先日、友人と会ったとき、電気料金の話しになりました。
友人2人は3・11の原発反対デモの帰りで、私は別の場所から合流しました。
我が家は月の電気料金が5000円代で何とか推移していることを話題にすると、
Aさんは、夫婦2人暮らしで、大震災前にオール電化住宅にしたばかり。それでも電気料金は1万2千円くらい。
Bさんは、環境は同じながら、オール電化ではなく、それでも電気料金は3万円くらいとか。
どうやらBさんのお連れ合いが、自室で暖房バンバン、シャツ1枚で過ごしていることが原因のようでBさんは、そのことを嘆いていました。
使う量も、支払う代金も人さまざま。
暮らす環境によっても、使用量は異なります。
赤ちゃんやお年寄りの居る方、病気で室温を暖かくして置きたい家庭などいろいろ。
必要ならば、堂々と使うことですね。
しかし、健康な夫婦2人暮らしでは、少し節約が望ましいというのが私の考え。
それは、お金の問題ではなく、原発問題や社会的環境のことなどを考え、どう律して暮らすかという精神性にもつながるようでして……。
女3人で話しが盛り上がりました。
(写真は昨年12月訪問時の被災地)
1年が経ちました。
去年の今ごろ、そう、朝の今ごろまでは確かに生きていた人たち。
1万5854人の死者、3155人の行方はまだわかっていない。その中には、私が住む千葉県でも宮城、岩手、福島、茨木に次ぎ、死者20人、行方不明者2人となっています。
東北太平洋岸のいかに広い地域に津波が押し寄せて来たか、その爪痕は死者の数を見つめ、車で走ると、延々と続いています。
ご冥福をお祈りいたします。
むかし、こんな顔の人、たくさんいたなぁ……と思いながら眺める朝ドラ・「カーネーション」の北村さんの顔。
性格は、大ぼら吹きで、人情味が厚く、大袈裟でお人好しで涙もろい役柄。
北村さんのような顔の人を「しょうゆ顔」と呼ぶのかしら? ほかにも「ソース顔」というのがあるらしくて。
芸名は「ほっしゃん」だそうで。
「カーネーション」の中の北村さん、なかなかオシャレでもあるようです。
小原3姉妹の名前と役者さんの名前がいまだに一致しない中で、このほっしゃんの北村さんとお母さんの麻生祐未さんがいい味出しているなあと思います。
朝ドラを見るのはほんと久しぶり。8時からになったのもちょうどいい。
朝ドラが終わると、南側の窓を全開して、CDをかけてそれが終わるまでが「家事タイム」。拭き掃除などをします。
この時間配分はおおよそのベースで、もちろん狂うことも多いけれど。
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話しは変わるけれど、先日の新聞に、『素人酒場繁盛記』で自分史文学大賞を受賞した阿部敏弘さんが載っていました。
「不況で30年間勤めていた寝具メーカーをリストラされたのが57歳。その後スーパー店内の焼き鳥店で1カ月修行して焼き鳥屋を開業。62歳。焼き鳥屋をこじんまりとやりながら、創作活動をし、今も月に30~40冊の読書量が、書くことを支える」とありました。
鉄人のような信念の人は、まさに哲人でもあるのですね。
同世代の人、がんばっているなぁ!!!!!
マンション管理組合から書類が回って来て、それには「東日本大震災により、マンション外壁にクラックが生じる被害があり、区役所からり災認定があった」と記されていました。
り災認定されたことにより、千葉県災害義援金が各戸に15,000円支給されることになったと通知され、それぞれが手続きの書類を提出するようにとのことでした。
こういう書類が来ると、心理としてはちょっと複雑です。
被災の度合いは違うけれど、「えっ、私たちも被災者だったの??」という認識に始まり、「マンションのひび割れってどこにできたの?」「マンションの資産価値がこれで下がってしまうのかしら?」「カンパしたお金がこんなかたちで巡って来るなんて!」などなどです。
2月もそろそろ終わります。
そして、3月11日が再び巡ってきます。
東京電力の値上げに関するニュースが話題になっています。
東京都では再考を促すために、東京都庁舎(新宿)の電力を中部電力に供給するよう要請していることがあきらかにされました。
「東京電力さん、値上げの前にもっとすることがあるでしょう!」と考えるのはみな同じだとおもうんですけどねぇ。
私が日々の暮らしの中でケチケチと節電や節水に務め、ゴミを出さないよう努力しているのに、そんな私たちの家庭での消費電力や水、ガスの消費、さらに出すゴミの量などは、日本全体に比べれば、ほんとにほんとにわずか、浜辺で拾う1個の小石にも満たないものなのだということは知っています。
