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赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その23 宝珠山妙見寺

2018年11月20日 05時08分58秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年10月14日は「坂越の船祭り」、2018年10月28日は「坂越の嫁入り」を観る目的で
赤穂市坂越(さこし)に来ていました。
2018年10月14日の散策にあたっては赤穂観光周遊バス「陣たく号」を利用、
2018年10月28日の散策にあたってはレンタサイクルを利用しています。

その時に散策した場所を紹介していきます。
本日はその第23回 宝珠山妙見寺を紹介します。

妙見寺の概要についてWikipediaより引用紹介します。
坂越浦を望む景勝地の宝珠山中腹に位置する。寺伝によれば8世紀中期、行基を開山
として創建されたという。 嘉吉の乱(1441年)の頃には、宝珠山の山腹に16の坊舎と
9つの庵を構えた大寺であったが、1485年(文明17年)の僧兵一揆によりその殆どが焼失した
当初、観音堂は妙見寺の奥の院として1659年(万治2年)に宝珠山の山頂付近にあり、
1722年(享保7年)に中腹の現在地(龍泉坊跡地)に移建された。
神仏習合時代は宝珠山麓に鎮座する大避神社の神宮寺でもあり、同神社と祭神である
秦河勝とは縁が深い寺であったが、明治時代初頭の神仏分離令によって分離された。


シリーズ過去の記事

第1回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その1 宝性山長楽寺

第2回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その2 赤穂鉄道砂子駅跡

第3回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その3 宝寿山 西山寺

第4回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その4 浜市荒神社

第5回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その5 尼子塚

第6回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その6 坂越大橋

第7回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その7 高瀬舟船着場跡

第8回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その8 上高谷荒神社

第9回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その9 木戸門跡広場

第10回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その10 鳥井の地蔵堂

第11回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その11 第39回 坂越ふるさとまつり

第12回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その12 坂越まち並み館

第13回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その13 光明山妙道寺

第14回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その14 奥藤酒造と奥藤酒造郷土館

第15回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その15 大道井

第16回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その16 とうろん台

第17回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その17 旧坂越浦会所

第18回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その18 山崎善吾の銅像

第19回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その19 坂越浦城跡・御番所跡

第20回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その20 宝珠山妙見寺明覚院・小学校跡

第21回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その21 小倉御前之碑

第22回 赤穂市坂越 散策記 on 2018-10-14&10-28 その22 大避神社と2018年坂越の船祭


宝珠山 妙見寺の基本情報

住所:赤穂市坂越1307-1  TEL:
宗派:真言宗 山号:宝珠山 御本尊:如意輪観世音菩薩
開基:8世紀中頃 By 行基 
命名:大同2年(807)弘法大師により「宝珠山妙見寺」と命名


観音堂





上の3枚の写真は宝珠山妙見寺観音堂の近景と遠景です。
遠景のみぎてには庫裡が写っています。




上の2枚の写真は現地説明板です。

妙見寺観音堂 赤穂市指定有形文化財 指定番号28
所在地 赤穂市坂越1307番地の1 
所有者 宗教法人妙見寺 
指定日 平成9年3月31日
宝珠山山妙見寺は、天平勝宝(749~757)頃に行基によって創建され、
大同年中(806~810)の空海の再興を経て、盛時には16坊5庵を抱えた
大山岳寺院であったと言われている。
観音堂は、万治2年(1659)に、妙見寺の奥の院として宝珠山上に建立されたが、
後に大破したため享保7年(1722)に現在地に再建されたものである。
建物は、桁行三間梁行三間(約7m四方)の本瓦葺きで、山の斜面に持たれかける
ように造られた懸造(かけづく)り形式の構造になっており、坂越湾の絶景が望める
ようになっている。また桁を支え蟇股(かえるまた)には十二支が掘り込まれており、
細部にわたって意匠が凝らされている。
昭和55年(1980)には老朽化のため一部修復されているが、こうした懸造り形式の建物は
近世社寺のなかでは全国的にも例が少なく、建造物として非常に価値の高いものである。
          赤穂市教育委員会


如意輪観世音菩薩、六観音像、阿弥陀如来像、弥勒菩薩像、弘法大師像が安置

薬師堂

上の写真は薬師堂。薬師如来、不動明王、文殊菩薩が安置されているそうです。

妙見堂



上の2枚の写真は妙見堂(左手)の建物外観と現地説明板


上の写真はご真言などが書かれた説明板


上の写真は妙見堂内部の石塔
上の説明板にあるように石塔は延暦3年(784)秦河勝公の一族、勤操僧都が来山され、
山の中腹に湧き出る明星水の池のほとりで、密教の秘宝「虚空蔵求聞持法」を会得し、
二重の石塔を奉納、自ら「妙見大菩薩」と刻んで祀られました。慶応4年(1868年)
妙見講有志の人々が埋もれていた石塔を発掘、龍泉坊跡地の現観音堂の傍らに妙見堂を
移築したものです。

