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ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

純白のドレス/迷路の先に~「大地の芸術祭 妻有アートトリエンナーレ2009」⑤

2009年09月06日 | 


 
 


小さな小学校跡の小さな体育館。
迷路の壁一面にまっ白い布が下がり、よく見るとそれは純白の絹のスリップドレスでした。
作品を通して強く烈しくそしてしなやかなメッセージが感じられ、それはまるで般若心経の中の「色不異空・空不異色・色即是空・空即是色」の世界のようでした。
オランダアムステルダム在住のピアニストでありアーティストの向井山朋子さんの作品です。

 


(写真上 向井山朋子 )

迷路の先の、辿りついた花芯の中に命を育むしるしとしての黒々とした世界。
黒は光の色とも何かで聞いたことがあります。
いのちと真っ直ぐに繋がった月経血で汚れた濁の世界と、第8のチャクラの色とも言われる白、その絹布の清との表裏は、すべてを超えて無私への誘いの入口に立たされているようでした。











灯りを効果的に使った作品も数多くありました。
古民家の中での科学とのコラボレーションのようですね。

 
 
 
 

古い藁ぶき屋根のお家が1軒ぽつんと建っていました。
まるでパチワークを施したような屋根。この家は作品ではありませんが、決して引けをとりません。
作品名も「家の記憶」「黎の家」「脱皮する家」など家にまつわるものが多くみられました。

 
 
 

「妻有大地の里」には、静かに秋が忍び寄っていました。
まるでここが巡礼の地のように、遍路旅を続ける私たち。
はるかな旅が続きます。

星峠の棚田&「大地の芸術祭アートトリエンナーレ2009」④

2009年09月05日 | 





日本で最も美しい棚田の一つと言われる「星峠の棚田」。
手入れの行き届いた棚田の風景は晴れやかな美しさがありました。
青田の棚田でしたが、収穫の秋を迎えてやがて黄金の色を増して行くことでしょう。
田植え前の水を張った棚田に映り込む夕日やお月さまなどはどんなにか情緒に富んでいることか、雪の棚田も神秘的と、色々の情景が心の中に広がりました。
ツアー参加者の若い女性は、棚田の風景が一番印象に残ったと話していました。

 
 
 

(写真上 「いけばなの家」 松代星峠)
力強く斬新でありながら静謐な趣きも併せ持ついけばな。
赤い花びらは水に浮かんでいました。古民家の中ならではの設えの美しさ。
贅沢な空間を堪能しました。

 


(写真上 「内なる旅」 アンティエグメルス 松代会沢)
この目玉の作品は、今回最も印象に残った作品のひとつです。
そぼそぼと降る雨の中、バスを降り、坂を登り、さらにブナ林の細い山道を歩きました。
一体どこに行き、行きついた先に何があるのだろうと訝しく思うほど。
だんだんと赤く塗った石などが道中に点在し、鏡が置かれています。まるで閻魔様の鏡の前でチェックを受けるような怪しげな空気感。
登りついたところは広場でした。これまでの生きざまの潔斎の儀式が行われるような空間でした。異界を想わせる、しかし心地いい場所。
林の中には広場を囲むように無数の水色の目玉が光っています。広場の中央には金色に塗られた石の中に円い鏡が置かれ、鏡の少し上には縄梯子が天空に伸びています。
結界が張られていると思いました。ここから天国に行けるよとそんな感じでした。
帰りの道では、結界の外に出たとたん「気」が変わっていくのを体感しました。
こんな作品を作ってブナ林の中に設置して下さるなんて、なんと粋な計らいかしらとワクワクするひと時を楽しみました。
ありがとう~☆~ブラボー~☆~と、そんな気分で、ミスト状の雨を受けながら戻りました。ブナ林はとっても神秘的な演出効果がありました。
ここにしばらく居たいなあと、そんな思いで場所を去りました。
戸外のため、お天気や時間によっても違った印象を受けるかもしれないけれど、私は小雨混じりの薄靄のかかる今が最高と思いつつ場に佇みました。


