こころがかるくなる心理カウンセラーかきかわのブログ

山口市で心療カウンセリングルームを営みながら日常のエピソードをまじえて泣いたり笑ったり感情を動かすお話を掲載しています。

私自身のうつ病予防対策

2017-08-27 15:11:20 | 日記
私自身がうつ病にかかった経験があり、その長いトンネルは3年ほど続きました。

私がカウンセリングを行うにあたって気をつけているのは、クライエントさんの先回りをしないことです。

焦りを感じているのは誰よりもクライエントさん自身です。

「もっとこうすれば良いのに」
「こんな考え方をすればいいのに」

と、頭ではわかっていても心には届いていない時期に、無理やり心の扉をこじ開けて進もうとすると、クライエントさんの苦しみは倍増してしまいます。

と言って、ただ何も意見を言わずに聴き続ければ良いわけではなく、おしつけにはならないよう声かけは必要ですし、援助のタイミングを間違わないことがカウンセリングでは大変重要です。

過去に私自身がうつ病にかかった経験があるので、誰にでもかかる可能性があることは心底わかります。

元々ポジティブな考え方を持っていれば大丈夫なわけでもありません。

むしろ逆かもしれません。

私の人生観は、「人生に起こること全てに意味があり、そこから何を学ぶかが重要。困難を乗り越えることで、自己成長を遂げられる。苦手な人からも学ぶことはある。誰にでも長所はある。」

というものです。この人生観がプラスに働く時は家庭も仕事も潤っていますが、マイナスに働けば、我慢しすぎて身動きできなくなります。

うつ病の時は、頑張ってはいけない時期であり、頑張らない生き方を元々肯定出来ない自分にとっては、その選択は、とても難しいのです。

私のうつ病予防対策の中で最も大切にしている点は、その頑張りが苦痛になっていないか、常に自問自答することです。

他人と折り合っていく部分(社会性)と自分がしたいことを追求し続ける(主体性)は、反比例することが多く、その両方を稼動させる場合、気づかぬ間にストレスが溜まります。

つまり常識的でありたいところと、その殻を破りたいところが内面で摩擦を起こすのです。

そんな時は、とてもナーバスになり誰とも会いたくなくなりますし、感情の起伏が激しくなります。

残念ながら、即これを実行すれば癒せるものでもありません。

心理的な視野狭窄に陥るのを防ぎ、うつ病に罹る手前で気付き、リラックスすることを心がけるしかなく、どんなに予防しても病気である以上、100パーセント防ぐことは無理です。

私自身は過去に薬物療法だけでは癒せなかったところをカウンセリングで救われました。

そして、カウンセリング、心理教育は今の私を病気から守ってくれるだけでなく人生を豊かにしてくれました。

大切なことほど、確たる答えはないものです。原因を一つに決めようとすると、かえって深みにはまります。

辛い人たちの道先案内人であり続けたい。
それが私の願いです。

かきかわ統合医療相談室






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忘れられない辛い気持ちを癒す方法

2017-08-16 01:02:05 | 日記
毎年8月に入ると、過去の古い感情が湧き上がって苦しくなるのをどうにかしたいと相談に来られる方が多くなります。

お盆、夏休みというものが、遠い昔を思い出す機会が他のシーズンに比べて多いのかもしれませんね。

今日は、午後からスケジュールが空いたので夫と萩方面に出かけました。

一番したかったことは、気になっていたお店で名物のかき氷を食べること。

次にしたかったことは古い感情と向き合い、手厚く葬ることでした。

今年の夏も夫婦ともに郷里に帰ることは出来なかったのですが、今いる場所で、想いを馳せることは出来ると思い、萩市の東光寺 万灯会に行くことにしました。

かき氷を食べに行くと、子どもよりも中年以降の大人たちのほうが、昔を懐かしみながら、楽しそうにされているようでした。

私の思い出は、何と言っても、真っ赤なイチゴシロップのかき氷です。京都では地蔵盆が盛んで、浴衣を着せてもらって町内の券を持ってかき氷を貰いに行くのですが、真っ赤なイチゴシロップが白地の浴衣にこぼれると、取れなくなるからと、叱られたものです。

