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ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

写真集「名もなき日々」 & 私の中の“繕う日々”

2009年08月17日 | 本など
頼んでいた写真集が届きました。

「名もなき日々」(ポプラ社:岩間史朗/写真・文)
帯には「たいせつなものはここにある 1975年、笑顔のアフガニスタン」とあります。



2007年に発行されたものですが、カメラマンの岩間さんが1975年8月から9月にアフガニスタンを旅したときの32枚の写真が収められています。当時岩間さんは20代後半、アフガニスタンはそのときは静かで平和な国だったことが伺えます。
岩間さんはこの中の写真のことを文中で、次のように書いています。

「そこには笑顔があり、貧しくても仲のよい家族がいた。何にでも興味を示し目をきらきれさせている子どもがいた。人間が速く歩けと急かしても焦る気配のない驢馬の歩みがあった。生きている手ごたえが、どの写真にもうつっていた」と書いています。

むき出しの土肌の景色の中で生きる貧しい人々が纏っている衣類にも、私は何かしら強いメッセージ性を感じました。そもそも衣類とは、纏うとはこういうことではなかったのかしらと。
豊かではないけれど、つつましく意思を持った面持ちの人たちが村の風景とともに写真集にはモノクロの姿で切り取られています。

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先日のワークショップで、寝袋を畳む時に針穴のような穴をいくつもあけてしまった私。
登山専門店に行き、「寝袋用ナイロンリペアテープ」を買い求め、10円玉の大きさの円い補正布を10数個作って穴の補修をしました。
繕っている時の気分はとても爽快で、これでまた寝袋が役に立ってくれると思うとうれしくなりました。
母の時代、繕いものをしていると、訪ねてきた近所のおばさんが「洗濯ですか?」と訊いたものです。
洗濯という言葉は、洗い物をするだけでなく繕い物などをするときにも広範に用いられたのですね。

一日に一回は何かしら繕いものをしている最近の私。ときどき心の洗濯もいっしょにしているような気分になります。
自分の心も日々修繕するように、繕うという作業は、人をとても落ち着かせるものなのかも知れません。

「名もなき日々」のこの一瞬を大切に生きる。
1979年のソ連侵攻をきっかけに、今も混乱状態にあるアフガニスタンの国と人びと。
「毎日の、この場所の、この一瞬が、なにものにも代えがたい人生だった。生きているこの瞬間が、人生だったのである」と、岩間さんは2003年にガン告知を受けた後、アフガンの写真を眺めながら「名もなき日々」を編纂するきっかけとなった心境の変化や気付きを言葉少なに「あとがき」で語っています。

平凡な日常のありがたさの中で、生きる喜びをもっともっと感じていきたいと思います。



「宇宙につながる第8のチャクラ」

2009年07月27日 | 本など
宇宙につながる第8のチャクラ

7月は荒行のような日々が続きました。
瞬く間に手帳が埋まり、たくさんの人々に会い、修行者が山を上り下りするような、私にとってはアップダウンの激しい難易度の高い日々でした。
今週もひとつの“荒行”が待ち受けていますが、何とかクリアーしたい、クリアーは必須事項です。
8月はきっとスローで穏やかないつものペースが戻ってくるでしょう。

本屋さんで偶然見つけた一冊の本。
「宇宙につながる第8のチャクラ」(ジュード・カリヴァン/井上実訳/徳間書房)。
迷わず買いました。今の私はこういう本を欲しているのでしょう。
そして、バーバラ・イン・ブレナンの「癒しの光」(上下巻)もネットで注文しました。
セルフヒーリングの手引書のような本。
「癒しの光」は借りて読んだことはあるけれど、もう少しきちんと読んでみたい。
これらの本の周辺に、私の精神の彷徨の着地点や救いが見えるように思います。