「『大地の里』で出会ったおばあさん&うぶすなの家」ほか③

2009年09月04日 | 


願入の「うぶすなの家」の前を、荷押し車を押してくるひとりのおばあさん。



風景にしっかり融け込んでいるその方があまりに素敵だったので、「お写真、撮らせていただいていいですか?」と声をかけました。
最初、「いえいえ、恥ずかしいから」とはにかまれましたが、私が「こちらを向いて下さい」とカメラを向けると、立ち止まってカメラ目線に表情を移して下さいました。



大地に足をしっかりつけた「大地の里」のおばあさん。
「どちらからで?」と、尋ねられたので、「東京からです」と答えると、右手をあげて、「それはそれはありがとうございます」と、祈りの表情を示されました。
勝手にこの集落に入って行く闖入者の私たちこそ、「寄せていただいて、ありがとうございます」の世界なのにと、胸が熱くなりました。



おばあさん、いつまでもお元気で、と、その後ろ姿を見送りました。
この集落でも過疎化が進み、今は4軒のお家が残されているだけだそうです。

 
 

(写真上 「うぶすなの家」内部2階)
「うぶすなの家」は焼き物美術館として機能し、お茶会なども開かれるようです。
1階はレストランになっています。織部の大きなかまどなどもあり、思いの籠もった古い日本の家でした。

 
 
 

「みしゃぐち」は、「うぶすなの家」のちかくにあります。
この「みしゃぐち(胞衣)」は、私の大好きな場所のひとつです。
みしゃぐちは、女性の子宮の中をも想像させるような神聖な空間。土壁で出来ている円い仕切りの内側は、神事が行われそうな佇まいを持っていました。神様が今にも降りて来そうな……。
ここは3年前にも訪ねました。
今は、緑が茂り、苔が生え、さらに気持ちのいい空間となって育っていました。
すぐ近くには手入れの行き届いた小さなお宮がありました。
願入(がんにゅう)という地名に置かれたぴったりの作品ですね。



「大地の芸術祭:妻有アートトリエンナーレ2009」への旅②

2009年09月03日 | 

およそ300の作品が点在する中、30~40の作品を鑑賞する幸運に恵まれました。

◎……初日に観た作品の中から……◎

 
 
 
(写真上 「作品「うかのめ」:十日町池沢)
古いお家の玄関にはたくさんのお札が貼ってありました。
「立春大吉」符などもありました。軒下には燕の巣の跡らしきものもあり、懐かしい匂いがしました。
作品は、お米粒を長い糸でつないだ一本一本がベースになって仕上げられています。光を受けて糸のシャワーの中にいるような感じを抱き、気の遠くなるような制作の作業を伺ってただただ息をのみました。

 

集落に咲く花々は優しく雅やかです。
「トマトやキュウリをどうぞ召し上がれ」と、そんな村の人の美味しい気配りに感謝の声をあげました。

 

(写真上 作品「もうひとつの特異点:十日町二ツ屋」)

 


(写真上 作品「enishi」:十日町旧赤倉小学校体育館)
こちらは、真珠色のマチ針を使った作品です。中に色の付いたものがところどころに。作者の松澤さんは、「マチ針はいつも脇役です。運針のときには縫い針を使いマチ針は役割を終えます。いつも主役にはなれないマチ針を使いたかった」と、おっしゃっていました。
巨大なクモの巣もマチ針で作られています。
膨大な時間を使って仕上がった手仕事の作品で、コツコツとそして黙々と作り上げて行くアート作品制作の過程は、私たち生活者の日常をていねいに生きることと同じなのだと深い勇気をいただきました。

 
 

(写真上 作品「福武ハウス」)
ここも、学校跡につくられた、小さな美術館のような趣きがありました。


 

(写真上 作品「絵本と木の実の美術館」:十日町旧真田小学校)

他にも(作品「スイートルーム」:十日町土市)にも行きました。
元歯医者さん跡地で、ここでは中に入ると、暴風雨の体験ができ、雷さまもゴロゴロ。窓の外から雨の滴が入り込んでくるようでした。もちろん、ほんとの戸外のお天気は晴れの中でです。冒険の中にいるようなワクワク感がありました。

作品を見ていると、モノをひたすら作り続けるひたむきな楽しさが伝わって来るようでした。

 
 
 
 

過疎とも言える村々の佇まいは、ひそやかに息づいているようでした。
清んだ空気の中に濁りのない花々が色を添え、そこに暮らす豊かな人々の内情を映し出すようにすっと静かに立ち、かすかに吹く風に時折り揺らいでいました。

