goo blog サービス終了のお知らせ 

ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

旅の荷物

2011年06月20日 | 
旅の荷物は最小限に。
今回は4泊の旅でしたが、荷物は小さなキャリーケースにひとつだけ。
荷物が少ない理由は、ホテルの洗濯機を使えるので、途中洗濯をする機会を設けたということかしら。

旅に出る前に着替えなど必要なものをあらかじめ用意し、出発直前になってそこから逆にそぎ落として行くといった感じの荷造りをすることが多くなりました。
荷物は少し足りなめを意識して組み立てます。

出発前に不要そうなものを減らすため、持ってきたと思っていたものが入っていないと思うことも多いけれど、それはそれでいいのだと思います。
今回も、さあ着替えようとケースを開けるとないものがたくさん。なければ仕方がないので持ってきたもので着まわすことになるけれど、それで結果足りるということは快感ですね。
旅に限らず、生活もそうしてそぎ落とし、すっきりとあるもので使いまわすとそれだけでストレスがかなり減るような気がしています。
家に帰ったらもう一段の断捨離を始めます。

今日も中津から

2011年06月20日 | 

「竜一忌」にまつわる話しが続きます。

今日は計画になかった大分に行くことに。
中津から大分までは特急を使うと50分弱。普通電車で行くと1時間半くらい。私はもちろん普通で行きます。

竜一忌の3次会の席でたまたま私のとなりに座られたのが中津北高校校長だった矢口先生。
矢口先生は退官記念に「今だからこそ松下竜一 ー青春って何だろうー」を上梓された方で、昨年もお会いしていました。
その熱血な語り口の矢口先生の話しから何となく私の高校時代の恩師の名前を口にしてみた私。すると矢口先生、「山本さんな、よう知っちょる。あん人が大分東高校の校長んときに、わしゃ、教頭じゃったんじゃ。こないだも一緒にゴルフに行きよった」とさらなる熱弁のあと、私の恩師山本先生にその場で電話。
びっくりしたのは山本先生。事情を飲み込めない恩師は、「どうして、矢口の隣りにあなたがいるの?」としどろもどろ。
こんな経緯を経て、いまだ校長退官のあと保育園の園長先生をしているという山本先生に会いに行く羽目に。
ちなみに、私は46年前の教え子。恩師が上京の折りなどにはよく連絡をいただき会っていたので、隔たりはまったくなかったけれど。
山本先生が最初にクラスを持ったときの教え子が私で、私と師は7歳違い。いまではお友だちのような感覚です。
矢口先生いわく、「来年の竜一忌には、山本先生も来るで。あんたが来るんじゃ間違いないのうあんし(あの人)も来るきな(きますよ)」と、大分弁丸出しの断定口調で。
私はというと、来年のことなど何もわからないというのが本音。

かくして、これから大分へ。
とほほほほ…♪…☆…♪…。ほ。


再会

2011年06月17日 | 
定刻に飛行機が着いて、夕方にはホテルにチェックイン。去年も泊まったスーパーホテルに投宿。
今日は松下竜一さんの命日です。墓参は明日にして、夕方洋子さんと待ち合わせ1年ぶりの再会。積もる話に花が咲き、気がつくとすっかり夜もふけていました。
松下先生が結んで下さったご縁、しっかりと育んでいます。


今日から中津へ

2011年06月17日 | 

今日から大分県中津市へ。

明日18日に行われる「第7回竜一忌」への参加が主な目的です。
故松下竜一氏を偲ぶ竜一忌も今年で7回目、松下センセが亡くなられてそんな年月が過ぎたのですねぇ。
「去る者は日々に疎し」……という言葉があるけれど、去ってなお強烈に迫り来る人もいるのです。
竜一忌に集まる人々はきっと松下センセへそんな思いを抱いた人が多いのではないかしら。

3・11があって変わったものと変わらないもの。
東京で開いていた読書会「東京松下を読む会」は、大震災後、自然に消えるように終息を迎えました。
それはそれでまたよし。

私たちの「生きる」っていうことは、様々なフルイに何度も何度もかけられて、そこにすかに残り漂う珠玉なものをさらに醸成させながら生きて行くっていうことかもしれないし。フルイの目を粗くするか細かくするかはそのときどきで違い、それが丁と出るか半と出るかは出た結果ではなく、その後の生きざまや暮らし方に起因すると思っている私。たとえ半が出ても、丁にして行こうとする意気込みのようなものです。
そんな意味では起きる様々なことがすべて面白いと考えてしまう私。

竜一忌の参加が私にとって第1回目から休むことなく続いているということは、何か強い磁力が働いているのでしょう。その磁力って何だろう……?年中行事のようになってしまった竜一忌への参加。
私たち“東京もん”と違って、大地に根っこをしっかり這わせ、物事を自分に引き寄せ、ひたむきに誠実に暮らしと向き合い生きている人たちに出逢えるからかしら……。松下竜一という人がきっとそんな人だったということでしょう。
ここに行くと、机上の空論がいかに虚しいかを衝きつけられる思いです。そしてその空論をよすがに生きている人の何と世の中に多いことか。


立ち葵と紫陽花の季節に

2011年06月08日 | 

 

立ち葵と紫陽花、いずれも梅雨を象徴する花、気が付くとあちこちに咲き競っています。
もうそんな季節になったのですね。
東急世田谷線「松陰神社前」駅そばに咲いていました。
世田谷線は一両編成で無人駅が多いけれど、こちらは小湊線とは趣きが違い、民家の間をくぐるように走ります。「渋谷経由で~」という友人の誘いをスルーして、下高井戸経由でこの電車に乗るのが楽しみ。

 

