上野晴子著「キジバトの記」を読み終えて、一冊の本をきっかけに広がって行った世界を楽しんでいます。
「キジバトの記」のことは、おぼろげに知っていましたが手にとってぜひ読んでみたいと思うまでにはずいぶん時間がかかりました。
上野晴子さんは、上野英信さんの妻です。上野英信さんは松下竜一さんが生涯師と決めたふたりのうちの一人で、松下さんのもう一人の師は前田俊彦さんです。この4人はすでに鬼籍の人でもあります。
私は、今年5月に発刊された「闇こそ砦 上野英信の軌跡」(川原一之著)を知人に勧められ、読んでみると今までほとんど知ることのなかった上野英信さんの概要がつかめたような気がしました。生い立ちから思想などまでが丁寧に網羅されていて読みやすくよい本でした。それに著者の川原さんのものを書く人のひたむきさに触れることも出来て読みながら感動をたびたび得ることができました。そしてこの「闇こそ砦」を読んでいく中でどうしても英信さんの妻晴子さんのことが知りたくなり、「キジバトの記」を古本で取り寄せました。
晴子さんは、夫の英信さんに「書く」ことを封印され続け、夫が亡くなったあとにこの本は世に出されたのです。
立派だったけれど、家庭の中ではワンマンで亭主関白を彷彿とさせる英信さんを支えながらの葛藤が随所に読み取れますが、なお晴子さんは英信さんを愛し続けていたことが伝わってくる本です。
「女性を『奉仕する者』としてあくまで男性の下位に置くことは、彼にとっては思想というよりも『好み』の問題であった。それゆえに尚度しがたいのである。」
「彼は私を自分の好む鋳型に嵌めこもうとして、私が内面に保ってきたもののすべてを否定することから始めた」
「いま思い返してもあれは教育ではなく調教である」と、晴子さんは、夫英信さんのもとで、「私は精神の纏足状態であった」と書きながら、「私が生き延びてこられたのは、どんなときにも彼の仕事に対する信頼と敬意が薄れなかったことと、いつのまにか私が複眼を備えて、ものごとを多層的に見るすべを身につけたためではないかと思う」と、あり、英信さんへの思いの深さもつづられています。
落ち着いた品位のある文体と、淡々とした語り口ながら、ハッと光る個性的で的の絞られた言葉が織り込まれていて、私はこの「キジバトの記」が大好きな本の一冊になりました。
小さな雨嵐の朝です。
知人に借りていた森崎和江の「大人の童話・死の話」を読み終わり、同じ本を古本屋に頼みました。森崎さんの紡ぐ言葉の世界に魅せられました。
「闇こそ砦(上野英信の軌跡)」(川原一之著・大月書房)は、面白かった!ここから英信さんの妻晴子さんの「キジバトの記」も買って読むことにしました。
一冊の本を手にすることによって広がって行く未知の世界。
ひとりの人と出会うことによってそこから紡ぎ出される人生に触れ、さらに新たな人やモノにつながって行く広がりの世界の中での、人がモノに介在し、モノが人に絡んで入り混じる愉悦は魅惑に満ちています。そこに介在するひとつが本です。
雨の日は、読書促進効果が一段と高まります。
6月8日に大分県中津市で行われた「第4回竜一忌」は、作家の故松下竜一氏を偲ぶ集いです。
松下さんが亡くなって4年になり、私は第1回から欠かさず参加しているひとりです。
今年の竜一忌に集った様々な個性あふれる人生を歩いている方たちと交流を持ちましたが、「ゴミにまみれて」の著者、坂本信一さんもその一人でした。
坂本さんは松下さんに勧められて松下さん主宰の「草の根通信」に1990年8月から93年2月までゴミ収集現場で働きながらゴミにまつわる様々なことを書き続けましたが、それが94年一冊の本にまとめられ、径書房から発刊されました(写真)。
その著者である坂本さんに会ったとき、坂本さんは私に一枚の私製の名刺を差し出され、「私はゴミ収集車に乗っているゴミ収集人です」と自己紹介されました。
「今は自分の手元にも『ゴミにまみれて』は1冊しか持ち合わせがありません」ということでしたので、私は帰るとさっそくネットで古書検索をし、この本を手に入れることができました。
今から14年前に書かれた本にも関わらず、書かれている内容は今も古さを全く感じさせない視点で内容が充実していてその素晴らしさに驚きました。それだけゴミ問題が深刻化しているということでもあるのでしょうが。
