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CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

大相撲2023年3月春場所(大阪場所)で朝乃山が豪ノ山を破り1敗を守る

2023年03月22日 16時06分35秒 | 神戸市以外の兵庫県
大相撲春場所11日目を迎えた2023年3月22日、注目の東十両筆頭の元大関朝乃山は
豪ノ山を上手投げで下し10勝1敗としました。
今後も頑張ってもらいたいと願っています。

十両の優勝争いでは朝乃山と逸ノ城が1敗を守り、2敗差で豪ノ山、北の若、落合が
追う展開になっています。


上の2枚の写真は朝乃山が豪ノ山を上手投げで破った瞬間
出典:NHKBS1のテレビ番組(実況中継)

11日目までの朝乃山の対戦相手と決まり手は下記のとおりです。
      対戦相手   決まり手    勝敗 
初日    水戸龍    寄り切り     〇
2日目   千代の国   押し出し    〇
3日目   東白龍    送り倒し    〇
4日目   逸ノ城    上手投げ    
5日目   栃の心    寄り切り    〇
6日目   千代丸    突き出し    〇
7日目   湘南の海   下手投げ    〇
8日目   欧勝馬    はたき込み   〇
9日目   狼雅     上手投げ    〇
10日目    炎鵬     寄り倒し    〇
11日目    豪ノ山    上手投げ    〇

取組内容については相撲協会のYoutube動画をGooで共有させていただきました。

初日
大相撲 水戸龍ー朝乃山<令和5年三月場所・初日>SUMO

2日目
大相撲 朝乃山 ー 千代の国<令和5年三月場所・二日目>SUMO

3日目
大相撲 朝乃山ー東白龍<令和5年三月場所・三日目>SUMO

4日目
大相撲 朝乃山ー逸ノ城<令和5年三月場所・四日目>SUMO

5日目
大相撲 朝乃山ー栃ノ心<令和5年三月場所・五日目>SUMO

6日目
大相撲 朝乃山ー千代丸<令和5年三月場所・六日目>SUMO


7日目
大相撲 朝乃山ー湘南乃海<令和5年三月場所・七日目>SUMO

8日目
3月場所8日目朝乃山VS欧勝馬

9日目
大相撲 朝乃山ー狼雅<令和5年三月場所・九日目>SUMO


10日目
大相撲 朝乃山 ー 炎鵬 館内が沸いた一番!<令和5年三月場所・十日目>SUMO

11日目
大相撲 令和5年3月 春場所11日目 朝乃山 対 豪ノ山   #朝乃山

下記サイトでも動画を確認できます。
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淡路島 洲本市街地の散策記 on 2022-11-4 その2 洲本城

2023年03月17日 04時14分59秒 | 神戸市以外の兵庫県
2022年11月4日、淡路島 洲本市街地を散策してきましたので写真紹介します。
本日はその第2回として洲本城を紹介します。

過去の訪問記



洲本城の基本情報
住所:上の城  兵庫県洲本市小路谷(三熊山) 
   下の城 兵庫県洲本市山手一丁目 
立地:三熊山頂の「上の城」と山麓「北の御殿」のある「下の城」
   東西二条の「登石垣」で繋ぎ防御力を高めている。
築城年代:16世紀前半(永正7年(1510)と大永6年(1526)の2説あり)
築城者:安宅治興 
主な改修者:脇坂氏(山城)・・総石垣の守りの堅い城に改修
      蜂須賀至鎮(平城)・・寛永8年(1631)から4年を費やす 
城主の推移:安宅氏、仙石氏、脇坂氏、藤堂氏、池田氏、蜂須賀氏
別名:三熊城

天守台と模擬天守


上の2枚の写真は天守台と模擬天守

洲本城跡案内図



上の2枚の写真は洲本城の配置図と各名称

城内の写真

上の写真は右手が本丸跡、左手が南の丸
上の写真は馬屋(月見台)
上の写真は南の丸隅櫓跡
上の写真は本丸東側の石垣
上の写真は2お登勢の町すもと 三熊山本丸天守台と書かれた看板

上の写真は八王子木戸
上の写真は八王子神社の入口


上の2枚の写真は少し下ったところにある八王子神社の拝殿

上の2枚の写真は昭和天皇の歌碑、表面と裏面
昭和30年(1955)3月に建立されています。
八王子木戸付近から東の丸へ行く途中で見つけました。

上の写真は東の丸の高石垣と東側の「登り石垣」 
「登り石垣」は上下の城を繋ぐことで防御力を高めています。
全国でも数例しかない珍しい遺構が良好な状態で保存されていることが評価され、
平成29年(2017)4月6日、続日本100名城に選定されています。
上の写真は続日本100名城に行こうの本の表紙
スタンプラリーのスタンプ帳がついています。洲本城はNo.164

