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ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

数字25を587に

2009年08月20日 | モノ・雑貨・道具



この1ヵ月くらい、パソコンメールに不具合が生じていました。
一度は、「パソコンサポーターズ」で診断とサポートをしてもらい、正常に戻ったものの、またしばらくすると今度はメールの「受信」は出来るのに、「送信」ができなくなってしまいました。

こんなとき、「仕事」をしていたら大変で、矢も楯もたまらずに必死で「治療」の道を探ったと思いますが、今の私は極めてのんびり~。
インターネットにはつながることだし、いよいよとなったら、電話や携帯メールで返信すればいいし~と思っていましたが、さすがお盆が明けるとそうも言っておられません。
一番困るのは、パソコンメールからでないと添付ファイルが送れないということで、これはなんとかしなければと、プロバイダーに電話をすることに。

パソコンを使い始めた10年前は、サポートを受けようと一日中(ちょっと大げさですが)電話をかけ続けても話し中でつながらなかったことから、私がこういう行動を自分でとったのは初めてのことです。

びっくり!!待たされること1~2分でサポートセンターにつながりました。
10年くらい前に契約したときの環境と、プロバイダーもこちらもパソコン環境は様々な面で変化し、進化をしているのですね。

こちらの事情を説明すると、電話口の女性はゆっくりと私のペースに合わせるように説明、指示をして下さり、そのナビに従いパソコン画面を開いて行く私。
他のプロバイダーのメールアドレスを2つ持っていたことから、原因を探るのに時間がかかり、およそ1時間後にめでたく解決。
最終的な謎解きの鍵は「数字25を→数字587へ」。
これは「サーバーのポート番号/送信メール」の数字のようですね。
(25は古かったということなのでしょうか……訊き忘れてしまいました。)

メールのしかも「送信」だけが不具合を起こすなんて、まるで神さまのいたずらを受けているような日々でした。
毎日パソコンの前に長時間座ることの多い日々、解決できてほっとしています。
感謝!!!!!


縫い針の糸通し

2009年04月17日 | モノ・雑貨・道具

 

時間に余裕が出来て、昔やっていたパッチワークを復活しました。
針を持つことは、私にとっては自分を見つめ自分に問いかける夢想世界を遊べる時間ともいえます。
毎日コツコツと時間を決めてやっていますが、布合わせは無作為に。押し入れの中に眠っていた布裂や襟や袖口が切れたワイシャツなども使います。ラジオやCDを聴きながらだったり、音を断つ時もあり楽しい世界を独り占めした気分で手を動かします。

目的や目標を持たないで、一見「無駄」に思えることをどれだけやり続けることができるのか……。きっと、それらを通して今まで見えなかった何かがふいと近づいて来てくれるのかもしれません。

一度はあきらめたパッチワーク。
読み書きに老眼鏡はまったく必要ないのに、針に糸を通すことが困難になっていました。



それが「きぬ針用スレイダー」(写真)なるものがあることを知り、針穴に糸を通すことがいとも簡単にできることからパッチワークが難なくできるようになったのです。
「ありがたや、ありがたや」の心境で、この商品を開発した人は偉いなあと思いながら使っています。何と値段は3本入りで105円!!!価格の付け方も奥ゆかしいというか謙虚ですねぇ。
ありがたや・ありがたや……感謝。


明治生まれのおばあちゃんのパッチワーク

2009年03月26日 | モノ・雑貨・道具









私の趣味のひとつがパッチワークだと知った友人が、友人のおばあちゃん(故人)の作ったパッチワークを見せてくれました。
一枚の大きさはおよそ10㌢です。実際には300枚位あるそうです。

明治生まれのおばあちゃんが作ったパッチワークです。
小さな端切れも丁寧に使われ、1㌢の布接ぎなどもたくさん見られます。
パッチワークはアメリカから渡ってきたものですが、明治生まれの方が何を参考にしてここまでのものを作られたかと想像します。晩年の作だとすると、パッチワークの専門書や雑誌などもたくさん出回っていたには違いありませんが。
80歳と仮定して、その年齢にここまで細かい作業をされたことにも驚きを感じます。
黙々と、ただ黙々と縫う仕事は瞑想にも似ていると私は思っています。
何を考えながらこれだけ大量なものを作り続けたのか、ひとつひとつのピースを接ぎ合せて作品にすることなく、など考えると興味はつきません。
友人は、「物静かでとっても優しいおばあちゃんだった」と、言っていました。

