こころがかるくなる心理カウンセラーかきかわのブログ

山口市で心療カウンセリングルームを営みながら日常のエピソードをまじえて泣いたり笑ったり感情を動かすお話を掲載しています。

こころに染みこむコーチングセミナー...そしてカウンセリングとは?

2012-10-22 18:07:19 | 日記
昨日、素晴らしいコーチングセミナーを受講してまいりました。

なぜ、コーチングセミナーなのか?

今の私に必要だと感じたからです。


セミナーの中で、あらためて心に留めたこと。

コーチングとカウンセリングの違いです。

コーチングは自己実現に向けて目標達成に導くということ。

カウンセリングはお話を聞くことを中心として、その人自身が問題解決を含めて成長していけるよう、

その人特有の考え方や行動をのパターンで不快な部分にみずから気づいて癒やすお手伝いをする。

そのスタンスの違いです。


では、実際には完全に線引きできるものかと言えば、私は現場では完全...ということはないと思っています。


助言も、エールも、その人にとって必要な時しか響きません。


頑張って・・・

応援しているよ・・・

あなたの笑顔が素敵・・・

そんなあなたが好き・・・



どのような素敵な言葉も響かない時もあります。


今の環境にとても不満を持っていて何で時間外までセミナーを受けないといけないのか?

と感じていれば、どんなに素晴らしいセミナーもその人にとって成長に結びつかない時もあります。


逆に、やる気満々の時は、聞いてもらうだけ、自分で気持ちの整理をするだけ・・・というスタンスのカウンセリングでは

不完全燃焼感が残ります。

それは、その人自身が、向上心を持っているからです。


ここから何かを学びたい、持ち帰りたい、感じたい!!

そう思っている時は、必ずそこには求めるものがあります。


定期的にルームを訪れるクライアントさんが仰ることですが、

「 ここに来ると誉めてもらえるから嬉しい。」

本当のところは誉めているのではないのです。


クライアントさんご自身が

「 この一か月これだけ頑張ったのです。」

と仰ることをそのまま受けとめて、

「 頑張ってこられたのですね。」

と共感しているに過ぎません。


実際の場面での会話はもう少し複雑ですが、基本的にはその人の鏡になって丁寧にお返しして、クライアントさんご自身が

“ 頑張った自分を誉めてあげたい ”

というお気持ちをそのまま映し出していることです。


先週は、自衛隊での講話、カウンセリング、企業のセミナー、個人のカウンセリング、講座、色々とさせていただきました。


近頃、よく考えることです。カウンセラーが行う講座。共感的な講座って何だろう?というところです。

そもそも、講座というものは、受講される人を巻きこんだ形の内容を試みても、やはり一人一人に焦点をあてることには

限界があります。


全員に受けいれられることを求めすぎては、自分が伝えたいことが響かないこともあります。


そこには矛盾が生じています。つまり、カウンセリングは本来カウンセラー側はテーマを持ちません。クライアントさんご自身に

何を解決したいかテーマを決めてもらうことが前提です。


ほとんどの講座では、どうしてもテーマの部分は代表の方に決めていただかざるを得ません。

しかし、そこから先の部分を求めて来られた時にはパーソナル=個にあくまでも目を向けて問題解決のお手伝いをさせて

いただきたいと思っています。


その人にとって、どうすることが最も良いのか?

その人にとって、どう考えていくのが最もよいのか?

そこに寄り添うことから、始めないと、社会人として、公的な役割としてという部分で貢献できる人づくりは叶わないと

考えています。


その人自身が、会社のことにまで目が向かない心境であるところに、職務上の助言を行っても染みこまないでしょう。


広義の意味合いでは...あくまでも私なりの解釈ですが、人間が好き。その人の笑顔が見たい。そのためには...

という目的の部分では、コーチングもカウンセリングも同じところにあるのでは?ということです。

と言うよりも、その思いがないと、いずれもできません。


私は、素晴らしいコーチングセミナーを通じて、何を伝えるかも大事ですが、誰がどのように、どのタイミングで、どんな思いで・・・

また、受け手がどんな気持ちで受けとめるのか・・・

そこが最も重要だと感じました。


心が洗われる思いです。

あるがままで、ありのままで私らしく...

そこに戻って精進していこう...

もう一度位置につくことができました。


出逢いの一期一会に感謝。

ハゼも銀杏も色づきはじめました。

秋も深まり、少しずつこころも冬支度。

こころの衣替えに来られませんか?


山口県山口市宮野の自宅で営む小さな心療カウンセリングルーム

かきかわ統合医療相談室




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

過去の辛い思い出の棚おろし

2012-10-08 08:30:39 | 日記
私たちが、過去のことを振り返って思い出すとき、それが自分にとって強烈な思い出であれば、その時の感情までリアルに

脳裏に浮かぶことがあります。


“ 親に構ってもらえなかった ”

“ 恋人に酷いことを言われた ”

“ 友人から騙された ”


そして、どんな思い出にせよ、過去の経験から導き出された自分なりの方程式を作り、それが独自の価値観になり、

たとえるならば、サングラスを作ってそのレンズを通して世の中を見ています。


みなさんは、どんなサングラスをかけていますか?

そのサングラスは、産まれた時からかけていたわけではありません。


慣用句では

「 色眼鏡で見る。」

先入観や感情に支配された観察と言う意味の言葉があります。


この言葉は、どちらかと言うと、偏った見方をするといった・・・あまり良い表現としてつかわれていませんが、

私は、自分なりの色眼鏡を持つことはとても素晴らしいことだと思っています。


他人の色眼鏡から見れば、

「 あんな男のどこがいいのよ。優柔不断で、はっきりしないし、マザコンで良いところないじゃない?。」

と言われることも、自分の色眼鏡をかけて見ると、

「 あの、ふんわりと綿菓子みたいなところが好きなのよ。お母さんを大事にしているのよ。素敵じゃない?。」

と思えたり・・・


「 あんた、騙されていたんじゃないの?。」と言われても、

「 私はあの人からいっぱい素敵なことを教わったの。私にない価値観があって、元気をいっぱい貰ったわ。」

と思えたり・・・


つまり、色眼鏡をかけることで、同じ人物、同じシチュエーションでも全然感じ方が違って見えて、それを教訓としたり、

癒しにしたり、様々なとりこみ方ができるのですね。


先日、カウンセリングにおみえになられた方は、ご近所のご住職さんから、気分転換に歩いてみなさい・・・

普段の景色を感じてみなさいと言われたそうです。


歩きなれた道でも、人によって視点は違います。路肩に咲く花に関心がある人。ご近所の洗濯物の干し方に関心がある人。

誰か出会わないかしら?誰かとお話したいなあ・・・と思いながら歩く人。

また、自分の心境によっても変わるのでしょう。


色を判別するのも、物の形がわかるのも、あなたの目を通して脳が認識していることです。

また、五感を通じてさまざまな事をあなたのハードディスクである脳が処理をしてソフトウェアである思考を通じて

表面化します。


過去の辛い思い出の棚おろしというタイトルを付けましたが、あなたの経験したことに対して、今現在はどう向き合って

いますか?


あるいは、自分に対してどんな納得のさせかたをしていますか?

今、向き合うべき問題は何ですか?


過去に選択して、あるいは、自分で選択の余地がなく決められたことについて歩んできたことについて、どう気持ちの

処理をつけていますか?


例えば、厳しすぎる親、頑固な親のもとで育って、何か口ごたえすればすぐに殴られた過去があるとします。

子供の頃は抵抗できなかった。自分で自分を守ることが出来なかった。そのことで、今も親を許せない時、どうすればいいでしょうか?


答えははっきりしています。あなたが今、感じている通りです。理不尽なことについては怒っても構わないのです。

しかし、過去の事実については置いていくしかありません。


子供の頃の何らかの家庭環境が、友人や恋人を選ぶ時の基準に反映することもあります。

恨みはあっても、心のどこかで、親の行動を、友人や恋人の行動を自分が治してあげないといけない。

自分が面倒を見てあげないといけないと思うことから、世代間での連鎖が起きることがあるのですね。


私も、こうして綴りながら、まさしく連鎖を起こしていると認識しています。父母は30歳の歳の差夫婦(父が年上)でしたが、

私自身も23歳年上の主人と結婚しております。


母は、昔よく言っていました。

「 若い時はいいけれど、歳をとれば介護生活。何もいいことがない。私と同じ人生を歩んじゃ駄目よ。女も自立しなくちゃ。」

そして、父亡きあとも、後悔の言葉を聞かされていました。


以前は、私も、あれほど嫌っていた母の愚痴を他人の前では言わなくても心の中で恨み節のように同じことを唱えていました。

誰に強制されて結婚したわけでもないのに、あたかも自分が犠牲者のように考えていました。


心理を学んでいくうちに、今では少なくとも、“ させられている ” という

感覚はありません。“ 進んで選択したこと ” として受け入れています。


37歳の時に夫は60歳で定年退職。その5年ぐらい前から老後問題、セカンドライフをどう生きるかについて考える機会を

もらいました。実は夫が退職を迎える少し前から、退職後の3年程はライフサイクルがかたまらず、葛藤の日々でしたが、

今はそこから抜け出してとりあえず...穏やかな日々です。


辛い過去の出来事についても、自分で選べなかったことに関しては事実として受けとめ、許せないことはそれはそれとして

置いていくしかありませんが、自分で選んだことに関しては責任は自分にあると潔く認めることです。


お父さんの暴力からは逃げられなかったかもしれませんが、今現在向き合っていることについて、何らかの苦しさを抱えて

いるとすれば、本当にそれは変えられないことですか?


あなたの色眼鏡が、変えられないのだと歪んで見せているのではありませんか?


心の断捨離。不要なものは置いていって、身軽になりませんか?


秋も深まりました。朝夕はめっきり冷えこむようになりまして、銀杏も色づきはじめました。

眼鏡の調整が必要な時は、穏やかな木漏れ日が差しこむカウンセリングルームをお訪ねくださいませ。


見出し画像は、先日柳井市で講話をさせていただいた折に平生町大星山で撮影しました写真です。視点を変えればこんなに

広い景色が目の前に広がっております。


当ルーム、山口県山口市緑ヶ丘は旧住居表示が宮野下です。閑静な住宅地に佇む普通の家です。

かきかわ統合医療相談室



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする