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ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

マイレオニーのご縁から

2011年11月14日 | 映画・芝居・芸術など



写真は、松井久子監督(左)と、私を誘って下さった江東区に住む福沢さん(右)。

13日の日曜日は、江東区の「パルシティ住吉」で行われた男女共同参画フォーラムの一環として、午後1時から松井監督の講演会と『折り梅』の上映会があり、参加しました。
私は『折り梅』を一度観てみたかったので、とてもありがたいお誘いでした。

11時半に住吉の駅で待ち合わせをした私たちは、松井監督を伴い、福沢さんのご案内でランチを共にさせていただきました。
監督を囲むランチに集まった10数人の中には遠く松山から参加された方もいて、和気あいあいでした。

65歳という監督は、超ミニスカートとヒールのブーツ姿で駅の階段を上がってこられて、その美しさにびっくりしました。
女性監督にありがちな、化粧っ気なし、ジーパンに上っ張りスタイルというイメージを払しょくした松井監督。
出来る女は違うなあとため息交じりで拝見しつつ、いつもいつも監督は分け隔てなくそこに居合わせた人に気配りをされる、ステキで優しく思いやりの深い方でもあり、女性ファンを引き付けています。
眼差しがとってもやさしいのです。

私もクランクインの前、数回、「マイレオニー」の関係でお目にかかったことがあります。
もちろん、私のことを覚えていらっしゃるハズもなく、が、当たり前のことですが。
「はじめまして。千葉市の○○です。監督にはいろいろのところで数回お目にかかっています」と、ご挨拶しました。具体的に、その会に居合わせた共通の知人のお話しをしました。
すると、ランチが終わり、監督が私に、「○○さん、思い出しました。あなたに何度かお会いしていますね!」と言われて、今度は私が監督の記憶力に超びっくり。

会の中心者、福沢さんが事前情報としてランチの参加者のことを伝えていて下さったらしく、私は穴があったら入りたいほどでしたが、主催者としてのその心配りや手の打ち方を学ばなければと勉強になりました。
福沢さん、ありがとう!!!!!福沢さんもスゴイ人でした。
帰りに福沢さんからも、「○○さん、監督に何度かお会いしているんですってね。監督がおっしゃっていましたよ」と、声をかけていただき、さらにびっくり!
私はここでも、出来の悪いマイレオニー会員ぶりを露呈することになりました。

監督は講演の中で、最新作『レオニー』についても語られました。
DVDでしかレオニーを観ていなかった私はとても負い目を感じましたが、『レオニー』の素晴らしさや映像の美しさなどの感想を、歩きながら監督に伝えました。

松井監督は、50歳で映画監督になり、『ユキエ』、『折り梅』、『レオニー』と3作の映画をいずれも女性の視点で撮ったことで知られています。
これからのことはまだ白紙で、しばらくは『レオニー』を育てたい、と、おっしゃっていました。
制作決定から7年の月日をかけて完成した『レオニー』。
資金集めなどもすべて自力で行った剛腕ぶりを、優雅な笑顔とファッショナブルな装いの下に隠し持った、とてもとてもチャーミングな方でした。心よりご尊敬申し上げます。


『ひまわり』BSプレミアムで

2011年11月08日 | 映画・芝居・芸術など

BSで放映された『ひまわり』を観ました。
何度か観ているのに、細部はすっかり記憶の彼方に忘れ去り、あらためてすごい映画だなあと思いました。
「えっ!こんなシーン、あったっけ?」と思う場面も多く、ソフィア・ローレンの美しさが際立っていたけれど、以前はその美しささえ美しいと思わなかった私。
ビビアン・リーやオードリ・ヘップバーンの可憐さに比べると、ソフィア・ローレンはおとなの女の美しさだったのですね、きっと。ヒョウのような妖艶さがありました。