本丸跡売店内のパネル展示
上の写真は令和4年(2022)3月12日に行われた洲本城跡本丸売店プレオープンの式典の写真パネル



上の2枚の写真は洲本城跡「上の城と下の城について」の説明パネル
上の写真は洲本城跡本丸付近の上空から写真

上の2枚の写真は「洲本城の見どころ」の説明パネル
上の写真は甲冑の展示



上の3枚の写真は「淡路島の自然と三熊山」の説明パネル
上の写真は続日本100名城「洲本城」No.164スタンプラリーの案内
スタンプは下の城の「淡路文化史料館」でもらえます。

洲本城から洲本市市街地の景観



上の2枚の写真は洲本城からの洲本市市街地の眺望です。
素晴らしい景色でした。


芝右衛門大明神


上の写真は芝右衛門大明神の祠
幕にはあの有名な藤山寛美の名前が・・・昭和63年(1988)10月吉日奉納
この祠は日本三大狸 の一つである芝右衛門狸が祀られています。

上の写真は「芝右衛門狸のおはなし」の現地説明板
三熊山のてっぺんに柴右衛門と言う愛嬌者の狸が住んでいました。背の高さ
六尺(1m80cm)あまり、お腹は大太鼓「みたいで、満月の夜など光輝く海へ向かって
「ポンポコポンポコ」「ポンポコポン」と陽気に腹鼓を打つのでした。
時には人間に化けて木の葉のお金で買物をしたり、いたずらもしましたが、
夜道に迷った旅人の案内を引き受けるような人々に愛される狸でした。
その頃、浪速(今の大阪市)でおもしろい芝居がかかっている事を聞き込んだ
芝右衛門は、お手のものの変装をして、浪速行きの便船で、水の都、大阪へと
乗り込んだのです。例の木の葉のお金で悠々と木戸を通り毎日毎日お芝居にうつつを
抜かしていましたが、木戸番のおじさん達は、毎日木の葉がお金箱に入っているのを見て、
「変だナア」と思いはじめ、狐か狸の仕業に違いないと思って、犬を三匹連れ、
芝居はねる時を待ちました。何も気付かぬ芝右衛門は「アア今日も面白かった。
浪速へ来た甲斐があった 淡路へ帰って皆の衆に話してやろう」とつぶやきながら
出てくるところを、ついに犬に発見されてしまいました。洲本の人達は近頃
聞こえなくなった芝右衛門の腹鼓に「芝右衛門は何処へ行ったのやろ」と
心配しはじめました。その頃、大阪から来た行商人から何でも大阪の芝居小屋で
大きな狸が犬に噛まれたそうな」という噂を聞き、それはきっとあの愛嬌物の
芝右衛門に相違ない、と今は亡き芝右衛門を偲び悲しみながら、誰いうとなく
「三熊山へ芝右衛門を祀ろう」ということになりました。
そして何時誰が造ったのか土製のタヌキの芝右衛門が伝わり、今も洲本では焼物の
芝右衛門狸がお土産店で巾を利かせています。当時の年号も定かではありませんが
伝説のこの三熊山の狸芝右衛門のお話です。

大阪では下記のような話が残っています。
洲本の芝右衛門狸は大阪中座に評判の芝居があると聞き、「三隈八兵衛」という侍に
化けて木戸を通っていた。しかし、正体がばれて犬に噛み殺されてしまった。その後、なぜか観客が少なくなってしまった。芝右衛門の祟りと考えた関係者は
奈落に祠を建てて祀ったところ、客足も戻り、大盛況となった。

祠は芝右衛門の里帰りとして昭和37年(1962)に片岡仁左衛門、藤山寛美といった
大阪の芸能人たちが寄進して建てられた。お参りがしにくいという理由から
現在の場所へ遷された。

柴右衛門狸は現在他に中座ビルの地下一階と一階のお狸様、故郷の洲本八幡神社、
生國魂神社の源九郎稲荷神社(八兵衛大明神として合祀)、淡路島佐野の柴右衛門神社で
祀られています。

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千姫ゆかりの地を巡る

2023年02月07日 04時34分56秒 | 神戸市以外の兵庫県
千姫(徳川家康の孫、豊臣秀頼正室)は慶長20年(1615)の大坂夏の陣で豊臣秀頼が自害し
千姫は寡婦となる。その翌年、千姫は本多忠刻と再婚し姫路に移り住みました。
本ブログでは千姫ゆかりの地を巡ってみようと思います。


