goo blog サービス終了のお知らせ 

ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

和装本/こうき綴じのワークショップ

2007年11月24日 | 本など
 
以前から興味のあった「和装本/こうき綴じ」のワークショップに参加しました。
2時間半で、このワークをしました。
こうき綴じの綴じ方と布製の表紙仕立ての体験をしました。
定員が5名で、ずいぶん以前に申し込みをしました。
広くはないショップ&工房の一角を使っての体験ワークでしたが、手仕事に興味のある私にはとても楽しい時間でした。
作業そのものは、そんなに難しいとは思いませんでしたが、プロが使う道具と紙質や用途(古文書など)によって使う糊が違い、この糊の調合と練り方など奥技があるのだなあと思いましたし、一見簡単そうに見える手技もここから先が奥深く素人とプロの歴然たる違いがあることも何だか納得できたように思います。
綴じる作業ももちろんホッチキスなどは使わず、こよりをよって使うなど、ああ、なるほどと思うことが随所にあり、とても興味津々でワクワクした2時間半でした。

私をこのワークショップへ誘ってくれたのは友人にもらった一冊の本でした。
「かみさま」(大平一枝著・ポプラ社)です。

―紙は、けなげに生きている。名刺、葉書、便箋、包装紙、切手、おみくじ…etc.
人のそばに、ひっそりと居る紙きれの数々。
書いて、ちぎって、折りたたんで。
ペーパーアイテムの世界へご案内します。―
と、本の帯に。美しい写真入の美しい本です。

伊東屋に紙を買いに立ち寄ったとき、自分の大好きな布を使って作るこれらの“ノートブック”にとても興味が沸き、巡り巡って「かみさま」の本にも出逢い……といった感じで辿り着きました。
少しずつ進んでいる『革』教室での革素材とのコラボレーションも夢ではありません。先は長そうですけれど。
今回も私は初回の参加者でしたが、革教室のおかげで、綴じ方や糊の使い方など、種類や技法は違ってもいくつもの共通項があることを知り、それを手わざで生かすことができてうれしかったです。

(写真は私の第1作です。「めがね」のパンフレットを背景にしました。この「めがね」のパンフレットも映画のパンフレットとしてはとても斬新なデザインでさすがと思い大切にしています)


小屋に魅せられて

2007年11月11日 | 本など

写真集「こやたちのひとりごと」(谷川俊太郎/文 中里和人/写真)には、小屋の美しい写真が載っています。
そしてその写真に谷川俊太郎さんの短い詩が添えられています。
大らかで伸びやかでカラフルで継ぎ接ぎだらけの小さな小さな小屋の写真は立派な存在感に溢れていてどれもステキです。
眺めていると小屋はまるでアーチストの手による芸術作品のようにも見えます。
振り向かれることの少ない小屋に中里さんがスポットをあて、美しい1冊の写真集になって、小屋たちもきっと「エヘン、どうだい」と胸を張っているように思えます。

私は暇があるとこの「こやたちのひとりごと」のページをめくってうっとりと眺め、不思議と晴れやかな気分になります。

「月山」を読み終えて

2007年11月09日 | 本など


森敦著「月山」(昭和52年刊・写真)を読み終えました。
出羽三山の霊山の一つ「月山」は興味の深い場所です。
この本を古本屋で手にしたとき、その装丁の雰囲気といい、店主の方の「森敦が昭和48年に61歳で芥川賞をとったときの作品です」と補足されたこともあり、古びたこの本を読んでみたいなあと思ったことが読み始めるきっかけでした。(今は文庫本でも買えます)

5年位前、私は「黒川能」を観るためのツアー客として、出羽三山の中の羽黒山、湯殿山を訪れたことがあります。ツアーでの駆け足旅行とはいえ、とても印象深い旅で、湯殿山神社では「湯殿山の御神体は語るべからず」と言われ、写真撮影も禁止され、望む山々には法律の壁にも挟まれて、発掘の出来ない修験者の即身仏がまだあちこちに埋められていると聞きました。昼食のために訪れた宿坊には即身仏のミイラが祀られている場面にも出くわし、いつかゆっくりこの地を再び訪れたいと切望したものです。



