「第6回竜一忌・第二部」の会場で。
左から恵子さん、洋子さん、私。
奥に写っているのは井上スズさん。国立市からのご参加で米寿を越えていらっしゃいます。かくしゃくとして一目でそこらへんのおばあさんとは違う事がわかります。翌日は「下筌ダム」を周って帰られるとか。下筌ダムは不便なところで中津からでも車で2時間弱かかり、ダムを挟んで大分と熊本の県境に位置します。
左から「草の根の会」代表梶原得三郎さん、私、京子さん、ひろ子さん。
14日の夕方私は梶原家を一人でお訪ねし、2時間くらい梶原さんとよもやま話に花を咲かせました。松下さんも凄いけれども梶原さんも凄い方です。
みんなみんな脆弱な私には持ち合わせない尋常ではない腹の括り方で生きている人生の先輩たちです。
左から文音ちゃん、かなでちゃん、りゅうくん,、そしてチョコラ。
懐かしい人たちとの年に一度の再会。
私も含め、みんなそれなりに齢をとって、その分、子供たちも大きくなって。
気取りのない人たちに会っているとそれだけで救われる思いです。
今回の旅の収穫のひとつは「大地」の要子ちゃんとブログのことでお話しできたことです。
要(かな)ちゃんが書く「大地のブログ」は、日常を切り取った写真や文がエネルギーに満ちていて、それを話題にしたとき、要ちゃんは「個人情報なんか1回1回気にしちょったら何もでけん。そりゃ、いろいろ批判的に言う人がいるかも知れんけど、私は何も悪いことは書いちょらんし、載せちょらんき。」ときっぱり。
なるほどなるほどと、私も勇気をもらいました。
要ちゃんが、中津で行われたアースディに17000人を集めたことを話題にすると、「そうっちゃ、中津の人口が70000人じゃけん、17000人は凄いなあ。他の(市町村からの)人も多かったけど」と。なかなかの剛腕レディですが、それらを微塵も見せないチャーミングな2児の母でもあります。
要ちゃんいわく、「それより、母がブログを始めたの!ツイッターでは言いたいことが伝わらんちゅうてね」。
その要ちゃんの母である瑠美子さんとも中津を発つ日の朝8時から9時20分まで会って色々話しました。9時40分発の空港行きバスに乗るまでの時間ですが。
瑠美子さんは議員の仕事もしていて、健脚も必要と朝自宅から大地まで歩いて通っていることも要ちゃんのブログで知りました。家から1時間くらい歩くそうな。私が大地を出るころ、要ちゃんが車で大地に到着。生活のリズムを自らに課して作っているのはやはり凄い。8時に電話をすると瑠美子さんはすでに「大地」に着いていました。
中津の人や「竜一忌」に集まる人の面々を見ていると個性的で物事に動じない人たちが多いことに気づかされます。
ほんと、皆さん腹の括り方が違う。自分の中に正中線をしっかり持って立っているのがわかります。
私も見習わなくてはと思いますが、ズボラな私にはちょっとむつかしい。
中津から
首都圏からいっしょに参加した知人たちを昨日見送り、私は中津に残りました。
このブログは中津の投宿先である「スーパーホテル」で書いています。
今回の旅はいくつか特出することがありました。
松下氏の著作である「砦に拠る」の舞台となった「下筌ダム」の現場を視たこと。
中津に夕方から入り、松下洋子さんとご長男の健一さんが「ほたる見物」に車を走らせて下さったこと。ここの場所のほたるの乱舞の見事さは筆舌に尽くしがたく、岸50メートルほどに蛍が高く低く乱舞している様子は異次元に行ったような感慨がありました。
竜一忌の会場で伊藤ルイさんの娘さんの王丸恵子さんや、前田俊彦さんの娘さんの前田賎さんに再会できたこと。おふたりとも私より年上の方ですが。
そして今回はご縁を頂いた方々と2次会、3次会、4次会、5次会と宴が続き、朝まで語り明かしたこと。
「第6回竜一忌」の会場で「東京・松下(を読む)会」で作成したブックレット(1部500円)を75部販売できたこと。
ブックレット作成にまつわることで「毎日新聞」の取材を受け、13日の朝刊中津版にその記事が載ったこと。
行橋市にある故前田俊彦氏の住まい「瓢鰻亭」で、今は娘さんの賎(しず)さんが営む「ひまわり文庫」を再訪することができたこと。ここで今回の竜一忌のメインゲストだった鎌田慧さんと思いがけず合流し、みんなで前田さんのお墓参りができたこと、賎さんともゆっくりお話が出来たことなどなど。
しかししかし、何よりうれしかったことは「東京・松下会」のコアメンバー6人が中津に集えたことでした。このことは私の胸に迫るものがあり、大きな幸せに包まれた中津での数日でした。
松下さんが亡くなった直後の「第1回竜一忌」ではすべも無くひとりでぽつんと過ごしたことなどを振り返るとこれこそが望外の幸せと言えるでしょう。松下さんが繋いで下さったご縁です。皆さん、ありがとう~~~!!
おもてなしをいただいた中津の皆様方にも心から感謝申し上げます。
そして、今泊まっている「スーパーホテル」の快適な泊まり心地と価格の安さ、無料の朝食サービスの豪華さなどにも驚きの連発状態です。
今日は一日、中津の町をひとりでゆっくり散策し、松下さんゆかりの方々とお会いしたいと思っています。
水俣はとても美しいところでした。あまりの美しさと頂くものの美味しさを前に、ゆえに水俣が抱える「水俣病事件」の甚大さが胸に迫ってきました。



