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ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

長野にて

2009年11月19日 | 


19日出発の予定が、急きょ一日早くなり、18日から長野に住む友人の家に数日間滞在することに。
イベントや小さなパーティなどもあり、楽しみな旅になりそうです。

晩秋の長野。
薪ストーブが燃える古民家のリビングルームや板ばりの広くて大きな台所。
携帯電話は圏外。パソコンは置いてきました。
一宿一飯のお礼に、掃除や外仕事も手伝えるように、野良着も持参。
朝晩の散歩で長時間歩けるようにウオーキングシューズの装備も万全。
そして寒さ対策に愛用の寝袋も荷物の中に忍ばせて。
友人の厚意に甘える民泊の旅です。深く深く感謝。

シルエット

2009年11月10日 | 


11月初旬に参加した「ちいろば企画」の沖縄への旅。

旅のほとぼりが少しずつ醒め、日常に戻ろうとしているとき、「ちいろばwebギャラリー」を通して旅の写真集が送られてきました。
その中の一枚です。

「ちいろば企画」のイトウさんは各所でレンズを向けられ、集合写真なども撮って下さいました。ほんとうに至れり尽くせりの手作りの旅を満喫させていただきました。

写真の被写体はどうやら私のようです。
不思議な写真です。こちらを向いているのか、海を見ているのか、自分でもよくわからないのです。
ホテルの駐車場から、海へ下りる路をひとり探していたときなのでしょうか?
光の帯と大地にトライアングルに包まれているワタシ。
沖縄への旅はまさにこの一枚の写真に象徴されるような思い出深い旅となりました。

◎ 感謝 ありがとうございます ◎

豊かな自然に守られた沖縄で過ごして。

2009年11月03日 | 

旅のアルバムの整理をしました。

●私が今回参加した旅は、「ちいろば企画」のツアーです。
「ちいろば企画」は、ネットから入る会員制の旅倶楽部です。

神聖な祈りの場となっている御嶽や巡った各所の写真は、そっとそっと気持ちの中にしまっておくことにしました。
よくみれば何の変哲もない場所。立て看板も印もないところも多く、現地の方の案内がなければ見過ごしてしまいそうな場所。島の人たちにとっての踏み入れてはいけない聖域にも、外部の人たちが危うく踏み込みそうなそんな、境界なき聖域が各所にありました。
写真を見ただけではとても計り知れない奥深い場所ゆえ、そこに行かなければ理解出来ない場というのがあるのだと感じているからです。
その場に立ち、カメラを向けながらも葛藤の連続でした。カメラを向けていいのだろうか?ここに今いて、場と融け込んでいるその感覚をもっと味わいたい、カメラを置きたいと何度も思いました。

花や果実、そして食にも素晴らしさがたくさんありました。

 
 
 
 
 
 

特別ではないふだんのままのごちそうを楽しみました。
訪ねた先のほとんどが人気のない静かな場所。行き交う人もいないのが不思議でした。
ゆっくりと歩き、佇み、笛の音のような鳥の声を聴いたり、日本で一番大きな蝶オオゴマサラがつがいで飛ぶのを眺めたり、そこに咲く花や実を見つめたりしながらの参加者同士の微笑み返しは、それだけでもいっぱいに満ち足りた豊かな時間でした。

このツアーを企画して下さった家族愛にあふれた旅行会社「ちいろば企画」の榎本さん、イトウさんとも深い交流が生まれ、これからの旅の楽しみも増えました。
ありがとうございます!!!

●榎本さんの旅ブログ ちいろば企画「旅で元気になるブログ」を「ブックマーク」に相互リンクしました。こちらもお楽しみ下さいませ。



神の島 久高島

2009年11月01日 | 
久高島は沖縄南城市から発着する高速船で15分です。
島の周囲は7、8㌔㍍。島の面積は1、38平方㌔㍍と、ほんとに小さな島です。

夏に訪ねた新潟粟島浦村、この島もとっても小さいと思っていましたが9、86平方㌔㍍ですから、久高島の面積はその7分の1です。
小豆島は海岸線が126㌔㍍、島の面積が153平方㌔㍍などを思うと、久高島がいかに小さな島かわかります。