「そんなことしたってね、あんたの努力は水の泡だよ」と識者を名乗る知人男性たちは嘲笑います。
しかしですねぇ……、生活実感の中からしかわからない視点というのがあり、そこを通ってこそ、切り込めるものというのがあるとおもうんですけれど。
私には、まあ、大局を観る力も知識もないので、嘲笑う人たちを前に、「そうですか、そうですか」と頷き返すしかないのですが。
我が家のガス料金は、風呂がまを換えたせいか、前月比40%減、もう少し様子を見ようと思います。
それにしても、若い時からもっともっとこういうことに関心を持ち続け、社会に目を向けていたらちょっとはカシコクなっていたのになあ……と思うこのごろ。
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今朝の新聞には、安富歩氏が「東大話法」について大きく語っていました。
原子力ムラで蔓延しているのが東大話法だということです。
自分の言った言葉に責任を持たない「高慢で無責任な傍観者話法」ということなんですね、これが。
「自らの内にある東大話法に向き合い、考えることから逃げ出さない姿勢が大切」と安富教授。
そう、自分の中にも、そんな話法を組み立てることってありますね。ブログを書くときも、記事を書くときも然りで、上手に切り抜けられる術とでもいえばいいのかしら。
「見つけたら笑ってやって」と見出しが付いているところをみると、こちらこそ、嘲笑に値するものなのでしょう。
考えることから逃げ出さないって、シンドイけれど、ね。
今朝の新聞では、「光市母子殺害事件」の最高裁判決が報じられていました。
その中での被害者遺族の本村洋さんの深い言葉は、強いメッセージ性を持って心に迫ってきました。
「死刑判決に勝者はなく、犯罪が起こった時点で、皆、敗者です。自分の人生を断たれてしまうような被害者がいなくなることを切に願います。」
事件には、必ず被害者と加害者が存在し、その両者が傷つき、ときには命を落とします。
先日お会いした保護司の中澤さんの言葉がよみがえります。
「犯罪が起きると、被害者の家族や親族はもちろんですが、その苦しみは加害者の家族や親族も同じです」。
記事によると、事件から13年間、犯行の残忍さから死刑という極刑を求め、裁判を通して自らの考えと向き合った本村さんと、13年を経て改心の兆しが見られ、その生い立ちを鑑みたとき、死刑判決のほかに救いの手はないのかと当時未成年だった被告に向ける人々の目。
だれもが人を裁けない、罪を憎んで人を憎まずの教えの中でなお、罪をみつめ、人を裁き、結審していかなければならない裁判制度。
「犯罪が起こった時点で、皆、敗者」というその言葉の深さの前に、ハラハラと涙を流すしかない他者である私たち。しかし、他者でありながらまた当事者になりうる可能性をはらんでいる私たちの人生を考えるとき、こういう記事を前に、自分自身を深く見つめ直す度量を持ちたいものだと思います。
言葉というのはすごい力を持っているものだとしみじみと思います。
言葉をないがしろにせず、軽はずみに言葉を発することなく、友人たちとの会話のときにも、丁寧に丁寧に言葉を紡ぎ出して行きたいものです。
隔週日曜日は野菜が届く日です。
あまりに瑞々しい野菜を前に、冷蔵庫に入れるのが惜しいくらいです。
カブの葉は塩ゆでして、お浸しにしました。
野菜本来のおいしさをかみしめました。
今日の野菜の中には、サツマイモ、ホウレンソウ、コマツナの「放射能測定結果の報告②」が入っていました。
いずれもセシウムを調べたもので「測定せず」の検査結果でした。検査結果だけではなく、なぜこの野菜を選んだのかや、不検出とはどういう意味を持つのかなどが、私たち消費者にわかるように記されていました。
田畑を耕し、手塩にかけた土。
その土が日本のあちこちで放射能汚染されました。
土だけではなく、水も空気もです。
1月29日付「東京新聞・時代を読む」に哲学者の内山節さんの言葉が載りました。
タイトルは「後世の人たちにお詫びを」というものでした。
原発事故は今を生きる人々だけではなく、後世の人たちにその処理を背負わせることになる。
「政治家も官僚も経済界の人たちも、この八方ふさがりの未来をつくりだしたことをまずはお詫びしてほしい。そして私たちもこのツケを渡さざるをえない後世の人たちにお詫びしなければならないだろう」とあります。
無農薬栽培に命がけで取り組んできた知り合い農家から来る「測定結果報告書」。信頼のおける「たんぽぽ舎」のものです。
自然相手の日々の農作業だけでも大変だと思われるのに、こんな余分な手間暇が必要視される時代。
