ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

言葉いろいろ……

2005年11月06日 | Weblog

歩いていたら一本のざくろを見つけた。
花と実とその両方が艶やかな緑の葉を背景に陽射しを浴びて輝いていた。

「石榴は人間の味がする……」って、どこかで聞いたことがあるけれど、太宰治の本の中だったかしら……。違うかなあ……。
太宰も昔ちょっとだけ読んだだけだから、本当のところはわからない。

最近面白い出来事があった。
敬語、敬称、そしてその反対の謙譲語、蔑称……など、言葉には色々の用途が本来の言葉の陰に隠されているなと思うことがときどきある。
例えば、敬称のつもりで使った言葉でも、それがほんとに適切に使われていなければ、それは逆に蔑称にも変化しかねない怖さがあるということ。

このごろやたらに「先生」という言葉が多く出回っているけれど、わたしはできるだけ、直接自分が教えを乞う場合を除いては、「さん」づけで先様のことを呼びたいなと思う。
ある大きな会社では、特別の場合を除いては社員同士では役職で呼ばずに、名前にさんづけで呼んでいる。社長のこともさんづけである。こういうことを知って行くと、会社の中身は良く知らなくても、こんな事例ひとつをとっても、開かれたいい会社だなあと思ってしまう。

また、ある場面で「女史」という言葉を使ったとしよう。
例えば今話題の猪口邦子さんに使うのはまあ彼女の過去の実績からそれはそれでふさわしいことと納得がいくけれど、これが小池百合子さんに使ったら、少ししっくり来ない……、とこんな具合に受け取る側はとても微妙に変化する。(議員になった猪口さんにはまた少し違和感が残るけれど……)
ましてや、フツウの女性に女史という言葉を使ったら、使われた人はそれは恥ずかしくて震え上がるに違いない。本来の敬称が、揶揄される蔑称へと変化して行くに違いないことをフツウの人は知っているから。

人を呼ぶときに、何でもかでも「先生」を連呼する人がいるけれど、確かに無難な敬称にはちがいないけれど、やはり、注意しないといけないなと思う。
まあ、反面、先生と呼ばれて喜ぶ人もいっぱいいるには違いないけれど……。

手作りタウン情報紙・ちあ http://www.cheer-news.jp/