佐野市飛駒町の多高山に登ってきた。

2016-05-06 10:29:28 | Weblog

連休中の交通渋滞をいやと言うほどTVが放送している。
遠くに行きたいが渋滞はいやだ。
近場でのテント泊もいいが2.3日続けての晴れは期待薄だ。
5/4は強風が吹いていた。
なかなかうまくいかないものだ ><

5/5 朝起きてみると絶好の登山日より。
行くしかないでしょ。
この日はみずがめ座η座流星群。
日本における観測条件は,「ここ数年で最高条件」だという。
山にのぼったあと、どこかのキャンプ場で写真撮影もいいかなとおもったが、このところほとんど写真撮影に失敗。天気が悪すぎた。
今回もそうだろうと思うとテンションあがらない。

そんなわけで、行き先は多高山にした。
赤雪山の隣にあるまったく人気のない山で、おそらく荒れているだろうが、いつかは登ってやろうと思っていた山だ。



登山口は老越路峠(おいのこうじとうげ)と足利カントリークラブ多高コースの敷地内の二カ所がある。
夜間流星を撮るためには、山の写真の整理はこの日のうちに済ませないといけない。
時間的な余裕はない。
老越路峠から登り足カン側に下りるのがいいが、足カンから老越路峠までは県道66号を40分ほど歩かないといけない。気が進まない。
頂上で考えようと決め、さしあたって老越路峠へ。
ここは前回赤雪山に登ったとき駐車場所から下りてきたところだ。
この日は飛駒側から県道66号(桐生・田沼線)を進んで老越路峠へ。
着いたのが12:00。
近場なので油断した。もう少し早く来ればよかったかな w

県道66号の横ちょっと入ったところに広場がある。
駐車場ではなさそうだが、駐車場として使ったであろう痕跡はある。
利用させてもらうことにした。
連休なのに1台も停まっていない。
こりゃまたまた「たった一人の山」かな。


     県道66号からのぞき込んだところ。
   (チラっと見えるのはchimoさんの愛車 w)

すぐ近くに赤雪山・名草巨石群に至る林道入り口がある。(左側が林道入り口。)



駐車した広場とは反対側の道路脇に登山口があった。
おいおい。最近登った山の登山口では一番だよ。
何が一番なのかはいわないがネ www
(根本山の登山口にはタヌキの死骸が横たわっていたが><) 
先が思いやられる。



12:20
右側に登っていく。
イノシシが掘ったであろう穴がいくつもある道を進む。
右側には金網があるが金網の外側にも穴がある。
最近はイノシシがおおいなぁ~~~ ><



12:25
すぐに石像が並んだ箇所に着く。
石祠(明治六癸酉年三月吉日)や根本山神、峠山神、庚申塔、石仏、馬頭観音像
などなど。
ここが本当の登山口だな。



左奥にあるのが根本山神の祠

   

根本山神はこの地方の里山には多くあるようだ。
「根本山神講」というものがあるらしい。
その始まりは、1573年太田金山の由良氏との戦いに敗れた桐生氏の落人が根本山にこもり、自害した奥方や亡くなった胞輩たちの霊をともらうため「根本講」を開いたことにあるという。
「山そのものが神で山の霊気に触れて信者自身が不思議な神通力を得ることにより、あらゆる苦難を排除することが出来るという。

そうかいそうかい。あやかりたいものだ。
不思議な神通力を得て、あらゆる苦難を排除できたら最高だな。
さしあたっては腕の痛みをとってくれ~~~~~~~ www

登山口とは違ってかなり整備された登山道だ。
ただ踏み跡は少ない。
新緑のなか快適に進むが急登だ。



ところどころでヤマツツジが目を楽しませてくれる。
ありがたいことだ。



13:00 前方に大きな岩が現れる。
中間地点はとうに過ぎたはずだ ^^



13:20 頂上が見えてきた。



13:23
頂上着。山名板がささやかにかかっている。
三角点は胸を張る二等三角点。





祠も灯籠も壊れている。
灯籠の台座には天明元年と掘ってある。西暦1781年だ。
登山口の馬頭観音には天明2年とあった。
頂上からさきにつくったのか ^^

北の方向にも道が続いているようなのでいってみた。
ここにもこわれかけた祠があった。
さらに行くと広場があり、行き止まりとかいてあった。
昔はこの場所で集会でもしたのだろうか。
テントなら軽く4つは張れそうだ。



あちこちにヤマツツジが咲いていた。
落ちている花もあり、もう終盤かな。




足利カントリークラブへの登山道を下ってみた。
赤雪山がはっきりと見える場所があった。



左側2個目の送電線鉄塔の奧に桐生ダム反射板がかすかに見える。
これから判断すると木の枝横に見えるピークが赤雪山だ。

さらに下ってみる。
岩場があり右側は垂直に落ち込んでいる。
足場は悪い。岩も浮いているようだ。ロープが張ってあるが信用できない。
滑べったらあの世に直行だ。
北関東の低山で遭難なんてしゃれにならない。
あまり恐怖感は感じない方だが、この日はこれを感じた。
登るのはいいが下りは止めた方が良さそうだ。
引き返すことにした。
頂上に戻り下山の準備。

スマホアプリの地図ロイドで高度を調べてみた。



多高山は608mだからほぼあっているが、三角点の上では643mを示していた。
上が開けていて障害物がないところでないとダメみたいだ。
むずかしいな ><

14:30
老越路峠の登山口に向け下山開始。

15:20 登山口着。

登山の途中では誰にも会うことはなかった www













栗生山・栗生神社について考える。

2016-05-02 12:42:44 | Weblog

栗生山に行くたびに考えることがある。
それをここに書いておくことにする。

栗生神社には案内板が3カ所にある。
駐車場に使うひろばにある二の鳥居脇、本殿西、本殿東の3ヶ所である。

●二の鳥居脇
栗生神社
所在 黒保根村上田沢栗生
本社の草創は慶雲4年(707)と口承されている。祭神は栗生左衛門頼方(新田義貞の功臣)で古来より武運、火伏せの神として崇拝される。境内には本殿、神楽殿、門を兼ねたお篭り屋、太郎神社、元宮等が配置されている。
本殿を飾る彫物は関口文治郎作であり江戸期の彫刻文化に大変貴重なものである。

●本殿西
群馬県指定重要文化財 黒保根栗生神社本殿
平成十一年四月三十日指定
勢多郡黒保根村大字上田沢二二三八
文化財の概要
栗生神社本殿は、新田義貞の家臣の四天王の一人として、当時勇猛の名を馳せた栗生左衛門頼方公が祀られている。
一七九○(寛政二)年の建立で、柱は表面を稲妻紋等の文様彫刻で埋めつくされ、壁面脇障子などほぼ全面に透かし彫りや高肉彫り彫刻などで埋めつくされ本殿全体が彫刻作品のようである。彫師は、黒保根出身の名工「関口文治郎」である。江戸時代後期の群馬県神社本殿建築の特徴を持つ点が貴重とされている。

●本殿東
群馬県指定天然記念物 黒保根栗生神社の大スギ
スギ(御神木)
平成九年三月二八日指定
勢多郡黒保根村大字上田沢二二三八
文化財の概要
栗生神社の草創は慶雲四年(707)と口承されています。
この大スギは、拝殿東側にあり大同二年(807)に御神木として植えられたと伝えられています。
目通り七・○二米、根回り一四・一五米、樹高四六米の巨木で、樹齢約一二○○年(推定)の村内最大の老木です。