「宇宙につながる第8のチャクラ」は、通常人の持つ7つのチャクラの意味をわかりやすく解説し、それらが互いに関連し合い、その基盤の均衡とともに、さらに、「宇宙の心という第8のチャクラは、自我を基盤とする意識という、認識のオクターブを完成させるものであり、なおかつトランスパーソナルな意識に至る門戸でもあります。」とあり、興味は尽きません。

これらの本を腰を据えて読むことによって、少しは「魔女修行」の道も開けるかもしれません(笑)。



面白かった本 「耳納山公歓」

2009年05月26日 | 本など


図書館で借りた本「耳能山交歓(じのうさんこうかん)」村田喜代子著・講談社)を読みました。初版は1990年に出されたものです。
村田さんは1945
年生まれの九州在住の作家で、1987年に芥川賞を受賞しています。


九州の女流作家としては石牟礼道子さんや森崎和江さんがいますが、九州に住むおばに最近教えられるまで村田喜代子さんのことを知りませんでした。


森崎さんの本は好きで、古本屋等に出されているととても得をしたような気分になり必ず買うことにしています。たいてい
1100円で売られていることが多く、カビの匂いがぷんとすることもあります。森崎さんの書かれていることはどちらかというとエッセーやノンフィクションが多いけれど、私が初めて読んだ村田さんの「耳能山交歓(じのうさんこうかん)」は小説のジャンルに入ります。小説の面白さを堪能しました。

しかしこの「耳能山交歓(じのうさんこうかん)」はきっと今の私だからこそ、この年齢になったからこそ面白く読めるのかも知れません。ワクワクするようなラブストーリーがあるわけでもなく、ややミステリアスな、本の中でいえば「キクラゲ村」や「ヒラタケ村」などという奇怪な名前の村の、山村に住む新住民とさらにその奥地に時代から置き去りにされたように暮らす地元民との何とはない交歓を描いたものですが、この描き方が本当に味わい深いのです。

読んでいるとその描写はまるで映画の大型スクリーンをそのまま文に置き換えて観ているような錯覚を覚えるほどで五感がたえず刺激され、ましてや読みながら奥深い谷に沈むように開けた明るい「上の村」などはデジャブのような懐かしさを覚えるのですから。
「文字を読みながら文字が映像にすり替わって迫る」本のとりこになってしまいました。



「クラウディアの祈り」を読んで

2009年04月28日 | 本など

なかなか読書が進まない中、先日買い求めた「クラウディアの祈り」を読みました。
この本のことを知ったのは、新聞の記事からで、日本絵本賞の中の読者賞を受けた村尾靖子さんの「クラウディアのいのり」の詳細が記事になっていたのを読んだことからでした。

絵本とは別に、児童文学書としての「クラウディアの祈り」が出版されたことを知り、ぜひ読んでみたいなあと思ったことがきっかけでした。
たまたまテレビのドキュメンタリー番組を観ていた村尾さんが、その当事者にどうしても会いたいと取材を申し込んだことからこの本が生まれたとのこと。その動機にも興味がわきました。

本の中の「プロローグ」から抜粋
「数ヶ月前の夕方、わたしは夕食の支度をしながらテレビ画面を目で追っていた。
画面には、ロシア人女性、クラウディア・レオニードが映しだされていた。
1997年の3月まで、日本人の蜂谷彌三郎と正式に結婚し、ロシアで37年間も一緒に暮らしていた女性だった」

そのクラウディアが、夫蜂谷彌三郎が日本に残してきた妻久子と娘が彌三郎の帰国をひたすら待っていることを知り、彌三郎を日本の妻子のもとに帰し、その後も妻久子共々彌三郎と温かな交流が続いているという実話に基づいた物語。

戦争で捕虜になり、過酷な環境で生き延びて来た夫と妻と、もうひとりの妻。
この本の中でも、目を覆い耳をふさぎたくなるような理不尽を強いられて生死をさまよい生き延びてきたそれぞれの生が描かれ、それでもなお人間らしく生きることのあり様をクラウディア・彌三郎・久子の三者がそれぞれに相手を尊重し思いやる様子が描かれていて胸を打ちました。読みながら涙で文字がかすむ個所が度々ありました。

