ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

椎名レディースクリニック開業百周年記念式典

2011年06月26日 | 飯田下伊那地域の産科問題

椎名レディスクリニックは開業百周年を迎え、3代目院長の一雄先生が産婦人科医としての業務を担当、奥様が助産師業務を担当、院長のお母様が長く厨房を担当され、御家族を中心に年中無休で猛烈に働き続けて、年間4百件程度の分娩や不妊治療など、地域での産婦人科医療に積極的に取り組んでおられます。最近、椎名レディースクリニック開業百年記念式典が開催され、私も出席させていただきました。御子息のうちの2人が医学部生、1人が助産学生で、現在、修業中とのことです。昨今の産婦人科医不足、助産師不足などの影響で、産婦人科の開業を継承していくのは非常に困難な社会状況となってますが、御家族を中心に職種を分担し、自給自足で家内工業的に非常に頑張っておられます。今回の式典では、次世代へのバトンタッチの準備も着々と進んでいることが紹介されました。

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記念式典での祝辞の原稿:
 椎名レディースクリニック開業百周年おめでとうございます。
 一口に百年と申しましても、親子三代でこの地域の産婦人科医療を支えてこられたことを考えますと、これは並大抵のことではない大偉業と感じております。
 私が飯田市立病院産婦人科に赴任したのは平成元年4月で、その当時は先代の椎名剛雄先生が頑張っておられました。赴任のご挨拶に初めて椎名レディースクリニックにお伺いした時に、剛雄先生は、「これからは、手に負えない大変な症例はどんどん市立に送るから、よろしく頼むよ。」とやさしく声をかけてくださって、早速に、早産前期破水の症例を送っていただき、市立病院で最初の帝王切開を開設早々に実施させていただきました。
 その後も、ハイリスク妊娠や子宮頸癌・子宮体癌・卵巣癌などの多くの貴重な症例をどんどん送っていただき、お陰様で、市立病院の産婦人科は、開設直後からいきなりエンジン全開で、毎週毎週、多くの手術を実施させていただくことができ、非常にいい形でスタートを切ることができました。
 最初は地域の産婦人科の先生方のほとんどが私の父親世代でしたが、平成3年に椎名一雄先生が飯田に戻って来られたのと、ちょうど時を同じくして、波多野久昭先生や羽場啓子先生も当地での診療を開始され、同世代の産婦人科の仲間が急に増えましたので、平岩幹夫先生を中心として飯田下伊那産婦人科医会の中に若手グループを結成し、頻回に症例検討会や勉強会を開催して親交を深め、この二十年間、地域の産婦人科医療を支えてきました。
 振り返ってみますと、この二十年間のうちには当地域の産婦人科医療提供体制も何度か危機的な状況に陥りましたが、その度にみんなで助け合って危機を乗り超えてきました。特に3年ほど前には、市立病院産婦人科が存続できるかどうかの危機に直面した時もありましたが、何とか危機を脱することができましたのも椎名一雄先生をはじめとした地域の諸先生方の大きな助けがあったお蔭と、心より感謝しております。
 月日の流れるのは早いもので、若い若いと思っていた我々若手グループの面々も還暦を迎える年齢となり、次世代へのバトンタッチを考えなければならない時期がやってきました。
 市立病院の産婦人科も、昨年、芦田敬先生が信大産婦人科から赴任し、若い産婦人科医も増えて、毎日みんなで活発に議論し、切磋琢磨して日々の診療に励んでおります。助産師の数も年々増えて総勢四十人を超す勢いです。
 椎名レディースクリニックでも、御子息達が医学部で勉学に励まれているそうで、次世代へのバトンタッチの準備が着々と進んでいることと推察いたします。
 今後の百年間も、椎名レディースクリニックと市立病院とがうまく協力していけば、この地域の産婦人科医療提供体制はますます発展していくと思います。
 私もこれからなるべく長生きをして、次世代の先生方の頑張り振りを見守っていきたいと考えています。
 本日は誠におめでとうございます。


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