姫路城の化粧櫓・百間櫓
上の写真は千姫と本多忠刻成婚400年を記念して2016年に制作された、
千姫色彩乾漆座像です。作者は色彩乾漆作家のサブロウコスギ氏です。
イオン株式会社名誉相談役である二木英徳氏からの寄贈です。
千姫色彩乾漆座像は姫路城西の丸のカの渡櫓に展示されています。
撮影:2022-10-12

千姫は、慶長2年(1597)、のちの江戸幕府2代将軍徳川秀忠と江の長女として生まれました。7歳で豊臣秀頼に嫁ぎますが、慶長20年、大坂夏の陣で秀頼と死別。その翌年、本多忠政の嫡男忠刻と再婚しました。
元和3年(1617)、本多忠政が姫路へ転封になると、忠刻とともに姫路城に移りました。
本像は土の原型の上に砥粉や木屑入りの漆を厚く塗りその上に麻布を張ってその作業を繰り返し行なう伝統的な技法によって作られた乾漆像です。
羽子板を手に勝姫、幸千代たちの遊ぶ姿を慈愛あふれる目で幸せそうに見つめる千姫を表現したもので、容姿や服装は「本多平八郎姿絵」などからイメージして造形されたものです。
 

下の写真は本多忠政を中心とした系図です。
千姫と本多家の関係を理解するために添付しました。



上の写真は姫路城西の丸にある化粧櫓 撮影:2022-10-12


上の写真は姫路城西の丸にある百間廊下 撮影:2022-10-12
上の写真は姫路城大天守より観た西の丸の化粧櫓と百間廊下の遠景
撮影:2022-10-12

姫路市、千姫の小径(こみち)と千姫像
上の写真は船場川に架かる市之橋より北側の千姫の小径を撮ったものです。 
撮影 2009-6-28 




上の写真は千姫像と現地説明板  千姫像の作者は吉田英智さん
船場川に架かる市之橋の南側に歩くとすぐの場所にあります。
撮影:2022-10-3
この像はいつも千姫が祈りを捧げていた男山にある千姫天満宮の方向を向いています。姫路城二の丸の化粧櫓の方も見ていたと思われます。
現地説明板は男山の中腹に鎮座する千姫天満宮の総代会の皆様により文章が作成され総代会の会長の古本保美さんの謹書で平成9年(1997)に建てられました。前半部は千姫の境遇について説明。後半に千姫と本多忠刻の歌が紹介されています。

初秋の風を 簾にまきとりて (忠刻)
軒はにおほふ 竹の葉の露 (お千=千姫)

この連歌は二人の間に長男幸千代が生まれ、二人の幸福感がにじみ出ている。

この連歌は元和5年(1619)8月14日、将軍家から1隻の大きな安宅舟を本多忠政に預けられたのを記念して詠まれたもので本多忠刻と千姫夫婦の他、両親の忠政、於熊、2人の子供、弟の本多政朝一家の歌も記録に残されています。
お題は「船」。船は前の姫路城主因幡鳥取城主「池田新太郎光政」から献上されたものです。

寛永3年(1626年)千姫29歳には夫・忠刻、姑・熊姫、母・達子が次々と没するなど不幸が続き、本多家を娘・勝姫と共に出ることとなった。江戸城に入り、出家して天樹院と号す。出家後は娘と2人で竹橋御殿で暮らした。

以降、江戸での暮らしが続き寛文6年(1666年)2月6日、江戸で死去。享年70歳
墓所は小石川の伝通院と茨城県常総市の天樹院弘経寺にある。
知恩院には分骨され宝塔に納められた。

姫路市、千姫天満宮
上の写真は千姫天満宮の遠景  撮影:2019-10-8
所在地は住所:姫路市山野井町1−3(水尾神社) 
訪問記は下記ブログ
Wikipediaによる千姫天満宮の解説(一部加筆)を引用紹介します。
千姫は天神(天満宮・菅原道真)を信仰しており天神の木像を祀っていた。1615年(慶長20年[2])の大坂夏の陣で豊臣秀頼が自害し千姫は寡婦となるが、その翌年、1616年(元和2年)には本多忠刻と再婚。1617年(元和3年)に忠刻が姫路に移封されると、千姫は本多家の繁栄を願い姫路の天門(乾・北西)の鎮めとするため1623年(元和9年)3月に男山に天満宮を建立し6枚の羽子板を奉納した。千姫が生活していた姫路城西の丸から拝礼出来るように東向きに造営されており、千姫は長局の廊下から拝礼していたと伝わる。
千姫が奉納した羽子板に肖って絵馬は羽子板の形になっており、麓(水尾神社)の店で販売している。また、切手を貼れば郵便物として郵送も可能。
学業成就の他、忠刻と千姫の夫婦仲の良さから恋愛成就の御利益もあるといわれている。
男山千姫天満宮は、姫路城の北西に位置し、姫路城を一望する男山の中腹にある小さな社で、本多忠刻と再婚した千姫が、本多家の繁栄を願って建立し、西の丸長局の廊下から朝夕遙拝したと言われています。城内から、遙拝できるよう東向きに造営されています。
平成14年(2002)4月に社殿が新築され、唐破風造りの流麗優美な姿に生まれ変わりました。