目前に広がる海を見ながら、獲れた小さなイワシなどを自前で加工したイリコやチリメンジャコの発送に精出す「杉本水産」の杉本雄さん。私も「不知火いりこ」の美味しさに惚れこんでいるひとりです。



ほとんどすべてを自家製の野菜や自生する山菜で整えられた訪問先での食卓。
ひとつひとつの素材の美味しさと心のこもったお手料理に感嘆しました。

緒方正実さんの手作りこけし。
5月1日の水俣病慰霊式には当時の鳩山総理の手にも「祈りのこけし」が緒方さんから渡されました。
わずか3泊4日の旅の間に菅総理が誕生していました。




カジュマルの花が咲いていました。
立ち葵やアジサイなども満開を迎え、晴れた日には太陽が直射してくる日射しの強さに、自然の恵みの豊かさを知りました。



「水俣病資料館」の戸外に併設された「水俣メモリアル」のインスタレーションは、その斬新さの中に洗練されたセンスを併せ持ち、もっとも印象に残った光景のひとつでした。
水俣は全国一ゴミの徹底した分別収集がなされています。
他地域から集まったペットボトルのリサイクルなども活発に行われています。


旅をしていて一番気を使ったのはゴミの出し方でした。
水俣市は24とも言われるゴミの分別収集が徹底して行われています。



上の書は、「徳富蘇峰、蘆花生家」での蘇峰先生の書。今は道に面している蔀戸(しとみど)の先は海だったという話を伺って驚きました。蔀戸は吊り戸のような感じで窓が大きく切られていました。
初めての水俣訪問で、本来はお会いできないたくさんの方々のお話を聞く機会を得ました。「筆記者」として同席させていただいたことで与えられた貴重な体験に心から感謝しています。
記録を録りながらも、今を生きる一生活者として触れさせていただいた数々のことは私自身にもたくさんの学びがありました。
持参したicレコーダーがメモリ満杯になり使用できなくなり、他に小型テープレコーダー2台で収録させていただいた諸々をこれから記録として文字化する作業が待っています。
旅じたく
明日から3泊4日の旅。
寒かったり暑かったりのお天気の中で、短い日程ながらも旅の荷物は増えるばかり。
暑かったら汗をかくので着替えの予備を、寒かったら寒さ我慢は風邪ひきのもと、カーディガンを一枚……などなど。
小さなキャリーバックをひとつ下げての旅じたくですが、もう一回り大きなキャリーバックも欲しいなあ……と思いつつ。しかし、バックが大きくなれば当然中に入る荷物も増え、それを持ち運ぶのは他でもない私自身です。
あくまで身軽に身軽にと行きたいものですね。
旅の準備をしながらも、今日はテレビニュースを垂れ流し。
鳩山総理も小沢幹事長も辞任のニュースが流れ続けています。
本当に本当に、国民はこれからどうなって行くのでしょうか?
期待しながら、決まらない法案を抱えている人たちには今後に気がもめることでしょうね。
代わればいいというものでもないし、ね。
新潟水俣病の発生は新潟県阿賀町鹿の瀬にある「昭和電工鹿瀬工場」から流れ出た工場排水が原因だという事は広く知られています。
その鹿瀬工場跡地を通り、さらに奥に入ったところに「草倉銅山跡地」があります。