私もこのお作に刺激を受けて、少しずつパッチワークをし続けようと考えています。
針を持つことは自分を内観する作業にぴったりでもありますし。


鎮座するサル

2009年03月20日 | モノ・雑貨・道具


我が家の玄関の下駄箱の上に鎮座するサル。どこでいつ買ったのか忘れてしまったけれど、これがなかなか愛嬌があっていいのです。サル年のときに干支にちなんで買ったものかもしれません。
サルが座っている椅子も陶芸作品で、椅子は障害を持っている子供さんが作ったものです。別の日に別の場所で二つを求めたのにもかかわらず真にぴったりと合っています。
もの思うサルはまるで哲学者のようです。
玄関を出入りするたび、サルは私に語りかけます。そのときの心模様によって、サルはいろいろの表情をして私に応えてくれます。



儚げなもの

2009年03月10日 | モノ・雑貨・道具

   
 

高層ビルの上層階から見える外の景色、雨にけぶっています。
古いカフェの中の天井から下がる乳灯色の電灯は鈍い光を放っています。
ボードに張られた画鋲の数々。
夜摘んだクローバーをガラスの小瓶に挿しました。葉は眠り、細くてしなやかで真っ直ぐな一本一本の茎が水の中でたゆたっています。
どれもこれも、儚げ。


カメラの老化

2009年03月07日 | モノ・雑貨・道具



ずいぶんヨレヨレになった私のカメラ。
むき出しのままバックの中に押し込み、必要な時に取り出して役立っているカメラ。
あちこちにたくさん傷があります。

カメラも老化をするのでしょうか。

いい写真を撮りたいなあと切実に思うことがあります。



拾ったモノ

2009年01月27日 | モノ・雑貨・道具


歩いていると落ちているものを拾うことがあります。
写真の“モノ”も道に落ちていたものです。
一瞬通り過ぎ、そして後戻りして、深々と見つめ、拾い上たモノは、さあここからがオブジェとしての彩を放つから不思議です。
長さが5㌢くらいの小さなモノでおまけに薄汚れていますが、一体何に使われていたのか、壁に掛けるとしっかりとその美しいフォルムは存在感を発揮します。




手袋

2009年01月22日 | モノ・雑貨・道具
 

いくつもあった手袋が、いつのまにか落としたりダメにしたりで、一足しかなくなってしまいました。(右の緑色のミトンは恩師からのいただきもの。左が今回買ったもの)
手袋欲しいなあ……と去年も思いながら我慢していました。
いっときは、手袋好きな私はセールのこの時期になると手袋を探し歩いた時期もありました。
通勤していたころ、電車の吊り革につかまりながら、前に座っている人たちを眺めると、冬時分はときどきハッとするような手袋をしている女性を見かけたものです。上等な革で作られた華奢で存在感のある手袋、さらにそれが使い込まれて身に馴染んでいるような手袋、なかなか見かけないグローブのような頑丈でオレンジ色の革手袋、それぞれにその人らしさを表していました。そんな手袋をイメージしながら、あるときは質屋ショップの店先などでも購入したことがあります。
しかしいかんせん、どんなにお気に入りの手袋も何かの拍子に落としてしまうシロモノでもあるのですね。
そんな風にして集めた手袋も今では、片方がいくつか残っているだけで普段使いのものは無くなってしまいました。

今度は毛糸の手袋を買おうと決めていました。手袋集めはやめました。
厳寒地に暮らしているわけではないので、手袋は冬の必需品ではないけれど、自転車に乗る時には必要です。
近くのスーパーへお使いに行く時に使える手袋、そんな手袋を探していたところ、気に入ったものを見つけました。若い人のお店にあったので、価格も超手頃で暖かさも抜群。よかった!
いくらおばさんと言っても軍手をして自転車に乗るのはちょっとカッコ悪いですものね。



小さなセミナーに参加して

2009年01月17日 | モノ・雑貨・道具

  
            
 
 

17日、新宿パークタワーの中にある「リビングセンターOZONE」のOZONEプラザで小さなセミナーが催されました。
講師は藍染作家の森くみ子さん。テーマは「藍染の伝統に生かされた循環システムを現代の服づくりに」。
(写真はマイコレクションの中の森くみ子作品の一部です。ドアにかけたり、タペストリーや敷物として使ったり、ちゃちな我が家の狭くて無機的なマンションにも融け込み、華を運んでくれています。)

