5月3日~5日まで新潟県咲花温泉に泊まりました。
咲花温泉を散策中、SLに遭遇しました。「SLばんえつ物語号」です。
磐越西線咲花駅は無人駅のため、急いでホームに走り、シャッターチャンスに恵まれました。
咲花駅から歩いて2~3分で阿賀野川の岸辺に出ます。
今回の旅の目的は、咲花温泉「柳水園」で行われた、「『阿賀に生きる』17周年・2009年追悼集会『阿賀の岸辺にて』」(阿賀に生きるファン倶楽部主催)に参加のためでした。
阿賀野川流域に広がった「新潟水俣病」の患者さんやその周辺の暮らしを撮った佐藤真監督の映画「阿賀に生きる」。
その「阿賀に生きる」の撮影の時から深くかかわった当地の旗野秀人さんによる「阿賀に生きるファン倶楽部・冥土のみやげ企画」が中心となって、全国から関係者が集まります。
私は昨年に続いて2回目の参加でしたが、最初から欠かさず参加し続けている方もいて、その会の魅力も主催者旗野さんの魅力も尋常ではないものがあります。
映画の中に登場した患者さんが年々亡くなり、その患者さんの追悼ともいえる集まりで、健在の患者さんも交えながらの大交流会が毎年ここで行われています。
豊かな水量を誇る川は暮らしに密着し、深い母性を感じさせます。
しかし、この川に流れてきた「昭和電工・鹿瀬工場」の排水とともに、アセトアルデヒドの製造工程で作られるメチル水銀が処理されないまま流されていたことにより、川魚を食べた人たちに被害が広がりました。
川を眺めていると、人々の過ちをも静かに受け止め、不変にたゆたっているようにも見え、被害の実態を知れば知るほどその罪の大きさへの気付きを私たちに無言で教えてくれている存在のようにも思えます。
新緑に萌える「笠森観音」を訪ね、そこから「museum as it is」へと足を延ばしました。
◎ ◎ ◎
「笠森観音」は、坂東33観音霊場の31番札所として、多くの人の信仰を集めています。
観音堂は国の重要無形文化財に登録されています。木造の御堂の長い階段を上がりついたところに観音様をお祀りしています。ご本尊は秘仏となり普段は拝観することができませんが、今年は丑年のため10月17日~11月18日までご開帳が行われます。
錫杖を持っている観音様をぜひ拝顔出来る日を楽しみにしています。
高所が苦手な私は今回は観音堂に上ることなく、周辺の緑萌える景色の中の散策を楽しみました。
散策の途中、参拝者に自由に突くことを許されている鐘つき堂の鐘の音が「ゴ~ン」と重厚な響きを奏で、山々に響き渡っていました。
緑深い山の中の霊場として、先人の信仰心の篤さにも思いを馳せました。
観音堂の裏手はハイキングロードとしても整備されています。
ぽかぽかとした陽だまりの中を歩く心地よさは格別です。
笠森観音は、交通アクセスがよい方とは決して言えず、上総牛久駅に友人が出迎えてくれ、車で案内を頼みました。車のなかった時代、昔の人たちは徒歩でこの地を目指したのでしょうか。
◎ ◎ ◎
笠森観音まで来たからには、きっと「as it iz」も近いはず……と、突然思いつき、地図を持たずに出てしまった私は、周辺の地理に詳しい友人に頼んで連れて行ってもらい、辿りつくことができました。
