goo blog サービス終了のお知らせ 

CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

淡路島 洲本市街地の散策記 on 2022-11-4 その10 厳島神社

2023年04月25日 04時21分00秒 | 神戸市以外の兵庫県
2022年11月4日、淡路島 洲本市街地を散策してきましたので写真紹介します。
本日はその第10回として厳島神社を紹介します。

過去の訪問記
 第1回 淡路島 洲本市街地の散策記 on 2022-11-4 その1 洲本市の概要 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 淡路島 洲本市街地の散策記 on 2022-11-4 その2 洲本城 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)









厳島神社の基本情報
住所:洲本市本町4丁目1-27  TEL:0799-22-0049 
御祭神:市杵島姫命(いちきしまひめのみこと) 


地元では淡路島弁財天と呼ばれ親しまれています。
船の積み荷の安全や航海の安全を守る神でもあり、商売繁盛の神様でもあります。
上の写真は厳島神社(淡路島弁財天)、拝殿の遠景
上の2枚の写真は奉納の酒樽
上の写真は2022年の干支の絵馬


上の写真は境内に掲示の厳島神社の概要説明板
秋の例大祭である弁天祭は11月21日から3日間行われ(本祭は22日)、
大勢の参拝客で賑わう。



上の2枚の写真は稲基神社の遠近景 阿波藩家老で洲本城代の稲田氏の守護神


上の写真はお登勢の碑 お登勢は船山馨の小説「お登勢」 に登場する架空の人物
上の写真は稲基神社とお登勢の像の現地説明板


上の写真は洲本八狸 武左衛門の石像


上の写真は境内摂社 稲荷神社

上の写真は境内摂社の塞ノ神 荒神社

上の2枚の写真は松尾芭蕉の句碑と現地説明板




上の2枚の写真は鈴木重胤の歌碑と現地説明板

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

淡路島 洲本市街地の散策記 on 2022-11-4 その9 阿波藩洲本文武学校跡(現 洲本警察署)

2023年04月22日 04時46分50秒 | 神戸市以外の兵庫県
2022年11月4日、淡路島 洲本市街地を散策してきましたので写真紹介します。
本日はその第9回として阿波藩洲本文武学校跡(現 洲本警察署)を紹介します。

過去の訪問記
 第1回 淡路島 洲本市街地の散策記 on 2022-11-4 その1 洲本市の概要 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 淡路島 洲本市街地の散策記 on 2022-11-4 その2 洲本城 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)








上の写真は 6 お登勢の町すもと 阿波藩洲本文武学校跡の掲示

阿波藩洲本文武学校跡は昔の洲本警察署の敷地にあたります。(上の写真は現在の洲本警察署)
洲本警察署の現住所は洲本市山手2丁目1−3であるが昔は洲本港近くの馬場町にあった。 

寛政10年(1798)阿波藩の学問所が上水筒町に設けられ、明治元年(1868)
文武学校と改称し洲本馬場町に移転した。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

淡路島 洲本市街地の散策記 on 2022-11-4 その8 大浜公園

2023年04月21日 03時36分36秒 | 神戸市以外の兵庫県
2022年11月4日、淡路島 洲本市街地を散策してきましたので写真紹介します。
本日はその第8回として大浜公園を紹介します。

過去の訪問記
 第1回 淡路島 洲本市街地の散策記 on 2022-11-4 その1 洲本市の概要 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 淡路島 洲本市街地の散策記 on 2022-11-4 その2 洲本城 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)









上の2枚の写真は大浜海岸の砂浜と松林
大浜海岸から洲本温泉街にかけて1,150mの遊歩道が整備されており
「洲本シーサイドスカイウォーク」と命名されています。


上の写真は現地説明板。
住所は洲本市海岸通1-871-1  
問い合わせ先:0799-22-3321(洲本市商工観光課) 
所在地のGoo地図を添付しておきます。

