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ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

驚きの連続 『モンスターマザー』

2010年08月27日 | 本など

モンスターマザー 世界は「わたし」でまわっている



古本屋を覘いていたら、店前のワゴンの中の100円コーナーに石川結貴さんの本をみつけました。
石川さんの本を一度読んでみたいと思っていた私は迷わず買いました。
本の名は『モンスターマザー』。

2007年11月に第一刷が出されたこの本、見出しを追うだけでも面白くて興味津々。
たとえば、
・運動会に出前のピザが届く
・ぶちキレるのが私流
・「お受験」の壮絶
・学校に牙をむく
・モンスターマザーの破壊力
・オシッコできない子どもたち
・給食のゼンマイは「ミミズ」
・教育現場の「ルーズソックス現象」
などなど。

石川さんは「毎日新聞」の「新聞時評」にも登壇する気鋭のママさんノンフィクションライターで、その論評にもなるほどと納得させられることが多く、関心を持っていました。
現代社会の一端を知ると気軽に手にした『モンスターマザー』の中に描かれている壮絶な現実にただただ度肝を抜かれましたが、これらは保育士をしている知人からもう10年以上前に聞いていた保育現場の実態とも重なり、その芽が確実に育っているという現実を突きつけられた思いです。

映画「誰も知らない」を観たのは、映画が公開された2004年。
そのときも映画の中の現実に驚いたけれど、今やそれが形を同じく、または形を変えて連日のように事件の背景として報道され、過激化するばかり。

子育てが終わり、孫育て世代に入った団塊世代にも人ごとではありません。
時代が移り、世代が変わり、学校現場や子育て家族の変貌ぶりは、しかしこの国の現実と受け止める方がよさそうです。
そしてさらに、「高齢者行方不明現象」も驚くばかりです。



8月27日の歩数は1651歩。



ほとんど家から一歩も出ない生活、辛うじて下の集合ポストに郵便物と夕刊を取りに行っただけ。
暑さにヘトヘト、は、歩かない言い訳にはなりませんね。


徒然に『モモ』を読んで

2010年08月15日 | 本など
 

★ 今 今という間に 今ぞ無く 今という間に 今ぞ 過ぎ行く 
★ 差し当たる 今日のことのみ 思えただ 帰らぬ昨日 しらぬ明日の日

いずれも、道歌の一首です。

時間とは何かを考えさせられたエンデの『モモ』。
時間泥棒灰色の男たちと闘うモモを支えた時間の国からの使者、亀のカシオペイアがモモの苦境時、甲羅に映し出す短い言葉の中にも素敵な言葉が散りばめられています。

「ミチハ ワタシノナカニアリマス」 「オソイホド ハヤイ」。

モモは時間をつかさどる時間の国のマイスター・ホラに時間の意味を教えられ、一人一人が持つ時間の豊かさ、一人一人その人の持つ尊厳の気高さに気づいて行きます。
モモは貧しい浮浪児、相手の話をただじっくり聞くだけで、その人が自らを語ることによって自分の問題に気づいて行くという、まるで現代社会の中におけるカウンセラーのような存在としても描かれています。

現代の病理とも言える「忙しい病」を患った私たち。そしてそれと表裏を成すお金という仕組み。
エンデは「エンデの遺言」の中でお金とは2種類あり、ひとつは今生活するために必要なものを買うためのお金、そしてもうひとつは生活を離れて操る投資などで得たり失ったりするいわば実態のない数字の世界のお金を分けています。

今日は終戦(敗戦)記念日。
戦後の繁栄は日本を豊かな国にしたけれど、失ったものも大きいように思います。
立ち止まって、自分を取り巻いている時間のことをゆっくり考えてみるのもいいのではと思います。

今日のブログは引用ばかりになってしまったけれど、最後に『徒然草』の中の一節を引き、終わりにしようと思います。

―――― 賎しげなるもの。居たるあたりに調度の多き、硯に筆の多き、持佛堂に佛の多き、前栽に石・草木の多き、家のうちに子孫(こうまご)の多き、人にあひて詞の多き、願文に作善多く書き載せたる。
多くて見苦しからぬは、文車の文(ふみ)、塵塚の塵(ちり)。――――