姫路市書写山圓教寺本多家墓所
書写山円教寺の山上に室町時代に建立された三之堂(大講堂、食堂、常行堂)の
傍に姫路城主 本多家の墓所があります。

徳川四天王の1人本多忠勝公を祖とする本多6代の当主のうち5人の五輪塔が
5棟の堂内に収められています。
上の写真は中央部が本多忠勝公の廟屋です。戒名は西岸院殿長誉良信大居士。
慶長15年(1610)10月18日 享年63歳。
その左手には、廟屋に入っていないが、本多忠刻公(本多忠政の長男で千姫の婿殿
である)と忠刻公と千姫長男 幸千代君(享年 3歳)の五輪塔があります。
本多忠刻公の戒名は 円泰院殿黄山蒼雄大居士。 寛永3年(1626)5月7日 享年31歳。

忠刻の伴には宮本三木之助=宮本武蔵の養子、宮田角兵衛(三木之助の伴)、
岩原牛之助(忠刻の伴)の切腹殉死者の墓碑がある。

室津 賀茂神社
本多忠政が元和9年(1623)に室津の賀茂神社に鳥居と摂社椙尾神社を建立しています。

 

上の3枚の写真は室津の賀茂神社と摂社椙尾神社の位置を示したものです。
撮影:2017-11-5
上の写真は賀茂神社の摂社 椙尾神社の表札   撮影:2017-11-5

播磨国総社

播磨国総社は姫路城の鎮護の社として大切にされてきました。


上の2枚の写真は播磨国総社射楯兵主神社の拝殿(本殿)と由緒書き
撮影:2020-10-22

高砂神社
千姫、本多忠刻も参拝したと記されている夫婦和合の象徴「相生の松」で知られる高砂神社
上の写真は高砂神社の拝殿  撮影:2017年11月12日 
上の写真は秩父宮勢津子妃殿下が命名された五代目の相生松。 
撮影:2018-1-21
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明石市立文化博物館「郷土作家シリーズ 二つの展示」が間もなく閉幕します。

2023年01月12日 03時40分31秒 | 神戸市以外の兵庫県
現在、明石市立文化博物館の企画展「郷土作家シリーズ 二つの展示」が1月15日に閉幕します。
私は2023年1月4日に観覧しました。
まだ、観覧されていない方は是非、足を運んでください。

この企画展は2022年という2がそろった年にちなんで、「二つ」にまつわる版画や陶器などが
展示されています。

企画展の基本情報
 開催場所:明石市上ノ丸2-13-1  明石市立文化博物館 TEL:078-918-5400
企画展のタイトル:郷土作家シリーズ 二つの展示
会期:2022年12月17日~2023年1月15日
開館時間:9:30~18:30  休館日:月曜日
観覧料: 大人 200円/大学・高校生 150円/中学生以下無料
      65歳以上は半額

展示室の写真撮影禁止だったのでリーフレットのコピー写真を添付します。
(下の2枚の写真)


 
私が特に印象に残っているのは橋本海関、橋本関雪親子の作品と村上暁人の作品である。
上の写真は橋本関雪の作品を拡大したものです。
出典:明石市立文化博物館 NEWS 94
上の写真は村上暁人の作品を大きくしたもの 出典:リーフレット


展示室の様子をサンTVがYoutube動画で紹介されていますのでGooで共有させていただきました。

明石市立文化博物館「郷土作家シリーズ 二つの展示」 サンTV
明石の海に生きる人を生涯描き続けた版画家・村上暁人(ぎょうじん)の「網つくろい」や、日本画家・橋本関雪(かんせつ)が向き合う人物を二枚に分けて描いた「拾得(じっとく)」と「寒山(かんざん)」などが注目を集めています。

