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ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

ふたり芝居「かもめ来るころ」のご案内

2008年11月16日 | 映画・芝居・芸術など
 

トムプロジェクト」による二人芝居「かもめ来るころ」の上演が決まりました。
来年1月17日~25日まで「ベニサンピット」で行われます。
「ベニサンピット」はこの「かもめ来るころ」が最後で惜しまれながら幕を閉じることが決まっています。

「かもめ来るころ」の東京公演公演スケジュール
「かもめ来るころ」のチケット申し込み
「かもめ来るころ」の作品詳細。

二人芝居「かもめ来るころ」は「豆腐屋の四季」で知られる作家故松下竜一氏と妻洋子さんの物語です。
“ビンボウ作家”の名を冠せられた松下さんはノンフィクション作家の顔の他にエッセーをたくさん書きのこしています。貧乏だけど、愛する洋子さんと子供たちに囲まれて幸せの真髄を読者に投げかけてきます。
「河出書房新社」からは「松下竜一全集」全30巻が出されています。
そしてこのほど、松下竜一未刊行著作集2集の「出会いの風」が発刊されました(「出会いの風」は松下竜一著・新木 安利、 梶原 得三郎編)

 

今年6月、大分県中津市で行われた「第4回竜一忌」の翌日、「トムプロジェクト」の方々と「かもめ来るころ」の主演の高橋長英さんと斉藤とも子さんも一緒に、松下さんと洋子さんの散歩コースだった“かもめの来る川べり”をみんなで歩きました。
カメラマンや報道関係者も混じり込み、わいわいがやがやと洋子さんを中心に私も金魚のフンよろしく一緒に歩きました。

ひとりでも多くの方にこのお芝居を観ていただきたいと思います。
松下さんは4年前に亡くなってしまいましたが、生きていたらきっとこの上演を喜ばれると思います。もうちょっと生きていて欲しかった!!!上演が決まってよかった!!!

今日は満月

2008年10月15日 | 映画・芝居・芸術など


今日は満月なのですね、日々の進んでゆく速さに驚いています。自然は正直なのですね。ついこの間、三日月を観たと思っていたのに、です。

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図書館に本を返却に行ったら、付設のホールで名画「ガス灯」を上映する告知がありそのまま会場へ足を運んだ。平日の午後2時からで観客はほとんどが高齢者。私もその部類になったんだなあと思う。
「ガス灯」は1944年のアメリカ映画でイングリッド・バーグマンが主演。バーグマンの魅惑的で憂いのある瑞々しい表情に魅せられる。今風に言えば心理サスペンスのちょっと怖いストーリーで、電気のないガス灯の時代ならではの骨組と白黒の画面が経年を感じさせるが今観ても新鮮。
映画を無料で楽しめ、昼間のこういう席に列を連ねることに負い目がないわけではないけれど、今このときにあてがわれた私の時間と割り切る術も身につけた。
200人で満席の会場に見知った顔を見つけてしばし談笑。犬も歩けばである。一人の人とは近いうちに会う約束をし、もうひとりの人とは帰りにカフェでお茶を一緒に飲んだ。会う約束をした人とは20年ぶりくらいの再会で、私より10歳先輩。若いころやっていた仕事で世話になった。「あなたも生意気だったわよね、あの頃は。でも生意気だったからあれだけのことができたのよね」と往時を懐かしみ再会を約束して別れた。その人の周辺にいた人たちの近況もわかって、新たな交流が始まりそうな予感がする。
本を返していくつかの用事を済ませてと出掛けたのに、帰りは道草をして夕方になってしまった。空にワニの形をした横長い白い雲がたなびき、目の位置に満月が光っていた。
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☆今日のうれしい☆
外に出ると色々の人に出会う。学びもたくさん。

映画「おくりびと」

2008年09月29日 | 映画・芝居・芸術など

映画「おくりびと」を観ました。
本木雅弘さん演じる納棺師の仕事を通して描かれた世界は、厳粛な中にも笑いやユーモアが随所に散りばめられ、泣いたり笑ったりのさわやかさが残るいい映画でした。
映画の中身はこれから観る人たちのために触れないでおこうと思いますが、丁寧に作られた素敵な映画でした。久石譲さんの音楽もよかった!!

映画を観ながら、父の葬儀のときのことを思い出しました。
こんなに悲しいのに、なぜ泣きながらもご飯時になるとご飯を食べる気持ちになるのだろうと、そんな自分の不思議さを見つめたのが、初めて肉親の死である父の死に遭遇したときでした。
焼き場に運び、待っている間、戸外の庭には並木として植えこまれたサクラの花が満開で、青い空に花びらが映え、煙が真っ直ぐに上がっていたのを静かに眺め続けたことも心に残っています。25年以上も前のことです。

2年半くらい前、青木新門さんの「納棺夫日記」を読みました。
新門さんの描かれた納棺夫の世界とも重ね合わせながらこの映画を観ました。また、ずっとブログランキングベスト上位に入るという「特殊清掃『戦う男たち』」をこのパソコンが壊れる前のパソコンでは「お気に入り」に入れて読んでいました。新しいパソコンになってからはアドレスの控えがなく、ずっと開かないままでしたが。人の生死の清と濁、そしてそこに働きそれらをみつめる人たちの荘厳さとやるせなさが描かれていて、「書く」ということは、もしかしたらこんなことを言うのではないかとひそかに思いながら読んでいました。

そして、今日観た「おくりびと」。
藤原新也さんのブログ「Shinya talk」にも「『メメント・モリ』から『おくりびと』へのメッセージ」として、「おくりびと」の“映画評”が書かれています。
「メメント・モリ(死を想え)」を、手元に置いていつも眺めている私にとっては「メメント・モリ」はバイブルのような本で、新門さんの「納棺夫日記」にも思いを馳せながら、「おくりびと」を観ることができたことは、よかったと思います。
よい映画ですので、ひとりでもたくさんの方がこの映画を観られるといいなと思います。「納棺夫日記」もとてもいい本ですのでこちらもおススメです。

☆今日のうれしい☆
バス停から家までの距離を傘をささずに歩いていたら、見知らぬ男性の住人が「濡れますよ」と、後ろから私に傘をさしかけてくれました。

☆もうひとつうれしい☆

 

ヤマチャンに「鎌倉みやげ」の可愛いジャムと「京都みやげ」の“イノダコーヒ”のこちらも可愛い布巾をいただきました。パッケージもオシャレ。



映画「いまここにある風景」

2008年08月04日 | 映画・芝居・芸術など



国際的な写真家・バーティンスキーが捉えた中国の産業風景が映し出されて行く映画「いま ここにある風景」を東京都写真美術館の中にあるホールで観ました。
(写真は映画パンフレットより)
淡々と静謐に映し出されて行く映画画面に息を呑みました。ものの製造現場はまるで“巨大”と“秩序”の世界が広がり、バーテンスキーの手によると、産業の現場や産業廃棄物の山、林立するビルの中にとり残されていく遺跡のような廃墟さえもがこんなに美しく見えるのかと、それは一服のアートの世界のようでもありました。

この映画は実像で、フィクションの世界とは無縁なものが写真として切り取られたもので構成されています。その主人公たちは無限な大きさのように見える工場の広さと膨大な人を抱える中国の縫製工場だったり、中国に作られている世界一のダムの工事現場だったり、世界の巨大タンカーが集められた港での解体工事現場だったりします。その中に働く人たちや暮らす人たちの小ささも印象に残りました。
世界のゴミが集まり、世界のゴミを生みだそうとしている画像の数々に人間の欲望を通しながら反面人間の摂理を喚起するような映画でした。新しいものを作り出すために生み出される廃墟の数々と、その生みだしたものから新たに発生するであろう膨大な廃棄物のことを想うと、地球に向かって、そこに暮らす動植物に対して人は何と罪深いことをしているのだろうと、そんなメッセージを感じずにはいられません。