暇々に『モモ』

2010年08月02日 | 本など
モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語 (岩波少年少女の本 37)

今頃になって、『モモ』を読み始めました。
ミヒヤエル・エンデのことを知らなかったわけではないのに、と思いながら。

児童文学とうたっていますが、本当に面白いのです。
私は、自分がモモになったような気分で、モモに憧れ、読んでいます。

それにしても暑い毎日が続いています。
家に居て、クーラーを入れない生活はかなり身に堪えますが、クーラーを入れるとたちまち体調がおかしくなります。
身体が野生に還っているのかしらと思うほどです。
何かの作業をするときは、クーラーのお世話になりますが、読書の時は、自然の風を受けながらがいいようです。





手作りブックレット 故松下竜一さんに捧げる号

2010年05月22日 | 本など



だんだん暑さも増して、初夏らしい日が続いています。
ちょっと忙しかったここ数日。その忙しさから解放されつつあります。
「念じれば叶う」という言葉があります。
今年6月に行われる松下竜一氏の「第6回竜一忌」。松下さんが亡くなったのは2004年6月ですから6年が経つことになります。

昨年11月から毎月一度開いてきた「東京松下読書会」。この5月で7回目になりました。
その読書会で語り合ったことや、松下文学にまつわる書評、参加者の感想などをブックレットにできないかと考えてきましたが、その原稿がすべて揃いました。
割り付けもほぼ終わり、B5版で90ページものノートになりました。
あとは、整理をして印刷に出すだけになり、読書会事務局としてはほっとして肩の荷を下ろしています。

このブックレット・「東京松下読書会・読書会ノート」(vol.01 2010年「第6回竜一忌に捧げる号」を6月に中津で行われる「竜一忌」に捧げたいと思います。松下さんと松下さんが大好きな方々への読書会メンバーからの献辞です。


言葉に出会う楽しみ

2010年05月12日 | 本など

今朝の新聞で、「超訳・ニーチェの言葉」が編訳者の白取春彦さんによって語られ、1月の刊行以来40万部に迫る売れ行きを示していると記事に書かれています。
私もこの本を買い、持っています。
難しいニーチェの言葉を日常に合わせて解読してくれているこの本、私のような一般人にはわかりやすくていいですね。



上の写真は茨木のり子さんのエッセィ集「一本の茎の上に」です。
エッセィ集や言葉集は本をランダムに開いたところを集中的に短い時間で読むことが出来るため、外出時、バックの中に入れる一冊の本にはもってこいです。
この「一本の茎の上に」に「晩学の泥棒」というエッセイがあります。
「韓国の諺に、『晩学の泥棒、夜の明けゆくを知らず」というのがある。」
という書き出しで始まる短いエッセィで、そのタイトルに惹かれて真っ先に読み始めてみると、老いの学びについて軽やかに書かれています。

「生涯に使いきるエネルギーが有限であるのなら、若い時、全力投球しないほうがいいのかもしれない。」とあり、さらに
「つい最近知った、ロシアの古い諺に、『百年生きて、百年学んで、馬鹿のまま死ぬ。』というのがある。
それはそうでしょうねぇ。深い真実をついていて、この諺も思い出すたびに、はればれとおおらかな気分にさせてくれる。」

とこの章が結ばれているのを発見した私。
思わずお腹を抱えて大笑いし、そうですねぇ……それでいいのですよねぇ……と、本の中の茨木さんに思わず話しかけてしまいました。

『百年生きて、百年学んで、馬鹿のまま死ぬ。』

この言葉を、「ねぇねぇ、聞いて聞いて、この本の中にとってもいい言葉を見つけたの』とバックの中からおもむろに本を取り出し読み上げると、神妙に聞いて下さっている皆さんが一様に大笑いします。癒し効果も抜群です。

話しは変わりますが、新潟の我らが師匠、旗野さんはお酒が大好きで、仲間から名づけられたあだ名は「アル中ハイマー症候群」。
そして還暦を迎えられる旗野さんへの寄せ書きに、「我が師匠・支障R」という言葉を発見。そして旗野さんからのメールにも「支障・R」のハンドルネームが入れられたものが届きました。
旗野さんを師匠と慕う人たちにとっての支障はR(アルコール)と解釈していますが、さてそれでいいのでしょうか???