思いがけず、願いが叶ってバンザイ!!!
「museum as it is」では、「坂田敏子展」が行われていました。展示品には毎回訪ねる度にうっとりと見惚れてしまいます。「芸術新潮」2009年4月号「パリと骨董」の表紙にも使われている“箱”も展示されていました。
周辺には、竹で編まれたmuseum の塀や外壁の土壁にオオデマリが映えてまぶしいほどの白さで咲き誇っていました。
静謐でひそやかなこの小さな美術館は、初めて訪れた友人も気に入ったようでした。私はようやく3回目です。ここまで来るのも、車のない私には至難なことですから友人に深謝!!
◎ ◎ ◎
美術館の隣りのお家の納屋の外壁も何だかムードがあって素敵でした。
駐車場から細い坂を上がって歩く道沿いにあり、窓が切られている個所にはお人形が置かれていました。以前訪ねたときより新しいお人形に替えられていました。
雨ざらしになった古いお人形も素敵でしたが、新しく替えられたこのお人形は、年の初めに飾られたのでしょうか……。祀りごとの儀式をも連想させるほど味わいのある佇まいでした。
都内の大学の学生さんや教師の方70名を迎え入れて、養老渓谷駅からハイキングが行われました。
地元のボランティアの方が道案内のため6名付き添いましたが、私は+1として加わらせていただき、新緑に薫る山々を一緒に歩かせていただきました。
「梅ケ瀬渓谷」から「もみじ谷」を通り、「大福山」に抜け、「大福山」で昼食をとったあと、今度は車道を下って駅にもどるというコースでした。
10時半に出発して昼食を挟み、3時半に戻るという、およそ12キロの難コースを歩く行程に落伍しないで付いて行けるか心配でしたが、何とか同じ歩調で歩き切ることが出来ました。
「熊野古道」を歩いているような昔道が遺り、渓谷から「大福山」への上りでは息が上がり、「心臓破りの山道」という急斜面を登るときは、危うく脱落しそうになり、先頭集団から外れて最後尾になってしまいました。
渓流を縫うように歩き、何度も飛び石を渡りました。
美しい山の景色が広がる中、ゆっくり歩きました。
道々には、野の花がひそやかにつつましく咲いていました。
途中、赤いつり橋と青いつり橋がありますが、一巡して行きと帰りに赤青二つのつり橋を渡りました。
民家の前庭では、タケノコなどを天日干ししていました。
タケノコは一度茹でたあとに、細く切って干し、保存食にするそうです。
山ザクラの散り敷いた渓谷沿いの道を歩き、かすかに山の彼方に咲き残るサクラの花霞や数多の新緑に彩られた山景色を眺めながら歩くうれしさは格別でした。
微風が吹き、お天気に恵まれて、ほんとうによい季節の中を歩きました。
地元ボランティアの方々は私よりはるかに高齢の方もいましたが、皆さん日頃から歩き慣れている道で健脚ぶりを発揮され、私は心底驚きました。
学生さんたちの軽装の出で立ちに驚き、大丈夫かしらと懸念したものの、若さっていいですね。皆さん軽々と歩き切りました。
日々の積み重ねで鍛え続けるって大事だなあと、よい教訓を得ることが出来て、同行させていただけたことは最高に楽しかったです!!


