CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

姫路の黒田官兵衛ゆかりの地訪問記 on 2014-6-25 その4 播州黒田武士の館

2014年06月29日 05時26分42秒 | 神戸市以外の兵庫県
2014年6月25日、姫路市の黒田官兵衛ゆかりの地を訪問しました。本日はその第4回で山陽電鉄の
妻鹿駅が最寄り駅である播州黒田武士の館を写真紹介します。


過去のシリーズへのリンク

 初回(第1回) 妻鹿(国府山)城址

 姫路の黒田官兵衛ゆかりの地訪問記 on 2014-6-25 その2 母里太兵衛の生誕の碑と元宮八幡神社

 姫路の黒田官兵衛ゆかりの地訪問記 on 2014-6-25 その3  黒田職隆廟


播州黒田武士の館の基本情報

住所:姫路市飾磨区妻鹿東海町107  TEL:079-245-4685
 個人施設のため要予約

館主:神澤輝和さん 播磨の黒田武士顕彰会(2006年設立)の副会長
   神澤輝和氏は28歳のときに14代黒田家当主の黒田長禮公に会ったのがきっかけで
   黒田家についての資料収集が始まったとのこと。



上の写真は播州黒田武士の館の全体の外観です。


入り口付近には黒田官兵衛(1546-1604)以外に大好きな船の関連Goodsが並べられています。


上の写真が展示室正面の収集品の展示です。


上の写真は黒田官兵衛の父 黒田職隆の胴巻き


上の写真は黒田家譜


上の写真は黒田官兵衛の妹 妙春に関するパネル
 弘治元年(1555年) - 寛永3年3月15日(1626年4月11日)
 英賀城の城主・三木通秋の家臣・三木清閑(惣兵衛)に嫁ぐ。黒田政家の母。


上の写真は黒田官兵衛の妹 妙圓に関するパネル
 弘治2年(1556年) - 元和4年3月28日(1618年4月23日)
  
 黒田家臣尾上武則の妻。 







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姫路の黒田官兵衛ゆかりの地訪問記 on 2014-6-25 その3  黒田職隆廟

2014年06月29日 04時23分59秒 | 神戸市以外の兵庫県
2014年6月25日、姫路市の黒田官兵衛ゆかりの地を訪問しました。本日はその第3回で山陽電鉄の
妻鹿駅が最寄り駅である黒田官兵衛の父黒田職隆の墓(黒田職隆廟)を写真紹介します。


過去のシリーズへのリンク

 初回(第1回) 妻鹿(国府山)城址

 姫路の黒田官兵衛ゆかりの地訪問記 on 2014-6-25 その2 母里太兵衛の生誕の碑と元宮八幡神社



黒田官兵衛の父の黒田職隆(もとたか)は天正13年(1585)8月22日(新暦換算:1585年9月15日)
国府山城で没した。国府山城南方に黒田職隆の廟所があり、地元では「筑前さん」と親しまれている。
官兵衛の父・職隆の没後420年となった平成17年以降、黒田職隆廟所で黒田家と親交の深い心光寺住職を
招いて墓前祭を毎年営まれているそうです。



筑前さん参道と黒田職隆公廟所と書かれた看板。







上の3枚の写真が黒田職隆廟です。

黒田職隆廟と書かれた石碑の裏に昭和52年(1977)3月建立の石碑にこの頃黒田職隆廟が
修復されたことが書かれています。当時の妻鹿町総代 柳田久一氏らが尽力されました。

「播州黒田武士の館」の展示写真パネルで黒田職隆廟の過去の写真がありましたので
 添付させていただきます。(下記の2枚の写真)





江戸時代に国府山城塚という存在は知られていましたが黒田氏所縁の姫路の心光寺の住職により
戒名が確認され墓にきざまれた戒名から黒田職隆の墓であることが確認されました。
詳細を紹介したサイトがありましたのでリンクさせていただきます。
  http://www.geocities.jp/kurodazensi/314.html



上の写真は説明書きです。


上の写真は廟内にあった卒塔婆です。



平成26年(2014)1月16日に黒田職隆廟所は姫路市指定史跡名勝天然記念物に
指定されています。(第84号)


黒田職隆廟はNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」 8月10日放送 第32回 さらば父よ!の
官兵衛紀行で紹介される予定です。












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