上の写真は洲本大浜 名勝 千本黒松と書かれた石碑
洲本市長の中川啓一さんの書
大浜海岸は、慶野松原と並び淡路島を代表する海水浴場です。
大正初めに、京都大学水泳部が合宿をして以来、関西有数の海水浴場として広く阪神圏に
知られることとなり、環境省が選ぶ「日本の快水浴場百選」にも選ばれています。
大浜海岸は、白い砂浜に洲本大浜の千本松と呼ばれる黒松が生い茂り、美しい白砂青松の
景観をつくりだしており、海水浴、淡路島祭りや洲本花火大会が開催されると共に
地域の方の憩いの場ともなっています。

上の写真はお登勢の町すもと No.3 大浜海岸の看板


上の写真はポン太の像

上の2枚の写真は大浜・千畳敷 稲田家家臣が北海道静内へ移住・出発地と
それを題材とした映画「北の零年 ~ここから始まる~」の内容が書かれた掲示
北の零年は2004年製作、2005年公開の日本映画。主演は吉永小百合。 


上の写真は彫刻作品「はばたけ」 新谷 英子作 
 洲本市制40周年記念寄贈 淡路信用金庫  1980年4月設置 

新谷英子さんは父の新谷英夫、兄琇紀(ゆうき)、姉澤子と家族4人そろっての彫刻家で、 
神戸女子短期大学教授を長年、勤めていた。
神戸市内には多くの作品があります。
手持ちの写真で新谷英子さんの作品を紹介します。
上の写真はゆけむり広場の秀吉像です。昭和57年(1982)5月30日有馬ライオンズクラブCNの
10周年を記念して寄贈されました。
作者は彫刻家の新谷英子さんです。 題目は「茶人太閤像」 

上の写真はねね像。有馬ライオンズクラブ20周年(1992)25周年(1997)記念事業で
設置されました。 作者は秀吉像と同じ彫刻家の新谷英子さんです。 

上の写真は神戸風月堂ミュージアム入口左手の彫刻作品「人魚像」 作者は新谷英子さん
新谷英子氏は神戸女子短期大学名誉教授も勤めた著名な彫刻家で2017年2月に死去されました。

 
上の写真は新谷英子氏作の彫刻 「愛」
設置場所:神戸市立 垂水勤労市民センター玄関前(現 垂水文化センター)
撮影:2011-8-8
親と子の絆や愛を表現されたものだと思います。
垂水区連合婦人会創立50周年を記念して平成8年(1996)10月5日に
新谷英子氏の作品をここに設置されたと記載されています。
この愛という題字は連合婦人会の名誉会長の土井芳子氏の87歳のときに
書かれたものだそうです。 

神戸文化ホールの周辺の公園内の新谷英子さんの作品「灯(ともしび)」
昭和51年(1976)1月婦人神戸300号を記念して展示されたものです。

 
上の写真も神戸文化ホールの周辺の公園内の新谷英子さんの作品です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

淡路島 洲本市街地の散策記 on 2022-11-4 その7 お登勢像

2023年04月19日 03時39分32秒 | 神戸市以外の兵庫県
2022年11月4日、淡路島 洲本市街地を散策してきましたので写真紹介します。
本日はその第7回としてお登勢像を紹介します。

過去の訪問記
 第1回 淡路島 洲本市街地の散策記 on 2022-11-4 その1 洲本市の概要 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 淡路島 洲本市街地の散策記 on 2022-11-4 その2 洲本城 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)







上の写真は「お登勢の像」
上の写真は「お登勢の像」の遠景
稲田氏屋敷跡の斜め向かいに設置されました。




上の2枚の写真は庚午事変とお登勢の説明板
お登勢は船山肇氏の小説「お登勢」の主人公であり、実在の人物ではありません。
船山肇氏の小説「お登勢」を原作としてNHK時代劇「お登勢」が2001年4月から6月に放送され
話題となりました。