(上記の写真は、羽黒山神社を下ったところにある「爺杉」にもたれて)

もう一度と願いながら、再び訪れることのなかった場所出羽三山のひとつ、「月山」と書かれた本を目にしたとき、迷わずそれを買い求めました。
家に持ち帰り、暇々にゆっくりゆっくり読み進み、今日読み終えました。

出羽の霊山・月山の山ふところにある破れ寺「注連寺」に、ひとりの男がたどりつくところから物語が始まります。
男はこの寺で一冬を越し、終盤は、異界の世界から現世に徐々に引き戻されていく動きが匂い立つように綴られています。
ひとりの男が月山のふもとにある注連寺という寺に居候して静かに静かに凡々と訥々と暮らして冬を越し、僻村で冬の間に繰り広げられる“貧しく、土着に満ちた幽玄な世界”をいぶかしみつつ村人に添いながら一冬を終え、やがて木々の静かな芽吹きが始まり、寺を去るところで物語は終わります。

古本屋のご主人に、「若い頃この本に出会っていたら、きっと退屈して最後まで読むことが出来ずに途中で投げ出していたかも知れませんね」と話したら、「私は若い頃に読みましたので、ちんぷんかんぷんでよく覚えていませんが、しかし、いい本でしょう?」と、同意を求められました。
久々にいい本にめぐり合えたうれしさに浸っています。

「……やがて、境内の雪も解けはじめ、いたるところ小流れになって、ばんけ(蕗の花)が点点と黄を散らすとみているうちに、の萱屋根のおおう木々がいっせいに花を咲かせて来ました。それがまたを透かした花のかすみを見るように美しく、この世のものとも思われないのです。……」(「月山」本文より)

静寂な物語の中で、男に語りかける村人たちの方言の奥深さと共に、しみじみと心に沁み込む森敦の言葉の世界の美しさにも惹きこまれました。



 


「女性の品格」

2007年03月29日 | 本など

2~3日前、新聞広告面で見た「女性の品格」(PHP新書・756円 坂東眞理子著)の本の紹介欄。
「強く、優しく、美しい女性になるための66の法則」と紹介文が載り、「装いから生き方まで」とサブタイトルが付けられているのも広告欄から知ることができます。

わたしは、まだこの本を手にとってもいませんし、ましてや読んだわけでもありませんが、「上品な女性とは……」と羅列された広告欄の言葉を読んで、ほんとうにその通りと深く頷いた次第です。

ここにそれを挙げてみたいと思います。
「礼状が書ける」「約束をきちんと守る」「型どおりの挨拶ができる」「長い人間関係を大切にする」「流行に飛びつかない」「姿勢を正しく保つ」「贅肉をつけない」「花の名前を知っている」「思い出の品を大切にする」「無料のものをもらわない」「得意料理をもつ」「人に擦り寄らない」「愛されるより愛する女性になる」「プライバシーを詮索しない」「よいことは隠れてする」「恋はすぐに打ち明けない」「品格ある男性を育てる」

本当にその通りだと思いつつ、いくつかの言葉にドキリとし、我が身を振り返ります。なるほど、なるほどと、この列挙された言葉を読むだけで深く確信するいくつかの思いがあります。

「無料のものをもらわない」で、思わず思い出した数年前の出来事が甦りました。
京都に旅行したとき、大阪に住む友人とその友人の知り合いの数人の女性と京都の花背に行きました。集まったのは10人位でわたしが京都に行きたいと友人に伝えたとき友人が自分の仲間を集って10人のグループを作り、花背の小さな宿を貸し切ることが出来ました。。
それまで、わたしはわたしの思いを汲み、その旅の企画の中心人物となってくれた友人を仕事上でもプライベートでもとても尊敬していましたが、ある出来事があって、一気にその思いが沈んでしまったことを鮮明に覚えています。