5月4日、その「草倉銅山」跡地を訪ねました。
「草倉銅山」について詳しく記述されているページを見つけました。
訪ねる道中、ふきのとうが道路わきにたくさん生えていましたが、ちょっととうが経ち過ぎでした。銅山に行く道筋には桜が満開に咲いているところもありましたが、雪に道を阻まれ車が通行できないところもありました。
どこが銅山跡地なのか標識も無く定かではありませんでしたが、木々が焼けただれたように林立している個所があり、山筋は風の関係が強く影響しているようで枯れ木の様相で木々がなぶられたように立ち並んでいるのがわかり、鉱毒の強さを遺しているようでした。
何かの跡を思わせる石垣からは茶色い水が流れ出ていました。
しかし、山の水路に流れる水は清水のように澄んでいました。
途中までは鉱毒の被害を受けたらしい木も、年月を経て枝先には豊かな緑の葉を湛えています。ここならではの木の姿からもその歴史が伺えます。
坑道の入口らしき小さな穴を見つけました。
道の行き止まりの小高い所に荒れ果てた墓地がありました。転がっているように見える小さなその墓石に刻まれた文字には葬られた人の出身地や死因が刻まれていましたが、写真には撮りませんでした。ひそやかに眠っている墓石の下の人々のようやくの安穏を冒すような行為のように思えたからです。
冬は雪に閉ざされる人里離れた山の中での労働や暮らしの厳しさは想像を絶するものがあるのだと思います。
訪ねた日は、暖かく陽の射す一日で、木々の新芽が芽吹き美しい低山の風景にほれぼれと立ち止まりましたが、いまだ元気に復活できない木も多く、それらは生きているにも関わらず、葉を芽吹かせる力がないように佇立している姿は哀れを誘いました。
廃墟跡も無く、ただそこに銅山があったという納得は微妙に異なる木々の植生に見るしかありませんでしたが、当時に思いを馳せるには十分でした。

旅と言ってはちょっと大げさすぎるけれど、旅に違いはなく……。
家から歩いて30分くらいのところにある「検見川神社」に行きました。
最近外に出るときは極力「歩くスタイル」で出掛けることにしています。
本格的なウオーキング専門シューズを履き、ハイキング用リュックサックを背負い、帽子は必需品です。
そうして家を出ると、ついつい用事を済ませた後あちこちを歩きたくなるのですから健康にもいいのです。
「検見川神社」は27年ぶりくらいに訪ねました。
とっても体調が悪い33歳の頃、手伝いに来てくれた田舎の母を伴って訪ねた思い出があります。
健康を取り戻すことの前途が見えない辛い時期ででした。
しかし、今日は違います。


すっかり忘れていた神社への私の復活のお礼参りの気分で訪ねてみると、そこは素晴らしいところでした。(再訪までにずいぶんかかってしまいました。神さまごめんなさい)。
お水取りの出来る神社でもあり、とても気持ちのいい場所だと実感しました。
高台にある神社の階段を今はピョンピョンと跳ねるように登れることのありがたさに、思わず感極まるものがありました。
かっては近くに海があり(今はすっかり埋め立てられています)、東京湾で漁をする船の守護神としても崇められていたそうで、海からこの「検見川大明神」様が望めたのではないかと想われます。