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串焼処 鶏膳 総本店でのランチ on 2023-1-4

2023年01月05日 05時01分13秒 | 神戸市以外の兵庫県
2023年1月4日、明石駅構内のピオレ明石にある串焼処 鶏膳でランチを頂きました
ので写真紹介します。2回目に訪問のお店です。
当日は兵庫県立図書館と明石市立文化博物館へ行くために出かけていました。
ピオレ明石の食事処はどこも正月の延長で混んでいました。

串焼処 鶏膳 総本店の基本情報
住所:明石市大明石町1丁目1−23 ピオレ明石 TEL:078-912-1055
営業時間:通常時は金・土11:00~22:00 他の曜日は21:00まで
     ランチメニューは11:00~17:00
定休日:なし(不定休)
 
ピオレ明石の西の端にあります。当日は昼飲みのお客さんが多かったがランチの
メニューも鶏天定食、串カツ定食親子丼、おでん定食、焼鳥丼、チキン南蛮定食など
種類も多くどれも手ごろなお値段でした。
 
当日、私は鶏天と鶏の唐揚げが入ったミックス定食820円(税込)を注文しました。

上の写真が唐揚げとり天定食(ミックス定食)です。 
上の写真はお昼の定食のメニュー表です。
上の写真はお店の外観です。

前回の訪問記

今後、再訪時は串カツかおでんで昼飲みをしたいなあと思いました。

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Soraかさい(鶉野飛行場跡)訪問記 on 2022-11-18

2022年12月07日 04時17分50秒 | 神戸市以外の兵庫県
2022年11月18日、加西市に2022年4月18日に一般公開されるようになった平和学習施設
Soraかさい(鶉野飛行場跡)を訪問しましたので写真紹介します。初訪問です。

Soraかさいの基本情報
住所:兵庫県加西市鶉野町2274-11  TEL:0790-49-8100 
営業時間:9:00~18:00
休館日:毎月第2・4月曜日(月曜日が祝日の場合は翌平日)、12月29日~1月3日
入場料:100円  オープン日:2022年4月18日
問い合わせ先:加西市鶉野未来課(TEL:0790-42-8757)
指定管理者:神姫バスグループ共同事業体 (令和4年4月より5年間)
公式サイト:soraかさい | トップページ (sorakasai.jp)

太平洋戦争中、加西市にあった姫路海軍航空隊鶉野飛行場や川西航空機姫路製作所鶉野工場を
紹介し、戦争の記憶を伝える施設で戦闘機「紫電改」と航空隊操縦生の訓練に
使われた
「九七式艦上攻撃機」が展示されています。

平和学習施設として機能しており2022年には学校関連の訪問者が100校を超えたとのこと
(神戸新聞11月20日報道では 11月18日の時点で109校の予定)
当日も小学生の団体が見学されていました。

メインの展示室

施設の中央に旧軍用機の模型がつり下げられています。
大きさは全幅15メートル。濃緑色のボディーに、白で縁取られた、深い朱色の日の丸。上の写真は太平洋戦争で旧日本海軍が使用した「九七式艦上攻撃機(九七式艦攻)」の実物大模型です。
フロアには川西航空機姫路製作所鶉野工場で生産された戦闘機「紫電改」が展示されています。
九七式艦攻は昭和12(1937)年に正式採用され、日中戦争から実戦に投入されています。

上の写真は局地戦闘機「紫電改」を中心に撮ったものです。
紫電改は「紫電」の問題点を改良して開発されました。
紫電二一型(N1K2-J)Shiden-Kai [code named "George" by  US military]
Interceptor Fighter [N1K2-J Model21]
主な仕様
 乗員:1名
 主要寸法:全幅11.99m×全長9.346m、主翼面積23.5㎡
 重量(積載時):4,000Kg(4,800Kg)
 発動機:譽(ほまれ)
 最大出力:1,990HP
 最大速度:594Km/hr
 航続距離/時間:2,395Km/6.8hr
 武装:20mm銃×4
 爆弾:250Kg×2又は60Kg×2
上の写真は「紫電改」の模型の各部名称が記された説明パネル

上の写真は「紫電改」の操縦室

上の写真は展示室のフロアプラン
歴史を解説するフロアは撮影禁止で写真はありませんが。
映像で鶉野飛行場の建設過程やここで養成され特攻隊として出撃し犠牲となった若者達
の映像などが映し出されていました。又、特攻隊員の遺品の展示もありました。





上の5枚の写真は「紫電改」の模型の制作過程を説明したパネル

上の写真は「紫電」と「紫電改」と加西市
上の写真は長年、鶉野飛行場ぼ調査や資料収集を行われてきた上谷昭夫さんの紹介パネル。
上の写真は戦後の鶉野飛行場の歴史が書かれたパネル
上の写真は展示が行われている主屋の建物

