2021年6月12日及び6月26日に令和3年(2021)度春季企画展 国史跡「五色塚古墳の歩み」
が神戸市埋蔵文化財センターであり観覧しました。
見どころや私が気になった展示を写真紹介します。
五色塚古墳は1921年(大正10)年3月3日、和田岬砲台などとともに兵庫県内で
初めて国の史跡に指定されました。2021年は指定から100周年の年となります。
会場案内
上の2枚の写真は開催場所の神戸市西区糀台6丁目1の神戸市埋蔵文化財センターの入口と看板
企画展の会期など要項
上の2枚の写真は案内リーフレットと記念撮影パネル
会期は7月25日まで、開館は火~日 10:00~17:00です。
興味のある方は是非、足をお運びください。
上の写真は令和3年度(2021)の企画展のスケジュールです。
企画展展示
Ⅰ.描かれた五色塚古墳
Ⅱ.五色塚古墳前史
旧石器、縄文時代、弥生時代の遺物の展示
Ⅲ.発掘された五色塚古墳
Ⅳ.五色塚古墳をめぐって
五色塚古墳の概要
上の写真は五色塚古墳の構造と寸法が入ったパネル
五色塚古墳は3段構築の前方後円墳で、全長194m、高さは前方部で11.5m、
後円部で18mである。
(上段の長さは約150m中段の長さは約170m下段の長さは約194m)
後円部の直径は墳頂で約30m、段部で約72m中段で約100m、下段で約125mである。
兵庫県下で最大の古墳である。築造年代は4世紀末と推定されています。
被葬者は地方の豪族と推定されています。
斜面には葺石(ふきいし)が葺かれその数は223万個 重量にして2,784トンあります。
葺石は下段のほうは地元の古墳周辺から集められた小石で上段部になると大きなものだと
直径30cmくらいにもなり淡路島から運ばれてきたと推定されています。
さらに出土した埴輪は総数2,200本と推定されています。
但し、昭和40年(1965)~昭和49年(1974)の発掘調査で取り上げられてたのは600本で
600本のうち約半数を2002年から2004年にかけて接合復元。その結果円筒埴輪、
朝顔形埴輪48本を復元。これらは2010年度に国の重要文化財に指定
五色塚古墳の西側には直径60メートルの円形の「小壷(こつぼ)古墳」があります。
上の2枚の写真は五色塚古墳を中心とした階層構成型の古墳群と位置を示した地図
階層構成型古墳群を例えるなら、五色塚古墳が王様で、小壺古墳は大臣、
小さな円墳が上級役人、そして埴輪棺が下級役人のような感じです。上記の図に記載されている念仏山古墳について喜谷美宣氏は五色塚古墳と同じ規模の
約200mの前方後円墳であろうと推定されています。
五色塚古墳と同じ規格の埴輪が東へ10Kmの念仏山古墳、隣接する小壺古墳(70mφの円墳)
西へ800mの歌敷山東古墳(25mφの円墳)、歌敷山西古墳(20mφの円墳)、西に900mの
舞子浜円筒棺群(円筒埴輪を棺に使用)、西に16Kmの明石市幣塚古墳(34mφの円墳)
から出土しています。
上の写真は神戸市域の前方後円墳の編年を纏めた表です、
明石エリアで五色塚古墳より前の時代にに白水瓢塚古墳が造成、後の時代に
吉田王塚古墳が造成(両者ともに前方後円墳)
上の写真は五色塚古墳に前後する時期の主な古墳の分布図
五色塚古墳の造立年代
一般的には4世紀後半に造立されたとの表記が一般的であるが仲哀天皇の没年が
古事記の記述で362年であることから第3四半期または360年代に造立とする
説もあります。
上の写真は畿内の主な前方後円墳の造立年代
350年以降に恒常的な埴輪の生産が開始されています。
佐紀陵山古墳と相似形の古墳
④五色塚古墳は奈良県にある①佐紀陵山(さきみささぎやま)古墳(全長208m、高さ約20m)と
墳形が似ています。埴輪においてもその関係性が指摘されておりヤマト王権と深い関係に
あると考えられています。
佐紀陵山古墳と相似形の古墳は五色塚古墳の他に②御墓山古墳、③摩湯山古墳
⑤膳所茶臼山古墳があります。
番号は下の写真の番号に合わせています。
五色塚古墳に関する小生のブログ:
五色塚古墳、小壷古墳と第7回れんげまつり on 2011-4-17
五色塚古墳 小壺古墳
五色塚古墳 in 2009-2-11
念仏山古墳
苅藻川(新湊川)下流に、全長190mの念仏山古墳があった。
4世紀後半から5世紀にかけての前方後円墳です。
所在地の住所は神戸市長田区浜添通6丁目です。
現在そこに古墳の痕跡は全く認められない。
唯一その名残として地下鉄苅藻駅の南に念仏山地蔵尊が祀られています。
念仏山地蔵尊の所在地の目安はゴミ収集などの環境整備事業者の株式会社イノウエの
事業所(神戸市長田区東尻池町9丁目1-20)の道を隔てた向かいにあります。
念仏山古墳の存在が確認されたのは昭和53年(1978)頃から喜谷美宣により
この付近の地形図が検討され確認されています。
報告書は神戸市立博物館 研究紀要:第6号(1989年)
喜谷美宣 市街地に消えた古墳 I -念仏山古墳-
具体的には陸地測量部の明治39年(1906)の2万5000分1地形図に瓢形の等高線が確認でき、
明治40年(1907)頃の地積図にも東西方向の山林が確認できる。
大正5年(1916)頃まで旧苅藻川東岸(左岸)に高さ5mの小山が残存していたという。
長田近辺は明治の後期から産業化が始まり大正5年(1916)に工場用地となり、
今はミヨシ油脂などが進出しています。
垂水の五色塚古墳と同じ型の鰭付き埴輪もでています。
念仏山古墳は五色塚古墳とほぼ同じ規模の古墳(前方後円墳)で瀬戸内海を往来する
船からその威容を確認できたと思われます。
最近の話題
(1)神戸市指定文化財
2021年4月6日、史跡五色塚古墳・小壺古墳(神戸市西区糀台6)の出土品として、須恵器や滑石製臼玉など9点も追加指定されました。
(2)五色塚古墳の整備計画
2021年4月7日発表、「史跡五色塚(千壺)古墳 小壺古墳整備基本計画」が策定されました。
内容は 神戸市のHPより確認できます。下記リンクで進んで下さい。
ホーム > 観光・文化・産業 > 文化 > 文化財・民俗芸能 > 神戸の文化財 > 「史跡五色塚(千壺)古墳 小壺古墳整備基本計画」を策定しました
神戸市:「史跡五色塚(千壺)古墳 小壺古墳整備基本計画」を策定しました (kobe.lg.jp)
おはようございます。
神戸市埋蔵文化財センターでの展示紹介、ありがとうございます。
7月25日までの会期、ぜひ行ってまいります。^
五色塚古墳、教科書にも載る古墳ファンにとっては一度訪れたい古墳のひとつ。
この機会に詳しく学びたいと楽しみです。
興味を持たれ、新たに出かけようとするキッカケになったことを嬉しく思います。