静かな境内は掃き清められ、箒の目の跡がついているほどで美しく清々しい場所でした。




感謝と言う事を身体の底から湧きあがらせ気づかされる思いでした。
近くにあったパワースポットです。これからも散歩をしながら足しげく通いたい神社です。
21日の日曜日、小さな旅をしました。
名付けて「私家版・東京歴史散歩」。
那須高原に住むイトウさん自らのご案内と、イトウさんの作成された地図や資料をもとに、「東京松下会・『松下竜一著/久さん伝』」に描かれているところを巡る東京歴史散歩です。
丸の内線「本郷三丁目駅」に10時半に集まり、JR山手線「駒込駅」を13時半に乗り、いつもの「松下会」の会場のある「高田馬場」に2時に到着というスケジュールです。
途中、イトウさんのご案内により、ポイントを押さえながら約4キロの道のりを歩くという行程。
うれしいことに、早咲きの桜にも出会えました。
この桜は、著名文筆家3代の屋敷の中に咲いていましたが、ぴたりと閉じられた扉型の木の門の中を伺い知ることはできませんでした。
これも行程にはなかった巨樹との出会いです。
「知ってる!!知ってる!!この樹!!」。
このそばに住んでいた著名物故作家の本かエッセーかでこの樹を残すために書かれたエピソードを読んだことがあります。
町はすっかり変わり、その「跡地」を訪ねるだけで、その建物や路地などは跡かたもなく変容しています。
地図と資料を頼りに訪ねる楽しさ。イトウさんも9年ぶりだそうで、それでも町並みの変化に驚いていました。
今回のポイントのひとつ「本郷菊富士ホテル」もその跡を示す小さな標識が建っているだけでした。
「宵待草事件簿」(古山寛)という漫画本の中に当時のホテルの面影を偲ばせる絵があります。
歴史を潜ませる街らしく、たくさんの標識を目にしました。
この道の登りついた先に……と思いを重ねると、当時とは大きく変わってはいても「百聞は一見に如かず」の感を強く持つことができました。
途中、お昼に立ち寄った「インドカレー専門店」。入ったときは、店内にお客様がひとりも居なくて、不安を抱きながらでしたが、写真のプレートにチャイがついて780円。こちらにもカミサマが付いていてくれました。カレーもご飯もおいしくて感動。
それにしても私たち御一行様。
30代、40代後半、50代後半、60代3人、それに80歳に近い飛び入り参加のパフォーマー黒田オサムさんまでの7人は、道行く人たちにはどう映ったのかをひとり考えると、みんなマイペースで、きっと奇妙キテレツな集団に見えたことでしょう。笑いが込み上げてきます。
美味しいカレーをいただくことが出来、最後は「六義園」そばを通って駅へ。
案内人イトウさんによれば、「『燕楽軒』『本郷菊富士ホテル』、まして『労働運動社』を探索する酔狂 な集団なんて、当分ないと思います。(笑)」ということで、ほんとにその通りだと思いました。
そのあとは、いつもの「松下会」がホソヤ先生を軸に進行されました。
今回は、松下竜一著「豆腐屋の四季」から短歌を中心に論じました。
次回3月は、この『歴史散歩』を生かして、松下の著作「久さん伝」を読み解く、です。
イトウさんはじめ、たくさんの佳き人たちに支えられて、月1回の「第4回東京松下会」が終わりました。皆さま、本当にありがとうございます。
いつの日か、シラキさんの音楽と黒田さんのパフォーマンスの競演が実現するかもしれません。楽しみです。
雑誌や本などで大々的に取り上げられた所は、私の旅のスタイルには合わず、ですが、千葉県に住む私にはもっとも身近で行きやすい神社に違いはありません。
「鹿島神宮」は男性的、「香取神宮」は女性的な美しさを持ったお宮です。
去年は元旦二日に訪れましたが、お正月の人混みで頭がクラクラ、身体もクラクラ。
今年は初もうでの喧騒が落ち着くのを待って出かけました。