説明板は読み難いのでそのまま転記しておきます。
庚午事変と「お登勢」
江戸時代の淡路は、阿波の大名蜂須賀氏の領国であった。蜂須賀氏は、筆頭家老の稲田氏をはじめ家臣を洲本に派遣して、淡路を支配していた。
稲田氏は、阿波と淡路に約一四、五〇〇石という、大名並みの知行地を与えられ、多数の家臣を抱えて、淡路の最高行政職である洲本仕置や、洲本城代に度々任じられた。
その稲田氏の家臣は、陪臣(又家来)だとして蜂須賀家臣からは低く見られたが、主君、稲田氏の祖先が、蜂須賀氏草創の時から大きな功労があることや、稲田氏が大名格で公卿とも縁組みしていることなどに誇りをもっていた。
幕末の激動期になると、蜂須賀氏が幕府支持派であったのに対して、稲田氏やその家臣は、積極的に尊王攘夷運動に参加し、明治新政府の樹立に貢献した。
ところが、維新による身分制度の変革で、蜂須賀家臣が士族になったのに、稲田家臣は卒という一段低い身分に編入され、しかも僅かばかりの手当が藩から給付されることとなった。この処置に強い不満をもった稲田家臣は、三田昂馬等を中心として、稲田氏との主従関係の継続と士族への編入を再三にわたって藩に陳情。さらに、中央政府への稲田氏分藩独立運動へと発展させていった。
このような稲田家臣の動きは、蜂須賀家臣を情激させ、遂に大村純安・平瀬伊右衛門・多田禎吾等洲本在住の過激派が決起することとなった。
明治三年(一八七〇)五月十三日早朝、蜂須賀家臣に率いられた八〇〇名余りの兵が、銃のほか大砲までも引き出して、洲本市中の稲田氏の邸宅や学問所である益習館、稲田家臣の屋敷を次々襲い、殺傷・捕縛連行・放火した。稲田側は無抵抗であったこともあり、自決二名・即死十五名・重傷六名・軽傷十四名、焼失家屋多数という大きな被害を被った。この年が「かのえうま」に当たることから、事件を庚午事変と呼んでいる。
明治政府の下した処置は厳しく、蜂須賀側の首謀者十名に斬罪、二十七名を伊豆諸島への流罪とし、禁固や謹慎は多数に及んだ。一方の稲田側は、当主の稲田邦植以下家臣が北海道への移住を命ぜられ、翌年荒野の広がる日高国静内へと移って行った。
この騒動の影響は大きく、洲本は一時活気を失ったほか、明治九年には淡路が徳島から分離されて、兵庫県に編入されることになった。
この庚午事変を背景として書かれた、船山馨原作の小説「お登勢」が、平成十三年NHKでテレビドラマ化され、十二回連続で放映された。
激動の時代を愛一筋に、健気に生き抜いた「お登勢」の姿が人々に感動を与え、好評を博した。
これによって洲本は、「お登勢」の町として全国に知られると共に、庚午事変が改めて注目されるようになった。
平成十四年五月十三日
お登勢の銅像建立実行委員会
碑文 淡路地方史研究会




上の2枚の写真は洲本バスセンターに置かれているお登勢の像と説明パネル

庚午事変について
庚午事変とは明治3年(1870)5月13日に、旧徳島藩士たちが分藩独立を求める稲田家臣を
襲撃した事件をいいます。同年が庚午にあたることから音読して庚午事変、あるいは
稲田騒動と呼ばれています。
原因は幕末維新期、家老稲田家とその家来は、徳島藩とは別に、朝廷のために尽力しました。
ところが明治2年の新政府の改革により、稲田家臣たちは陪臣として卒(足軽)身分とされ、
著しい不利益を生じることになりました。

そこで彼らは稲田家を分藩独立させ、自分たちの身分を士族としようとしました。
これを聞いた徳島藩の旧藩士たちは、主君である藩知事蜂須賀茂韶の名誉を損ねる
不忠の行為として稲田家家臣の襲撃を企図しました。
結果として藩知事の蜂須賀茂韶は謹慎処分を受け、徳島藩領から稲田家支配地を
引き離すため、稲田主従は北海道移住を命じられました。

住吉町の蓮華寺、吉野本町の万福寺などに、首謀者が切腹した史跡があります。

「庚午事変150年」 全貌に迫る特別展  in  洲本市立 淡路文化史料館
 2020年10月17日~12月20日に開催 特別展の説明動画
 
150年目にして公開された資料には首謀者として21歳の若さで処刑(切腹)された大村純安や
新島流刑となった森長左衛門の資料など、事件後、旧稲田家家臣の処遇改善を県に訴えた
武田寛三の建白書などがあり、事件を改めて振り返ることができます。