サンテレビが「soraかさい」について紹介されておりGooで共有させていただきました。
【特集】鶉野飛行場跡地が平和学習施設に #紫電改 #戦闘機 #サンテレビニュース

鶉野フィールドミュージアム
soraかさいに「鶉野フィールドミュージアム」と書かれた案内パネルがあります(下の写真)


上記案内の番号に沿って訪れた場所の写真紹介をしていきます・

1.鶉野平和祈念の碑苑
鶉野飛行場は飛行士養成のため昭和18年(1943)に建設。戦況が悪化してから
神風特攻攻撃隊「白鷺隊」が編成され鹿児島県の串良 基地を経て沖縄方面に出撃した。
63人の貴重な若者が命を落としました。
上述特攻隊員を悼む為、例年「鶉野平和祈念祭」が行われています。
2022年は10月8日「第24回鶉野平和祈念祭」が鶉野平和祈念の碑の前で行われました。


上の写真の左側の碑文の内容は以下のとおりです。

美しく空に果てたり鶉野の 雲夕焼けて永くたゆとう
神風特別攻撃隊白鷺隊記
神風特別攻撃隊白鷺隊は、姫路海軍航空隊員より編成され、この地鶉野飛行場において日夜訓練を重ねた。隊長 後藤 清大尉以下六十三名は、その保有する艦上攻撃機二十一機をもって、昭和二十年四月六日より五回にわたり鹿児島県串良基地より出撃し、沖縄周辺の米軍艦艇に対し飛行機もろとも体当り攻撃をくわえ、壮烈な戦死を遂げた。
戦いは遂に国土防衛戦に入り、膨大なる物量を誇る米軍の来襲に、わが沖縄守備隊の戦力では如何ともしがたく、菊水作戦が発動され航空機による特別攻撃隊の投入となり、海空による総攻撃が開始されたのである。姫路空白鷺隊も決然としてこれに加わった。隊員たちは出撃にさいし遥か故郷の愛する家族らに別れをつげ、再び還ることなき特攻に若き命を捧げ、武人の努めを全とうしたのである。
今ここ鶉野の地に碑石を建立し、この史実を後世に伝え、謹んで殉国された勇士の御霊をお慰めし、併せてそのご加護により永遠の平和の実現を切に願うものである。
上の写真は右側の碑文を拡大したものです。


上の写真は昭和18年(1943)3月から始まった鶉野飛行場滑走路の建設で使用された
転圧ローラー(鶉野平和祈念の碑苑の近くに展示されています)
上の写真は転圧ローラーの現地説明板

関連サイトへリンク

2.備蓄倉庫

上の写真は備蓄倉庫
 かっての川西航空機の格納庫を模した防災備蓄倉庫です。

3.鶉野飛行場滑走路跡

上の写真は滑走路跡
判り難い写真なので7)の資料の口絵の写真も添付しておきます。
滑走路の仕様は1,200m×60m
もう1本滑走路があったその仕様は1,200m×20m

上の写真は資料1)、2)のPage26-27で記載の基地の施設詳細

4.巨大防空壕跡(自力発電所跡)


上の2枚の写真は巨大防空壕跡(自力発電所跡)の外観と現地説明板

5.対空機銃座跡



上の3枚の写真は対空機銃座跡と現地説明板
攻撃してくる飛行機を迎え撃つための機銃は1分間に230発の弾を5,000mまで発射できたそうです。

6.門柱・衛兵詰所跡

姫路海軍航空隊への入口として門柱、衛兵詰所、訪問者との面会所がありました。
現在は面会所などをイメージした休憩所やトイレが整備されています。

7.防空壕跡

上の2枚の写真は門柱・衛兵詰所跡のすぐ傍にある防空壕跡と現地説明板

8.爆弾庫跡


上の3枚の写真は爆弾庫と現地説明板


9.北条鉄道 法華口駅
当日は法華口駅に立ち寄らず写真が無いので過去に訪問した時の写真を添付しておきます。
上の写真は北条鉄道、法華口駅の正面 撮影:2016-4-3
訪問記は下記ブログで書いています。

上の写真はホームから撮った法華口駅 撮影:2015-11-29
播州鉄道時代は笠原駅と呼ばれていました。訪問記は下記ブログ。

参照資料
本ブログの記事を書くに当たって参照した資料を記載しておきます。

1)神戸大学大学院人文学研究科地域連携センター 編集「加西・鶉野飛行場跡」--加西市教育委員会--2011.3
2)神戸大学大学院人文学研究科地域連携センター編 --加西市歴史街道ボランティアガイド--2013.3 
 1)と2)の内容は同一です。