久高島は神の島とも言われ、数多くの祭祀が行われてきました。
島での注意事項などでは、立ち入れない場所などもあり、神聖な場所では島のガイドさんの指示によって動くなど、また、絶対に立ち入っては行けないところなどもあり、知らずに立ち入ると大変なことになるようです。
神さまを感じる島として、楽しみに巡りたいと思います。

久高島ホームページ
島の周囲はもちろん海。海の美しさなども堪能したいと思います。

御嶽(うたぎ)のことなど

2009年10月31日 | 

10月22日付「毎日新聞」文化欄に一冊の本が紹介されました。
「『原始の神社をもとめて』著者岡谷公三さんに聞く」というタイトルで、韓国の「堂」(タン)や沖縄の「御嶽」(ウタギ)のことなどが書かれていました。

沖縄などの聖地のことを「御嶽」(ウタギ)と呼ぶことなど、まったく知らなかった私。
31日からの旅行は、その「御嶽」(ウタギ)なども廻ります。
いくつものパワースポットを巡る旅です。

世界遺産 沖縄














斎場御嶽」(セーファウタキ) (写真は南城市ホームページより)
この写真をみると岐阜県にある「星が見公園」に行ったときのことを思い出します。

「御嶽とは沖縄の聖地。こちらも南島の常緑樹が茂る森で、森の中の空き地にはサンゴ礁の白砂が敷かれ、祭りが行われる。本土の神社に相当するが、社殿はおろか、鳥居などの人工物がまったくないところがある。」
「人工のさかしらが一切ない。何もない方が神と直接向かい合えるんです。社殿などは、雨風をしのごうという人間の都合で生まれたもの。信仰にとっては堕落でしょう」
と、岡谷氏は語っています。(毎日新聞:記事より)

「社殿なき聖地の森」のことを「御嶽」(ウタギ)と呼ぶようです。

新聞の岡谷氏のインタビューの中で「御嶽の何もつくらせない力こそが日本人の精神の原点と考えてきた」ことなど、記事を読んでいるだけで何だかワクワクしています。

「原始の神社を求めて」の本を読んでいくべきか、旅から帰ってから読むべきか、迷いましたが、旅から帰ってからすぐ読めるように「アマゾン」で頼みました。
楽しみです。

●「北口本宮浅間神社」のすぐそばにあった「大塚丘」などは、人々の信仰の原初とも言える姿でつつましくこじんまりとあり、何もない、しかしとても力強い気場として「御嶽」(ウタギ)に近い精神を感じます。


沖縄・久高島へ

2009年10月30日 | 



10月31日~11月2日まで、沖縄の久高島を中心に旅をします。
久高島はツアーでの旅ですが、このツアーを知るまで、「久高島」という島のことはまったく知りませんでした。
ただ、沖縄には昔ながらの神事や祭りがたくさん残されているという話はよく聞き、関心を持っていました。
どんな旅になるのか、ちょっと楽しみにしています。
(ブログは旅中も自動更新いたします)


水辺のカフェ

2009年10月14日 | 



飯田橋駅そばの橋のたもとにある“水辺のカフェ”「CANALCAFE」に行きました。
川を眺めながらの、テラスでのくつろぎ時間は、至福のひとときでした。
ああ、この川がセーヌ河だったらいいのになぁ……などと思いながら、ゆっくりとランチをいただき、コーヒータイムを楽しみました。

 

通りに面した門をくぐって木の階段を下りて行くと、貸しボートが浮かんでいました。今日は平日なのでボート乗り場はひっそり。

 

 

 

佇まいはじゅうぶんにパリのカフェ風。
パリジェンヌのような気分で、水鳥の泳ぐのを眺め、持って行った文庫本を読み進めました。

都内での用事を済ませながら、このカフェに立ち寄ることで小さな旅をしたような晴れやかな気分が戻ってきました。
夏の疲れから解き放たれ、新しい自分と向き合いながら、いくつになっても古い自分から脱皮できる瑞々しさを備えていたいと、そんな勇気を持つことができました。


少し散策 高田馬場から氷川神社へ

2009年10月09日 | 



ちょっと懐かしい川の風景です。神田川のようです。



高田馬場に行った折り、「氷川神社」に行きました。
お参りした後、ウロウロと散策していると「野鳥の森公園」の標識を見つけました。

 