庚午事変関連サイト




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明石市魚住町中尾の 住吉神社の藤の開花状況 on 2023-4-14

2023年04月18日 15時19分25秒 | 神戸市以外の兵庫県
2023年4月14日の明石市魚住町中尾、住吉神社の藤の開花状況を写真紹介します。



上の2枚の写真が2023年4月14日の藤棚の藤の開花状況です。
藤棚の整備の為、一生懸命に作業されていました。
開花状況としてはまだ早いようです。

昨年(2022年)の状況については下記ブログで書いています。
 
昨年の実績から見頃は4月21日以降になると推測します。
(今年は暑い日が多いので昨年より早めか)

上の写真は藤棚に関する現地説明板です。 撮影:2023-4-14
神木 祓除の藤(はらいのふじ)の由来
古昔摂津の堺に祀られた住吉大神があるとき「播磨の国に渡り住はむ、藤の枝の流れ着いた
ところに我をいわい祀れ」とお告げを出された。そこで藤の大枝を切って海に浮べた藤は
当地方に流れ着いたので明石郡魚次浜一処(現在の魚住町と大久保町南部)を神領地と定められて
当神社がお祀りされました(住吉大社神代記より)住吉大神はお祓いの御神徳を有せられる
神様であり藤は住吉大神の神木であります。この藤は明治中期頃に中尾村 西海音助宮総代が
名木を探して献樹したものである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

閼伽寺薬師院のボタン園 観覧記 牡丹は今が見頃です4月25日まで開園 on 2023-4-14

2023年04月15日 06時20分56秒 | 神戸市以外の兵庫県


2023年4月14日、明石市魚住の閼伽寺(あかでら)薬師院を訪問し4年ぶりに開催の
境内ボタン園で実施中のぼたん祭の写真を撮ってきましたので紹介します。
薬師院は地元では通称、ぼたん寺(牡丹寺)と呼ばれ親しまれています。
天平2年(730)にこの地を訪れた行基上人は、西岡の地に差し掛かったところで
景色の美しさに感動を受けます。その時、持っていた錫杖を地面に突き立てたところ
冷たい水がこんこんと湧き出し、その水の中から薬師如来像が現れました。
聖武天皇にこの事を申し上げた行基上人は、早々に勅許を得て閼伽寺を創建した。
閼伽(あか)は古代インドのサンスクリット語で水を意味しきれいな水が湧き出す
ことから閼伽寺と命名した。

明治10年(1878)、住職(琛忍法印)が薬草とするためのボタンを中国から輸入したのが
始まりで境内のボタン園には約50種類、約2千本の牡丹が栽培されています。
ボタン園のぼたん祭は4月25日まで開催されています。
入園料は大人400円で高校生以下は無料となっています。
早速、当日撮ったボタン園の牡丹(ぼたん)の写真を添付します。






上の写真はボタン園ではなく閼伽井の庭 に植栽された牡丹(ぼたん)です。

せっかく、薬師院まで来たので閼伽寺薬師院の境内についても写真を撮っていますので
紹介します。

ボタン園は昭和30年(1955)に拡張整備されました。

閼伽寺薬師院の基本情報
住所:明石市魚住町西岡1636  TEL:078-942-0330
宗派:高野山真言宗  山号:清冷山
御本尊:薬師如来
御真言:オンコロコロ センダリマトウギソワカ
開基:天平2年(758)行基  
明石西国霊場・第7番札所
播磨八薬師・第1番

所在地のGoo地図を添付しておきます。


由緒
上の写真は境内に掲示の年表形式で書かれた薬師院の主な出来事
上の写真は山門の脇に掲示の説明書(主に真言宗に関する説明)

本堂


上の2枚の写真は本堂(正面及び斜め側面から撮りました)
延喜年間(901-922)仁和法親王・阿頂僧正が閼伽寺止宿し七堂伽藍整備した
坊舎も二十余りある大寺院となった。
その後、兵火で焼かれ現在の本堂は平成2年(1990)に改修されたものだそうです。
過去の改築された記録は明暦5年(1656)舜雄法印が現本堂を建立。
延宝4年(1676)舜算法印本堂を屋根瓦とする・
昭和43年(1968)本堂伽藍屋根を修理。
平成2年(1990) 本堂大改修