それに舌が真っ赤になるからやめなさいと言われて、いつも、みぞれを注文していました。

大人になったら、こぼさないよう上手に食べられるし、こぼしたって、舌が真っ赤になったって誰も怒らないから思いっきり食べようと思っていました。

かき氷のことを思い出していると、数年後に他界した父のことや、母と喧嘩したこと。子供の頃に繰り返し見た悪夢のこと。初めて嘘をついた時のことなど、今思い出しても胸がチクチク痛むような場面が浮かんで来ます。

過去の古い感情は、無意識のうちに今も自分の判断基準に影響を及ぼすこともあるのです。

かき氷のメニューで何を選ぶのかも、その一つです。

食べ物の好み一つでは人生に大きな影響はないかもしれませんが、過去の処理しきれないほどの苦しみ、悲しみ、その二次的感情として根ざしている怒りは、特に現在の人間関係に影を作ってしまうこともあります。

例えば、子供の頃に父親から理不尽に怒鳴られ、殴られる経験をしていて、今も威圧的な男性、ただ声が大きいだけでも怖いと感じて涙ぐんでしまうケース。

大切な人を亡くした経験が、今もフラッシュバックして、今は特に何も起きていないのに人生を楽しむことが出来ないというようなケース。

私に今日、フラッシュバックが起きたのは、すれ違った老婦人が目の前で転倒された時のことでした。

日が暮れて辺りが暗かったのもあり、ご家族が手を繋いでいらっしゃったのですが、転倒されて、先頭を歩いておられたご婦人のおそらく旦那さんが、

「お前たちがちゃんと支えていないから」と子供さんたちを大きい声で叱責されていて、その時自分も目の前が真っ暗になり強く叱られた感じがしたのです。

今の私は、今日見た出来事を客観視出来ますし、その時受けた自分の感覚は古い未処理感情の名残り、余震のようものだと納得も出来ています。

今日見た出来事を私なりに客観視すれば、転倒されたことはお気の毒ではあるが、辺りが暗いのもあり、家族みんなが気にかけていても、転倒を100パーセント防ぐことは出来なかったでしょう。

怒鳴られて、少なくともその場では誰も言い返さなかったのは、転倒したことに驚いたためかもしれませんし、公衆の面前ということで体裁を気にされたのかもしれません。その理由は当事者しか分かり得ないものです。

私が衝撃を受けたのは、理不尽なことが起きた時、歯向かうことが出来ない無力さを自分が疑似体験しているように思えたからだと推察します。

過去にもあった......

「お前のせいで、最悪だ!」

と言い捨てられた惨めな経験が。

古い感情を葬る方法は、それが古いものだと認識し、自分がコントロール出来なかった過去の事態に関して責任を取ろうとすることを止めることです。

「お前のせいで」

と、たびたび言われてきた。あるいは、たった一度でも、大変理不尽な目に遭ってしまったが、相手に責任を追及することが叶わない。

このような経験を処理する時、

「本当は相手が言うように私に落ち度があったのだ」

「私が存在しているからいけないのだ」

このように考えることがあります。それを単に処世術として割り切れていればいいですが、特に相手が肉親や恋人など、親しい関係である場合は、

「私のためを思って言ってくれているのだ。それを受け入れられない自分が悪い」

となりがちです。

努力次第で何でもできる。変えられないのは自分の弱さだと、真面目で自分に厳しい人ほど、はまりがちです。

でも自分でコントロール出来ることって世の中にどれ程あるでしょうか?

相手の感情も、言動も、自分側からは、どうすることもできないのです。

私は今日、大好きな海を眺めながら、

「あの雲の裏側に、母に言われて悲しかった言葉をしまおう」

「向こうの山のふもとに亡き父に言いたかった言葉を埋めよう」

というふうに葬ってきました。

今年の夏葬っても、来年また思い出して辛くなるかもしれないし、もっと早い時期かもしれません。思い出す都度葬ることを生涯繰り返す。

これが生きている間中続く、それが人生、私はそう思います。


かきかわ統合医療相談室




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