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北神ニュータウン内遺跡 北神第4地点遺跡 訪問記 on 2020-9-30

2020年10月23日 03時52分07秒 | 神戸情報

2020年9月30日、北神ニュータウン内遺跡 北神第4地点遺跡を訪問しましたので

写真紹介します。

上の写真は北神ニュータウン内遺跡 北神第4地点遺跡の所在地を地図で表したものです。

約400m東(神鉄道場駅の東側)に室町時代に築かれた松原城があった為、現在は

城の西緑地として地元の方の散歩の場所として公園化、整備されています。

出典:平成3年度神戸市埋蔵文化財年報 神戸市教育委員会  Page191に加筆

上の写真は城の西緑地の登り口

手前の石造彫刻は岡本敦生氏が制作したもので 題目は「七つのかたち/南風」

1990年の作 第12回神戸須磨離宮公園現代彫刻展 土方定一記念賞を受賞

 

上の写真は階段の一番上付近からの遠望 

標高200m前後の尾根上に弥生時代中期から弥生時代後期の竪穴住居跡が

検出されています。

上の写真は尾根上の平坦な部分で竪穴住居跡が発見されています。(奥の5mΦ円形部)

また説明板も設置されていますが、判読が難しい状態であるが内容を要約して

記載しておきます。

北神第4地点遺跡の住居

昭和59年(1984)、昭和60年(1985)の調査では弥生時代中期の竪穴住居が2棟

弥生時代後期の竪穴住居は3棟発見されています。この竪穴住居は、いずれも直径5m前後の

円形で床面の中央には炉を造っていました。炉からは住居の外に向かって溝が伸び4本の柱が

上屋を支えていたと思われます。

緑地整備にともなう発掘調査を平成4年(1992)に実施しました。その結果、竪穴住居5棟と

土坑や溝などが確認されました。現在地はこの時の調査で確認された竪穴住居の保存部分に

位置し、丸く表している部分は、竪穴住居の位置を示しています。

確認調査の結果とあわすれば、この緑地内には弥生時代の竪穴住居が11棟以上存在することが

わかっています。

 

上の写真は竪穴住居の保存部分

上の写真は現地説明板の竪穴住居の構造を復元(現地の説明版では殆ど判らない)

上の写真は別の現地説明板。

こちらは判読可能であるので拡大して添付していきます。

上の写真は北神第4地点遺跡の概略説明。

昭和56年(1981)~昭和58年(1983)の試掘調査で弥生時代中期末~後期の集落遺跡

高地性集落)であることが確認されています。

弥生時代には稲作が盛んになり定住生活が始まりますが、その頃クニとクニが争いも起こり

高地性集落は防御の意味で見晴らしの良い場所に形成されました。

古代の城郭とも言える存在です。

中世の松原城が形成された時代にはこの地は砦として利用されたと思われます。

上の写真は1984年、1985年調査地点及び1991年・1992年発掘調査地点(保存地区)の地図

上の写真は調査前の北神第4地点遺跡の航空写真

上の写真は調査中の北神第4地点遺跡の航空写真

上の写真は鹿の子台の保存遺跡の説明文

上の写真は北神第4地点遺跡からの遺物に関する説明

説明文中に箱式石棺2基が出土との説明がありますので神戸市の昭和59年度(1984)の

年次報告書(Page167)より写真を添付しておきました。(下の写真)

 


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