庫裡
上の写真はぼたん園の中にある庫裡
昭和56年(1981)に新改築されています。

寺宝として書院のおくの間にあって「四季草花図」「水鳥草花図」
「松鶴の図」がある。
作者は 著名な丸山応挙の師である石田幽汀(いしだゆうてい)。

鐘楼

上の写真は本堂の右手の鐘楼で延宝4年(1676)に最初に建造された記録があるようです。
現在の建物は勿論改築されたものです。
梵鐘は昭和31年(1956)に再鋳造されたものです。

山門と蓮池
上の写真は山門と蓮池です。蓮池の中には亀(スッポン)がいます。
池に架かる石橋には元禄8年(1695)3月2日 壇那中寄進の銘文が刻まれています。

上の写真は蓮池の中のスッポンと彫刻石像のアップ

 弁財天

上の写真は弁財天 扁額には「日ノ神弁財天」と表記されています。
建物の前の「蛙(かえる)」の石造物がユニーク
弁財天堂は昭和55年(1980)に建立されています。

修行大師像

上の写真は修行大師の像 昭和62年(1987)に建立されています。

水子供養

上の写真は水子供養のために建立された「さづけ地蔵」
昭和48年(1973)4月8日 当時の住職 舜教敬白が説明板の文を書かれています。
弘法大師生誕1,200年を記念して建立。

手水舎
上の写真は手水舎 左手の小さなお堂は何か不明(清龍大神堂?) 背後は閼伽井の庭


臥竜の松と閼伽井の庭 


上の写真は臥龍松と書かれた石碑
臥龍の松は天喜5年(1057)に植栽されました。
この松(臥龍松)は、かつては高砂の松、尾上の松と並び称される名松で、
境内いっぱいに枝を広げていました。
昭和9年(1934)臥龍松の玉垣が出来ています。
残念ながら昭和20年(1945)に松喰虫のために枯れてしまい、今ではその根の部分
だけが現在も残っています。

昭和20年以前に撮られた臥龍松が写っている薬師院の写真を紹介されたサイトが
ありましたのでリンクさせていただきます。

上の写真は2012年11月21日に撮影した閼伽井の庭 
閼伽とは仏に供える水のことという説明書きがありました。
有名な臥龍松とよばれる松の根の部分が後方に写っています。 


上の写真は薬師院に隣接して建つ天王神社の敷地内の松です。
臥龍の松のなごこりをここにみることができます。

不動堂
上の写真は正面が不動明王が安置されている不動堂
ぼたん祭の提灯がある所が「ぼたん園」の入口になります。

行者堂
上の写真は行者堂 平成10年(1998)に建立

宝筐院塔(経塚)と五輪塔

上の写真は鐘楼の近くの宝筐院塔(経塚)と五輪塔
五輪塔は室町末期のものでもとは臥龍松の下にあったものを明治時代に移された。
明石船上城の城主だった生駒甚介親正または三木合戦で死んだ人の供養塔ともいう。

宝篋印塔(経塚)は応仁2年(1468)、寺が焼けたとき住職の僧が経蔵の灰を埋め
その上に建てたと言われる。
一番左手には霊髪と表記されているのでこれも兵火で倒れた兵士の霊を供養
するためのものと思われます。
上の写真は五輪塔の横にあった説明パネル

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

淡路島 洲本市街地の散策記 on 2022-11-4 その6 淡路文化史料館

2023年04月14日 03時46分09秒 | 神戸市以外の兵庫県
2022年11月4日、淡路島 洲本市街地を散策してきましたので写真紹介します。
本日はその第6回として淡路文化史料館を紹介します。

過去の訪問記
 第1回 淡路島 洲本市街地の散策記 on 2022-11-4 その1 洲本市の概要 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 淡路島 洲本市街地の散策記 on 2022-11-4 その2 洲本城 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)