香取神宮のご神殿の美しさには、訪ねるたびにうっとり。
あまり人がお参りしない「奥宮」へも。
奥宮は本宮の境内を一度出て里の中を歩くとすぐにあります。


小さな切り通しの坂道を何度もゆっくり歩きました。
木々の緑はもう春を彩っているようです。



数段の階段を上ると人がすれ違えるほどの細い参道があり、その先に奥床しくひそやかに祀られています。
シンプルな清々しさと気高さにあふれています。
場の安らかな心地よさにしばし時を忘れるほどです。
平日の昼下がり、太陽がお社の後ろから射し込み、うっそうとした木立の中がぽっと不思議な明るさに包まれました。


参拝のあと、周辺を散策すると、陽だまりに梅の花が咲いていました。
白梅はほぼ満開、紅梅はぼつぼつと咲き始めていました。
家から香取神宮まではゆっくり行ってちょうど1時間半くらい。佐原駅から行きはタクシーを使いました。
帰りはよいご神気をいただいたのか元気モリモリ。女の足では歩いて駅まで50分くらいですが、スイスイと徒歩で駅に向かうことが出来ました。



途中、水郷佐原の町並みをゆっくり歩き、佐原の町ならではのカフェでホットチャイを飲んで一服し、必ず立ち寄るゴマ油専門店「油茂」でゴマ油を買い求めました。
今年は桜の季節にももう一度訪ねようと思っていますが、その頃はやはり人出も多く、考えるところです。
上総一宮にある「玉前神社」に行きました。
日本の東に位置する神社としても知られ、「春分の日」のレイラインとしても有名です。
お正月の間は、人混みに押されるので、いつも今頃になってしまいます。
この時期になるとお参りの人も少なく、静かな境内散策を楽しみました。
私の場合は神社のご由緒やご祭神などもあまり知らずに参拝することがほとんどです。
神様はぜ~んぶお見通しなはずで、知らないこともご存じだと思えば、お参りをするためにここに立つということが最重要なことだと思っています。
赤い鳥居をくぐると、向こうに「茅の輪」が見えました。
これまでの罪や穢れを払うといわれる「茅の輪くぐり」です。
お正月半ばまで設置されています。間に合ってよかった!!
「茅の輪」をくぐって身を清めます。
その先の階段を上りると、脇に「手水舎」があります。
「手水舎」も荘厳な雰囲気にあふれています。
手水舎からさらに階段を昇って行くと神殿があります。
ご本殿は修理工事中でテントにすっぽりとつつまれ、今はその姿を拝することはできません。
「茅の輪」が掛けられた鳥居のそばには「ご神水」があり、いただけます。ここは逆にちょっとムードに欠けますね。しかし、良い水です。
神社ではご神木も私の目指すところです。
「玉前神社」では、子授けいちょうや、「イスの木」(なんじゃもんじゃの木)もありました。
(上写真は「日本のレイライン」より借用)
「玉前神社→寒川神社→富士山→七面山→竹生島→出雲大社」のレイライン。
「春分の日」「秋分の日」の太陽は真東から出て真西に沈みます。
7~8年前、「七面山」に登った時、頂上に建つ敬慎院山門の「隋身門」のご門の中に富士山がすっぽりと収まり、目の高さにそびえていて驚いたことがあります。
(「「日本のレイライン」最後にその隋身門の写真があります)。
私は、登った時、敬慎院の宿坊に泊まりました。もう一度機会があれば登りたいと思っています。
太陽は房総一宮の海から上がり、「玉前神社」――「出雲大社」がレイラインで結ばれます。途中富士山のてっぺんを通り、七面山の隋身門を通り、琵琶湖の竹生島から出雲大社が太陽の道筋として一本に結ばれる。神秘ですね!!!
科学が今ほど発達していなかったとき、すでに太陽の道として、各所に主要な神社が祀られたなど昔人の「科学」に思わず畏敬してしまいます。
「竹生島」は、なかなか行けませんでしたが、今年こそは行きたいところのひとつです。
色々と旅の思いを巡らせながら、まずは「玉前神社」へお参りできたことで、新年のスタートを切りました。