しみじみと戦争と言うのは罪が深いことなのだなあとあらためて思いました。
人間の尊厳を打ち砕いて余りある狂気の中で、人は成すすべもありません。
まっとうな人間らしさが通じ合い、認め合えることも平和ならばこその思いを強くし、どうか少年や少女など若い人たちにこの本がたくさん読まれますようにと願いました。

それにしても、テレビを観ていた視聴者村尾さんの深い共感の先に広がる行動力からこの本が生まれた不思議。大切に一途に前に歩いていらっしゃるのですね。凄いなあ……。
取り組むべき物事への出会いの種は身辺に潜んでいるのですね。


甦った植物

2009年03月24日 | 本など



久しぶりに見ると、ワイヤープランツが青々とした緑をたたえていました。

玄関の外の踊り場に置いてあったけれど、冬になって茎の1本も残さず枯れ果ててしまい、北側のベランダに移動させたのです。
冬の間、水をやることもなく放置していたのに、季節を自ら感じて葉を茂らせていたこのワイヤープランツに触れたとき、厳かな思いを抱きました。
その脇には、同じ様に土のまま放置してあったプランターにナズナに似たタネツケバナ(種漬花)?が繁茂していました。





一本の茎の何と華奢で美しいことでしょう!!
プランターへの招かざる侵入者でなかったら、路傍に咲くタネツケバナやナズナをこんなに深く観察することはなかったと思います。

友人が贈ってくれた「身近な雑草のゆかいな生き方」(草思社/稲垣栄洋著・三上修絵)には、ナズナのことが次のように記述されています。
“だらだら発芽を得意としている。”“予測不能な環境(耕されたり、除草剤がまかれたり)の中で、秋でも春でもいつでも発芽できるたくましさを持っている。地下には膨大な種子が眠り、その種子の集団は「シードバンク」と呼ばれている。戦力の全貌を決して見せないが、本当の実力は目に見えない土の中にある”などなど。
また、七草粥に数えられるが、セリなどに比べて味がいいのはナズナだそうで、それは寒さを経験することで美味しくなると科学的な根拠が示されています。

何だか、人間への教えにも共通するなあと、感慨深く読みました。
帯には「踏まれても抜かれてもどっこい雑草は生きている。逆境を生き抜く彼らの知恵と工夫は私たちに何をかたりかけているのだろうか。」とあります。
植物図鑑的な要素があまりなくて、それぞれの花につけられた見出しや本文はユーモアとセンスにあふれ、しっかりとした学術的な記述もわかりやすく書かれています。文字と同じ色で描かれたペン画もさわやかな本です。

「ようこそ~ナズナ、タネツケバナちゃん。
そして、ワイヤープランツのあなたも存在感があって素敵だね。」
と、こんな言葉をかけました。



松下竜一の「四季三部作」

2009年03月08日 | 本など


松下竜一氏の書かれた「四季三部作」が、私の机上に揃いました。
2冊は私物ですが、「歓びの四季」は、古書でも探すことができなく、希少なものをお借りしました。
「豆腐屋の四季」は1969年・昭和44年4月に、「吾子の四季」は昭和45年に、「歓びの四季」は昭和46年に刊行されたものです。

作家松下竜一氏は2004年に67歳で亡くなりましたが、若かりし当時、豆腐屋としての生活詠を「朝日歌壇」に投稿したことからこれらの本が生まれました。
この本の中には、短歌を中心に、エッセーが綴られています。
病弱で、生活苦にあえぐ若者であった著者が、自分の生活圏の中から、新聞ニュースなどを通して少しずつ社会に目を向け、社会矛盾に悩んだり、また自己の内面に潜む精神の拠り所などの感情を見つめあぶるようにエッセーは記されています。鋭く自らの内実を曝しながらもやわらかく穏やかで情緒にあふれた書き口が私は好きです。