公園に行ってみると、狭い公園なのに、鳥のさえずりがにぎやかに聞こえてきました。巣箱もかかっていて、ここは都会にあって野鳥たちにとっては楽園なのかしら?と思うほどの鳥の鳴き声にしばし耳を傾けました。
台風が過ぎ去ったあとの公園は、落ち葉で池の水も濁って荒れているように見えましたが、鳥の声の多さに驚きました。
鳥の鳴き声を聞き分けられたらいいのですが、さっぱりわかりませんでしたが、金木犀の脇に掛けられた巣箱の中にはどんな鳥が入っているのでしょうね……。

妖精ならぬ妖怪になったような気分で小さな公園の森をさまよいました。


三嶋大社の金木犀

2009年09月21日 | 
ずっとずっと一度は訪ねてみたいと思っていた「三嶋大社」の金木犀の咲くころ。
花が咲き、香る日々は短く、昨年も、1昨年も時期を外してしまいました。

 

三嶋大社」はJR東海道線三島駅から歩いて10分ほどのところにあります。
大鳥居をくぐって中に進むと、ご門のところに「三嶋大社の金木犀満開」と立札がかけられていました。
この金木犀は国の天然記念物に指定され、樹齢1200年とも伝えられている日本一の金木犀です。その芳香は周辺2里にも及ぶと言われています。





どんなにか強く匂っていることかと楽しみに参りましたが、私の鼻孔には微香しか届いて来ません。
香りの強い花をつける梅や金木犀などは、その咲き初めに強く匂うと聞き知っています。
私が訪ねた日は、満開とはいえ、ぎりぎりセーフの花の最後に近く、そばまで行き周辺をぐるりと廻ってみると、日当たりの悪い裏手の辺りからかすかに匂ってきました。しっかり花が開く満開時には、匂いはほとんどしなくなるのですね。

社務所に行き、匂いのことを訊ねると、「昔は駅まで匂ったそうですが、今は建物も多く建ち、匂いも遮られているようです」とのこと。
「今日の匂いはどうですか?」と伺うと、「今日は少し匂いが落ちたようです。昨日はもっと匂っていました。ピーク時は神社の外の家々にも匂いが届き、町の人から、金木犀が今年も匂ってきましたよとお知らせがあるほど匂うのですが……」と、私の問いに答えて下さいました。





この金木犀の花の色は薄黄色で、巷で見かける橙色の金木犀とは種類がちがうのでしょうか。むしろ銀木犀に近いのかもしれません。
花そのものはとても地味で、香りが無ければ花を見過ごしてしまうほどです。
目立たない花であるがゆえに、創造の神様は、この花に強い香りを与えられたのでしょうか……。



しばらく神社を散策した後、駅に向かって引き返しましたが、その途中、面白い骨董屋さんがあり、中を覘きました。
2~3人のお客さまがテーブルを囲んでいたので、中はカフェになっているのかと思い、様子を伺っていると、店主の方が、「どうぞ、おかけ下さい。うちはカフェではありませんが、お茶を一服差し上げますよ。もちろんタダですよ~」と声を掛けて下さいました。
お手製の水羊羹とお抹茶。そしてお茶碗は何とあの「イチロー」選手が焼いたものだそうです。どうやらご亭主は備前焼きの陶芸家でもあり、銀座の松屋で個展を何度も行っていたそうです。
歩き疲れた身体に一椀のお茶は本当に美味しかったです。

私がお茶をいただきながら、「三嶋大社の金木犀、満開でしたが匂いのピークは過ぎていてちょっと残念でした」と話すと、店主の方が、「では、伽羅のお香を特別に焚きましょう。お茶の世界では伽羅は最高の匂いですよ」と、伽羅の香木を削った香りを聞くことに。こちらも最高でした。
しばし、よい時が流れ、小さな旅の満足度が増したひとときを過ごしました。



「大地の芸術祭・妻有アートトリエンナーレ2009」⑥終りの章

2009年09月07日 | 



「大地の芸術祭・妻有アートトリエンナーレ2009」の観賞ツアー2泊3日の旅程の中で350枚の写真を撮りました。そのほんの一部をブログでご紹介しましたが、これで終わりにしたいと思います。
お付き合いくださいましてありがとうございました。