淡路文化史料館の基本情報
住所:洲本市山手1-1-27 TEL:0799-24-3331
開館時間:9:00~17:00(最終入館は16:30)休館:月曜日
入館料:500円

所在地のGoo地図を添付しておきます。 




上の3枚の写真は淡路人形浄瑠璃の展示
南淡路市福良に淡路人形座があり義太夫による情感あふれる浄瑠璃の語りと三味線の響きに
のって黒子衣装に身を包んだ3人の人形遣いが1体の人形を操る。
上の写真は人形浄瑠璃と文楽の違いを説明したパネル


上の写真は江戸時代後期に造られ、淡路島の祭に欠かせない船壇尻(ふなだんじり)の展示。
船名は平見丸 淡路市江井鍵之町内会蔵
上の写真は船だんじり「一宮丸」の展示 江戸時代後期 淡路市教育委員会蔵


上の写真はヤマトサウルス・イザナギイの展示と説明パネル
詳しくは下記ブログで書いています。
上の写真はヤマトサウルス・イザナギイの発見された部位
上の写真はヤマトサウルス・イザナギイの頭骨復元の過程を説明したパネル




上の5枚の写真はヤマトサウルス・イザナギイの各部の化石



洲本付近では恐竜化石の他、アンモナイト、カニ、エビ、古代植物、ナウマンゾウなど
化石の宝庫でもあります。多く展示されていました。

下記は淡路文化史料館の各回の展示テーマです。
1階  大展示、歴史展示
2階  美術展示室、民俗展示室
3階  直原玉青記念展示室





上の2枚の写真は「淡路島のめぐみ」に関する説明パネル
淡路島の一次産品が紹介されています。
淡路島の玉ねぎ、新鮮な魚介類、淡路牛、花卉栽培などが紹介されています。



上の2枚の写真は洲本の自然に関する展示
読み難いので文章を転記しておきます。
洲本の自然
洲本は淡路島の南東部に位置し、地質学的にはおよそ7,000万年前の和泉層群を基盤としています。
市街地の背後にある三熊山(標高124m)は古くから植物の宝庫として知られ、
木本(樹木)類だけでも200種近く生育しており、この山から発見された菌類も
ヤスリタケを筆頭に233種を数えます。
一方、市内を流れる洲本川の河口では、レッドデータ・ブックにも掲載されている
ミサゴの勇壮なダイビングが見受けられ、紀淡海峡に面する成ケ島では県下で最も自然度の高い
海浜植物群落が残存し、アカウミガメも産卵に訪れます。
また、北西部に位置する先山(標高448m)には、この山が模式産地となっている
アワジヒメオサムシが生息しています。



和泉層群は5つの層(西淡層、阿那賀層、北阿万層、灘層、下灘層)に分かれ
ヤマトサウルス・イザナギイ(恐竜)をはじめ、翼竜、カニ、エビ、ウニ、
アンモナイト、植物などの化石が見つかっています。


上の2枚の写真は淡路島の文化財に関する写真展示と洲本の文化財説明パネル
淡路島のの特産品として 1)瓦 2)線香 3)そうめん を紹介したパネル




上の写真は銅鐸に関する展示
南淡路市から出土の松帆銅鐸が話題になりました。
詳細は下記ブログ





上の2枚の写真は1966年に廃線となった淡路鉄道(洲本-福良)の展示と説明パネル

上の写真は鐘紡洲本工場の展示

上の写真は鐘紡洲本支店第二工場の建物 昭和10年代の展示
現在は洲本図書館、洲本アルチザンスクエアとして活用されています。
上の写真は鐘紡洲本支店 第三工場発電所 大正6年(1917)の展示
現在は「淡路ごちそう館御食国(みけつくに)」として活用されています。
上の写真は洲本川付け替えと港湾改修工事計画図

上の写真は塩づくりに関する展示

上の写真は洲本城跡の模型展示

上の写真は2階の郷土資料展示

上の写真は淡路島の美術工芸の展示(2階)