地蔵堂
正面からの写真がないので屋根のみですが上から地蔵堂を撮ったものを添付しました。


山門

現在残る妙見寺の山門と説明書きを添付しておきます。(下の4枚の写真)










説明書きは読み難いので文章を再掲します。

旧妙見寺本坊明覚院山門
「明治時代に旧『松風校』の校門に使用されていました。明治五年に学制がしかれ、
明治六年に妙見寺に松風校、妙道寺に示申校、南野中に梨智校、砂子村に文明校の
四校が開設されました。松風校の校舎には妙見寺本坊明覚院の本堂が使用されました。
明治八年には坂越村、砂子村、浜市村、高野村、北野中村の連合で妙見寺明覚院の敷地に
『洋沿小学校』が開設されました。
明治四十一年新校舎建設のため、旧本堂校舎を解体縮小して、観音堂の敷地に移築し、
坂越村の『学制記念物』として永代保存する事になりました。
 村民の総力で移築工事に奉仕し、生徒達は瓦一枚の運搬作業に半紙一枚の褒美が貰えたと
語り継がれています。
 昭和五十三年、観音堂下段にに移築された旧本堂が老朽化したため、保存工事を発願し
『宝珠山妙見寺修復事業協賛会』を結成しました。
しかし寄付金を募集中に梅雨末期の大雨のため、旧本堂が自然倒壊しました。
 旧本堂玄関頭上の板額『妙見寺』、廊下の板額『松風台』、内陣頭上の板額『本地堂』の
三枚は管理事務所内に保存展示されています。
 旧本堂内陣に祀られていた弘法大師像、仏舎利塔、本尊仏像は事前に移動されて
現在観音堂内に安置保存されています。」
平成23年3月21日
坂越浦史跡保存会
宝珠山 妙見寺


本堂
本堂は昭和54年(1977)に老朽化と大雨で倒壊しています。


上の写真は山門に掲示されていた写真で左手に妙見寺の本堂が写っています。


上の写真も山門に掲示されていたもので明覚院の本堂の写真があったので添付しました。
山門の説明板に解説文が載っていますのでこちらも参照してください。

宝珠山八十八箇所霊場

上の写真は宝珠山八十八箇所霊場の石碑と観音堂、薬師堂、妙見堂の遠景
昭和6年(1931)3月21日に開山したようです。


上の写真は第1番 徳島県の竺和山 霊山寺




上の2枚の写真は宝珠山八十八箇所霊場の位置図と名称図

白勢稲荷大明神



上の写真は白勢稲荷大明神と現地説明板 船岡園の敷地に昭和45年(1970)に遷座
昔から妙見寺を守護する神様として祀られています。

妙見寺と松瀬青々
関西の俳諧の重鎮で全国的に知られる松瀬 青々は明治44年(1911)に坂越を訪問し
妙見寺の庫裡に3日間逗留したとの記録があるそうです。
最近も遠来の俳人が妙見寺に来て句会が開かれることもあるそうです。
詳細は平成5年(1993)3月7日の赤穂民報で伊藤利淳住職の談話として紹介されています。

Wikipediaより松瀬 青々(まつせ せいせい)を紹介します。
松瀬 青々(明治2年4月4日(1869年5月15日) - 昭和12年(1937年)1月9日)は、
大阪市出身の俳人である。「倦鳥」を創刊・主宰。関西俳壇でホトトギス派の俳人として
重きをなした。本名・弥三郎


和田備後守範長公一族の墓
和田備後守範長は別称、児島範長(こじまのりなが)?-1336 鎌倉-南北朝時代の武将。
児島高徳(たかのり)の父。建武(けんむ)3=延元元年新田義貞に呼応し、
足利尊氏方の赤松則村の動きを牽制するため、高徳らと備前(岡山県)熊山で挙兵。
播磨で赤松軍に敗れ、同年5月自害した。通称は和田二郎。

当日写真を撮れなかったので坂越まちなみ館の展示より引用紹介します。(下の2枚の写真)





妙見寺からの景観
妙見寺からの素晴らしい眺望の写真を添付して筆を置きます。






我が神戸の有馬温泉に同名の落葉山妙見寺がありますので関連ブログとして
リンクしておきます。
  有馬温泉散策記 on 2018-9-25 その1 落葉山 妙見寺

 
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