CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

マー君完封逃すも日本人6人目の新人10勝(日刊スポーツ) - goo ニュース

2014年06月12日 18時09分50秒 | Weblog
マー君完封逃すも日本人6人目の新人10勝(日刊スポーツ) - goo ニュース


<マリナーズ2-4ヤンキース>◇11日(日本時間12日)◇セーフコフィールド

 ヤンキース田中将大投手が先発して6安打2失点完投し、トップに並ぶ10勝目(1敗)を飾った。11三振を奪った。完投勝利は今季2度目。

 日本人投手の新人での2ケタ投手は、95年野茂、02年石井一、07年松坂、10年の高橋尚、12年ダルビッシュ以来、6人目の快挙となった。

 3回まで完ぺきに抑える最高の立ち上がりを見せた。5回途中から6回にかけて5者連続三振もマーク。8回1死一、三塁のピンチでは二飛で併殺に取るというツキも味方した。

 9回1死一塁からマリナーズ・カノに2ランを打たれ、完封は逃したが、最後まで投げきった。

 「全体的にはまとまっていて良かった。特別制球が良かったわけじゃないが、ストライクゾーンに球を集めて勝負できた」と振り返った。

 完封目前での1発には「あの球を左中間にホームランを打たれた経験があまりないので、失投とは思わない。切り替えられた」と語った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

和田岬線 和田旋回橋 on 2014-6-11

2014年06月12日 05時22分01秒 | 神戸情報
2014年6月11日に和田岬線 和田旋回橋の写真を撮ってきましたので紹介します。


上の写真は住吉橋方面から撮った和田岬線 和田旋回橋です。



上の写真は材木橋方面から撮った和田岬線 和田旋回橋です。


上の写真は昭和60年(1985)に描かれた絵画で市民グラフこうべの1986年12月号(No.170)に紹介された上中孝三さんの油絵「運河風景」です。兵庫運河にかかる和田旋回橋と住吉橋が描かれています。

拡大版はこちら


上の写真は和田岬駅に掲示されている和田旋回橋の説明。


上の写真は和田岬線 和田旋回橋の所在地を示した地図です。新川運河プロムナードに設置の説明板より引用。

大きな地図はこちら。

和田旋回橋はJR和田岬線の兵庫駅と和田岬駅との間で兵庫運河を渡る橋長15.5mの橋梁であり、旋回式可動橋が特徴である。山陽鉄道による和田岬線は明治23年(1890)7月8日に開通しました。その後明治32年(1899)兵庫運河が開通したため船の運航を可能にするため明治32年(1899)12月に和田旋回橋が完成しました。日本最古かつ最初の鉄道可動橋であるが、昭和初期に回転機構がすべて撤去され固定されている。
正確な年月日は不明である。(調査が足りない)

Wikipediaより和田旋回橋の仕様を引用紹介します。

種別 - 鋼鉄道橋
形式 - 上路式プレートガーダー[2]
橋長 - 15.5m
径間数 - 2
支間 - 7.7m
線数 - 単線
活荷重 -
竣工 - 1899年(明治32年)12月
施主 - 兵庫運河株式会社
橋梁設計 -
橋桁製作 -

和田旋回橋はレンガ造りの橋台2基と橋梁1基からなり橋梁はイギリスから輸入された回転桁で
ありました。可動橋には、跳ねあげ橋(挑開橋)・・・ハーバーランドの跳ね橋、橋桁が上昇する橋
(昇開橋)・・・隅田川の勝鬨橋が有名
など種類分け出来るが、旋回橋は橋桁が水平方向に回転するものです。

旋回橋で今も稼働している橋の例は、天橋立の小天橋、黒部市の生地中橋等がある。


話題を変えて和田岬線について述べていきます。




上の2枚の写真はJR和田岬線の和田岬駅です。


上の写真は和田岬駅の説明板です。
かって(明治23年から明治28年)は和田岬町駅と呼ばれていたこと、昭和20年(1945)に現在地に移設されたこと、平成21年(2009)に旧駅舎と付属建物が撤去されたことなどが書かれています。


上の写真は現在の時刻表です。


上の写真は和田岬線の関連年表です。

拡大版はこちら。





上の2枚の写真は和田岬線の周辺地図でかってあった路線についても解説掲示されています。

拡大版はこちら

 拡大1

 拡大2

和田岬線は明治22年(1889)6月、海岸との連絡のため、兵庫停車場(兵庫駅)から分岐し和田崎にいたる支線として、2.7Kmの施設を申請、明治22年(1889)9月30日に免許を受け工事が着手されました。明治23年(1890)
7月3日に完成し8日から旅客・貨物の営業が開始されました。和田岬線の路線は現在和田岬駅構内で終結していますが、かっては和田岬駅より先へ線路が伸び、三菱重工兵庫工場への専用線となっていました。駅前の道路には市電が通り、平面交差を避けるため市電は専用軌道の上を通っていました。(下の写真を参照)








神戸市電について関連年譜を記しておきます。

明治43年(1910)4月5日 春日野~兵庫駅前 神戸電気鉄道(神戸市電の前身)が開業

大正2年(1913)5月1日 神戸電気鉄道が神戸電燈と合併し神戸電気に社名変更

大正6年(1917)8月1日 買収により神戸電気が神戸市電気局として神戸市電となる

昭和46年(1971)3月13日 神戸市電 全線廃止




上の2枚の写真は鐘紡100年記念病院付近の和田岬線です。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする