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ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

石井一男の絵を買う 自分のための「還暦祝い」

2009年02月13日 | 映画・芝居・芸術など


銀座で行われている「石井一男展」(10日~22日)に11日、12日と行きました。
石井さんのことは昨年の「毎日新聞」で大きく取り上げられたのを見て、関心を持ちました。昨年末の「愚怜」で行われた個展には行きそびれ、今回の銀座の「ギャラリー枝香庵」での開催を楽しみにしていました。







(写真は「枝香庵」案内状より)

石井さんは「『女神』を描く画家」として各所でクローズアップされていますが、石井さんの絵を拝見して、私は「ひとり立つ」シリーズに心が震え立ちました。
もう絵は買わないと決めていた私の心がぐらぐらと崩れ、一枚の「ひとり立つ」(sm)を衝動的に買いました。
買った絵は、「石井一男の小さな美術館」のtopページに出ているものとほぼ同じ絵です。
どんな理由をつけて買おうかと思案した結果、「私自身の還暦祝いのために」との理由付けが出来ました。やれやれ。
案内状の「突堤にて」もいいなと思いましたが、すでに売れていました。また一枚の絵を購入するためにどれにしようかとこんなに迷ったことも初めてでした。

今までも絵が好きで絵をよく観てきましたが、石井さんの絵を見て、ギャラリーに残っている作品を全部買い占めたいほどとそんな思いと感情がよぎり自分でもびっくりしました。(私が行ったときにはすでに額装された展示の絵はかなりの絵が売れていました。シートのファイルが他にありました。)。
もちろんそれはあくまで抱いた感情で、叶うはずもなく、分相応のことを考えれば叶えるつもりもないことではありますが。

親しい人たちに石井さんの絵と私がその中で買った絵の話をしたら、「ああ、あのジャコメティのような絵を買ったの?」と言われ、私が買ったのはジャコメティの彫刻の人物に似ているものなのだと思い出し、急にうれしくなりました。
他にも、ルオーに通じるものや鴨井玲や香月泰男を彷彿とさせる作品もあり、「花」シリーズでは三岸節子のような絵があり、小さなサムホールの画布に描かれた個性あふれる石井一男でありながら、私の大好きな、しかし高価で手に入らない物故作家にオーバーラップさせる雰囲気が深く漂い、惹き寄せられたのかもしれませんね。

石井さんにもお目にかかりましたが、物腰の柔らかい静かな方で、静かさの中にも晴れ晴れとした無垢なる精神が宿っている清やかな人と、そんな印象を受けました。石井さんの描かれる絵の静謐な奥深さと一体の方でした。
人気の「女神」シリーズの中の女神は、石井さんのお好きな、理想の女性像なのかもしれないなと勝手な想像を膨らませながら、拝見しました。
田中一村がデビューした時のような、そんな鮮烈な物語を秘めて石井さんも「埋蔵画家」なる冠を被せられ、画壇に登場されたようですが、いつまでもお元気でと、私もこれからの石井さんにたくさんの恵みが訪れますようにと祈りを捧げました。




黒田オサムさんのパフォーマンス

2009年02月12日 | 映画・芝居・芸術など
 

JR中野駅の近くにあるテルプシコールで行われた黒田さんの喜寿祝いパフォーマンス「黒田オサムPerformance77」に、友人たちと行きました。(11日)。
行ってみると、私のブログでの案内を見て駆けつけて来られた若者がひとり。そしてさらにその若者が、同行者のひとりと既知の仲。私にも10年前に会っていると知ってさらにびっくり!!!不思議なことがあるものなのですね。
もちろん、終わったあとは近くの呑み屋さんで軽く一杯。

黒田さん、とても77歳とは思えない若々しいパフォーマンスで会場は身体表現者としての黒田さんに釘付けになりました。
やや排他的な会場の雰囲気も素敵で、観るという緊張の中にも黒田さんの日頃の魅力を知る人たちがここに集うお祝いの会でもあり、和やかな空気が流れ続けていました。




映画で観る“舞台&舞台裏 ”  「つぶより花舞台」

2009年02月07日 | 映画・芝居・芸術など



面白そうな映画を探していたら、「つぶより花舞台」の上映情報に出会い、一気に映画館へ。詳しくは「公式サイト」で。
「ぽれぽれ東中野」で朝1回だけ(10時45分~)上映されている映画です。
60歳以上という条件で素人の、舞台に興味のある人たちを募集して作り上げた演劇を追ったドキュメンタリー映画です。劇団の名は「かんじゅく座」。