 
 
 

(写真上 「光の館」 ジェームズ・タレル)

宿泊できるアート作品として、一度は泊まってみたい「夢の家」と「光の館」。
今回は「光の館」の見学ができました。
和室に寝転がって天井を見つめていると、四角く切り取られた屋根が徐々にスライドし、開いて行きます。刻々と変わる空を見ているうちに、空を見下ろしているような錯覚に捉われました。高級旅館を思わせる落ち着いた設えの中に人工光・自然光が彩成して行く幻想の空間です。



広大な里山に広がる棚田、廃屋や廃校となった家や学校をリノベーションすることそのものがアート作品として甦った里の家や過疎地の学校、さらにそこに展開するアーチストのアート作品の数々は、都会の美術館などには収まりきれない得も知れぬ存在感を観るものに与えます。

 



バスの車窓から見た畑や田んぼ、公園の中に点在する作品は行政のポケットパーク事業として建てられたものも多く、それらの背景を持ち作品を際立たせるには都会の雑踏の中では不向きだなあとも思いながら見つめました。

 
 

集落には村ごとに小さな神社が点在し、手入れの行きとどいたその佇まいの美しさにも感動しました。
「この地域の神社だけを撮って歩いているカメラマンの方がいますよ」と教えて下さった地元の方もいました。
次回はそれらが作品として展示されるのかしらと、そうであればぜひ観てみたいと思いました。

 
  
 

(写真上 ポチョムキン カサグランデ&リンターラ建築事務所・フィンランド

「静謐で美しいもの、そしてサスティナブルなそれらのものは、都市がキャパシティを持たなくなってきている以上、都会の人たちが求め、また妻有の人たちも求めている」と説明を受け、そういう意味ではこの地に彷徨う旅人の私たちはお遍路さんかもしれないなあと思いました。
環境という視点でとらえたとき、作品「ポチョムキン」は力を感じました。
ゴミの不法投棄場となってしまったかっての子供の遊び場が静かな落ち着いた場所として生まれ変りました。ブランコがあり、見渡すと川のせせらぎがあります。

 

 
 

 
 
 

作家さんのお国柄により、民族の違いをあらわす楽しい作品もたくさんありました。
「お菓子の国」のような外観を持つ「かささぎたちの家」は韓国のキム・クーハンの作品です。
きのこのようなわらぶきの穀物倉庫を想わせる家は「戦後のラブレター」(キドラット・タヒミック フィリピン)です。

広範な地域を駆け巡り、個人で行っていたら、その遠さにあきらめて引き返していたかもしれないと思う場所や作品もたくさんありました。
ツアーの良さで、団体行動の中で、最後まで作品探索が出来たことを心より感謝しています。
お天気にも恵まれ、際立つ空の青さや雲の白さ、風の優しさ、花々の色の鮮やかな清浄さ、そして食べ物のおいしさ、トマトはトマトの味が、キュウリはキュウリの味がするという当たり前のことさえも失ってしまいつつある都会の暮らしをする旅人の私たちには多くのことを立ち返らせる巡礼地のようなふところの深さがある場所でした。



 

(写真上 「最後の教室」 松之山旧東川小学校)
この作品は、私が大好きなもののひとつです。2006年に続き2回目の訪問にも飽きることのない場所です。
人気のない静かな学校、幕を張られた中に入ると、そこはかっての講堂です。目が慣れるまでしばらく時間がかかります。照明は裸電球、床には藁が敷き詰められ、草の匂いがします。人がかって居たことの証しのように木の長椅子が配置され、背丈の低い昔ながらの扇風機が何台も回っています。何かに揺り動かされ涙が出そうな場所です。寂しいけれど無性に懐かしい温もりのある空間。暗がりの中、視覚の制限を受けて、聴覚に訴えてくるものがたくさんありました。

…………

そして、そして……。
来年は「直島」を視野に、スタディツアーを企画して下さるというお話もちらほら。
ぜひぜひ実現してほしいなと思っています。
素敵な参加者の皆さんとともに過ごせたことも、とてもうれしいことでした。
よいご縁をいただき、ありがとうございます。感謝。