この本には「清掃作業員青春苦悩編」とサブタイトルが付けられていますが、大学を出て映画監督を目指していた坂本さんが、ゴミ収集車に乗ることになったいきさつなども赤裸々に記されています。そればかりか、使い捨て文化風土の蔓延する現代のゴミ事情などに真っ直ぐな筆致でストレートに斬り込んでいます。文章も素敵で、私は坂本さんに出会うことができ、この本を知ることが出来て本当に感動しました。
坂本さんは今もゴミ収集車に乗っていますが、モノを大切にしない棄てることに慣れきってしまっている現代人の暮らし方を本の中で憂いていますし、棄てる側のマナーの悪さなどにも批判の目を向けています。現場に携わっていないと見えない側面にも迫っています。
この本の中には私たちが気付かなければいけないいくつものメッセージが込められています。
坂本さんは著書の中でこのように述べています(当時)。
「自分の出したゴミがどうなっているのか。この国の多くの自治体は、自区内に処分場(ゴミ焼却灰の捨て場)を持っていないのが悲しい現実です。自分達のゴミを、よそ様の土地へ押しつけている現実を、皆知るべきです。叔父が誇りにしている土地、信州こと長野県には、山間部を中心に、他県の処分場や産業廃棄物処分場の建設が多く計画されています。訪れた中国には、世界各国の処理困難廃棄物(化学、核廃棄物等)が集まってきているのです。」
出版から15年を経ていますが、ゴミに関する問題は一向に解決していないようにも思えます。増え続けるゴミの問題を、ゴミを出す側の意識改革にまで及んでいるところにもこの本の素晴らしさが伺えます。
今も清掃作業員を続けている坂本さん。私はこの「ゴミにまみれて」の続編をぜひ読んでみたいと思いますし、坂本さんの最近の近況、心境なども訊いてみたいなと思いました。
(表表紙と裏表紙を一枚にコピーしました)
小冊子が誕生しました。
本の名前は「月光價千金」vol.01若葉薫る号2008(創刊号)
発行は「ムーンライトブックストア」・定価300円です。
「ムーンライトブックストア」は西千葉に昨年できた古本屋さんの名前です。
ここで行われた「満月イベント」にパフォーマー黒田オサム氏を迎えて「人間トークライブ」が行われました。
そのときの私の黒田さんとの対談を聞き書きとしてこの冊子の中に収めていただきました。
まとめたものは約7000文字あり、36ページ中6ページを割いて掲載していただいたことに感謝します。発行人の村井さん、ありがとうございます。
「月光價千金」には「『本があれば生きていける』のかな」の対談や、「書評&エッセイ」や「ぼくとわたしのベスト3」「街歩き」などが織り込まれ、編集者酒田壱平さんのこだわりが随所に見られるお洒落な本です。表紙絵やイラストも素敵です。
次号は「夏雲笑う号」の予定で刊行は7月頃だそうです。季刊誌として根付き、育っていくことを夢見ています。
冊子希望の方は、「ムーンライトブックストア」までお問い合わせ下さい。
ムーンライトブックストア:千葉市中央区松波2-19-11
電話043‐287‐0526
最近、何をしてもどこに行ってもだれと会っても思うことは、私自身がほんとにものを知らないということです。これはかなり深刻です。
周りの方がみなさん立派に見えて、実際立派なのですからどうしようもありません。
そんな私の悩みや葛藤はさておき、友人を訪ねました。
本好きな友人から教わることもいっぱいあって、楽しい時間が過ぎました。
本好きなだけあって、私にとっては希少な本や珍しい本もいっぱいあって、今日は「絵本 桜の森の満開の下」(坂口安吾 絵福田庄助/審美社版)を借りて帰りました。墨絵の美しい絵と安吾の文が楽しみです。
友人は、本当は恋愛小説が大好きだとかで、それは自分が恋愛が出来ないのでせめて本の中で恋愛を楽しみたいということからだそうです。「今は『小池真理子』を読んでいるけれど、今読んでいるものはつまらなくて読むのを止めようかと思う」と話していました。
私がいま読んでいる文庫本は「佐高信の筆刀直評」(徳間文庫)ですが、この中にも佐高さん自身が「ジャンクブック」と挙げている本がたくさん出てきます。ジャンクブックと思えるものがベストセラーのように売れたりする事実もあることからほんとに世の中は理不尽ですね。
友人は恋愛小説が好きだと言いながら、ネットの古本屋で買ったという「山田風太郎人生臨終図鑑」が国内外の著名人の臨終を迎えた年代別に3冊あり、それが揃っていて面白そうでした。いわく「平凡な人生だから人様の人生を覗いてみたい」そうで、だから本を読む楽しみも倍加されるのですね!!