劇団主宰者で、演出家でもありご自身も舞台女優でもある「鯨エンターテイメント」の鯨エマさん34歳と、60歳を過ぎた劇団員たちの微笑ましいしかし強烈なバトルが練習風景の中に繰り広げられます。

お芝居は虚構の世界でもあることから、エマさんは劇団に応募してきたひとりひとりの個性や雰囲気や今まで生きてきた人生の背景を射程しながら、その人の実人生と異なる人間像を舞台上の役柄に生かしたという話は、ほんとに説得力があって面白かったです。
60歳から68歳までの演劇経験のまったくないシニアの方たちが、台詞の練習をし、発声練習をし、エクササイズをし、舞台に登場するまでを追った物語は、観ているだけでたくさんの勇気をもらいました。そして身につまされることも……。
まるで形を変えて自分の実像を見せつけられているような……。白髪、シワ、体型、動き、記憶力などなど、若い人には及ばない老いの影の裏表。しかし、その現実の中にもおひとりおひとりに魅力がいっぱい。

劇団員は新聞記事で公募したそうですが、実際に応募してきたこれらの人たちの、自分を新しいことへチャレンジさせようとする熱情に映画を通して触れることができました。
今までの自分が持っている殻を、動きや台詞の中に散りばめられた言葉によって破って行く。
皆さん、すごい!!!
出演者のお一人お一人が輝いてとっても素敵でした◎◎◎。
もちろん、皆さん美しい♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡。(14個のハート)。



「博士の愛した数式」 (テレビで観賞)

2009年01月31日 | 映画・芝居・芸術など
映画「博士の愛した数式」がテレビ放映され、画面に釘付けになりました。
映画館で観そびれた私は、テレビでとはいえ、大満足しました。
登場人物も少なく、静かで情感にあふれた画面と、博士を中心にした淡々と織りなされる会話の優しさと豊かさは、心に真っ直ぐに沁み込みました。

観終わったあと、映画情報をネットで調べていたら、「博士の愛した数式」は、「阿弥陀堂だより」を撮った小泉堯史監督だとわかり、なるほどと一人納得しました。
「阿弥陀堂だより」もとてもよい映画でした。「雨あがる」も観ていないなあとちょっと残念な思いを抱いています。

一本の映画を映画館まで足を運び、観る努力を怠ってはいけないなあと、最近やや何事にも怠惰に流されがちな私は深く反省しました。
いい映画はたくさんの示唆に富み、勇気をもらい、ずっと心に残り、生きていく上でのヒントが物語やその中の背景や言葉の中に散りばめられているのですね。

1月も今日で終わり、駆け足で過ぎ去って行きました。
2月になると、寒さの中にも「春」を実感する日々が訪れます。
寒さに縮こまっていないで、そろそろ動き出さなければと思います。





黒田オサムパフォーマンス

2009年01月29日 | 映画・芝居・芸術など
黒田オサムさんのパフォーマンスのご案内です。

●2009年2月11日(水・祝)
 開場15:30 開演16:00
 会場:中野テレプシコール
 前売り2000円、当日2300円です。

詳細はフィリア・プロジェクトホームページインフォメーションに詳しく紹介されています。チケットのお申し込みもこちらからできます。

昨年11月の横浜に続き、黒田さんの77歳の喜寿のお祝いのためのパフォーマンスイベントです。
今回は・ホイト(乞食)芸と・アナーキスト大杉栄と・トークと3部構成で盛りだくさんです。
とても77歳とは思えない柔らかな身のこなしなど、いつも淡々とそして飄々としている黒田さんの演者としての凄さに驚くことがいっぱいです。
私も友人たちを誘って楽しみに出かけたいと思います。


「かもめ来るころ」を観ました!!