家業をやむなく継いだ一人の若者が、その暮らしの厳しさから救いを求めるように短歌を詠み、それがきっかけで「作家宣言」をするまでに至り、後の著作に完結される“作家になる萌芽”が初期の作品である「四季三部作」には随所にあふれ、興味は尽きません。

やがてノンフィクション作家としての地位を築いて行った松下氏。
「環境権」という思想を打ち立てた「豊前環境権裁判」の「豊前火力発電所建設差止請求事件・準備書面
」(昭和48年作成)を読んで行くと、まるで今日私たちが直面している問題を見越したような記述が各所にあり、驚かされます。

――電力需要の正体―― の章の項には、
「次々と産み出された文化製品なるものは、いやおうなくコマーシャルに乗せられて家庭に送りこまれ、家庭の電力消費すら多消費型に変えさせていく。物は家庭に溢れながら、心の充足感に遠い生き方に、私達は組み込まれていっているのではないか。真に充足した生き方とは、清浄な大気の中で、緑に囲まれて、もの想うゆとりを持てることに尽きよう。自転車で駆ければ用の足せる今はのんびりした豊前平野に私達は執する。
私達は、既に現在の我国の文明のありようが異常に物中心と化してしまっていることに深甚な怖れを抱いている。そして、その方向を是正せぬ限り、人類の将来は暗いと考える。バートランド・ラッセルが『人類が、生きて21世紀を迎える可能性は、公害によって50%しか残されていない』と、喝破した警声に私達は刺されるのである。」と、あります。

「物は家庭に溢れながら、心の充足感に遠い生き方に、私達は組み込まれていっているのではないか。真に充足した生き方とは、清浄な大気の中で、緑に囲まれて、もの想うゆとりを持てることに尽きよう。」などは、およそ40年前にすでに松下氏の思想として打ち建てられていたことを思うと、現在、さらに消費をあおる経済優先の中に組み込まれてしまった生き方を見つめ直し、心の充足を取りもどさなければとも思います。

そして、晩年に書かれた「ビンボウ三部作」で自らの思想の有言実行を示して逝った松下氏。
「四季三部作」は、松下氏を知る原点として、若い時に読んだ視点とは違った思いで、今再びワクワクしながら読んでいます。



本の取り寄せ

2009年01月15日 | 本など


今年になって、上田紀行氏の本を2冊ネットで買いました。
「生きる意味」(岩波新書)と「かけがえのない人間」(講談社現代新書)です。
「生きる意味」を読み終わり、「かけがえのない人間」を「座禅和讃法話」(春見文勝著・春秋社)と並行して読んでいます。
上田氏の本も座禅和讃の本もそれぞれに別々の友人から教えてもらったものですが、私にとっては深い関連性を感じさせます。
今更という思いもないわけではないけれど、いくつになってもこういう本から得られる心の刺激と言うのは大切なのですね。

お料理教室に通い、ゆくゆくはその教室のお料理の先生になりたいという人に会いました。彼女は20年勤めた銀行をやめ、主婦業の傍らだそうです。その教室には70代、80代の方も生徒さんとして通っているそうです。
好きなもの、極めたいものに出会えるというそのことこそが幸せなのですね!!!




須賀敦子全集

2008年12月08日 | 本など

「須賀敦子全集」が河出文庫から出たのを機に、須賀敦子を少し集中して読み始めました。
落ち着いて品位に満ちた文を、一行一行じっくりと味わいながら読んでいくと、気持ちが自ずと震えてくるような感動を覚えます。
生い立ちやイタリアでの暮らし、翻訳家としての仕事など知らなかった須賀敦子の全容が須賀敦子の書いた「須賀敦子全集」を読み進むことによって少しずつわかってくるのも楽しいことです。
近くの本屋でこの文庫になった全集を見つけたとき、一冊ずつ買い求め、気長に読んで行こうと最初に買ったのは「第4巻・遠い朝の本たち/本に囲まれて/書評・映画評ほか」が収められたものでした。個性的な言葉がちりばめられた文のすばらしさにボールペンを片手に気になる個所に印をつけながら読むことを決め、いつも持ち歩いていましたが、これをフランスからの帰り、JALの飛行機の座席の前のポケットに置き忘れてしまったことが悔やまれます。また買うしかありません。そして次に手にしたのが「第1巻・ミラノ霧の風景/コルシア書店の仲間たち/旅のあいまに」です。文庫本なので惜しげなく線を引き、書き込みを入れながら教科書のような面持ちで読んで行こうと思っています。