世田谷の友人宅で飼い始めたという捨て猫で黒ネコの子ネコ、ジジ。
そのしぐさが可愛くて、思わずカメラを向けました。
首に大きく噛まれた跡があるジジ。野生にならなくてよかったね。

 

連日のホームパーティ。

しかし、遊んでいるわけでは決してなく、大切な打ち合わせのための集まりなのです。
集まった4人のうちの1人は、その足で成田に向かい、フィンランドへ。
あとの2人は数日後にシルクロードの旅へと出かけます。
私は留守番、長距離の旅は今のところ考えていないので。
次に4人が揃うのは7月16日の予定。東北被災地へ「祈りの旅」へと向かいます。
1人は舞踏を持って、1人は鎮魂の祝詞奏上の目的を持って、あとの1人は男性で諸々の助っ人として、そして私。私は……やはり祈る人として参加。ヒーリングもやらせていただく機会があればやりたい。
4人は現地に入れば同じテントや宿をとりながらもふた手に分かれて行動することに。それらの最後の打ち合わせを今日行いました。
私以外の人は全員被災地に1度~3度は入っています。それぞれに覚悟を持って臨む旅。

どうか物事がうまく進みますように……。


飯香岡八幡宮(市原八幡宿)&白山神社

2011年06月07日 | 



JR八幡宿駅から徒歩5分のところにある「飯香岡(いいがおか)八幡宮」。
先日そばを通りかかったとき、そのうっそうとした緑に引き寄せられ、今日お参りに行きました。
本殿は国指定重要文化財。
房総の神社のせいか、温暖な気候とカラカラとした明るさと小ざっぱりした感触がありました。
本殿裏手には末社がいくつかあり、その雰囲気や佇まいはいい感じでした。

広々とした境内には、ご神木の県指定天然記念物「夫婦イチョウ」があり、目的は巨樹探訪の旅でもありました。



夫婦イチョウの所以か、この神社は子育ての神様が祀られているとか……。





この季節、緑の葉に覆われた大イチョウは鋭気をいただくのにぴったり、森林浴を楽しみました。
イチョウといえば黄葉が語られがちだけれど、私は緑の葉の方がエネルギーを感じて好きです。



大通りを隔てた飛び地にある森が気になり、私の足はそちらへ。
ここには清やかな白山神社がひそやかに鎮座していました。
このひっそり感、好きですね。
飯香岡八幡宮さまにはお参りしても、この白山神社は素通りされる方が多いのでは。
目立たずにひそやかに、そして存在感はしっかりと、そんな感じいいですね。
私、ここが好き!!と、思わずお社と意気投合。

駆け足の旅でしたが、市原市にはほかにも神社がたくさんあることを知りました。
ゆっくり訪ねてみたいと思います。


自然塾へ

2011年05月21日 | 

今日から館山方面にある「自然塾」に行きます。
農業をしに行くという人に誘われて行くので、私も農業を手伝うことになるのでしょうか?
「自然の中で昼寝をしたい~土の上に坐りたい~」と伝えると、「いいんじゃない」とその人。
どんなところか皆目見当がつかないけれど、きっ元気にリフレッシュして帰ってくるでしょう。
携帯の電波が届かないところだそうで、町に降りたときに、ブログの更新ができるといいのですが。


海へ抜ける道 ~乳母ヶ嶽神社~から海へ

2011年04月18日 | 

 
 

眼下に広がる日本海。
その日本海へ抜ける道を歩きました。

 
 

名付けるとしたら「山菜ロード」、そう呼びたくなるほどの道沿いにある数多の山菜。
そこはまた花の宝庫でもありました。
ショージョーバカマ、スミレ、そして花筏にも似ている名も知らない花たち。

「安寿と厨子王」伝説の一説で乳母タケが埋められているともいわれる「乳母ヶ嶽神社」を通り、海へ抜ける道です。海の先には佐渡島が望めます。
フキノトウ、アシタバ、ゼンマイを摘みながら歩きました。

 

小熊野を想わせるよい気の満ちた古道です。



空の青と海の青、そして陸の緑。花の色が挿し色として彩りを添えています。
おとぎの国に迷い込んだようなさりげない道。
ありきたりでありながら、そこは異空間の神秘に満ちていました。
私の記憶にずっと残る道のひとつとなるでしょう。

上越の旅で撮りだめた写真を載せました。
旅シリーズはこれで終わります。

ありがとうございます・:~☆~:・。


「高田城」でのお花見

2011年04月18日 | 

2泊3日の短い旅を終えて帰ると、自宅周辺のソメイヨシノは葉桜になっていました。
上越高田への旅の中で、最後のプログラムは「高田城」の夜桜見物。今年は節電の影響でぼんぼりも控えめのようでしたが、サクラの木の下には大勢の人たちが集まり、そぞろ歩きの人たちでにぎわっていました。



 



高田のお城そのものは思いのほか小さく慎ましい趣きでしたが、お城を取り囲む4000本のソメイヨシノが見事に咲き誇っていました。
東北地方太平洋沖地震や長野県北部の地震の影響で、例年はにぎわうサクラ祭りも旅館やホテルなどのキャンセルが続出したそうです。
人の思いに関わらず、ここでもサクラは季節が来て咲くというリズムを規則正しく刻んでいました。


くわどり湯ったり村

2011年04月17日 | 
投宿先の「くわどり湯ったり村」は、私の携帯電話は圏外表示。
美味しく洗練された料理を楽しみ・温泉に浸かり、語らい、村内に自生する蕗のとうを袋いつぱい摘みました。
カタクリの花も咲き揃い、思いがけない春の妖精の乱舞に心ときめきました。
「くわどり湯ったり村」は、京都に例えるなら鞍馬を越えて行く花背のような場所。
よい旅を続けています。
ありがとうございます。