忘れもしない京都のある地下鉄の駅を降りて地上に出たときのことです。
階段の出入り口にポケットティッシュがたくさん入ったかごが無造作に置かれていました。朝早かったこともあり、配る人がおそらくかごだけを置いて何かの用足しをしているといった感じの置き方でした。
それを目敏く見つけた友人は、「あらぁ!!こんなところにティッシュが置かれているワ!!みんな、もらいましょうよ!!」と声をかけ、数人の女性がわしづかみするようにそのティッシュを自分のバックに仕舞いこみました。
わたしは、驚いてそれを見詰め、以来旅の道中だんだん不機嫌になって行ったことを思い出します。
友人はいつもエネルギッシュに仕事をこなし、以前わたしも関わり、友人も関わっていたある化粧品の代理店業務の中で、友人は全国に数いる代理店を尻目にいつもナンバーワンの売り上げをキープし、日本一に輝く成績を競う表彰台に山のように上った人でした。
千葉と大阪と離れていたせいか、わたしは友人を遠くから憧れも含めて眺めていましたので本当にその「ティッシュ事件」は衝撃でした。まさに「おばさん行動」そのものの友人を間近に見て、観察すればするほどそれが顕著に目に付き、以来だんだんと疎遠になっていきました。

「無料のものをもらわない」……まさに名言です。例えもらうにしても、今必要な最少の単位にする、今必要ないならもらわない、わたしもそれは自分に言い聞かせ実行しているつもりです。
たとえ無料で配られるティッシュにしても同じです。

他にも本当にその通りと思ういくつかの言葉を見つめています。
「よいことは隠れてする」……、これを倦まずたゆまずさりげなく実行しているわたしの親しい友人夫婦は、わたしの自慢の人たちです。

さて、この見出しを読んで「女性の品格」を読んだ気分になってしまったわたし。この本を買うべきか買わざるべきか迷っています。

五木寛之著 「林住期」(幻冬舎)を読みました。

2007年02月23日 | 本など

昨日、本屋さんで本を探していたら五木寛之さんの「林住期」(幻冬舎)が平積みになっていました。
買う気はなかったけれど、本屋さんの中に併設されているブックカフェに持ち込んで、「豆乳カフェオレ」を飲みつつページをめくりながら読み進みましたが、時間がなくてすべてを読むことが出来ずに続きが読みたくて買って帰りました。
奥付を見たら、何と「平成19年2月22日 第一刷」とありました。第一刷の発行日にめぐり合うなんてきっと何か意味があるのかもしれないと買い求め、いそいそと読み、昨日今日で読み終わりました。

先日の新聞で「意味ある偶然」……シンクロニシティについて壇ふみさんがコラムを書いていてそれにもとてもわたしは共鳴していたし、それが「文芸春秋」1月号の「新ガン50人の勇気」で柳田邦男さんが書いていたことにまつわることでもあったのでわたしの場合も何か同じ共時性を持っているような不思議な気分になりました。

今回の場合もそうです。
五木寛之さんの捉える「林住期」と「林住期をどう生きるか」は心が空くような解放感がありぐいぐい引き込まれました。

「現代人の『林住期』は、50歳から始まるのだ。そして私たちは75歳まではその中に生きる……『林住期』を人生の黄金期と決意することから、新しい日々が始まるのだと私は今つよく思う。そのことについて書いてみよう」と始まり、わたしの関心の深い呼吸法のこと(息の吐き方や吸い方)や臍下丹田の捉え方についてもさらりと書かれていて、最後の章は「歩き続けるブッダ」に触れ終わっています。

2005年12月31日のこのブログでわたしは瀬戸内寂聴著「釈迦」(新潮文庫)の中の一節を書きました。

「『あらゆる生きとし生けるものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、子女を欲すなかれ、況んや朋友をや、犀の角のようにただ独り歩め』。弟子に説く世尊(ブッダ)の言葉」と。