言葉は生きていて、言葉をどうとらえ、どう使いこなすか、感性を試される会話によく出会います。私は何事も「蛍光灯」で数々のジョークを投げかけられても瞬時の判断が出来ず意味を理解できないことが多く、しばらくたってああそうだったのかと思う事がしょっちゅうです。
言葉により、言葉を知ることによって救われることも多い日々、
『百年生きて、百年学んで、馬鹿のまま死ぬ。』は私にとって最近のホームラン級言葉でした。


ルイさんの手作りポーチと読書会

2010年04月27日 | 本など



月に1度高田馬場で開いている松下竜一氏の著作を読む読書会が4月で6回目を数えました。
4月の課題図書は「ルイズ父に貰いし名は」で3月の「久さん伝」からの続きです。
大杉栄と伊藤野枝の4女として生まれたルイさんの名はパリコミュンの女闘士ルイズミシェルから名づけられたことで知られています。

今回の読書会の参加者は11名でした。
集った人たちとの3時間にわたるディスカッションの奥深さはそのまま本を読み解く悦びにつながります。
本と私、私を取り巻く環境や社会などと照らし合わせながらの討論は今の自分の生きざまをもあぶり出して行く作業とも重なります。

そんな中で、今回のサプライズはルイさんとの出会いからルイさんが病床で息をひきとるまでを見守ったルイさんの著作の中にも度々登場される方がふたり那須から参加して下さったことです。
他にも前日の東京での集まりのあと立ち寄って下さった札幌のNさん、現代社会派の美術評論を各紙に書いていらっしゃるAさんなども加わっていただきました。
上の写真は、その中のお一人那須のIさんが生前のルイさんからいただいたというルイさん作の小さなポーチです。
ポーチの布選びや布使いの見事さに加え縫製の美しさに息を呑みました。

他にもIさんが持ちこんで下さった分厚い資料の山やルイさん自身の肉筆の手紙や写真などに触れながら、ルイさんを通して松下竜一氏を、松下竜一氏を通してルイさんを語り合い、「ルイズ父に貰いし名は」は、現代に生きる私たちに何を示唆し何を遺しているのかなどその思想のしん酌など興味の尽きない話題が行き交いました。

関東大震災にかこつけて大杉と野枝が甘粕大尉に虐殺された時、ルイさんは1歳3カ月、そこから想像を絶する人生が始まります。
ルイさんの生の軌跡をたどる旅でもある「松下ルイズ」の重いテーマを語り合う中で、ルイさんの遺した手作りポーチの清やかな美しさ。
(「ルイズ父に貰いし名は」を上梓したとき、ルイさんがそれを読み松下氏に『これは松下ルイズですね』と語ったそうです)
ポーチの中にはお香がひとつ。急きょ場は香りを聞く会へと入れ替わり、ルイさんの凛として自立した生き方やその先にあった死生観も含めた生き様を偲びました。

6月に中津で行われる「竜一忌」に向けて、いままでの読書会の記録をブックレットにする予定です。
そろそろその準備にかからなければなりません。


呼吸の本

2010年04月06日 | 本など



本屋さんでみつけた「呼吸の本」(サンガ・1800円+税、呼吸のCD付き)。
詩人の谷川俊太郎さんと呼吸の先生加藤俊朗さんの対談形式で書かれています。
対談と言うより谷川さんが「質問」し、加藤さんが「答え」るという形です。
質問1~質問36まであり、それに先生の加藤さんが答えています。

