご覧くださいませ。
↓ ↓
山口市男女共同参画ネットワーク






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裏表のある人が苦手??

2012-05-24 20:23:30 | 日記
「 自分に害があるわけではないけれど、苦手な人が職場にいます。

明らかに上司や異性の前だけは態度が変わる人・・・イライラするんです。」


このようなお悩み、よくお聞きします。


なぜイライラするの?

どうすれば、その不満な感情は癒せるの?


たぶん、イライラする理由はその人はあなたが決して出来ないことをするからではないでしょうか?

上手に嫌な仕事を人に頼むとか、適当な理由をつけて早退するとか、同情を集めるのが上手とか・・・

そして、要領の良いその人は周りの人からの評価が高いらしい・・・


何とか化けの皮を剥がしてやりたい。

なぜ、私は気づいているのに他の人はこの人の裏表に気付かないの?


一生懸命やっている私がその人より評価が低いなんてあり得ない!!


もし、職場などで、周りにこういう人がいて、表面的にでも上手くいっているのなら、おそらく

他の人はあなたが思うほど気にしていないのかもしれませんね。


さて、あなたはその職場でどのような存在になりたいですか?

あるいは、周りの人にどうして欲しいと思っていますか?


コツコツ仕事をしているところを評価されたい? 私のほうが、要領のいい彼女よりはるかに沢山

仕事をしているのだから、たまには助けてほしい...でも言えない。


職場でどんな自分に見られたいと思っているのか?

本音はどうなのか?


自分自身に聞いてみてください。


角度を変えればどうでしょう?

なぜ、同僚に気軽に仕事を依頼できないのか? お休みをください!と上司に言えないのか? などなど・・・

苦手な同僚にできて、自分には出来ない理由は何でしょう?


迷惑をかけてはいけないという思い。仕事への使命感。

だけど、たまには自分も愚痴もこぼしたい。我儘だって言ってみたい。

それを私はこれだけ我慢しているのに、どうして彼女は簡単に言えるのかしら?


つまり、あなたが決してできない生き方をその人がしているからイライラするのではないでしょうか?

生き方は人それぞれ。

あなたの価値観は何ですか?

どこまでが、自分の価値観で、どこからが過剰な我慢ですか?


小さな不平、不満はどんどん蓄積します。


自分が頑張った分だけの評価が貰えないのは辛いです。


ならば、要領よくしているその人の真似ができますか?

あなたが嫌悪している人の真似ができるでしょうか?


誰かが誰かを評価する時、そこには何らかの基準が存在します。

その基準が必ずしも自分に有利に働くとは限りません。


基準に無理に合わせるストレスを選ぶか、基準から多少は外れていても組織人として逸脱することが

ないなら、それでOKとするかは自分次第です。


選ばされている意識、被害者意識、他人を裁く意識・・・

現状は必ずしも変えることができなくても、意識は変えられます。


意識が変えられるということは、現状への見方が変わります。


苦手な人の生き方を好きになれとは申しません。

嫌いなら嫌いでも構いません。



嫌いだと宣言するならば、その人のような生き方を選ばない自分の思いを大事にしてあげてください。

一緒に仕事をしていれば、自分のすぐそばに苦手な人が存在することはストレスでしょう。


それでも、簡単に異動も願い出るわけにはいかない...

職場を変わるわけにもいかない...


人間関係を変えられないなら、そこにどんな課題があるのかを楽しんでください。

その人に出会った意味は何でしょう?


坊主憎けりゃ袈裟まで憎い!!

だけど、袈裟には罪はない。



ちょっとぐらい苦手な人の長所を認めることが出来れば一瞬楽になれるかもしれませんが、根底に

その人が評価を落とせばいいと、復讐心を抱いていれば、イチイチ周りが気になっていつまでたっても

イライラがなくなりません。


自分の評価が気になるのは仕方がないです。


他人が他人を評価することまで気にしていては幾つ体があっても持ちません。

私が嫌いなんだから、周りの人もその人を嫌いになればいい・・・せめてその感情だけでも手放してみませんか?


心に一点の曇りもない状態になることは難しい。

曇ったり、晴れたり、雨が降ったり・・・

それで構わない。


曇りがあるから、晴れた日が眩しく思える。

晴れた日が続けば、たまに降る雨が恋しくなる。


喜怒哀楽、憎しみ、嫉み、怒り・・・持っても構いません。

我々人間は、そうしたネガティブな感情も癒すためにこの世に修業に舞い降りました。


ネガティブな感情を持てば、持ったことを自覚して、要らないと思えば手放せばいいのです。


もうすぐ、梅雨入りでしょうか?

一緒に泣き笑いしませんか?


山口県山口市宮野の自宅で営む心療カウンセリングルーム

かきかわ統合医療相談室


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思うとおりに生きるとは?