もともと依存性のつよいわたしはこのときブッダの言葉である「犀の角のようにただ独り歩め」に感涙し、決意し、今もその思いは変わっていません。
迎え来た自分の「林住期」は言い換えれば孤独との闘いの始まりかもしれませんが、人は生まれてくるときも独り、死に行くときも独りの観点に立って、これからは極力“群れること”を避け続けてわがままに生きたいとも思います。
先日「自立」とともに「自律」も大切と誰かが語っていましたがほんとうにその通りだと思います。
そして、今までにたくさんの愛情でわたしを支え導いて下さった方々への思いを抱きながら自分が出来るささやかなことを探し、やり続けて進みたいと思います。
それは、細い細い雑草の一本のように頼りないものに違いなく自己の存在さえ気付かれることのない小さな世界だと思いますし、襲い来る煩悩に苦しむ日々かもしれませんが、闘う相手は基本的に自分だけと捉え、願わくば心地よく生きたいなと思います。

難しい本を読むことも大切ですが、難しいことを解りやすくさらりと書かれた本を読むことは一層大切なように思います。
わたしの中では「林住期」は、「気の発見」に続く五木ワールドですが、この本に出合えたことを純粋にうれしいなと思います。



言葉から~ “心の中にあるまっ白なものを汚さない”

2007年01月17日 | 本など

銀座にオフィスを構える室井忠道さんに会った。
わたしが「ちあ」を休刊しますという寒中見舞いを送ったら、すぐに室井さんからお電話をいただいた。
「非常に残念ですが、これからも長いおつきあいをと思っています」という伝言が留守電に残されていた。

そして今日、午後3時から国連大学で行われる「ルワンダの涙」の記者発表にjanjanからの案内で参加することになっていたので、その前に室井さんのオフィスを訪ねる約束をして会った。
お昼をごちそうになりながら、短い時間ながら室井さんの「室井哲学」に耳を傾けた。

「『社長と副社長の距離は、副社長と守衛の距離よりも遠い』と言った人がいたけれど、わたしはこの言葉の意味はよくわかりますねぇ。それくらい自分で物事をやって行くと言うのは大変なんだよね。」と、わたしの今まで細々とではあるがやってきたことを労って下さった。

室井さんが昨年出した本「金が人と街を駆け抜けた 金融業界一匹狼の足跡」(現代書簡・1800円)が銀座の大通りにある「教文館」で9月・10月とベスト7に入ったことが「銀座百点」にも載り、その出版の様子や、その本の中に出てくる相場師・吉田虎禅や三島由紀夫と行動を共にした森田必勝、水原弘や石井よしこ、澤田駿吾なども室井さんとの関わりの中で登場する人物のことにも話が及んだ。
「映画評論」の経営者でもあった室井さんが「映画評論」をやめた理由など、そしてその後のいきさつなども室井さんはたくさん話して下さった。

室井さんは長年銀座を拠点に金融業に携わって来て、それが室井さんの著書「借金中毒列島」(岩波アクティブ新書)「金と共に去りぬ」(映像社)の著作にもつながったが、室井さんはどんなときにも「自分の心の中に真っ白なものがあるはずだ。その真っ白なものを絶対に汚さない」という決意の基に、厚くて大きな壁(仕事&経済)を作ることを自らに課したと話した。

「汚れたものは洗っても落ちないでしょ。おぎゃあと生まれたときに何かを持たせてもらった一点、それを汚さない。それは誇りであり、真心であり、信頼ですね。」と室井さんはわたしに語ってくれた。
ハートに触れるものでお互いを触発できるとしたらこんなハッピーな関わりはないと室井さんと話していて強く思った。室井さんはすごいロマンチストでもある。

編集者が室井さんのことを書いたページは
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/active/lineup/spec090.html など。
室井さんのホームページ
http://www.t-muroi.jp/

「金が人と街を駆け抜けた」は、昭和の時代を生きた人には文句なしに面白い本だと思う。