呼吸と呼ぶように、吸うことよりも吐くこと、呼気について書かれています。

ときには1分間にする呼吸数のことが語られていたり、呼吸数にとらわれて一生懸命やらないことなど、ゆっくりとユーモラスにそして温かく書かれている本です。

谷川さんの質問9に、
「自然の中でいい空気を胸いっぱい吸い込むと、宇宙のエネルギーをもらったようでいい気持ちです。
そんなとき息を吐くと、なんだかそのエネルギーを捨ててしまうような気がします。
それでも吸うより吐くほうが大事ですか?」
とあります。

その答えとして加藤さんは、
「宇宙の法則に従いましょう」と詳しく吐くことについて答えています。
「吐くと、なんだかそのエネルギーを捨ててしまうような気がします」との谷川さんに「これはあなたの神経、感覚がずれています。はっきり言わせていただきますと、欲が深いです。
吐くという事は、『出す』ことです。捨てるということにつながります。心の汚れを出す、執着を捨てるということです。」
「『吸う』は、『ためる』『独り占めにする』『執着する』。
一方の『吐く』は『執着を取り払う』『心を浄化する』。
吸うより吐く方が大事とはそういうことです」
と続きます。

要は「循環の法則」であり、「出したものしか入ってこない」ということを説いています。

面白くて、ユニークで、ためになる本と出合ったものです。
最後の方は魂のことなどが中心の質問と答えです。
呼吸を通して学ぶことの神髄がわかりやすく書かれています
今日の電車の中でも、吐くことをイメージした呼吸の練習をしました。

おまけのCDは49分もありますが、アナウンスに従って呼吸の練習をしたいと思っています。


「久さん伝」&「ウドンゲの花」

2010年03月25日 | 本など


ひとりの作家の著した本を継続して系統的に読み続けることなどは私の日常にはほとんどありません。
ただ、松下竜一に関してだけは違います。

毎月一度高田馬場で開いている「東京松下読書会」も先日5回目を終えました。
集まって来る人たちの顔触れはユニークで、私の普段の生活圏の中では出会えないような個性を持った人たちです。

会は、日曜日の昼下がりから始まります。
喫茶店の貸し会議室を予約し、そこで3時間の「本題読書会」を行い、そののちは「飲み会ミーティング」へと移ります。5回が終わってほぼこのスタイルが定着してきました。

3月の課題図書は「久さん伝」。
大杉栄の遺児で4女の伊藤ルイと出会った松下は「ルイズ父に貰いし名は」を著します。その著作の過程で大杉に関する資料を読破した松下は、その中でも和田久太郎という人物に惹かれます。大杉を信奉し大杉虐殺の仇を討つかのごとく、久さんは大杉の虐殺を指示したと言われる福田大将を狙撃しますがこれは未遂に終わり、投獄されます。その和田久太郎を取り上げた松下のノンフィクションが「久さん伝」。

私は読書会の課題として出されなかったなら、きっと「久さん伝」を読むことはなかったのではないかと思うほど私には興味のない世界が描かれています。
読書とはまことに不思議で、おもしろくもなく退屈な「久さん伝」を課題がゆえに仕方なく1週間かかって読み終えたとき、ふ~っと松下文学の薫香がこの中にも立ちあがってきたのです。この感動はちょっと言い難いほどでしびれました。

本を読みながら感じたことを語り合い、その中で自分の意見を肯定されたり否定されたりしながら他の人の意見も聞きます。まるで私が読み込んだ中では予測もつかない世界や論説を投げかけられたりすることもあり、作家はここで、あるいはこの著書を通して読者に何を伝えたかったのか、その伏線は文中のどこに隠されているのかなど楽しみはつきません。

そして、
4月の読書会は「ルイズ父に貰いし名は」に決まりました。

「久さん伝」を読むことで、松下のエッセィ集のひとつともいえる「ウドンゲの花」を読み返すとここに知りたいことの数々が散りばめられていることに気づき、私の松下に関する読書はあっちに行ったりこっちに来たりで落ち着きません。
いつもいつも読み散らかしてそのままになる私の読書癖も「東京松下読書会」を通して少しずつ道筋が見えてきました。
仲間の皆さまの力も大きく、感謝でいっぱいです。