上の2枚の写真は洲本市出身の文豪「岩野泡鳴」所縁の品の展示と説明パネル


上の写真は洲本市千福寺で襖絵(牡丹)を描く直原玉青画伯 昭和52年(1977)77歳当時



上の3枚の写真は直原玉青画伯の作品展示(3階)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

淡路島 洲本市街地の散策記 on 2022-11-4 その5  洲本城址「下の城」に残る石垣と城代稲田氏の屋敷跡

2023年04月11日 05時11分11秒 | 神戸市以外の兵庫県
2022年11月4日、淡路島 洲本市街地を散策してきましたので写真紹介します。
本日はその第5回として洲本城址「下の城」に残る石垣と城代稲田氏の屋敷跡を紹介します。

過去の訪問記
 第1回 淡路島 洲本市街地の散策記 on 2022-11-4 その1 洲本市の概要 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 淡路島 洲本市街地の散策記 on 2022-11-4 その2 洲本城 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)



上の写真は税務署の前に残る洲本城址「下の城」に残る石垣
上の写真は淡路文化史料館の前に残る洲本城址「下の城」の石垣

上の2枚の写真は淡路文化史料館の前の濠に植栽された大賀ハスと現地説明板

上の写真は洲本城址の説明パネル
説明文の後半に山の下の城に関する説明がありますので転記しておきます。
この山下の洲本城は阿波藩主蜂須賀氏が由良城を廃して寛永8年(1631)から
寛永12年(1635)までに築いた平城です。(昭和58年洲本市史跡に指定)
同じ頃に城下町も移転され、これを「由良引け」と呼んでいます。
城(文化史料館)の向かいには蜂須賀氏筆頭家老の洲本城代稲田氏の屋敷がありました。

山下の洲本城址には現在、洲本税務署、裁判所、検察庁、淡路文化史料館などの施設に
なっています。
上の写真は「史跡 洲本城跡」と書かれた石碑

上の写真は洲本市立淡路文化史料館に展示の古地図で洲本城 下の城の位置と
稲田氏向屋敷の位置を示した。


上の写真は文化史料館からみた稲田氏の屋敷跡
現在は洲本念法寺になっています。
稲田氏向屋敷の遺構は無く、面影は全くありません。
 
上の写真は稲田氏向屋敷跡の看板
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

淡路島 洲本市街地の散策 on 2022-11-4 その4 洲本温泉うるおいの湯と洲本八狸「柴助」

2023年03月31日 05時35分53秒 | 神戸市以外の兵庫県
2022年11月4日、淡路島 洲本市街地を散策してきましたので写真紹介します。
本日はその第4回として洲本温泉うるおいの湯と洲本八狸「柴助」を紹介します。

過去の訪問記
 第1回 淡路島 洲本市街地の散策記 on 2022-11-4 その1 洲本市の概要 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 第2回 淡路島 洲本市街地の散策記 on 2022-11-4 その2 洲本城 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)


洲本温泉うるおいの湯
洲本八幡神社から洲本文化史料館に向けて歩いて行く途中に「洲本温泉うるおいの湯」
と書かれた足湯を見つけました。
インターネットで調べると令和4年(2022)7月28日(木曜日)にリニューアルオープン 
したようです。足湯が利用できる時間は9:00〜20:00
経緯について:1999年に「潮騒の湯・足湯」としてオープンしたが、新しい泉源への
切り替わりのため2019年から休止状態になっていました。
住所は兵庫県洲本市山手2丁目806-1

所在地のGoo地図を添付しておきます。

上の写真は洲本温泉うるおいの湯の足湯です。
洲本八狸「柴助」が写っています。
地元の方が利用されていたので全体写真を撮りませんでした。

私も足湯につかりました。
あまり混んでおらずゆっくりと体を休めることができます。

上の写真は温泉の成分表
泉質:アルカリ性単純温泉
効能:疲労回復・冷え性・神経痛など

洲本八狸「柴助」
上の写真は洲本八狸 柴右衛門嫡男「柴助」の現地説明板
説明文を転記しておきます。
元大阪中座に祭られてていた芝右衛門の長男で、全国に修業の旅にでた後
立派に柴右衛門の後を継いだと伝わり、学業、家内安全、子供の守り神として
人気があります。また無類の温泉好きでも有名です。
  平成13年2月  洲本温泉事業協同組合

