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ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

ブータンに行きた~~い

2011年11月18日 | 社会

ブータンの若き国王ご夫妻が来日中です。
はにかみがちで聡明な王妃さま、すてきですね。おとぎの国から舞い降りて来たようなお客様です。

ずっとずっと前からブータンに行きたいと思っていた私。
五木寛之さんのブータン巡礼の旅などもみましたっけ。

何度か調べてみたことがあるけれど、ブータンに行くには、とてもお金がかかるのです。
それくらい遠い国ということになるのかしら???
私の周辺にブータン周辺に詳しい方がいるので、いつか実現するかもしれませんね。

行けるといいなあ……。

日本も、経済成長も大切だけれど、それよりもっと大切な「国民総幸福度」の高い国にしなければいけません。経済成長戦略に加担することは個人では難しいけれど、幸福に関しては、私たちの意識を少し変えるだけで達成可能になるかもしれません。

昨日、今日と「東京新聞」のコラム『筆洗』は、私の心をとらえています。
こちらも、『幸福度』の指標となるコラムでした。


カメラのことなど。

2011年11月15日 | 社会

 

道端に咲いている花の美しさに見とれました。
カメラレンズのおかげで、肉眼で見るよりはるかに美しく切り取ってくれます。

ところが、そのカメラメーカーオリンパスの不祥事。
一生懸命働いて来た社員の方がたは、残念な思いをしているでしょうね。
テレビに映された菊川元社長の顔をじっと見つめました。
菊川社長といい、ナベツネ氏の顔つきといい、あんまりよいお顔ではなさそうで……。


これからどうなるのかしら、原発のことなど

2011年11月15日 | 社会

先日、東京電力福島第一原発の敷地内が、報道陣に公開されました。
その映像や写真がテレビや新聞で報道され、同行記者の方の叫び声にも似た驚きが報じられていました。
厳重警備のもと、防護服に身を包んで中に入った人たちも勇気がいったと思うけれど、中で働く人たちの姿が映し出され、その人たちはどんな思いで仕事に取り組んでいるのだろうかと想像しました。
原発事故をこれ以上拡大させないための、使命感が大きく働いているのだろうと感謝の思いを持ちました。

終わることのない事故の被害状況。
放射能は目に見えないし、臭いも味もしないため、機械でその量を計測するしかないことがとてもやっかいです。
以前観たチェルノブイリのドキュメンタリー映画が現実問題として日本を深く覆うなど、だれが想像したでしょうか。

甚大な被害に対して、さまざまな事故処理が報道されているけれど、それが本当に効果があるのか、一過性のパフォーマンスなのかなど、まだまだわからないことがいっぱいあります。
先日新聞紙面で知った『裸のフクシマ 原発30㎞圏内で暮らす』(たくき・よしみつ著/講談社刊)を読んでみたいと思っていますが。


いろいろの洗礼

2011年11月12日 | 社会



在宅でほんの少しの仕事をしていても、いろいろのことが起きます。
もちろん、何も起きずにスムーズにことが運ぶことも多いけれど。

ことが起きることの大きな原因は、それぞれの役割とそれぞれの担当者の立ち位置があやふやで明確でないときに起こりがちです。
何層にも分かれた複雑な人間関係の中で、ひとつの仕事を組み立てて行くとき、それぞれの担当者の仕事に関する切れ味とその人の持ち場の責任感が如実に噴き出し、わかるから面白いです。もちろんその人の性格もわかりますから、さらに面白いです。
それぞれが、自分の役割分担をきちんと把握し、それに向かってきちんと仕事を進めて行けばとてもスムーズにあっという間に仕事は完了します。今回はその逆のケースを少し味わいました。

苦手だなあと思っていた人とも、何度か同じ仕事をして行き、その方の性格や仕事の流儀が呑みこめれば、ストレスをためることなく、逆に楽しくなり仕事を進めることもできます。
また、理不尽さを感じたときも、相手の立ち位置を考えてみると、その人もまた別の大きな組織のはざまで相手と闘いながら、締め切りやデータなどの受け渡しをしていることがわかるときがあります。
それがわかれば、相手を受け入れ、それぞれの役割をさらに導き出し、よい方へと進めることができます。