2009年01月18日 | 映画・芝居・芸術など

 

18日行われた「ベニサンピット」でのお芝居「かもめ来るころ」(25日まで)。

●中津公演(2月7日)に関するお問い合わせは、梶原さんへ。
  大分合同新聞の紹介記事
●鹿児島公演(2月3日)に関するお問い合わせは、鹿児島公演実行委員会

◆1月20日付スポーツニッポン、「木村隆舞台評」(コラム記事)に掲載されました。
◆1月22日付日経夕刊「演劇」(コラム記事)に劇評が載りました。

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2時からの開演に滑り込んだ私は、会場に入ったとたん、ふいに涙があふれ出しました。(写真は華やぎの会場入り口。人と熱気であふれていました。)
会場は満席。舞台と客席の間は人がひとり通れるか通れないかの空間しか残されず、後ろも脇も壁際まで椅子が並べられ、身動きがとれないほどでした。
“松下さんがここに来ている!!”と、そんな感情が込み上げて来た私は、劇の開始から終わりまで涙があふれっ放しでした。

自分の暮らしを守るために、短歌を詠みながら家業のお豆腐屋さんと家族を守ろうとした松下青年のもとに、暮らしを脅かすためのものとして豊前火力建設計画が持ち上がり、眼前に広がる身近な海が埋め立てられることになり、火力発電所の稼働によって煙害などの公害により環境が破壊されることを知らされます。
そこから「環境権」という権利を当時としてはめずらしく掲げた環境権裁判闘争のことを描いた「暗闇の思想」など数々のノンフィクションを残し、自らも弱者として弱者の側に立ち続けた松下竜一氏の生涯を描いた芝居「かもめ来るころ」は二人芝居として、竜一と妻洋子の登場するさわやかで苦難の中にも明るさを秘めたものとして観客を魅了しました。

生前の松下さんと親交のあった私たち読者は、「かもめ来るころ」に様々なものをオーバーラップさせてしまい、フィクションとしての芝居と現実の松下夫妻の描かれ方に様々なものを感じたことも事実ですが、私は一貫して、松下さんへのオマージュとしても描かれていると思えるこの脚本に心からの感謝と賛辞を贈りたいと思います。
「演劇集団トムプロジェクト」代表の岡田さんが「豆腐屋の四季」を読み、そこからこの「かもめ来るころ」が生まれ上演されることになったそうですが、洋子さんの話では岡田さんは生前の松下さんにはお会いしていないはずということです。
会場で、そしてそのあと岡田さんとお電話でお話しする機会をいただいた私は岡田さんに向って「私たち読者は、『松下竜一の追善公演』をやっていただいたような感動に襲われました。生前はその高邁な思想がゆえに不遇を孤独を余儀なくされた松下さんがこんな風にお芝居となって紹介されて、松下流恥じらいを秘めながらも心底喜んでいると思うと涙が止まりませんでした。」とお話しさせていただきました。脚本の中に今こそ私たちが気付き行動を起こさなければならない「暗闇の思想」にあと一歩深く焦点が当たったらもっと良かったのにという思いもありますが、1時間45分の上演時間の中にそこまでの掘り下げは不可能でほかに歪みが生じて来ることも承知しています。
ほんとに細やかな部分もよく描かれていて、ユーモアにもあふれ、何より大勢の観客の方に楽しんで観ていただけたことは、岡田さんに発掘され、有能な脚本家ふたくちさんによって書かれ、高橋長英さんと斉藤とも子さんという実力派の俳優さんに演じていただいたことによるもので、ただただ冥利に尽きると思います。

中津市に住む洋子さんと、「草の根の会」代表の梶原さんにも、「とてもよいお芝居でした」とお電話で感想を伝えました。洋子さんは「安心しました。はやく感想を聞きたかったのでよかった!!お芝居はあくまで“物語”として皆さんに観ていただきたいと思っています。中津公演を楽しみにします」とお話しされていました。
梶原さんのお話では今年の「第五回竜一忌」は6月13日(土)に予定されているそうです。遠方からの参加者のために「中津前泊の会」を計画していた私たち関東組は、土曜日に開催が決まっことを受けて、「中津後泊の会」を計画しましょう!と梶原さんとも話が弾みました。梶原さんも「『竜一忌の案内』にそのことも記しましょう!」と約束して下さいました。



小さな演奏会に参加して

2009年01月17日 | 映画・芝居・芸術など

17日夜、八丁堀のビルの中の小さな地下スペースで小さなチェロの演奏会が行われました。入間川正美さんのチェロの独奏会でした。

 

会場に着いた私は、一度でこの会場が気に入りました。
あり合わせの椅子が、片隅にやられた“豪華な”黒い革のソファーとともに、あちこちに置かれていました。一番先に訪れた私。その日の観客は6名、他に会場のスタッフの方が2人。そんな中で入間川さんのチェロを約2時間、聴きました。会費は1500円でした。
入間川さんのことをネットで検索すると、
「セロの即興演奏家入間川正美が生活苦及び自身の怠惰故に陥る音楽家としての崩壊の危機的状態をつづる」ブログがありました。