「ウドンゲの花」を読んで今にして思えばめちゃくちゃな感想を送り、初めて「松下センセ」から返信のハガキをいただき狂喜したことを昨日のように思い出しています。
質の低い私のような不出来な読者にも生前の松下センセは丁寧に細やかな対応をしてくれました。
「ウドンゲの花」は600字で記された松下の日々のエッセィが収められている本です。





「週刊金曜日」電車の中で

2010年02月08日 | 本など


毎週金曜日にポストに届く「週刊金曜日」。一冊500円×月4回=2000円。
確かに一般紙には書かれない密度の濃い記事が載っています。
定期購読をしているけれど、緊縮財政家計にはかなり大きいのです。

迷いつつ購読中で、届いた最新号をバックに入れて外出。外で読むことなどほとんどないけれど。
ところが、偶然電車の中で私の前の座席に座った女性が何と同じ最新号の「週刊金曜日」を開いて読んでいるではありませんか!
声をかけようかなと思ったけれどやめました。私、不出来な一読者でしかないのですから、中身の話しになるとちょっとやばい。

2月5日号の本田勝一著「貧困なる精神422」には「『朝日』『東京』のどちらを止めるか」が書かれていました。
要は新聞を数社とっていたけれど、どれかを止めざるをえなくなったときのどの社の新聞を止めるかが論じられています。

今や新聞をとる世帯もどんどん減っているとか。
高齢になると、新聞代もさることながら、読み終えた新聞を古紙回収に出すのも一苦労となってきます。2紙とりたいけれど、出すのが大変だからの声も聞こえます。
ネットでニュースは読めるけれど、やはり紙媒体には魅力もたくさんあるし、迷うところです。


「『100人の証言』千葉市大空襲とアジア・太平洋戦争の記録」

2010年02月03日 | 本など





昨日この冊子を送っていただいて、いま夢中で読んでいます。

この証言集のことは、新聞と「janjan」に掲載された記事で知りました。
「千葉市大空襲とアジア・太平洋戦争の記録『100人の証言』―この記憶をあなたに繋ぎたい―」。
(「千葉市平和都市宣言20周年」記念として2009年秋に発刊。A4版331p)。

最初のページから順に読み進んでいますが、それぞれの方の戦争体験は具体的でその証言の言葉の重さに引き寄せられています。
記録することの大切さを通して、戦争の無意味さが体験者の当時の生活を通して今に語られています。
現代とは比較にならない不自由な時代、空襲に遭いながら戦火の中を命からがら生き抜いて来られた方々の貴重な証言は、戦争の残酷さとともに平和であることのありがたさを同時に伝えてくれています。

やがては風化されてしまうであろう「アジア・太平洋戦争」。
「東京大空襲」のことは知っていても、一地方都市の「千葉大空襲」について私はほとんど知りませんでした。千葉のみならず全国各地でこんな悲惨な戦争の状況が日本を覆っていたのですね。

戦後64年、戦争は若い人たちには遠いものとなっています。戦時下を一体験者として証言できる人々も年々減り、高齢化も進んでいます。
戦争は何としてもふたたび起こしてはいけないことで、この証言集がひとりでも多くの方に読まれるよう願っています。
私も気を抜かずに最後まできちんと読むべき冊子と決め、読み進めて行こうと思います。
記されているお一人お一人の文を読みながら、戦争以上の理不尽さや不条理なことはないと驚いたり、涙したり、憤ったりしています。
文は難しくなく記録としての思いが淡々と記されていますが、その深さに思わず衿を正して読まなければと思うほどです。

この冊子を編まれた編集委員の方々の並々ならぬ情熱が本を通して伝わってきます。

●この証言集をご希望の方は、
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伊藤さん akioito@w3.dion.ne.jp