今回は、最末端で仕事をしている私にまでいろいろの洗礼が及びましたが大したことではありません。短期間、クッションのような役割を担いつつ、ひとつの約束した仕事を完了させました。

私がいつも思うことは、終わりよければすべてよし、です。
私はどんなときも、できることを一生懸命にやるということを自分の中で決めています。その上で私が失敗(勘違い)するときもあるし、先方が失敗するときもあり、その関係はおたがい様です。
仕事の上での洗礼も、人と人との関わりの中で、愛情を注ぎ続ければおたがいの理解が進みます。
これは仕事のみならず、プライベートでもまったく同じです。
そのことをこそ、自分の内に向かって、(間違っても外に向かってではなく)対峙し続けて行けば、かなりの出来事は心配することなくよい方向へと向かうことを教えてくれます。

一度にいくつかの仕事が重なり、時間配分に苦慮することがあるけれど、それもきっとできると信じて行えばその方向へ進みます。

今日は12日。14日までに納めなければならないゲラの校正がもうひとつ待っています。
どれもこれも、社会と関われる小さな窓となってくれるので、私にとってはどれをとってもほんとうにワクワクする仕事や“しごと”に違いなく、うれしい日々をかみしめることになります。




世の中の進歩 知らないのは……

2011年10月27日 | 社会



急ぎの文書を送ってもらうのに、日本郵便の「よくあさ10時郵便」というのがあるのですね!!
私はよく「エクスパック350」や「エクスパック500」を使いますが、「よくあさ10時郵便」というのは知りませんでした。

いままでに固定概念で持っていたものがどんどん崩れ、新しいものが生まれているのですね。
夜行バスシステムなども昔とは雲泥の差。
なにもかもが飽和状態と思っているのは私だけで、世の中は相変わらず進歩しているようですね。


ことばは……

2011年10月21日 | 社会

見開き全2ページにわたって新聞広告ページに掲載された以下のことば。


そのとき
ことばは なすすべもなく立ちつくしていた。
ことばは じぶんの無力を感じていた。

ことばは がれきをかたづけることができない。
ことばは おなかをみたすことができない。
ことばは 電気をつくることができない。
ことばは 病気をなおすことができない。
ことばは 寒さをしのぐことができない。
ことばは なにができるだろう。

ことばは はなればなれの家族をさがした。
ことばは ご近所のきずなをつないだ。
ことばは やりきれない怒りをつたえた。
ことばは 満開の桜の下でかわされた。
ことばは 日々のくらしをとりもどそうとした。
ことばは それでも忘れることはない。

ことばは 決して忘れたりはしない。
ことばは もっとはたらかなければならない。
ことばは がんばろうというだけではたりない。
ことばは もっとできることがあるにちがいない。

ことばは ひとびとの数だけある、
ことばは ひとびとの日々の気持ちの数だけある。
ことばは この国のいたるところにある。
ことばは ひととひとをつなげなければならない。
ことばは 過去を忘れず伝えなければならない。
ことばは 未来について語らなければならない。

ことばは 語ることをやめない。

   (2011年10月20日 毎日新聞広告ページ 「新聞広告の日」より )

ことばって、やっぱりいいな。


テレビの中のマザーテレサ

2011年10月20日 | 社会

 
 

18日、NHKBSで放映されたマザーテレサのドキュメンタリー番組。
映像に添えられていた言葉……は、意図的にそれを記録するために写真を撮ったわけではありません。
私が写したテレビの中の4コマの画面。もうそれだけでじゅうぶんに心に落ちて行きます。

イエスとともに生きたマザーテレサ。
憧れのひとです。


血の通う言葉を

2011年10月19日 | 社会

平野復興相の発した言葉が俎上に上がっています。

――国民新党の亀井静香代表は19日の記者会見で、平野達男復興担当相が東日本大震災の津波被害に関し「逃げなかったばかなやつがいる」と発言したことについて、「友人を津波で失った悲しみ、万感の思いで言葉が出たと思う」と理解を示し、平野氏を擁護した。 [時事通信社]――