共通の話題であり悩みは、「読んでもすぐ忘れるし、なかなか新しいことを覚えられない」でした。それでも読む楽しみがあり、読み続ける喜びがある読書は欠くことのできない趣味のひとつです。
図書館で本を探していてふと目に飛び込んで来たのが佐藤愛子著「私の遺言」(新潮社)でした。ずいぶん前に氏の「こんなふうに死にたい」(新潮社文庫)を読んでいた私は迷わず借りることにしました。
「こんなふうに死にたい」は15年くらい前、本屋で本を探していて目に飛び込んできたもので、「佐藤愛子さんはいったいどんなふうに死にたいと思っているのかしら」と中身を確かめもせずに買い求めました。「こんなふうに死にたい」は私の想像していた内容とは大違いでした。内容は「Amazon」によると下記のように紹介されています。
内容(「BOOK」データベースより)「Amazon」
――「北海道の別荘で聞いた、屋根の上の不思議な足音―。それは霊から私への最初のメッセージだった。以来、頻繁に届けられるメッセージ、死者が投げかける合図の意味を探り、私は死後の世界や祖先のこと、やがて訪れる自らの死へと思いを深めていく。こんなふうに死にたいと考えることは、より素晴らしい生を望むこと。いまだ科学では計れない霊体験をあるがままに綴ったエッセイ。 」――
北海道の書斎を兼ねた佐藤愛子さんの別荘で繰り広げられる霊との闘いはすさまじく、三輪明宏さんのアドバイスを仰ぎながら“霊退治”のために、部屋中に塩を撒き散らすあたりはまるで落語の世界のようでもあり、驚きながら読んだ記憶があります。
そして今度は「私の遺言」です。
内容(「BOOK」データベースより)「Amazon」
――「北海道に山荘を建てたときからそれは始まった。屋根の上の足音、ラップ音、家具の移動をともなう様々な超常現象、激しい頭痛。私はあらゆる霊能者に相談してその原因を探った。そうせずにはいられなかった。やがてわかった佐藤家の先祖とアイヌとの因縁。霊界の実相を正しく伝えることが私に与えられた使命だったのか。浄化のための30年に及ぶ苛烈な戦いを記した渾身のメッセージ。」――
「私の遺言」は2002年に発行されていますからそんなに古い本ではありません。
私が何より面白かったのは、この本に故人も含め佐藤さんとかかわりのあるたくさんの霊能者や医師の名前が出てくることです。霊能者の名前を辿ることと、私たちの住む3次元世界から上の4次元、5次元、6次元、7次元に住む人々のことも少し触れられていて、今まであまりよく理解できなかったことが「ああ、そうなのか」と少しわかりかけたことも読書のスピードを上げました。
それにしても、“霊障”というものがもしあるとしたら、というよりも佐藤愛子の“霊障体験記”ともいえるこの本を読んでいると、いただいたいのちを真っ当に生き切ることの大切さが読み終わる頃には自然にわかってくるから不思議ですね。
「作家・佐藤愛子」が書いている分だけ、なにやらすごい説得力があって面白い本でした。
そして、これらの本が目に飛び込み、私のオーラが引き寄せている現象についても何だか興味深く意味深なことだと思いながら、その意味を探ったりもしていますが。
テーマに添って行われた座談会の後、持ち寄ったつまみを肴にお酒やワインを飲み、たくさん語り合いました。
この会の素晴らしさは、世代を超えた参加者6名とこの会の主催者であるファシリテーターがまんべんなく語り、初対面の人がほとんどだったにも関わらず話題の中にたくさんの好きな作家や好きな本の共通項を見出しそこからまた本にまつわる闊達な意見交換ができたことです。
話を聴くときにはきっちりと聴き、しゃべるべきときにはきちんとしゃべるという一見当たり前のようでありながらなかなか出来にくいことができ、それは偏ることなく参加者ひとりひとりの発言や参加する姿勢にも顕れていてとても楽しい会となったことです。