入間川さんとは、去年、知人の家で行われた忘年会で出会いました。
「とっても貧乏な演奏家ですが、彼の弾くチェロは素晴らしいのです」と、そこに居合わせた誰彼となくが、私に入間川さんのことを話しました。
その知人の家には10名くらいの方が集まっていましたが、議論沸騰の中で、一足先に帰ることになった私がふと玄関の靴を見やると……。何とその中に、ワニの口の先のように靴のつま先がぽっかりと二つに離れた一足の靴がありました。他にも似たり寄ったりの履きつぶしたような靴の羅列。議論は白熱して難解でそれなりに面白かったけれど、皆さん、生活をどこかに追いやっているような思いを抱きました。そしてそれにもめげないエネルギー集団。落ちていても拾われないような靴の主はわからずじまいでしたが。
そして、私はひとり入間川さんの演奏会へ。

もともと音楽に疎い私。入間川さんの弾くチェロの音色は独特でした。こんな弾き方を前衛的というのだろうか……、即興演奏というのかしら?いつになったらまともらしき曲が弾かれるのだろうかと緊張とリラックスの交錯の中で聴き続けました。
キシキシと軋むような金属的音色の中に濁音を混ぜ込んだような、例えるならば、プロセスチーズをサイコロ状にカットしているような思うように軽やかに切れないと、そんな音。錐で刺し込まれるようなキリキリトした音。チェロに張られた弦を指でつま弾いたり、弓をノコギリのように弦に添わせたり……。何かの効果音のための演奏かしらと考えたり。
聴き手をじらし、心をえぐり、チェロを弾いたり、叩いたり。よく聴いているとそこにセクシュアリティを連想させる官能空間さえもがあるような。
しかし、聴き進んで行くうちに、ぐいぐいと吸引させられて次の音を待つような捉われや集中を私の中に深く感じて終わりました。
そして、ひとつ気付いたことがあるのです。
入間川さんの演奏は、観客も含めて、何物にも迎合しない、媚びない弾き口であることに。
入間川さんを紹介してくれた友人にそのことを報告するとその人は、「ところでもう1回、聴きたいと思いますか?」と。私は、「機会があればもちろん」と答えました。
 
 

演奏が終わると、スタッフの若い女性が作ってきたという「お持たせ料理」(おにぎり、自家製パン、酢のもの、サラダ、煮物など)が披露され、いつの間にか出てきたちゃぶ台の上にその手料理が並び、お酒が出されこれまた小さなパーティが催されました。(別会費1000円)。私にとっては今年何回目かの“ピクニッケスタイル”がここでもと、驚きました。感心したのは、その若い女性が用意した箸やカップ、器などで、使い捨ての割り箸や紙コップなどゴミになるものを持ち込んでいなかったことです。何だかここでも似たり寄ったりの“思想”を持った人たちが集まっているのだなあと。
ユニークで、パーティには参加しないで帰ろうと思っていた私もついつい惹き込まれてお相伴することに。心が温まり不思議な楽しさを伴った演奏会でした。


芝居「かもめ来るころ ― 松下竜一と洋子」

2009年01月14日 | 映画・芝居・芸術など
14日付「毎日新聞」夕刊の文化欄に「楽屋ばなし」というコーナーがありますが、そこに「かもめ来るころ」が紹介されていました。
「かもめ来るころ」は作家の故松下竜一氏とその妻洋子さんの半生を描いたお芝居で、17日~25日まで、東京森下の「ベニサンピット」で上演されます。

私は18日の公演にチケットをとり、当日集まる「草の根の会」の方たちとお芝居が終わった後の近況報告をするために、みんなでお茶を飲める場所を探し、今日は会場周辺の下見をしてきました。



「かもめ来るころ」は高橋長英さんと斉藤とも子さんによる二人芝居です。
(上演時間やチケットのお申し込みなど詳しくはトムプロジェクトへ。03-5371-1153)

 


倉庫を使った個性的な劇場「ベニサンピット」は、以前にも来たことがありますが、25日で老朽化のため閉館が決まっています。上質なお芝居を数々上演してきた劇場にふさわしい舞台となるよう期待しています。

 
 

両国国技館では大相撲春場所が行われていますが、「ベニサンピット」は両国駅を出て国技館とは反対方向へ歩いて10分位です。
相撲の街らしく、歩く道すがらお相撲さんの銅像を見かけました。もちろん今は場所中なのでお相撲さんにもたくさん会いました。