送る方はもちろん、受け取る方もやるせなさでいっぱいです。
思わず、「こんな日本にだれがした!」と、叫びたい思いがつのります。
トータルで見ると、私たちがしたんですよね、確かに。
写真は、イエルカさん作、マイカップ。
今朝も揺れましたね。
最近、また地震が多くなっているのでしょうか……。
震源に近い地域では震度5弱。震度5以上になると、ビクッとしてしまいます。
3・11のときの千葉の震度は、たしか5強でした。
高層階の我が家では5強のときは、棚の上のものがかなり落下するのだという経験をしたけれど、さて、今後の対策は?と聞かれれば、基本的には打つ手なしの面持ちです。
地震によって、今まで築き上げてきたものが、まるで積木崩しのようにガラガラと崩れて行くのに、その確率の高さを信じようとしない、信じたくない心理が働きます。
先日見たテレビで、関東では4年以内に70%の確率で大地震が来るという研究データを説明していた学者さんがいました。
地震対策を考えても、新たな消費を促すモノも多いようで、その効用はいかに?と考えてしまいます。
家具転倒防止のためのつっかえ棒、どうみても不細工でかっこいいとは思えないし……。
対策のための啓発運動が繰り返しメディアに登場するけれど、地震で一番心配なのは原子力発電所なのに、その停止のためのめぼしい動きは伝わってきませんね。
九州からの情報では、作家の故松下竜一氏を偲ぶ「第8回竜一忌」は、6月16日(土)に決まったようですね。
講演者は京都大学原子炉実験所で助教の小出裕章氏だそうです。
私はもう一度、小出氏の『原発のウソ』をゆっくり読み始めました。
最近になって出て来た福島県二本松市の新築マンションの床のコンクリートから放射線セシウムが検出された例など、どれをとってもまるで事故後の政府の対応はモグラタタキのような感じです。
隠すこととウソをつくことをやめて、国民のためになる情報を正しく流し、とるべき手だてを先手先手で行ってほしいと思うけれど、それは所詮無理なことなのでしょうか……ね。
今年6月に中津で行われる「竜一忌」も時の人、小出裕章氏を迎えることで、さらに熱気を帯びて来ることでしょう。私ももちろん参加する予定です。
●小出さんの本をお探しの方へ。
小出裕章さんは、「本の泉社」からも、最近、本を出されています。
比べるのは、とてもおこがましいけれど、私の拙著『私たちはいつまでも忘れない』も本の泉社刊です。
小出さんの本と、セットでお買い求め下さると、とてもうれしいです。
「本の泉社」通販サイトは→★
拙著の帯は、「竜一忌」を主宰する、「中津草の根の会」代表のの梶原得三郎さんにお願いし、快く書いていただきました。
梶原さん、重ねてありがとうございます。
年が明けて、世の中が動き始めると、私の周辺も何となく動き始めます。
今日は、東銀座から銀座へ。
午前の銀座では、東銀座のとあるビルで打ち合わせ。
早めに着いた私が人を待っているあいだにカフェで聞いた話し。
「変更になったり、延びたり、中止になったり、うちの仕事はその繰り返しだからね!」
思わず、「えっ!!」と、声の聞こえる隣りのテーブル席をみると、作業服を着た技術屋さんの3人の会話でした。ここは、銀座のクリエイティブな業界が入るビルの1階カフェコーナー。
ああ、この人たち、そんな中でやりくりしながら仕事を前に進めているのだなあと、思わず尊敬のまなざしで眺めてしまいました。
こんな会話が街の中で漏れ聞こえるから、私も頑張れるし、世の中面白いのかもしれませんね。
午後の銀座はプライベート。
「リサイクルブティック・エスパース」にアポなしで訪問したにも関わらず、久しぶりに懐かしい室井さんにもお会い出来て、お話しもたっぷり伺うことが出来て、よい一日でした。
年に1回お会いするかしないかなのに、旧交を温め合うというのは、今日の日のようなことを言うのでしょうか。数年前にいただいたほんのちょっとしたご縁から、お訪ねするたびにお話しが弾むのは本当にありがたくうれしい限りです。
「銀座は私の庭のようなものです」と、銀座で40年以上にも及ぶ金融業を営んで来られた室井さん。
お仕事を通して関わって来られた人やことや、お金の話しなど、本を何冊も著している室井さんの熱血な話しぶりは変わることなく、健在でした。
原発事故のことや津波被災者に寄せる思いなどたくさんの共通認識や共感があり、また今の社会時評なども伺うことができて、あっという間に2時間が過ぎ、刺激的なカフェタイムを過ごすことができました。
室井さんの本もお話しもとても面白いです。
わかり合う人たちと会話できる喜び。会話から醸し出される信頼関係。
そんな中で、今年もゆっくりと動き始めました。