私は「小さく暮らす」と決めて日々を過ごしていますが、我が家から出るゴミの行方に思いを馳せました。
自宅から出すゴミは、ゴミ集積所まで運ぶと何だかほっと一安心しますが、そのゴミの行方、特に燃えないゴミなどの廃棄物の行き場所までさらにしっかり意識を持って行かないといけないなとそんな衝撃にさらされました。そこに意識が行けば、簡単に棄てることも、そしてその前に熟慮しないでモノを買うことも少しは減るのではないでしょうか。頑健なものや電子機器などのゴミから出されるダイオキシンや化学物質の被害も深刻で、それは世界の弱者たちの身を侵すことでもあるところまで思いを馳せなければなりません。

「いまここにある風景」は87分の映画でしたが、瞬きもできないほどの緊張感を持って見続けました。画面の静かさに驚きながらも、ぐいぐいと引き寄せられていく吸引力がありました。
最後のシーンで、立ち退きを迫られた老婆がただひとり立ち退かず、新しいビル群建設のために廃墟となった一ところの階段に座って刺繍をしているシーンがあり釘づけになりました。深く刻まれたしわ、意思を持った顔つき、その等身大の自分から生み出していく生活に必要な美しい手仕事の画面を観ていると、そこに在る人が持つ宇宙を感じ救われました。


映画 花はどこへいった

2008年07月05日 | 映画・芝居・芸術など

「花はどこへいった」(坂田雅子監督初作品)は、「ベトナム戦争のことを知っていますか」というサブタイトルがついています。
岩波ホールで公開されていることを知っていたにも関わらず、すぐに観ることができなくて、そのうちに忘れてしまって、しかしまた偶然都内に出る日に映画のことを思い出してと、ようやく観ることができました。上映最終日の最後の時間でしたが。

ベトナム戦争による枯葉剤被害の患者さんたちを扱ったドキュメンタリー映画です。
坂田雅子監督の初監督作品で、この映画を撮るきっかけは、夫のグレッグ・デイビスが肝癌で逝き、そのあまりの若い死に、アメリカからベトナムの戦地に赴いたときに浴びた枯葉剤が原因なのではないかと思うところから始まります。
監督自らが現地に赴き、今も枯葉剤被害に苦しむ子供たちを映し出します。その被害のあまりの重篤さに、息をのむほどです。床に転がすように寝かされた子どもは、手足を床に打ちつけるようにバタンバタンと体が自然と動いているようです。サリドマイド児のように手足が欠損している子どもたちもいます。頭がふたつある子どもの顔のバランスはいびつに歪み、眼球が飛び出しているようにも溶け出しているようにも見えます。それらの子どもを持つ親たちの貧困さにも哀れを誘われます。
同時に、監督のまなざしは枯葉剤被害を受けて生まれてきたわが子に対する家族の慈愛の深さにも注がれて行きます。また生まれて来ることのなかった被害胎児のホルマリン漬けにされた病院の棚に並ぶ標本の多さにも驚きます。

映画を観ていると、戦争による公害病とも言える枯葉剤被害がここまで深刻だったのかといういいようのない罪深さを感じないわけにはいきません。
枯葉剤として空中散布されたダイオキシンの汚染は、世代を超えて先天異常を引き起こしている怖さがあります。そして消費大国である日本のゴミ焼却によるダイオキシン汚染の広がりなど、様々な怖さの伏線をこの映画の中に感じました。

監督挨拶の中で坂田監督は、「この映画を観た方から『わたしたちに何ができますか?』という投げかけがありました。患者さんたちは貧困とも闘っています。上映中にカンパされた90万円にも近いお金を患者さんの役に立てたい」と話しました。
還暦になって初めて映画を撮ったという監督自身の姿を通しても、学ぶことがたくさんあった映画です。