洲本八狸についてシリーズ第3回で掲載した写真を再掲載します。(下の2枚の写真)





上の写真は柴右衛門と柴助の親子狸

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

淡路島 洲本市街地の散策記 on 2022-11-4  その3  洲本八幡神社と金天閣

2023年03月25日 03時46分53秒 | 神戸市以外の兵庫県
2022年11月4日、淡路島 洲本市街地を散策してきましたので写真紹介します。
本日はその第3回として洲本八幡神社と金天閣を紹介します。

過去の訪問記



洲本八幡神社の基本情報
住所:洲本市山手2-1-10 TEL:0799-22-0549(9:00~18:00)
御祭神:八幡神(第15代応神天皇、神功皇后、姫神又は仲哀天皇)
創祀:淳仁天皇により創祀

所在地のGoo地図を添付しておきます。

拝殿
上の写真は洲本八幡神社の拝殿
永祚2年(990)に国司藤原成家からの庇護を受けた。淡路州神と称えられた文書が残る。
室町末期、三熊山に洲本城を築いた時に安宅秀一が神社に籠り祈願。
江戸時代には洲本城の鎮守として、藩主の蜂須賀氏の祈願所となり広く崇敬を受けてきた。
神社の目の前に洲本城が置かれ、淡路国における徳島藩の代参所となると共に藩主蜂須賀氏及び家老洲本城代稲田氏の祈願所として特異なる崇敬をうけた。また、淡路国で初めて檀尻(だんじり)が出されたことでも知られる。

神門
上の写真は神門の遠景

一の鳥居
上の写真は洲本八幡神社正面の一の鳥居

日本の三名狸「柴右衛門」


上の写真は「芝右衛門」という狸 の石像と背後の小社。
大阪中座から洲本に帰ってきた芝右衛門狸を祀っている社殿です。 


上の写真は現地説明板 若干、読みを間違えているかも知れませんが説明文を転記しました。
 洲本八狸
日本の三名狸 柴右衛門
三熊山に住む日本三名狸に数えられ芝居好きの狸
木の葉をお金に変え大阪の道頓堀芝居見物に
出かけたなどの話が伝わる人気の神。
芝居の他、商売繁盛の神としてお祀りされています。
また、元大阪中座の座員や片岡仁左衛門、藤山寛美さん等
役者や関係者に親しまれています。


上の2枚の写真は洲本八狸の説明と愛称
上に添付した2枚の写真は下の写真から切り抜いたものです。

柴右衛門狸は洲本八幡神社以外に洲本城、中座ビルの地下一階と一階のお狸様、
生國魂神社の源九郎稲荷神社(八兵衛大明神として合祀)、淡路島佐野の柴右衛門神社で
祀られています。
洲本城の柴右衛門狸の伝説と祠については散策シリーズ第2回で詳しく書いています。


金天閣




上の2枚の写真は金天閣の建物外観
寛永18年(1641年)に徳島藩主蜂須賀忠英(ただてる)が、三熊山山麓の洲本城内に
建てた洲本御殿の一部です。洲本御殿の大部分は明治維新後に取り壊されましたが、
この玄関と書院だけが移築され残りました。
洲本城関係の建物では現存する唯一の建物です。

現在は、金天閣として洲本八幡神社の境内にあります。
上の写真は金天閣と書かれた木札

国瑞彦護国神社 
独立した神社ではあるが洲本八幡神社に隣接してあるのでここに掲載した。


上の写真は国瑞彦護国神社の拝殿と本殿
国瑞彦護国神社 の地には昔、龍宝院があった。
 明治12年(1879)、庚午事変(稲田騒動)の後始末として阿波藩国瑞彦神社から分霊し建立 された神社です。

境内摂社

上の2枚の写真は境内摂社の一つ白髭稲荷神社


上の写真は境内摂社の一つ大神社 天照皇大神


上の写真は境内摂社の一つ 天満宮

その他にリーフレットには平野神社・高良神社・八坂神社・春日神社・愛宕神社・楠宮神社
淡路代参社がリストアップされています。

上の写真は境内にあった小祠群

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする