ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

上田市産院に副院長着任 常勤医2人体制に

2009年10月15日 | 地域周産期医療

上田市を中心とした「上小(じょうしょう)医療圏」(人口:約22万人、分娩件数:約1800件)は、長野県の東部に位置し、上田市、東御(とうみ)市、青木村、 長和町などで構成されています。

現在、同医療圏内で分娩に対応している産科一次施設は、上田市産院(上田市)、上田原レディース&マタニティークリニック(上田市)、角田産婦人科内科医院(上田市)などです。ハイリスク妊娠や異常分娩は、信州大付属病院(松本市)、県立こども病院(安曇野市)、佐久総合病院(佐久市)、長野赤十字病院(長野市)、篠ノ井総合病院(長野市)などに紹介されます。分娩経過中に母児が急変したような場合は、救急車で医療圏外の高次施設に母体搬送されています。

産科二次医療が存在しない地域では、産科一次施設での分娩の取り扱いの継続が次第に困難となってゆくことが予想されます。また、産婦人科の二次医療を提供する研修施設が存在しなければ、産婦人科志望の若手医師を集めることもできません。

将来的に多くの若手医師が集まってくるように、医療提供体制を根本的に変革していく必要があります。『今この地域で最も必要とされているものは何なのか?』について、もう一度根本からよく検討し、医療圏全体で一体となって、地域の周産期医療提供体制を再構築するための第一歩を踏み出していく必要があると思われます。

****** 信濃毎日新聞、2009年10月14日

常勤医2人体制に 上田市産院に副院長着任

 上田市産院(常磐城5)に村田昌功(まさのり)医師(49)が常勤の副院長として着任し、13日、記者会見した。産院は常勤2人、非常勤2人となる。常勤医が2人となるのは、2007年12月以来。村田副院長は市医療政策参事として、産科を中心とした医療体制充実のための市の政策立案にも携わる。

 村田副院長は秋田大を卒業後、秋田市立総合病院などに勤務。07年12月、医師不足で産科を休止していた沖縄県名護市の県立北部病院の産婦人科部長となり、出産受け付け再開に向け、医師確保などに尽力したという。

 上田市には、全国自治体病院協議会の紹介で着任。村田副院長は会見で、国の政策で医師が増えるようになるまで今後5年、10年とかかるとし「国立病院機構長野病院や信大、医師会などと連携を深めながら、沖縄での経験も生かし、まず医師や助産師、看護師確保に努めたい」と抱負を語った。

 上田市産院では前院長が07年末で退職。以降は常勤1人、非常勤2~3人の体制で、出産数(新生児数)は、ピークの06年度には688人だったが、08年度は479人にまで減っている。

(信濃毎日新聞、2009年10月14日)

***** 東信ジャーナル、2009年10月14日

上田市産院へ常勤産科医が着任 村田昌功医師(49)

「県内外の即戦力の医師を集めたい」

 上田市は13日、上田市産院へ9日付で常勤産科医が着任したと発表した。

 着任したのは、村田昌功医師(49)。上田市には、全国自治体病院協議会を通して紹介があった。

 村田医師は、大阪府豊中市出身で秋田大大学院博士課程修了。同大医学部の文部教官(助手)として勤めた後、市立秋田総合病院・産婦人科医長や沖縄県立北部病院・産科部長として勤務した。前任地の沖縄県立北部病院では閉鎖していた産婦人科の立て直しに尽力し、2年間で閉鎖前の状態に回復させたという。

 産院では副院長として勤務するとともに、市の政策企画局医療政策参事として市産院の建て替え計画や地域医療政策へかかわる。村田医師は「医療の政策にもタッチできないか、効率的な医療資源の活用ができるような仕事に携われないかという条件で(全国自治体病院協議会に)問い合わせたところ、複数の自治体からオファーがあった。(上田市に)情熱を感じ、これ以上適した自治体、病院はないと判断した」とし、「5~10年は医師不足の状態が続く。県内外の即戦力の医師を集めたい」と話した。

 母袋創一市長は「産院の医療体制を含めて地域周産期医療の問題はまだまだ多いが、村田先生の招へいで一筋の光明が射してきた。地域全体の医療の底上げ、充実に全力で取り組んでいきたい」と話した。

 村田医師の着任で市産院は常勤医2人、非常勤医2人、助産師は常勤4人、パート3人、看護師は常勤11人、パート2人の体制になった。

(東信ジャーナル、2009年10月14日)


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