戦争公害の悲惨さやその行方、公害を生みだしていく消費の方向など、一人ひとりが考えなければならない問題が山積していることを教えられた映画でした。




映画「西の魔女が死んだ」

2008年06月23日 | 映画・芝居・芸術など



(写真は、「西の魔女が死んだ」パンフレットと付録のスケッチブック)

22日から公開された映画「西の魔女が死んだ」を観ました。
お孫さんを連れたおばあちゃんや母子連れなども客席で見かけました。

魔女の血をひくおばあちゃん役には、シャーリマックレーンの娘であるサチ・バーカーが配役されていて、こんな仕掛けがあるのだなと驚きました。
中学生の孫、まいがおばあちゃんの死を知らされ、母親と駆けつけるところから映画が始まりますが、その前に、まいが学校に行けなくなったとき、まいのママが自分の母のことをそう呼ぶ森の中に暮らす“西の魔女”のもとに行き、魔女おばあちゃんと一緒に暮らしますが、そのときの様子が映画の主軸を成しています。
私はこの映画が日本人による原作で監督も日本人、おばあちゃん以外はみんな日本人だということを知らずに映画館に足を運びました。
魔女おばあちゃんの暮らす森の中の一軒家は、まるでターシャ・チューダの世界のようだなと思いながら、22日新聞にターシャが亡くなったという記事を見つけたことも偶然とは思えないほどでした。
瑞々しい木々の緑が広がるおばあちゃんの家を取り巻く自然や、ハーブガーデン、ワイルドストロベリーが実る広大な畑などを見ながら、ここはどこなんだろう?という思いが湧きましたが、パンフレットからこれは清里に作られた広大なオープンセットだということを知りました。この清里のオープンセットは2009年1月4日まで一般公開されているそうです。
おばあちゃんが暮らす家の中の家具や調度品などもイギリスと日本が融けあったようで素敵でした。私は、この映画に関してはストーリーよりも小道具も含むインテリアに最初関心がありましたのでねらいどおりでしたが、それらのものやイングリッシュガーデンを思わせる自然を背景に展開する物語も素敵でした。
学校にいけなくなったまいを受け入れ、“魔女修行”と称してまいにいろいろの日常を教えて行くおばあちゃん。花を摘んだり、大たらいでシーツを洗ったり、戸外で薪を焚きながらジャムを作ったり、そして近くに住む、まいの大の苦手な怖そうなおじさんのところへのお使いなどを通して、まいはたくましく成長していきます。まいのママが着ていた寝巻きを夜は肘掛椅子に座りながらおばあちゃんはまいのスモックドレスとエプロンにリフォームしていく姿など、ストーリーはシンプルでわかりやすく、夢があって若いお母さんやお子様たちにも受け入れられやすい映画だなと思いました。
それらの日常の中に散りばめられた魔女おばあちゃんのゆったりした笑顔と発する言葉も魅力的でした。そしてときどき潜ませる苦渋の表情。キャリアウーマンに育ててしまったまいのママとまいを取り巻く環境の中でまいと触れ合いながらおばあちゃん自身も生き直しをしているようにも見える展開の仕方。人は人の中でしか生きることができないけれど、生きるということを援けてくれる自然の表情や日々の小さな家事労働の中にある喜びに触れるとき、人は自らを再生していけるのかもしれませんね。

母・子・孫の三世代の中の母(おばあちゃん)世代になった私にも新鮮で豊かなものを見つけることのできる映画でした。
「西の魔女が死んだ」を観た時は、パンフレット(600円)を買うこともお勧めです。このパンフレットの中にはまいのための「魔女修行のーと」が付いていますよ。


映画 「折り梅」「ユキエ」そして「レオニー」へ

2008年05月19日 | 映画・芝居・芸術など

18日、早稲田で行われた小さな集まりに参加しました。
それは、映画監督として50歳を過ぎてデビューし、「折り梅」「ユキエ」を撮り、再び今度は還暦を過ぎてなおイサムノグチの母レオニーを主人公にした「レオニー」のクランクインを控えている松井久子監督を囲む会でした。

松井監督のお話を聴く会がセミナールームで行われたあと、近くに場所を移して会食が行われました。
下の写真(上)はセミナールームで講演中の松井監督です。



 

(下)の写真の左側は松井監督と私のツーショット、右の写真はこの日のこの会の主催者である友人の稚代さん。みんなとっても楽しそうでした。
こんなに華奢なこの方のどこに8億円という映画資金を自分で集め、映画を撮り続けるエネルギーが潜んでいるのかしら?と思えるほどでした。
松井監督も、「今日は皆さんの前でかなり内輪の話をしてしまったゎ~。私も皆さんのようなたくさんの方に支えられて幸せ~」とアルコールなしの会だったのにリラックスされたご様子で、普段は聞き得ない話もバンバン飛び出しました。

女性の映画監督といえば、舞台あいさつや上映のあとのアフタートークでしか知りませんが、皆さんかなりくたびれたジーンズにTシャツやフリースなどラフな格好で私たち観客の前に立たれる方がほとんどです。(私はドキュメンタリー映画を観ることが多いからかもしれませんが)。
しかし、松井監督はとってもオシャレでフェミニンなスタイルで現れました。私が会食の席でそのことを尋ねると、「お洒落は私の中の美学なの。もちろん撮影の現場では私もジーパンも穿きますが、今日のような会の時は自分の着たいものを着ることにしてるのよ。『折り梅』や『ユキエ』の中でもその自分の美学をセットの中の家具やインテリア、出演者の衣装の中にも出しているの」とおっしゃっていました。
私の周りの友人や知人は「折り梅」や「ユキエ」を観た人も多いのに、私は観ていなくて、残念でした。
松井監督の爪はきれいなマニキュアが施され、爪の先は若い方がよくしているピカピカと光るさらに美しいマニキュアで彩られていました。

男性社会の中で女性として何かを発信していくことがいかに大変か、特に映画の世界では女流監督というだけで多くの壁が立ちはだかっていることはよく知られています。
松井監督は、「通常、今の日本では映画館は女性観客が多いのに、作る側は男性監督が占めています。私は女性に共感してもらえる女性に支持される映画を作りたい。50歳を過ぎて後発で出てきたけれど、今までの仕事と違い、監督の仕事は私自身のクリエイティビティを求められているのではなく、集団の人を自分というカリスマにどう引き付けて制作を続けていくかという葛藤に悩んだこともあったけれど、孤独に耐え、どんなことがあっても自分のビジョンを掲げ続けていくことが大切だと実感しました。」と話しました。

「3作目である『レオニー』は、イサムノグチの母レオニーを主人公にした映画です。日本人の父野口ヨネジロウとアメリカ人の母レオニーのもとに生まれた世界的に著名となった彫刻家イサムノグチ。詩人でもあった父はレオニーが身籠ったと知った後日本に引き揚げ、レオニーはひとりでイサムを生み育てることを決意します。
そして、戦争など世界情勢を避けるため混血のイサムを守るため日本にやってきたレオニーはヨネジロウと仕事上のパートナーシップを生きるために再び組み続けます。
レオニーは野口ヨネジロウに身籠らされ、棄てられたけれど、自分がヨネを愛したという事実を受け入れ、思わぬ不幸に見舞われてもどう自分の運命を引き受けるか、その運命をプラスに転化し、シングルマザーとしてイサムを生みます。
野太いレオニーのプリミティブな強さ、イサムを生んだときにこの子のためにも生きていけると決め、働きながら子供を育てたことなどを映画の中で表したい」と監督は語りました。

私は稚代さんからこの会のことをメールで知らされたとき、ここ最近出かけてばかりなので参加しようかずいぶん迷いました。しかし、迷った時はGO!です。
そして思い切って参加し会場を見渡したとたん、監督のお話の前でしたが「来てよかった!!」と思いました。参加している人たちとの心地よい関係性が伝わってきたからです。
たくさんの勇気とエネルギーをもらいました。稚代さん、ありがとう!!感謝!!