桐生市のホームページにも記載がある。

栗生神社は、南朝の忠臣として最後まで後醍醐天皇に仕えた新田義貞の家臣・栗生左衛門頼方公を祀る神社で、細く急な山道を登りつめた、杉の古木で囲まれた山深い地に鎮座している。
参道を150メートル位登ると石の鳥居が現れ、そこからしばらく石段を進むと長屋門となっている門に至る。門をくぐり13段の階段を登ると神社の前に出る。
棟札によると、現在の社殿は寛政2年(1790)の建築されたもので、大工棟梁を始め7人の関与した大工、彫刻を刻み上げた地元在住の関口文治郎とその2人の息子及び5人の弟子たちの氏名も記されている。
本殿は、最下部に荒仕上げをした切石を据え、その上に研き仕上げをした亀腹状の石を置いた二重基壇の上に建てられている。
建築様式は、腰組を三手先組として、四方に廻らした大床を支持する方式としている。四方に廻らした大床の端部には、擬宝珠高欄をつけ、階(きざはし)の下端にも頭部に擬宝珠をつけた親柱をたてている。
柱を見ると、向拝柱・本柱とも表面を稲妻紋等の文様彫刻で埋めつくし、壁面、正面桟唐戸から脇障子・軸支輪などにも透し彫り彫刻あるいは高肉彫り彫刻が施されている。
また、正面向拝部の水引き虹梁上部には、躍動感あふれる竜の丸彫り彫刻が施され、向拝上部の化粧軸は、飛檐垂木(ひえんだるき)を打越垂木(うちこしだるき)の上にのせ、打越垂木をさらに地垂木(じだるき)にのせる方法を取っている。



注意して読むとすぐわかるのだが、栗生神社が作られた年(707年)と祭神の栗生左衛門頼方の生きていた時代の矛盾。
600年以上の食い違いがある ><

栗生 顕友(くりゅう あきとも、生没年不明)は、南北朝時代の南朝方の武将。通称は左衛門。新田義貞の側近で、後代に新田四天王の一人に数えられた。
栗生氏は清和源氏の一族河内源氏・足利氏庶流の源姓畠山氏の流れを汲む。
上野出身。義貞の側近として仕えた。建武の新政後の建武3年(1336年)、恒良親王や尊良親王を奉じ北国へ向かった義貞に従う。『太平記』によると、越前金ヶ崎城を包囲する北朝方の軍勢を、顕友の進言した策を以て欺き、義貞の金ヶ崎城入城に成功したとされる。



拝殿横に末社が左右1個ずつある。
[金山彦神社・赤城神社・大山祇神社] [太郎神社] だ。

合祀されている神々も多いらしい。
日本にはなんてったって八百万の神が存在する。 ww
だれをまつってもいいのだが ww



ここからは全くの推定。
おそらく間違っているだろうが、思いついたことを書いておきますね。
(土地の氏子のみなさんごめんなさいね)


所在地は「黒保根村上田沢栗生」となっている。
もし栗生顕友が治めていた土地だとすると狭すぎる。
もともと栗生という地名の場所があり、それを権威付けするために栗生顕友を祀ったのじゃないのかな。
それを発案したのはこの地のお金持ちの老人だったのだろう。
なんたってりっぱな杉山だらけの地域だ。お金は腐るほどあったはず。
元々はこの地方のどこの山にもある「山の神」を祀っていた小さな祠をでかい栗生神社にしてしまったのだろう。

      新田義貞の本拠地は群馬県太田市 ^^


本殿は本当にすごいよ。
拝殿とのバランスはひどすぎるくらいに立派だ。


       本殿


       拝殿

拝殿横の金山彦神社・赤城神社・大山祇神社は山の神だ。太郎神社も山の神だ。
記紀の時代の神だから「まっイイカーー」ってやってしまったのかな w
それでも後ろめたいものだから末社として祀っているのだろう ww


  中央のちいさな祠が 金山彦神社・赤城神社・大山祇神社 かな
  (桐生市のHP 配置図にも載せられてないヨ ><)


 中央が太郎神社 最近屋根ができました。 奧に見えるのが本殿



こんなこと考えながら山に登るのもおもしろいですよ。 www