2012-05-21 18:58:32 | 日記
当たり前のことですが、世の中は自分が正しいと思っていることだけで成り立っていません。

これ嫌い・・・苦手...あり得ない...

と感じることでも、脚光を浴びて社会的に見るところでの成功をおさめていることは、沢山あります。


まだまだ、何と言っても起業して一年余り、偉そうなことは言えませんが、どうしたらいいのだろう?

と迷った時に思い出すこと。

やはり、亡き父親の面影です。


業務用冷蔵庫メーカー創設者社長であった父親の言葉がはっきりと思い出されます。

幼い私にステンレスと、材木と、発泡スチロールと、ガラス管を見せて、これでエレキが加わると冷蔵庫が

出来るんだよと教えてくれました。


明治42年生まれの父親が60歳、昭和14年生まれの母親が30歳の時に産まれた一人娘が私です。


父が創業した当初は巷には、簀子の上にドンゴロスで巻いた氷を入れて冷やす冷蔵庫を使っているお店が

多かったようです。


子どもの頃によく連れて行って場所で一番好きだったのは、国際見本市会場でした。

あの当時では珍しかった氷が勝手にできる業務用製氷機や、ソフトクリームを作る機械は楽しくてずっと

見ていても飽きませんでした。


「 思うとおりにいかないこともあるけど、思うようにやるしかないんだよ。」

父の言葉です。


父のことも思い出しますが、工場で働いていた工員さんのことも脳裏に浮かびます。

事務工員さんの濃いグレーの袖ぬき、インクの匂いがいつもしていて、瓶に入ったインクを付けながら文字を

書いているのが格好いいと思ったものです。


危ないから入ってはいけないと言われていましたが、溶接している時の花火のような様子も好きでした。

材木を扱う場所ではいつでも木のいい香りがして、おがくずはママゴトではご飯の代わり。

半端の板は、近所の男の子がミニカーを走らせる橋になりました。

キラキラしたガラスは宝石のようでワクワクしました。


思えば、不器用な父でした。

腰は低く、商売熱心ですが、折り合えないことが多く人付き合いが良いほうではありませんでした。

それに較べて、母はとても社交的で、父の仕事を補佐していたと思います。


父母の夫婦仲は良いとは言えず、価値観の違いで衝突することが多かったようです。

今から思えば、母も参謀で収まるような人ではなく、自分がトップに立ちたい人でした。


父母の願いは、私が堅い仕事に就くことでした。

商売などではなく、医師や弁護士、教師のような仕事に就いてほしかったようです。


口ではそのように言っていても、根底には家業を継いでほしい、意志を継いでほしいという願いはあったと

思います。ただ、親は子に自分がしてきた苦労はさせたくないという思いが強かったのでしょうね。


今になって、幼い頃の笑顔の私がたくさん記憶に登場します。

出たがり屋さんで、学校の朝礼で、校長先生のマイクを取ってしゃべったこととか、父の会社の宴会でカラオケもない当時ですが、

芸者さんの三味線で歌った演歌...


緊張する場面の時に、その当時のことを思い出すと肩の力が抜けます。


そんな私も、思春期から大人になって幾つかの学校や職場でもまれて、自己主張を抑えないと上手くいかないことも

学びましたし、自我が強い分折り合いを付けるのに苦労したこともありました。


現在は...色々な反抗期や葛藤を経て子供の頃の私と再び出会えたのだと感じています。

自分の考え、遣り方が受けいれられるとは限らない。


それでも、思うようにやるしかないのだと覚悟が決まりました。

父母の言うことは聞かなかった私ですが、生き方はなぞっているようです。


思うとおりに生きるとは、決して思い通りになるわけではない人生を、それでも自分の感情や行動に責任を

とりながら、自分らしく生き続けることだと思います。幸せになる道を選択し続けることです。


私は私を笑顔にすることが、まず第一です。

何が正しいかを考えることは大事ですし、自分なりの正義を持つことも必要です。

ただ、その自分なりの基準が何のためにあって、何を目指しているのかを大局で考えるゆとりも必要です。


個人の正義も法律と同様。法はそもそも、裁き人を傷つけるためにあるのではなく、守り、幸せに過ごすためにあります。


心理学の原点を学ぶ時、目指すところは平和です。

武器を捨てて、一つの輪になり笑顔になることです。


不当な怒り、嫉妬や暴力、猜疑心など人が人を苦しめる心を癒やし一人一人の心が愛に満ちて幸せになることを目指します。

皆さんが自分らしい生き方を見つけて笑顔の輪を広げることが、周りの人をも癒す力になるでしょう。


見出し画像は夫が草取りをしているところです。

場所は我が家ではありません。

少しの間でしたが、二人で草を取りながらお庭の植物や虫や鳥の話をしました。

大切な癒しの時間です。


山口県山口市宮野の自宅で営む心療カウンセリングルーム

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