「レオニー」は2010年から2011年ころ公開される予定だそうです。



「眠る男」~「埋もれ木」

2008年04月01日 | 映画・芝居・芸術など

東中野の映画館「ぽれぽれ東中野」では、今、小栗康平監督作品特集を組んでいます。
本当はせめてそのうちの2本を続けて観ようと出かけましたが、結局は1本にとどまり、近いうちにまた他の作品を観るために出かけたいなと思っています。

私が今回観たのは「埋もれ木」です。
小栗監督の作品は一般に難しいと言われていて、今回観るに当たってはあえて理解をしようとしないということを決めていました。

「眠る男」は、1996年公開と同時に観ました。「眠る男」の前は「泥の河」も観ました。

「眠る男」は、古いの民家に男が延々と眠り続けていて、その周辺に様々な出来事が起きてくるようなつかみ難い静かな映画だったと思います。
さっぱりストーリーが理解できず、もう一度観ようと思っていました。

「埋もれ木」を観るにあたって、自然体を意識し、ゆったりと映画館の椅子に腰を下ろし、音楽や画面に身を委ねるようにして流れに任せているとあっという間に映画は終わってしまいました。
まるで大人の上質なファンタジーを感じ、物語性のあるきれいないい映画だったなあと思いました。
「ファンタジーはもうひとつの現実」「人生はものがたりという乗り物」いい言葉ですね。
夢、現実、未来、過去を錯綜させながら私たちは生きています。
「埋もれ木」を観終わったときに「眠る男」が同時によみがえり同時にふたつの映画が少し理解できたような気分になりました。
これでいいのだと、そんな納得が行きました。
私の心の殻がひとつポンと弾けて割れた瞬間があったのだと思いました。

何かを解ろうとして日々必死に生きているわたしたち。
しかし、その日々そのものが物語であり、その物語の中を生きているとしたら、ありのままにそれでも移りゆく暮らしという景色、生きるという現実をゆらゆらと喜べばいいのですね。
「眠る男」「埋もれ木」……の中の数場面が残像のように私の心の中にあり続けることの意味は深いなあとそんな感想を抱きました。


映画 「≒草間彌生 わたし大好き」

2008年02月19日 | 映画・芝居・芸術など

草間彌生 わたし大好き」(監督・松本貴子、撮影・馬場宏子)が渋谷の「シネマライズ」で上映中です。
映画は、前衛芸術家・草間彌生を、1年半追い続けたドキュメンタリーで、草間の最新作となるF100号のモノクロ作品シリーズ50作が完成するまでを記録し続けたものです。

「シネマライズ ライズエックス」はスペイン坂の途中にあるミニシアターで、中に入ってみるとまるでお洒落なプチホテルかカフェかナイトクラブのような雰囲気。前はバーがあった場所だとか。客席は1階と2階に分かれていて総席数40席。私はらせん階段を上って行った2階席の一番前で観ました。映画館の小ささに試写会場に紛れ込んだのかと、思わずスタッフの方に「ここでいいんですよね」と訊いたほどです。1階席と2階席の間にスクリーンがあり、1階席からはちょっと見上げる感じで2階席からはちょっと見下ろす感じです。ゆったりとした椅子席も心地よく何てユニークな映画館かしらとその座席に座れたことがうれしかったほどです。