今日は、いつになく朝から忙しくハードな一日でしたが、家に帰ってみるとうれしい便りも届いていて、人とつながることの喜びをかみしめた一日でもありました。

久しぶりに向田邦子を読みました。
向田邦子の本は好きでよく読んだつもりなのに「あ・うん」は読んでいませんでした。
読んだか読まないかは手元にある文庫本をめくって読み始めるまでわからないというのも私の中の向田邦子に共通しているものです。
登場人物は一組の家族(夫・妻・娘・舅)と夫の友人とその妻、そして彼らをとりまく少数な人々といたってシンプルなのに、読み始めたらやめられない面白さがあります。
「あ・うん」はテンポがよくて、ドラマを見ているような錯覚に陥りながらその情景が文字だけで充分理解できるという不思議な小説です。
最初の1ページを読み始めたとたん、さすがだなぁ!凄いなあ!とぐいぐい引き込まれていきました。
向田邦子は“形容詞を使わない作家”と、ずいぶん以前に受けた講座で講師の方が説明していました。その言葉をかみしめながら読むと、たしかにその通りで形容詞の代わりに散りばめられた向田邦子の具象的言葉での表現世界に魅了されていくのが実感できます。
たとえば、できてしまった飲み屋の女に寄りかかられることを「オットセイに寄りかかられるみたい」と書いたり、「主人公仙吉が番頭なら、その友人門倉は偉丈夫で、門倉がつけばステッキだが、仙吉が持つと按摩の杖になった。門倉を花とするなら、仙吉は葉っぱである」とか。
私は昔からあまりテレビは見ないので、向田邦子脚本のテレビドラマもほとんど見たことがないけれど、でも本で読むのも充分面白いなと思いました。
自然の四季の巡りは忠実でこの頃になるとほんとに寒い日が続きますね。しかし、大寒を過ぎれば少しずつ春の兆しも見えてくることでしょう。寒さももう少しの辛抱ですね。
私は暖房費対策のために、日中は暖房をつけずにコートを着て過ごしていますが、しかしこんなことは自慢でもなく、昔の人はほんとに寒さで苦労されたのですね。今の我が家は、蛇口をひねればお湯が出るし、洗濯は洗濯機がやってくれるし……。それに隙間風はまったくなく……。偉そうなことはいえませんね。ひとつ気付いたことは人も環境に適応していくのか、大の寒がりだった私にも寒さの耐性が出来たのではないかと思うほどで驚いています。たまに暖房をつけると暑くて気分が滅入るほどです。
今日は家事をいつもより少し丁寧にしたあとは一日読書をしたり片付けモノをしたり。
先日古本屋で買った「宮本常一が見た日本」(佐野眞一著)を読み始めました。
第1章まで読んでこの本のとりこになりました。宮本常一のプロローグに始まり、宮本の生い立ちや宮本に影響を与えた祖父のことや父のことが書かれています。周防大島という島に生まれた宮本常一。周防大島は相互扶助の精神に富んだ高齢化率日本一の島としても注目を集めているそうです。宮本常一は民俗学者としても知られていますが、渋沢敬三や柳田国男との交流なども書かれていて興味が尽きません。
この本には何か懐かしい香りがします。おじいさんが寝床の中で語ってくれたお伽噺や読み聞かせてくれた本、そして村の鎮守の森の様子など、少し前まではきっとどこにでもあった日本の風景の懐かしさが宮本常一の生い立ちを通して書かれていて心が震えます。
「宮本は市五郎(祖父)から、伝承の世界に相渉る豊かな想像力と、どんな生き物にも魂はあるという信心の心と哀憐の情を、清水が土にしみこむように教わった」とあります。「生きる」ということを風土や生活を通して豊穣に教わる機会などすっかり無くしてしまったような今の殺伐とした社会と反比例するかのようです。