「林真理子の名作読本」(文春文庫)を読んだとき、須賀敦子の「ヴェネツィアの宿」と題されたものがありました。
林真理子が直木賞をとってしばらくしたとき、女流文学賞の候補に挙げられ、3回目はかなり期待していたにも関わらず受賞を逃してしまったいきさつが書かれていますが、そのときに林真理子に代わって受賞したのが須賀敦子でした。
そのときのことを林は、「こんなことってあるのかしら。まるっきり名前を聞いたこともないおばさんが、しかもエッセィで賞を獲ったのよ」と編集者から電話を受けたと書いています。「新人の作家がしかも女流文学賞で受賞するというのは聞いたことがなく、落選した私はちょっと不愉快であった」と心情を書いているところが林真理子らしくて面白いなと思います。それで長いこと須賀の本を読まなかった林も、須賀の受賞作「『ミラノ霧の風景』が名作の声が高くなるにつれ、やっと本を買った。素直にいい本だなと思った。」と書き、ここから林真理子の本領発揮ともいう須賀敦子の「ヴェネッツィアの宿」の書評が書かれています。

本をほんとに読んでこなかった私は、ようやく遅ればせながらといった感じで、ノロノロとスローペースを承知の上で、読みつ戻りつ読書の楽しさに浸っています。
「須賀敦子全集」を読了するのにかなり時間がかかりそうですが、ページをめくり言葉を味わいながら繰り返し読むこともそう悪いことではないような気がしています。


読む楽しさ

2008年09月07日 | 本など



昨日から研修で「オブタ」にきています(写真は研修室の窓から見える景色です)。
ほぼ缶詰状態で、朝9時から夜7時半までびっしりカリキュラムが組まれています。
会場内のパソコンルームでこのブログを書いています。

旅のような気分で、余暇時間のために文庫本を二冊持ち込みました。
壇一雄の「火宅の人」と、それにまつわる沢木耕太郎の「壇」です。ふたつの本を検証するように読んでいくとこれがなかなか面白いのです。
能古島に「壇一雄記念館」ができたと知って興味を持ち、「火宅の人」を読み始めると止まらなくなりました。そしてさらにその帯にあった「沢木耕太郎著・壇」をほぼ同時に読み始めました。沢木耕太郎が壇一雄の妻ヨソ子さんに夫壇一雄のことをインタビューして書いたもので、書き手と書かれた人とを二冊の本から読み解いていくことはちょっとワクワクします。事の展開もさることながら、壇一雄の筆致の勢いというのが一段と面白く、壇一雄の当時の作家生活が小説の形をとりながら詳しくリアルに描かれています。
あまり普段は本を読まない私ですが、“寸暇”をみながら読書の楽しみを味わっています。一冊の本に出会うと、それにまつわる次の本にもついつい手を出してしまいます。



好きな作家

2008年08月12日 | 本など
好きな作家の一人は藤原新也さんです。
好きな理由というのは、何と言えばいいのか、覚悟が違うとでもいえばいいのでしょうか。書く覚悟、生きる覚悟、読みながらそんな匂いが漂ってくる作家です。

最新刊本「日本浄土」を読みながら、古本屋で見つけた文庫本「逍遥游記」「藤原悪魔」2冊を買い足しました。
読書は楽しいけれど、映画と違って時間がかかります。
ゆっくり読んでいこうと思います。