 

古い民家風建物もちらほらと残されていて、ゆっくり歩くと面白いものがたくさんあります。
縫製関係の卸屋さんもあり、歩いていると会社の前にラックに下がった衣類などが驚くほどの安価(200円・300円・500円位)で売られていて、私はタンクトップなどを買いました。

ご興味のある方は、ぜひお芝居「かもめ来るころ」をご覧くださいね。
今年の6月には大分県中津市の松下さんの生誕地で「第5回竜一忌」が行われます。去年の「第4回竜一忌」には高橋長英さんや斉藤とも子さんも同席され、今回のお芝居の脚本を書かれたふたくちつよしさんやトムプロジェクトの岡田さんなど関係者も集いました。
「かもめ来るころ」は東京を皮切りに、2月3日は鹿児島・市民文化ホールで、2月5日は福岡市・県立ももち文化センターで、2月6日は大分市・いいちこ音の泉ホールで、2月7日は中津・中津文化会館での上演が決まっています。



映画 「不知火海」

2008年12月27日 | 映画・芝居・芸術など
水俣フォーラム主催「水俣・千葉展」のホールプログラムとして、映画「不知火海」(土本典昭監督作品)が上映されました。
1975年の作品で、上映時間は2時間33分。あっという間に終わりました。
今から33年前の私自身を想起させながら照らし合わせ、色あせることのない記録映画としての輝きを見たように思います。時間が経っているがゆえに迫りくるリアリティ。
映画の中に登場する水俣病患者の方々の「人生」の前に、自分の無力さを感じながら、それでもなお、では何をなすべきかの問いを投げかけられたようでした。
企業や政府など強者の前に、弱者として何とたくさんの人たちが人の尊厳を奪われ続けてきたことかと、そして、それは形を変え、今も続いている現状があります。
目をそむけることなく、一人ひとりが自分の暮らしの中で何が起きているのか、何がその中で出来るのかを真剣に考え続けなければ何一つ解決しないまま、いずれは被害者加害者となる日も遠からじ、と、そんな気がしています。
1975年の私は、「水俣」のことを少し知っている程度で、他人事として深く関心を寄せることなく安穏と暮らしていました。かなり恥ずかしいことでした。
そしてそれ以後も人さまから享けるばかりで何もして来なかったことを恥じていますが、せめて今はゴミを出さないことや、エネルギー資源である電気や水、ガスなどを無駄に使うことがないよう戒めて暮らすこと位しか出来ません。でもそれらの微力な事も大切なことだと思っています。
事象を知り、考える力を失わないようにして行きたいと思います。

黒田オサム「喜寿の祝いイベント」

2008年11月29日 | 映画・芝居・芸術など


「まるごと黒田オサム・喜寿祝いイベント」が横浜ZAIM別館の一部屋で行われました。
黒田ファンの私は、企画した大学関係者やパフォーマーや学生さんに混じっておばさん参加として一席を埋めました。
2時に始まって7時ころ終わるという、まさにインドネシアやバリのガムランや影絵芝居を観ているような自由な雰囲気の中で行われたイベントは面白かった!!!
「まるごと黒田オサム」では、黒田さんのTシャツやCDつきミニ写真集が売られたほか、当日配られたパンフレットにも味のある編集がなされていて、思わず「ブラボー!!黒田さん!!」と叫びたい感じでした。
黒田さんを観ていると、豊かではないかも知れないけれど好きなことをやり続けることのできるお幸せな晩年がにじみ出ていて、生きるならこう生きたいものだと思わせる素敵さがあります。






会場の中を自在に動いて行う黒田パフォーマンスはとても喜寿とは思えないはつらつさとしなやかさがあり、人々を引寄せる吸引力がありました。
黒田さんが今回演じたパフォーマンスは黒田さんがそのかっこよさや思想的にもあこがれたという大杉栄を真似たものでした。
観客席とつながったフラットな舞台には椅子が一客置かれているだけ。広い空間の中で黒田さんのパフォーマンスを観るとその空間の空気を一気に引きうけて対峙する芸の確かさから湧いて出る吸引力に目も心も引き寄せられました。

 

今回編まれた「喜寿祝いパンフレット」にはポーランドやフランス、アルゼンチンなどの美術家や作家からもメッセージが寄せられ、その中に私も黒田さんのファンとして寄稿した短い拙文が載ってびっくり。
黒田さん、100歳まで踊り続けて下さいね。