私は、作品の周辺の景色に触れるだけでも十分にうれしく、村に咲く花に魅せられ続けました。

 
 
 

窓の外に広がる緑が目に沁みます。

 

(写真上 作品「名ケ山写真館 遺影~彼岸に還る~

訪れた先は、どこも懐かしさにあふれていました。
窓から射し込む光の温もりと室内の暗がりとのコントラスト。
「陰影礼賛」の侘びや寂びがそのまま残り、障子窓やふすまなど、すでに失いつつある木枠や和紙の美しさなどが随所に見られました。また黒光りする柱や木肌の床を照らす電球1個の明るさは、人に安らぎを与えるに充分で、灯りの簡素な光にも魅せられました。
冬は深い雪に覆われるとは予測し難く、しかし家々の作りは雪対策が施された民家が点在していました。


「大地の芸術祭:妻有アートトリエンナーレ2009」への旅①

2009年09月02日 | 
 

3年に1回行われるアートトリエンナーレ。
大地の芸術祭:妻有アートトリエンナーレ2009」の観賞ツアーに8月30日~9月1日までの2泊3日で出かけてきました。
私は2006年に続いて2回目の旅でしたが、今回は、「武蔵野美術大学校友会が主催されたスタディツアー」に乗ることができ、充実したよい旅をすることができました。
(私は校友会員でもなく、ムサビの関係者でもありませんが、インターネットでこのツアーを見つけて申し込みをしました)

東京都内よりも広い敷地の中に点在するアート作品の鑑賞には、このツアーバスは願ってもないもので、このツアーにはムサビ校友会事務局でこのツアーを計画して下さった方や、「大地の芸術祭」の総合プロデューサー北川フラムさんの元で仕事をし、最初から芸術祭の運営に関わって来られたスタッフの方がナビゲーターをして下さるという贅沢なものでした。
海外のアーチストとの出会いや関わりなども含め、作品の秘める背景などもお聞きすることができて、密度の濃い旅となりました。感謝。

26名の参加者は2泊3日を共に過ごし、宿は指定の旅館や廃校を再生した宿泊施設などから事前に選ぶことができ、私は迷わず「三省ハウス」(サンショウハウス)に泊まることを選びました。

 

「三省ハウス」は松之山にあった三省小学校が廃校となったことから複合宿泊施設として生まれ変わり、食事は地域のお母さんたちが作って下さったものをいただくというもので、宿泊は教室の中に二段ベッドを入れ、かなりの人が泊まれるものです。
ここでは、私は2段ベッドの上段を割り当てられ、上り下りに「エッコラショ」と掛け声をかけるほどでしたが、2泊している間にコツがつかめ、楽に移動ができるようになりました。

これはすべての作品を観て歩く中でも非常に驚いたことの一つですが、古い民家を再生したものなどに展示された作品を鑑賞するときにも、その施設に設けられたトイレだけは洋式の水洗トイレが設置され、洗面所も含め水まわりの心地よさと安定は利用者としてとても有り難く、深く感謝しました。
私の泊まった三省ハウスも例外ではありません。

手作りご飯もとても美味しかったです。お米やお野菜の美味しさに食がどんどん進みます。

 
 


上の写真は「松代農舞台」です。
ツアー初日は、いくつかの作品を巡ったあと、ここで行われる「UA(ウーア)・人形浄瑠璃・能」の舞台を鑑賞し、その素晴らしさに酔いしれました。
出演者もさることながら、この舞台の持つ個性や特色を生かした半野外コンサート。
舞台の背景は里山の中の棚田とその棚田に置かれたイリヤ&エミリア・ガバコフの農耕する人々の青や黄色の色鮮やかな作品群です。

(上演中の写真撮影は禁じられているため、その写真はありませんので、「UA(ウーア)・人形浄瑠璃・能」でご覧ください)