藍の仕事に出会って20年になるという森さんは、お会いする度に日々の仕事を通して裏付けされた藍との格闘や葛藤の中から藍を自らの中に採り込み、生きものと表現される藍という染料を自在に操る魔術を身に付けられているようでした。さらに言うならば藍が彼女の方にどんどん歩み寄って来ているような、そんな印象も。
藍甕を自ら建て、自ら絞り、そして染めるという技法を忠実に伝統を踏襲しながら伝承している実践者でありながら、デザイン的には現在の住宅や暮らしにもマッチするものを制作したいと、そしてそれこそが時代を超えて受け継がれていくものとの揺るぎない信念のようなものがお話を聞くたびに伝わってきます。
文献を調べ、藍染の歴史を語り、そしてデザインを起こし、染める、その中には、藍の栽培から蒅の製造へとその枠もどんどん大きく広げられているようでした。
いただいた資料の中には
「現在の私たちの身の回りには、衣食住のすべてに関して、石油から作られた製品が溢れています。プラスチック製品・繊維・洗剤・肥料・農薬・殺虫剤・塗料・建材・医薬品等。それまで天然の素材で作られていたものを、次々と人工的な化学物質に置き換えていったのです。これらの物質は大量生産の仕組みのなかで、豊かな暮らしの名のもとに大量の廃棄物も生みだしてきました。」とあります。

森さんは藍染めに携わる一人として、「藍染めが隆盛を誇っていた150年ほど前の時代には、藍染はその染料の生産から染色までひとつひとつの行程で、自然循環によるリサイクルを行っていました。」と語り、藍染の復興を通してその「循環」としての新しい視点としての提案を話し、実際に自ら染めた作品を展示されました。
「『藍』という字は、草カンムリに監と書きます。『蒅』という字は草カンムリに染めると書きます。藍のルーツを調べて行くとその字源にもその意味が表されています」と。
藍という世界に、いかに深くの様々なものが込められているのかと、日本に伝わる伝統的染色法の奥深さにも触れられました。

藍の生産量を誇る徳島で生まれた森さんは、一度東京に出ますが、徳島にあるおばあさんの家に戻り、そこから藍に関心を持ち始めたのが30歳の頃、まさか私が藍染め作家になるなんて思いもよらないことでしたと話していましたが、関心のあるもの、興味を抱いたものを深く見つめ、掘り下げて関わって行ったとき、こんなかたちで日本を代表する藍染めデザイナーが生まれ出てくるのだと、聞いている私にも感慨深いものがありました。自分の取り組んでいるものに対して畏れにも似た感情を抱き続け、ひたすらにその歴史をひもとき、簡便な化学染料と安価な価格攻勢に押されて消えつつあった日本の伝統工法で染め上げられた藍染め作品を、今の暮らしに使えるものとして自らの手で甦えらせ生き継がせている功績は、こんな小さな人の肩にもかかっているのだなと、そんな思いを抱きました。

私も森さんの作品を小品ながらいくつか持っています。
本物の持つ藍の色の清々しさと力強い存在感に魅せられ続けています。

●森さんの今年の東京での個展は
銀座ギャラリー新居(5月)、荻窪銀花 で予定されています。





つくる

2009年01月10日 | モノ・雑貨・道具
 

古くなってサイズの合わなくなった家人のウールの厚手セーターを分解。
袖を外して、アームホールを別の毛糸でトリミング、というよりもほつれ止めのためにやむなくそういう作業をしてみると、着心地の良い暖かい私の部屋着ベストに変身しました。
さらに、外した袖を捨てるのがもったいなくて何か出来ないかと考えた挙句、長方形にハサミを入れて整えると、こちらもかぎ針で周囲を糸で編み込んでいくと、何とランチョンマット用の敷物が出来ました。もう一つは置き台として重宝している子供用椅子の背カバーにもなりました。1枚のセーターから合計3点のものが出来上がりました。
セーターの素地や雰囲気そのものをとても気に入っていたので、思い切って処分が出来ず、ずっと考えあぐねた結果、ダメ元でハサミを入れてみるとこれが案外楽しくて暇つぶしにはもってこいでした。
私がモノをつくる基準は、古道具やさんやギャラリーなどでこんなものを見つけたら欲しくなるだろうなと思えるようなそんなものです。そして材料はあり合わせのもので今回も一番気に入ったのはトリミングに使った糸でした。何かの繊維で紡がれた紙のような固くて細い紬糸でウールとは基本的にはミスマッチでかぎ針を使いました。毛糸を買い足すのは簡単だけれど、好きで買った、しかし用途が見つからなかった死蔵品のような個性の光る材料を使えたことは大きな喜びです。大工仕事は出来ないので、大方布や糸の周辺ということになります。

最近、家仕事が気に入っています。
ときどきは書きものをしたり、本を読んだり。
友人に借りた春見文勝著「白隠禅師座禅和算」を読み始めると、わかりやすくて固まりがちな心も氷解しそうなほど、心地よい響きに癒されます。
「衆生本来仏なり 水と氷の如くにて 水を離れて氷なく 衆生の他に仏なし」
第一段として座禅の心得が書かれていますが、座禅をしない私にも子守唄のようにやさしく言葉が響きわたります。合掌。