また師である渋沢敬一からも薫陶を受け、それを感受する宮本も偉い人なんだなと思います。
「『大事なことは主流にならぬことだ。傍流でよく状況をみていくことだ。舞台で主役をつとめていると、多くのことを見落としてしまう。その見落とされたもののなかにこそ大切なものがある。それを見つけてゆくことだ。人の喜びを自分も本当に喜べるようになることだ。人がすぐれた仕事をしているとケチをつけるものも多いが、そういうことはどんな場合にもつつしまねばならぬ。また人の邪魔をしてはいけない。自分がその場で必要を認められないときは黙ってしかも人の気にならないようにそこにいることだ』 渋沢が静かに語りかける言葉は、宮本の心に強くしみとおった」とあります。
いくつになっても言葉によって勇気付けられることはたくさんあります。
これからは今までの無知を少しでも補うように読書に精出していきたいなと思います。
“1日に1時間の読書時間を確保する”ことを旨として。
「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」という本のことは知っていましたが読んだことはありませんでした。
そして下の詩を書いた方が「飛鳥へ、

これは旅の途中の確か東尋坊のそばの土産物屋のお手洗いを借りたときに、トイレの中に貼ってあったものです。トイレの中に貼ってあったので思わずカメラに収めました。考えてみると自殺の名所としても知られている東尋坊の中のトイレに貼った方がいるのですね。「ちょっと待って!!」と、そんな思いかも知れません。
悪性腫瘍で大腿部切断をしながら最後まで生きる勇気と優しさを失わず、死の1ヶ月前まで義足で医療活動を続けた井村和清さんが31歳でこの世を去る前に書き残したものだそうです。
あたりまえのことはあたりまえでしかなく、ややもすると目前の不足を口にしがちですが、“あたりまえに在る”ということに思いを致し、あたりまえのことがそれだけで充分に素晴らしいという感謝を忘れてはいけないなと思いました。
ごはんを美味しく食べられること、自分の意思と力で排泄が出来ることも私にとっては大きな感謝のひとつです。
体調の悪かったとき、食欲がまったくわかなかったときも医師は私に言いました。
「点滴をして摂取する栄養よりも自分の口から食べ物を入れることが一番です。キャラメル1個でもいい、缶ジュース一口でもいいから自分の口から摂って下さい。点滴は最後です」と。この医師の言葉の重さが今になってわかります。
今は食べたいときに食べたいモノを自在に食べることのできる有り難さに感謝。食べ過ぎが心配なほどです。
当時、私の隣りのベッドの女性は、腎か膀胱系の病気で自己排尿が出来ずに入院していました。薬を使って少しずつ尿が出せるようになったとき、毎日自己排尿△△ccと記録しその量に一喜一憂していました。一見どこも悪そうに見えなかった当時の彼女の喜びはひたすら自己排尿と直結していました。自己排尿出来なかった分は管による導尿で出していました。排泄が自然にできることをあたりまえのように思っていた私はとても驚きました。
そんな経験を通して、五体満足でいま現在健康でいることの出来る私は大きな喜びと感謝を感じています。そして行きたいところに自分の足で軽やかに歩いて行けるなんてこんなハッピーなことはありません。
五体満足ならぬ「五体不満足」の著者乙武洋匡さんがパパになったことが今日のニュースで報じられていました。☆おめでとうございます!☆
サリドマイド児で生まれた我が子と対面したとき、乙武さんのお母さんは周りの心配をよそに我が子に向かって「まあ、なんて可愛い赤ちゃん!」と声を発したそうです。
乙武さんの坊やも物心ついたとききっと「なんてステキなぼくのパパ!!」と乙武パパに向かって叫ぶでしょうね。成長が楽しみです。