夜の帳が降り、辺りが闇に包まれると漆黒の背景となり、かすかな明かりで照らしだされる棚田から吹き抜ける心地よい風までが演出効果を高め、幽玄の世界に包まれます。
舞台に当てられたライトに小さな虫たちが集まり、その乱舞とのコラボレーションのようにも見える自然の気をとり込んだ舞台演出はここでしか観ることのできない一期一会を強く感じ、演じられる演者の方々や舞台美術、作品のすばらしさとも相まって、今もその余韻が響き渡ります。
人形浄瑠璃の人形の衣装のあでやかさと人形遣いの方による人形のまるで生きているような表情の豊かさ、そして能の大江信行氏の舞いのダイナミックさ、義太夫節浄瑠璃の人間国宝竹本駒之助さん(女性)の声による義太夫節と三味線の音色が作品にリズムを添え、美しくて格調の高い壮大な舞台でした。
(演目は芥川龍之介原作「きりしとほろ上人伝」)

私にとってはこの農舞台での舞台鑑賞は2度目で、3年に一度の贅沢な気分を旅先で味わうことができ、ほんとうにうれしく思いました。



十三湖

2009年07月29日 | 


「十三湖」、今度はいつか、プライベートでゆっくり訪ねたい。
紫陽花が花の盛りを迎えていました。

「夕陽スポット」に夕日なく

2009年07月08日 | 



7日午後3時に東京を発って、翌日の取材場所へ移動のため、取っていただいた宿が新潟、瀬波温泉にあるホテル。
全室が夕陽を望めるオーシャンビューとなっているホテルの窓から眺めた見渡す限りの地平線。夕陽時刻には間に合ったものの、梅雨の最中でもあり、太陽はお出ましにならず、雲の向こうに顔をお隠しでした。

日本海の夕陽を一度観たいなと思っっていたものの叶わず。
でも今回出会った方々の中には、「青春18きっぷ」を使っての~んびり、長~いニッポンの“日本海北上旅”の中で夕陽を堪能した人たちもいて、これからの旅のヒントがいっぱい。

旅の醍醐味は、公私を選ばず、素敵な景色や美味しいものと人との出会い。
今回も面白いことが山のようにありました。
瀬波温泉の温泉に浸かっていたら、2人の姉妹(私より少しお姉さまたち)が声をかけてきました。まさに裸の付き合い。話して行くと、そのお一人は私の家から割りと近い大型スーパーで働いていることがわかり、びっくり!!
こんな過疎の温泉地で、まさか同郷の人が同じお風呂に浸かっているなんて!!
(そのお風呂には、私たち3人だけでした。)
仕組んでも難しいことが、現実にはさっと起こる不思議。

やはり、時々外に出ることは、心身の活性化にはよい効果があるようですね。


福岡の「香椎宮」を訪ねました

2009年06月19日 | 

 

福岡県にあるパワースポットとして知られる「香椎宮」を訪ねました。

「香椎神宮駅」に降り立つと、何と単線の駅で、駅舎もホームの端に作られている小さな駅でした。
「香椎宮」はこの駅の名前から「香椎神宮」とも呼ばれているようですが、正式には「香椎宮」だそうです。



通りから見るだけでは、木々の茂みも深さを感じられませんが、一歩中に踏み入れるとそこは聖域と呼ぶにふさわしい神聖な空気が漂っていました。



鳥居をくぐると最初に見えるのが桜門です。



 

狛犬は、とても印象に残ったもののひとつです。



桜門の大きな木の扉には皇室に深い関わりを持つ宮にふさわしく、「菊のご紋章」が彫り込まれています。





桜門をくぐると、広場右手に「綾杉」が見えます。
ご神木の「綾杉」は、由緒の通りだとすると樹齢1800年にもなるようです。



広場左手の階段をさらに上がって行くと「香椎宮」本殿があります。



本殿は、香椎造りと呼ばれ、国の重要無形文化財に指定されています。
大らかで、品のよいおっとりとした佇まいを感じました。

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香椎宮を出て、「日本三大名水」の一つと数えられる「不老水」を汲みに行きました。
香椎宮から住宅地の中を歩いて7分位のところにあります。

 



扉を開けると井戸があり、井戸の蓋を開け、ひざまづいて、そばにある柄杓を使っていただきます。



ここのお水は口に含んだとたん、「美味しい!!」と声が出るほどでした。
甘くてまろやかで濃い……味がしました。

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「香椎宮」にどんな気を感じたか……。
「幣立神宮」を訪ねた時のような強い気は感じず、穏やかで柔らかい場所だなあと、そんな印象を持ちました。