3)神戸大学大学院人文学研究科地域連携センター編「鶉野飛行場関係歴史遺産」
--加西市教育委員会--2011.3

4) 上谷昭夫 -- 歴史と神戸 -- 54巻4号(311号) -- 2015.8 鶉野飛行場との出会い
 Page30-36

5)森幸三 -- Ban Cul:播磨が見える -- 84号 --「鶉野飛行場の歴史」2012.6
 Page15-19

6)伊藤為一 播磨郷土研究 17号 「元姫路海軍航空隊鶉野基地のこと」2001.11
 Page22-25

7)加西市 編集委員のエエとこ巡り:鶉野飛行場跡 --往時を偲ぶ戦争遺跡
-- Ban Cul:播磨が見える -- 121号 -- 2021.秋 Page49-52

8)播磨に残る特攻隊飛行場の記録残そう「播磨平和祈念の碑苑保存会」上谷昭夫さんに聞く
-- Ban Cul:播磨が見える -- 84号 -- 2012.6 Page20-23

9)加西・鶉野飛行場跡(旧姫路海軍航空隊基地)を訪ねて
-- Ban Cul:播磨が見える -- 84号 -- 2012.6 Page24-27

10)藤原昭三 姫路海軍航空隊鶉野基地:通称「鶉野飛行場」工事事務所に勤務して
-- 播磨郷土研究 -- 27号 -- 2011.11

11)藤原昭三  姫路海軍航空隊鶉野基地(続):通称「鶉野飛行場」工事事務所退職以後のこと
-- 播磨郷土研究 -- 28号 -- 2013.3





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明石市立文化博物館の企画展「明石の墓と祭祀」が12月4日(日)に閉幕します

2022年11月30日 03時18分26秒 | 神戸市以外の兵庫県
明石市立博物館の企画展「明石の墓と祭祀」が12月4日(日)に閉幕します。


残日数僅かです。未観覧の方に観覧をお奨め致します。
私は11月13日に観覧しました。

11月も本日で終了します。
11月27日~12月1日は日本の七十二候第59候朔風葉を払う(きたかぜこのはをはらう)

北風が吹いて紅葉の木々の葉をあっという間に落とします。
裸になった木々の間から今まで見えなかった空が見えて、冬らしい景色となります。


上の写真は明石市立図書館などが入るパピオス明石の2階掲示板に貼られていたポスター

企画展「明石の墓と祭祀」の基本情報
開催期間:2022年10月29日(土)~2022年12月4日(日) 場所:明石市立文化博物館
開館時間:9:30~18:30(入館は18:00まで) 休館日:月曜日 年末年始(12/29~1/3)
入場料:大人200円 大学・高校生150円 中学生以下は無料

気になった展示内容を若干紹介します。
上の写真は浄蓮寺の埋め墓

上の写真はリーフレット裏面
上の写真は雲晴寺の墓の一つ越前松平家が藩主時代の明石藩家老「織田常壽」の祖母久昌院の墓
久昌院は小泉長久の娘として越前大野で生まれ、津田冨信の妻となり享保17年(1732)に
77歳で明石で亡くなっています。
上の写真は越前松平家の10代、13代、14代当主の3人の正室の副葬品
昭和43年(1968)に長寿院本堂を建て替えるにあたって、元は東側に広がっていた墓を
現在の場所にまとめられた。
その際に、越前松平家の10代、13代、14代当主の3人の正室の副葬品が見つかった。
10代、13代、14代の明石藩主の在位期間は次のとおりです。
10代目城主は松平直純(1743-1764)
13代目城主は松平直周(1786-1816)
14代目城主は松平斉昭(1816-1840)

次回の企画展のリーフレット(表面と裏面)を添付して筆を置きます。
明石ゆかりの橋本関雪や村上暁人などの作品が展示されます。
主催者からの企画展に関するメッセージを引用紹介します。
2022年という2が揃った年にちなんで、「二つ」をテーマに収蔵作品を紹介します。明石ゆかりの作家の作品を中心に、明石藩士の家に伝わった美術品など明石の地にまつわる収蔵作品の中から、二つのモチーフが描き込まれた絵画、2点あわせて1組の作品となる焼き物など、“二つ”の関係性を考えさせるような作品を集めました。作品の美しさとともに、作品に込められた意味や思いを「二つ」という視点からもお楽しみください。




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明石市 魚の棚商店街 「喜楽」でのランチ on 2022-11-25