映画が始まると画面に釘付けで、上映時間の102分があっという間でした。
三白眼の目玉で草間彌生に見つめられると思わず引いてしまいそうなそんなイメージで臨みましたが、「前衛芸術家・草間彌生」の容貌の他に、魅力的なまるで真っ直ぐな意思を持ち合わせた少女のような雰囲気の可愛くてチャーミングな女性の部分もたくさん映し出されていました。
ドキュメンタリー映画ですから草間彌生の日常を追いかけていますが、スタッフや周りの方々に対する礼儀正しさと言葉使いの丁寧さにも驚かされました。支える人たちも凄いけれど草間彌生も凄い人だと思いました。
そして何よりも作品制作に対するひたむきな集中力と、自分のことを自分で「わたし大好き!わたしは天才!」と言い切る言葉にも圧倒されました。作品が仕上がる度に、「わぁ!!いいのができたねぇ!!ねぇ、凄いでしょ!ステキねぇ!!」とつぶやき、「私は私の絵がいちばんいいと思っているから他の人と比べたことなどないわ」と断言します。ここまできっぱりと思いを出してくるとそれを聞いている側も爽快な気分に導かれます。
草間彌生のようにみんなが自分のことを自分で「私大好き!私は天才!」と認め、やりたいことにひたすら向き合い精進したらきっと自分自身の世界観も違って来るだろうなと深く感銘を受けました。真っ白いキャンパスに絵を描き、そして合間に詩を詠みと絶え間ない探究と向上に立ち向かって行く姿は生きることの気迫に満ちていました。

映画の中では「草間彌生」をクローズアップしながら監督やスタッフの方が草間彌生に語りかける場面がたくさんあり、その中で草間彌生の様々な感情の動きや激しさが垣間見える場面がたくさんあります。しかし映画の中ではその声の静かさに驚きを覚えるほどです。たとえば映画の最後の方で最新作となるF100号のモノクロ作品シリーズ50作目が完成するその瞬間に密着し、「先生、すごいですねぇ!!晩年になってこんなことができるなんて、ステキですねぇ!」と語りかけると、草間彌生は一瞬、「えっ、晩年?……」と言って絶句します。やや沈黙の空気が続き、なお、「先生、晩年ではないのですか?」と問いかけると、「ええ、今は違う……まだこれからもっともっとやらなければいけないことがたくさんあるから」と答えるシーンなど、たえず未来を見つめている姿に圧倒されました。

撮影中に喜寿を迎えた草間彌生の強烈な個性とその生き様は前衛芸術家の魅力にあふれ、画面を通してたくさんのエネルギーをもらった感じです。
「シネマライズ」では3月上旬まで上映予定とのことです。

『≒草間彌生 わたし大好き』の映画監督、松本貴子監督のインタビュー記事では撮影の様子を知ることができます。


映画「ビルマの竪琴」

2008年02月15日 | 映画・芝居・芸術など
先日亡くなられた市川昆監督への追悼番組として映画「ビルマの竪琴」がテレビで放映されました。
以前に一度見たことのある私は、テレビ番組をみようかどうか迷ったけれど、他にすることも無かったのでテレビの前に。
勧善懲悪的ドラマ構成が大好きな私の涙腺はテレビの前で緩みっぱなしに。

作品は1985年に上映された中井貴一演じる水島上等兵と石坂浩二演じる井上隊長のコンビで、映画の中のお二人の若さにも年月が少し経ったことを感じました。
最初に見たときにもっとも印象に残っていた場面は、捕虜から解放されることがわかっての捕虜収容所での鉄条鋼越しに対面した水島と隊員との別れのシーンです。
そして、2回目の今日も見終わってしまえばやはり同じ場面が鮮烈に脳裏に焼きついて感動に震えました。
水島のために隊員たちが歌う『埴生の宿』、そしてそのお返しに水島は無言で「仰げば尊し」をビルマの竪琴で弾くシーンです。祖国のメロディーに心打たれる隊員たちを後に僧衣に包まれた水島は霧深い森の中へ去って行きます。
幻想的でロマンにあふれた静かで印象深いシーンです。
戦争をテーマにしながらも、人の尊厳の奥深さが描かれ、どんなときにもその人が持つ“文化”を見失わないで生きることを教えられたような感じでした。
年月が経っても古さを感じさせるどころかまったく新鮮な驚きと感動を持って見る事ができました。

最近映画もDVDも観ていなかったので久々に満足しました。
いいものはいいなあと思いました。