何だか気になったのが、本殿の脇に建立されている「武内神社」でした。
なぜ気になるのか、そのわけを「ふじたさん」に訊いてみたいなと思いました。




旅の楽しみ…巨樹に逢う 「三川の将軍杉」

2009年05月16日 | 



旅をするとき、主たる目的はいつも一つか二つで、それ以上欲張ってプランを立てることはありません。
車の運転ができない私は、いつも人さまの車に同乗させていただくことが多く、その道中、巨樹の看板を見かけても「ちょっと遠回りを~」とお願いするにもなかなか難しいこともあります。
しかし、阿賀を訪ねたときに、この「三川の大杉」(国の天然記念物)は、どうしても訪ねてみたくて、その願いが今回叶いました。
人と比べると、樹がいかに大きいかがわかります。
巨樹の周辺からはたくさんの採気も出来て、身体がリフレッシュしていくのがわかります。



「村人がこの大杉を切って船を造ろうと計画したところ……」などの伝説は、そばを流れる阿賀野川とそこに浮かぶ木の川舟があってこその言い伝えですね。

 

「三川の将軍杉」を訪ねたところ、すぐそばに国宝「平等寺薬師堂」があり、その薬師堂の美しさにも感動しました。陽光に照り映え、ウグイスが鳴き、梢の音がサラサラと耳に心地よく響き、都会に住む喧騒をいっとき忘れ、ニッポンっていいなあ!とその風情に心が洗われる思いでした。
明るく開かれた、しかし静かな過疎ともいえる地に、暮らしとともに在るように存在する将軍杉と薬師堂。人々に大切に護り継がれている様子が伺えます。

これらに出会うことができたのは、すべて旅の主たる目的ではなく“おまけ”ですが、そのおまけがなかなかもっていいのですから、侮れません。
旅は予期せぬ出会いが人にも自然にもあり、それらはまるで意図することなく神様からのプレゼントのように降り注ぎます。


きつね化粧の人々…津川きつねの嫁入り行列

2009年05月10日 | 
毎年5月3日に行われている恒例の「津川狐の嫁入り行列」に、昨年に続き今年も参加しました。
会場になる津川の町の沿道には、「狐化粧」をした人々が、思い思いにこのお祭りに参加しています。
観光客も、地元のおじいさんも、交通整理をするおまわりさんも、津川の駅の駅員さんもみんなみんな狐化粧で束の間の変身を楽しんでいます。

 
 

「津川狐の嫁入り行列」は、「麒麟山」に広がる「キツネ火伝説」に端を発し、町起こしの行事の一環として観光客を集めています。

 
 




狐の花嫁は、100人からのお供を連れて町を練り歩きます。
花婿は、橋の上で花嫁の到着を待ちますが、この花嫁・花婿は公募で選ばれ、現在婚約中のカップルが務めます。
沿道からは、「花嫁さん、きれいだよ!!」「こっちを向いて~~」と声がかかります。その都度狐のしぐさで応えていました。

夜の帳が下りた頃、河川敷の川の上に設えられた大舞台の上に花嫁・花婿が登場します。
河川敷ではたくさんのテントが張られ、屋台が出て賑わい、私たち一行8名もここで旅の疲れをぬぐい去り、お腹を満たします。
大型カメラで、道中の様子が映し出されるなど、現代機器をフルに使った一大ベージェントに人々は酔いしれます。





メイン会場では、舞台の両脇にたくさんのかがり火が焚かれていますが、黒衣のスタッフの人たちが水に浸かり、火を絶やさないように薪をくべ続けていました。
表舞台を歩く人、それを支える人、そして観客の三位一体がそれぞれ自分の役割を全うしている都会にはない整然とした清々しさを今年も感じ、胸を熱くしました。



イベントのクライマックスは、結婚の儀式も終わり、花嫁・花婿が手に手を取り合って会場を去り、そばに泊められた小舟に乗って山に帰って行くシーンです。
小舟が向こう岸の麒麟山に着いた頃、麒麟山の鳥居に灯りが灯されます。山に帰って行く狐の夫婦。その道しるべのように、狐火が山の頂上に向かって灯る演出は心憎いばかりです。

山と川に囲まれた小さな過疎の町津川。
阿賀野川の支流常浪川を中心に栄えた様子が町を歩くとよくわかります。
詳しくは、津川商工会ホームページでご覧ください。