ちあの散歩道

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宮迫千鶴さんの訃報記事に接して

2008年06月21日 | 社会

今朝の新聞で、宮迫千鶴さんの訃報記事に接し、驚きを隠せません。
宮迫さんは私と同世代。60歳での若き死に心よりお悔やみ申し上げます。

宮迫千鶴さんの訃報記事
宮迫さんについて語られている参考記事

私は何度か宮迫さんにお会いしたことがあります。友人のギャラリーで「宮迫千鶴展」や「谷川晃一展」などを行っていたとき、宮迫さんも会場にやってきて、そこでお茶を飲みながらたくさんのお話をしました。今から20年くらい前のことになりますが、その当時から人々がだんだん気付き始めた精神世界のことや、終末医療のことなども話題に上りました。彼女の書く本もそんな話題に裏付けられるようなものが多く出版されていたように思います。取材のために出かけた海外を含めスピリチュアルな場所や、出逢った人たちの話などもバンバン飛び出してほんとに長い時間話しました。
「川越市の病院」で亡くなられたことを知りましたが、その当時帯津先生のことを教えてくれたのも宮迫さんでした。西洋医学だけに依存しない考え方なども宮迫さんの話題の中からたくさん語られたように思います。

宮迫さんは大柄でオシャレな女性でした。ファッションなどにも独特のセンスが光っていました。ある日、女性史論や母性について話していた時、突然足のサイズの話題になりました。宮迫さんはたしか靴のサイズが24・5㌢位でご自分のことを「大足の女」と話しました。今はそれ位のサイズの女性は当たり前になりましたが、私たちの世代ではやはりかなり大きい方で、宮迫さんはその大足がゆえに、いいデザインの靴を探すのも大変で、それに大きいということに対する大足コンプレックスがあるというようなことを話しました。私はすかさず、自分の背丈に似合わない足の小ささ(私は22・5㌢)を嘆き、このサイズの靴も少なく、逆に足が小さいがゆえによく転び、バランスも悪く、小足コンプレックスがあることを伝えると宮迫さんは大きな眼をむきだすように驚きました。「足が小さいことになぜコンプレックスがあるのですか?」と、そんなことを。そこから中国の纏足が男どもに愛された歴史などを語り合い、私に「あなたの前世はもしかしたら中国の纏足の女性だったかも知れませんね」などと大いに話が盛り上がったものでした。
「伊豆高原アートフェステイバル」が始まった当初、宮迫さんが企画した「山川紘矢・亜希子」ご夫妻の講演会にも参加し、そこで聴いた話や買い求めた本との出会いは私の今後に大きな影響を与えました。確か伊豆高原の中にあるお寺の離れでその講演会は行われましたが、竹林に囲まれた戸外から五月の風が注ぎ込み、吹き抜けて行った風のもたらすさわやかさを今も忘れることができません。

昨日は、たまたま会った知人と「母にまつわる母性」について話し合ったとき、宮迫さんが書いた“母のこと”など、宮迫さんの話を上らせたばかりでしたので、ほんとうに驚きました。宮迫さんの魂がお別れにきたのかなと、偶然をそんなふうに思わずにはいられません。
宮迫さんの早過ぎる死を知り、言葉もありませんが、ご冥福をお祈りします。