4月5日(日)の飯給駅はサクラが5~7分咲きでした。
菜の花は満開で代掻きの終わった田んぼの水面に映り込んでいました。
駅周辺ではいくつかのイベントが行われましたが、「麦畑」(オヨネーズ)の 作詞/作曲者でもある榎戸若子さん(相方の男性は地元の方)が駅ホームに登場し、線路の向こう側に陣取ったギャラリーに歌を披露しました。
電車は1~2時間に一本の間隔で来ますので、のんびり~◎のんびり~◎ムード。
榎戸さんは、「麦畑」がヒットするまでゴルフ場のキャディさんをしていた方だそうです。とっても楽しい歌でした。






たくさんのサクラの木があるわけでもない飯給駅ですが、情感のある風景がレトロで懐かしい春の景色を醸し出していました。

2月に旅をしたときの、旅先の車中で、窓の外に広がる工業地帯を写真に撮っていたとき、一人の女性に声をかけられました。
「お一人で旅行中ですか?」と。
田舎のローカル線の電車の中は日中のことでもありガラガラと空いていました。
のんびりとしたひとり旅の私です。「はい」と答えました。
観ると先様もどうやら私と同世代らしき方でした。
小さなキャリーバックをひとつ引いているところや、シンプルなパンツスタイルも服装の色合いなども何やら共通します。
私たちは、すぐに意気投合し、それぞれの旅の目的と日頃の暮らしの考え方などをどちらからともなく語り始めました。
1時間あまりの電車旅も終点に差し掛かり、電車を降りた私たちは、名残惜しく話もまだ終わらないことから、「もう少し、お話ししませんか?」とどちらからともなく声を掛け合い、お互いに合意しました。
駅のそばにカフェをさがしましたが、カフェが見つからず、しばらく歩くと商工会議所の小さなビルが見えました。こちらでカフェのある場所を訊きましょうということになりましたが、カフェがないことが判り、スタッフの方に「どうぞ、そこのベンチに座ってお話し下さい」と促されたこともあって、会議所のフロアーでたくさんのおしゃべりをしました。

名刺交換をした折り、その方は「○○百合」さんだと知りました。
名古屋の方で、少しこの町を観光した後、今日の飛行機で名古屋に帰ると言っていました。
エコスタイルの暮らし方やスローライフなど、どちらからともなく関心のあることを語り合い、なぜ私が海の先に広がっている工業地帯の風景を写真に収めていたかなども。そして初対面ながら尽きない話題にあふれ、私はいまこの場に流れている会話のこぎみ良さに酔いしれそうなほどでした。
きちんきちんとお互いがお互いの話を大切に聞いて相槌を入れるタイミングの良さとでも言えばいいのでしょうか。
いただいた名刺から、百合さんは手術室のクリーンルームなど医療機器販売会社の管理職で、担当はヨーロッパ、お話の中から度々ドイツに仕事で行っていることやドイツ人の暮らしぶりや、ヨーロパ全土にわたる景観の落ち着きぶりなども話題に登場しました。
そして、何より、百合さんのお顔の表情が理知的でやさしく静かでキリリとしていたことが私の心をとらえました。
同性として、同世代の女性の素敵さに触れることは大きな喜びのひとつです。
旅をしているとたくさんの刺激があり、思わぬところから視野が広がっていくことも旅の楽しみのひとつですね。よい出会いを感謝しています。
如月の旅


ふるさとへの5泊6日の旅をして、今日帰りました。
海や川のある風景を辿りました。


歩きながら、ふと足を止めた予期せぬ出会いのお地蔵様。
雨風にさらされ、風化され、よいお顔をしていました。
きれいに周りを整えられ、人々に大切にされている様子が伝わってきました。
人はもちろん、物体さえもが、愛され続けると円く円く柔和なお顔立ちになるものなのですね。
私の旅の目的はいつの時も、自然体で限りなく人々との出会いを紡ぐ旅でもあります。
今回も、佳き人々と深く深くつながることができた充実に満ちていました。
お世話になった方々へ感謝を込めて、ほんとうにありがとうございました。
【……ブログを読んで下さっている皆様へ……】
今は、予約投稿システムが機能し、留守中も記事を書いて送っておくとパソコンを持ち歩かなくてもブログを指定した日時に更新することができます。(私は使いませんが、携帯電話のモードから記事の投稿などもできます。 )
ちょっとつまらないけれど、色々の事がさまざまに進化しているのですね。
◎しばらくぶりにブログを編集したら、「ブログランキング」なるものが登場していました。
どうやら、119万gooブログ中のランキングのようです。
1万以内のランキングに入ると表示されるのでしょうか???
いつも読んで下さっている皆様ありがとうございます。感謝・合掌。
真鶴へ



「『青春18きっぷ』があるので、いっしょに真鶴へ行かない?」と友人に誘われて、日帰りの小さな旅をしました。
真鶴には「中川一政美術館」などもあり、また漁港としても知られているほかに、真鶴と聞いて真っ先に思い浮かべたのが川上弘美の小説「真鶴」でした。
作家と読者との間に相性というものがあるとしたら……と、思います。
私は川上の「真鶴」の評判を聞いて、本屋で4回、5回となくそれを手にとっていながら買わずじまい、従って読まずじまいで今日まできてしまいました。それどころか「センセイの鞄」などを古書店で買ったにもかかわらず、それも最後まで読まずに積読状態で今日に至っています。
そのことを誘ってくれた友人に話すと、「ううん、いいの。川上の『真鶴』には風景の描写はほとんどないから」といともあっさり。
「美味しいお魚、食べたいね」と、真鶴行きを決行した次第です。
岸壁に陣取り、2時間近くおしゃべりに花が咲きました。
凪の海から漂ってくる空気の心地よさと注ぎ来る陽射しの暖かさを堪能しました。
近くの公園では紅梅が咲きほころんで春を知らせていました。