2022年11月27日 03時35分56秒 | 神戸市以外の兵庫県
2022年11月25日、魚の棚商店街西ゲート入口にある「喜楽」でランチをいただきましたので
写真紹介します。初訪問のお店です。

喜楽の基本情報
住所:明石市本町1丁目3−18  TEL:078-911-2791
営業時間:昼 11:00~14:30 夜 16:30~20:30
定休日:火曜日 カレンダーを見ると水曜日の不定休もあり要注意

Goo地図を添付しておきます。

上の写真は当日いただいた日替わりランチ 700円(税込)
上の写真は日替わりランチの内容が書かれています。
コストパーフォーマンスが最高の選択でした。
天ぷらうどんの具は海老とピーマンで最高でした。
小鉢は大根と挽肉を使ったもので美味しくいただきました。
ボリュームも満点で満腹感を味わいました。

グルメサイトでは「刺身定食」や「たこ定食」が紹介されていました。

上の写真はお店の入口外観
上の写真は蛸(タコ)をPRした店頭の飾りつけ(拡大)



上の3枚の写真は店頭のメニュー表(拡大)

当日は11時の開店より早くお店に到着したので魚の棚の西口から「明淡通り」の食事処を求めて
ジェノバラインの乗降場まで歩きました。
上の写真は明淡通りのお店を示したものです。
朝から開店している「みどり食堂」や「みなと食堂」が気になりました。
割烹料理の「案山子(かがし)」には奥様と一緒に出かけようと思いました。

現地で見つけた明淡通りを中心とした地図も添付しておきます。

明石漁港とジェノバラインの船を添付して筆を置きます。(下の2枚の写真)


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兵庫県立フラワーセンター内 花と緑のレストハウス フレーリでのランチ on 2022-11-18

2022年11月21日 04時43分10秒 | 神戸市以外の兵庫県
2022年11月18日、兵庫県立フラワーセンター内にある花と緑のレストハウス フレーリで
ランチを頂きましたので写真紹介します。初訪問のお店です。
当日は兵庫県立考古博物館の加西分館「古代鏡展示館」で開催中の企画展
「儀礼の器 商周青銅器」を観覧する為、訪問していました。

花と緑のレストハウス フレーリの基本情報
住所:加西市豊倉町飯森1282-1 兵庫県立フラワーセンター内  TEL:0790-47-1369
営業時間:10:00~16:30   食事は11:00~14:00(L.O)
定休日:水曜(3月~GWまでは無休) *フラワーセンターに準じる 
運営:シンエーフーヅ株式会社    英文名:FLEURI

上の写真は当日注文した飯森 1,750円(税込)
店頭の看板には三代目 「こだわりおやじ」の豆腐料理と記載。
豆腐、豆乳、湯葉、豆腐プリンなど豆腐づくしのメニューです。
上の写真は飯森の内容を示したものです。


上の写真はメインの部分を拡大したものです。

上の写真は豆乳プリンのアップ写真です。

上の写真は飯森が掲載されたメニュー表(店頭の看板)



上の3枚の写真はその他のメニュー表です。
上の写真は甘味と飲み物のメニュー表です。



上の写真はフレーリの入口 

上の写真はフレーリの外観です。
上の写真はお店からの光景です。

シンエーフーヅ(株)は金龍閣の他に日本料理系ではたかくら新長田店(2018-5-31閉店)
東京田村 加古川店。
欧風料理ではデルパパさんプラザ店、六甲山牧場の中にシープベル、神戸チーズ、
三木山公園内の旬彩レストラン デルパパ、須磨海浜水族園内の和楽園などを
展開するチェーン店です。
シンエーフーヅの中華料理の店には名谷の他にDuo神戸と西明石に店があります
シンエーフーヅは3年前に50周年を迎えたそうです。

シンエーフーヅ株式会社が運営しているお店への訪問記






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大相撲 11月場所(九州場所)3日目で朝乃山が2連勝

2022年11月15日 17時05分37秒 | 神戸市以外の兵庫県
大相撲九州場所(11月場所)をNHK総合テレビの実況中継を視ていたら、
3日目(11月15日)大関経験者の東幕下4枚目朝乃山が東幕下5枚目の大翔丸
を破り2勝0敗としたとの放送がありました。(下の写真)

出典:11月15日 1ch NHK総合テレビ 16:57頃大相撲中継

取組内容はYoutube 動画をGooで共有させていただきました。


大相撲2022年11月場所 三日目 朝乃山vs大翔丸

初日は先場所、幕下で優勝した大成龍に勝ち白星スタートを切りました。 
Youtube動画をGooで共有させていただきました。(下の動画)
大相撲2022年11月場所 初日 朝乃山vs大成龍  

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