私ももし親しい友人を同じ状況で亡くしていたら、「逃げなかったばかな人。なぜ逃げなかったの!!バカバカバカ!!バカヤロウ!!」と嘆き悲しむでしょう。
亀井氏に賛成です。大臣である前に、人であってほしいと思っている私。言葉に気を取られて、心情を押し隠していくと、なんともつまらない顔つきになり、押し黙るしかなくなります。
平野大臣の言葉に、民を蔑んだ思いがあるとは思えません。

それにしても、政治家はなぜ、こんなふうに他人のあげ足とりばかりするのでしょうか?
メディアもなぜこんなことばかりを報道するのでしょう。
こんなことが続くと、そのうち血の通った言葉を人は失い、スイッチを押すと、ロボットが無難な言葉を発する仕掛けができるかも、ね。
私は、今の若者がコンビニなどでそれに近いマニュアル言葉を出しているのを見て、まじまじとその人の顔を眺めることがあります。

言葉は血が通ってこそ……です。
字面だけを追いかければ、少々乱暴で無謀な言葉でも、そのときのその人の心情を推し量りながら私たちは言葉を理解して行きます。
それは人として当たり前のことのはずなのに……。


ほそ~い糸

2011年10月11日 | 社会



世の中は、ほそ~い糸でつながった人たちが出会っていくんだなあと思った一日でした。

今日は、私の中の「書く仕事」のことで麹町に行きました。
初めて出会った編集者の女性の方と、不思議なつながりを感じました。
その出会いの種となったのは、私が昔から関心を持っていたことがきっかけで、何かワクワクする面白いところに辿りついてしまったなあということです。
当面のキーワードともなる暗号は、“ありがとうおじさん”と“クルマエビ”。

これからどんな展開になるのか、楽しみです。
もちろん、私の書いたものが相手のお眼鏡にかなえば、さらに何かが生まれて来そうという楽しみがありますが、ここは仕事なので、何やら少し不安もあります。
それを感じてはおしまいよと、恐れを知らないオバサンの好奇心で、前に進んでみようと思います。

それにしても、糸……のこと、ほんとに糸の持つ魔力に引き寄せられっぱなしの最近の私。
最初はか細い糸でも、それを太くする魔術が日常の中にはたくさん潜んでいます。
逆に、太かった糸がプツリと切れて、修復不能ということもときどきはあるけれど。

思うに、糸の太さには関係なく、糸を大切に紡ぎ、一枚の布として育てる楽しみもあります。
四方八方に広がった生きて来た人生の数ほどの糸の網を布を纏うようにふわりとかぶせて、よい関係を築き合うことも可能です。

思いがけずつながったご縁の糸を大切に大切にしたいと思います。


言葉の軽さと表情の乏しさ

2011年09月11日 | 社会

3・11から今日で半年。

鉢呂さんという人、どんな人なのかしらないけれど、私はテレビに映った彼の顔の方が気になりました。
顔というか、顔つきです。
人は日常が顔に出るとしたら、この人の顔というか目はまるで虚空にあるような感じを受けました。
被災地訪問でも大勢に取り紛れて存在感なしの印象。

「死の町」という表現は、良し悪しは別にしてそんな風に感じたのだなあと、それは認めてもいいけれど、「放射能をウツス」という行為と言葉はどう考えても許せないです。
大の大人にしてこれ、ましてや国を代表する為政者として問題の認識ゼロと思われても仕方がないでしょう。
ときに人は失敗をします。言い間違えも多々あり、人を傷つけることも多いです。私もそのひとり。
しかし、単純な、ふざけた動作ほど、その人の日常や内実をあぶり出してしまうというこわさを秘めています。

どうしてこんなに思慮深くないのだろう?????
政治家の日常って、名誉欲と利権ばかりで、国を良くしていく思いなんてないのかしら?
新聞コラムでは、大臣になったうれしさで舞い上がり、はしゃぎ過ぎた結果と書いてあったけれど、そんなに大臣になることってオイシイことですか?
自分の政治家としての情熱をより発揮できるポジションなのかもしれないけれど、名誉欲と利権に彩られているとしたら、それらがポロポロとこぼれおちて、馬脚を表すことの何と多いことか。

サビシイことですね。