海の近くにある、地魚を使ったお鮨を食べさせるというお店の前を通りかかり、迷いつつ中に入りました。
10貫のお鮨とイセエビの味噌汁付きで3150円。まあまあ納得しました。
まあまあの部分はこちら側の姿勢にあり、お昼間からこんな贅沢をしていいものなのかという負い目があったからで、言葉を換えればとても美味でした。
特に地イワシに七味を添えて出てきたイワシ鮨は最高!!でした。
他にアワビなどもあり、家に帰って考えるとお得感いっぱいのお鮨だったようですね。
友人夫妻に誘われて、「香取神宮」に初詣に行きました。
都内や千葉の今年の恵方に位置する「香取神宮」は、お正月らしく参道には出店が並び、いつもの静けさとは違い賑わっていました。
鎮座している「要石」のそばに行き、手をかざすとエネルギーがビンビン伝わってきました。いわれでは「鹿島神宮」の要石は凹、「香取神宮」は凸で一対だそうです。
「鹿島神宮」は男性的、「香取神宮」はその美しさからも女性的といわれていますが、要石にもその意味が込められているようです。
お参りを済ますと、近くの良い場所を探してお昼を食べることにしました。
今年初めての“ピクニッケ”です。
風のない穏やかな一日、陽だまりを求めて車を走らせました。
人気のない公園の暖かな岸辺にシートを敷いて、友人お手製のおせち弁当を4人でいただきました。ポット入りの温かいお茶をいただきながら美味しさをかみしめました。
空はどこまでも青く清んで、白い雲がのどかに浮かんでいました。
椎の実やドングリの実があちこちに落ちていました。
しばらく戸外でのおしゃべりに花を咲かせながら公園を後にし、車を走らせていると、今度は「府馬の大クス」の標識を見つけました。
「府馬の大クス」は、国の天然記念物に指定された巨樹として知られています。
久々に個性的な佇まいの巨樹に会えたうれしさに興奮冷めやらずの感を抱きました。新年を迎え、新しいしめ縄が張り巡らされ、地域の人たちに大切にされていることが伺えました。幸せな樹ですね。
周辺の景色も素晴らしく、ここでもしばらく採気のために時間を費やしました。
そして、海へ。
「香取神宮」への初詣でだけを計画し、あとはアバウトに動いただけなのに、導かれいざなわれるように新年早々「私にとってのパワースポット」を次々訪れたことになりました。
途中、小さな祠の稲荷神社に祀られたキツネもよいムードでした。
こんな機会を作って下さった友人夫妻に感謝。
ピクニッケのランチは最高に美味しかった!!!戸外でいただく手作りご飯の素晴らしさが病みつきになりそうです。

聖地「モンサンミッシェル」を訪ねたとき、まるで映画の中のワンシーンではないかと思うような光景に出合いました。

修道女と女性はどんな関係で何を語り合い、何を手渡したのでしょうか……。それとも、手に持っているのは経典?
修道女が実際に暮らし、祈りを捧げているというモンサンミッシェル寺院。急ぎ足で去って行った修道女は場の空気を動かす風の女神のようでした。
「モンサンミッシェル」の聖地に立った時、長い石畳の階段を登りながら、ここが素晴らしい気場・パワースポットであるということに突然気付かされました。予期していなかったその感覚は享受したという思いに近く、その体感はずっと私の中で生き続けることでしょう。
●「モンサンミッシェル」に関するたくさんの画像がありました。
「モンサンミッシェル」