ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

正常大卵巣癌症候群

2006年02月04日 | 健康・病気

はじめに

進行した癌性腹膜炎の状態の女性患者で,術前検査では原発巣不明,開腹時肉眼所見でも卵巣は正常大で明らかな原発巣を見出せないような臨床的状況に遭遇することがある.Feuerら1)は,このような臨床的状況を呈する症候群を,Normal-sized ovary carcinoma syndrome(正常大卵巣癌症候群)と命名した(1989年).本症候群はいくつかの悪性疾患を包括し,病理組織学的診断を確定するのは必ずしも容易ではない.本稿では,本症候群の定義と意義について述べる. 




本症候群の定義

提唱者であるFeuerらによる本症候群の定義は,次のような条件を満たす複数の疾患から構成される群である.すなわち,

1. 開腹時の所見で,腹腔内にはびまん性に転移巣がひろがっている.
2. 卵巣は正常の大きさで,外表は細顆粒状ないし平滑である.
3. 術中または術前の探査で明らかな原発巣が認められない.
4. 化学療法,放射線療法,卵巣にかかわる手術などの治療歴がない.

本症候群の定義は概括的であるので,さまざまな疾患が含まれる.Feuerらの報告によれば,後の解析によって本症候群には以下の疾患が含まれることが判明した.すなわち,

1. びまん性悪性中皮腫 diffuse malignant mesotheliomas(以下,DMM)
2. 性腺外ミュラー管腫瘍 extragonadal muellerian tumors
3. 転移性腫瘍 metastatic tumors
4. 卵巣腫瘍 ovarian tumors

Feuerらは,上記以外の疾患が本症候群に含まれる可能性も認めている.


本症候群を構成する疾患とその鑑別診断

本症候群の病理組織診断の鑑別はきわめて困難であるが,臨床所見,腫瘍マーカー,開腹時の肉眼所見,ヒアルロニダーゼ反応,免疫組織化学,電顕所見などを総合して判定する必要がある.また,臨床医と病理医との密接なコミュニケーションが不可欠である.

本症候群を構成する疾患のうち,DMMと性腺外ミュラー管腫瘍が比較的多数を占め,Feuerらの報告では全症例11例中6例がDMMと性腺外ミュラー管腫瘍に該当した(表1).

表1 正常大卵巣癌症候群と診断された疾患の内訳

Feurerら(1989)1)

山崎ら(1995)2)

びまん性悪性
中皮腫

性腺外ミュラー管
腫瘍

転移性腫瘍

卵巣腫瘍

DMMは,男女の胸膜,腹膜に発生するきわめて悪性の腫瘍で,上皮型,肉腫型,混合型に分類される.腹膜発生例では上皮型が多いとされている.胞体内にアルシアン青染色やコロイド鉄染色陽性物質が証明され,ヒアルロニダーゼでその染色性が消失ないし低下し,ヒアルロン酸の存在が証明されれば,DMMの診断の重要な根拠となる.電顕所見(多数の細長い微絨毛,中間フィラメント,デスモゾームなど)も診断の参考になる.

女性の腹膜は発生学的にsecondary mullerian system(第2のミュラー管系)とされており,ミュラー管系への分化を示す病変の発生することが知られている.最近,性腺外ミュラー管腫瘍に分類される腹膜原発乳頭状漿液性癌primary serous papillary carcinoma of the peritoneum (以下,PSCP)の報告3),4)が増えている.PSCPは組織学的に卵巣乳頭状漿液性腺癌と類似し,しばしば砂粒体を有し,乳頭状あるいは腺管状構造を呈する.電顕的には,上皮性分化,すなわち細胞質内粘液,短い直の微絨毛などがみられる.PSCPの予後は卵巣癌よりも悪いが,CDDPを中心とした化学療法にある程度反応し長期生存例の報告もある.PSCPの組織発生,特に卵巣原発の表在性乳頭状腺癌5)との関係などについては,なお問題が残されている.

上皮型DMMとPSCPとの鑑別は一般に困難であるが,H-E染色でPSCPに多数の砂粒体が認められること,ヒアルロニダーゼ反応の結果,免疫組織化学的検討でBer-EP4染色はDMMで陰性,PSCPで陽性を示すこと,特徴的な電顕所見などが重要な鑑別点となる.

本症候群は、特に組織像が漿液性腺癌であれば,卵巣癌と診断される傾向がある.しかし,卵巣癌は,Feuerらの報告では全症例11例中1例のみであった.卵巣癌は本症候群の一部を構成するに過ぎない点に留意する必要がある.



本症候群の意義

従来,本症候群に該当する患者の多くは,原発巣の検索が十分には行なわれないまま,安易に診断は『卵巣癌』とされる傾向もあった.Feuerらは,そのような対応に対してより的確な診断を求める努力を要請して本症候群を提唱した.本症候群は予後不良だが,適確な診断が下されれば,各疾患ごとにより適切な治療法が選択でき,症例によっては生存期間の延長などが期待できる場合も少なくない.本症候群の原発巣の検索方法,鑑別診断,治療法などはいまだ確立されていないので,今後は症例を蓄積し各疾患別に最適な取り扱い指針を構築してゆく必要がある.


文  献

1) Feuer GA, et al: Normal-sized ovary carcinoma syndrome. Obstet Gynecol 73: 786-792, 1989
2) 山崎,波多野,他:Normal-sized ovary carcinoma syndrome,14例の病理組織学的解析.日産婦誌47:27-34,1995
3) Ranson DT, et al: Papillary serous carcinoma of the peritoneum. A review of 33 cases treated with platin-based chemotherapy. Cancer 66: 1091-1094, 1990
4) Fromm G, et al: Papillary serous carcinoma of the peritoneum. Obstet Gynecol 75: 89-95, 1990
5) 日本産科婦人科学会・日本病理学会.卵巣腫瘍取り扱い規約第1部,pp21-23,金原出版,1990