どこまでも続くヒマワリ畑と、戦争後帰らなかった、夫アントニオの家を訪問し、アントニオが新しい家庭を持っていたことと、再会したあと、電車に飛び乗って去るシーンしか覚えていなかった。
でも、あらためて観ているとかすかにかすかに思い出す場面もあるので、若いころ、映画を見ながら居眠りしていたのではないことは確かです。
『ひまわり』は、淡々とした映画だけれど、戦争の悲惨さをさりげなく私たちの暮らしの目線で描いていることでしょうか。名画の醍醐味を味わえる映画です。
夫アントニオが帰れなかった事情、さらに、そのことを知った妻ジョバンナが打ちひしがれたのち、新しい家庭を持ってしまったという、幾重にも組み込まれた哀しさ。
主役はソフィアローレンのほかに、どこまでも続くヒマワリ畑のヒマワリなのかも知れませんね。


ご縁の先に『レオニー』。

2011年11月06日 | 映画・芝居・芸術など

私を13日に行われるフォーラムの前の松井久子監督とのランチ食事会に誘っていただき、私が、「松井監督の映画はまだ一度も観ていない劣等生ですよ」と伝えると、松井監督の最新作『レオニー』のDVDを送ってくれました。その人とはたった一度しかお会いしていないので、このご縁は不思議ですね。
13日に都内で行われるフォーラムでは松井監督の講演と『折り梅』が上映されるとかで楽しみです。
フクザワさん、ありがとうございます!!
レオニー』はステキな映画でした!!!!!

私も松井監督のファンのひとりですが、フクザワさんはとびきり強烈なファンのようです。アメリカロケのため数人の方とニューオーリンズまで追っかけていったとか。
『レオニー』は6年かかって完成した映画で、その途中、私も別の人に誘われて「マイレオニー」の会員登録をしたにもかかわらず、『レオニー』の映画を観ていなかったとなると、ちょっと恥ずかしい劣等生会員ですね。

レオニー

今日の午後、『レオニー』をDVDで拝見しました。
イサム・ノグチの母、レオニーを主人公に映画化された『レオニー』。
富士山や桜をとりいれた風景など日本的な美しさをたっぷり配しながら、レオニーのふるさとアメリカの美しさもそこはかとなく漂う情緒的で静かな映画でした。
もっとはげしい映画かと思っていたけれど、レオニー役のエミリー・モーティマーのはにかんだようなもの静かで意志のしっかりした知的な美しさが全編に漂う、ステキな映画でした。
決してしあわせだったとはいえないレオニーの生涯をこういう言葉で位置づけたのかと思わせる、映画の中のレオニーのせりふは、自立したレオニーを描く松井監督の意思そのものだったのかしらなどと想像しました。

人に出逢うのも、よいものに触れさせていただくのも、どこかでつながった糸のなせる技のように思います。


ヤング@ハート

2011年10月20日 | 映画・芝居・芸術など

BS放送でやっていた「ヤング@ハート」を観ました、途中からだったけれど。
いい映画は、退屈しないで最後まで引き寄せられるように観続けることができる、家のテレビの前でも。
これが、私が家で観る映画の定義ですが、「ヤング@ハート」は、寸分違わず、その定義にぴったりの映画でした。

齢を重ねることってこんなに素晴らしいことなんですね。
80歳、90歳になっても、歌う。ときどき急病で救急車で運ばれたり、仲間のメンバーが運ばれたのち亡くなったり。
しかしそれらを受け入れ、めげず、自分自身もボケや体力の衰えと闘いながら、舞台をめざし、舞台で歌う。
映画の中で、何度か繰り返された言葉は、「フォーエバーヤング」。
いつまでも若く……です。
皆さんの表情は、子供のように純粋でかわいらしく、笑顔はとびきり輝いていました。
ステキな映画でした。


クレールの刺繍

2011年09月20日 | 映画・芝居・芸術など

映画はストーリーもさることながら、映画に出て来る風景や建物、さらに家の中の調度など諸々に引き寄せられることがあります。
『クレールの刺繍』(2004年)はストーリーもよかったけれど、あらすじのどこにも書いていない美術関連とでもいうのでしょうか、映画の中の各シーンの美しさをうっとりと見つめました。
フランス映画の洗練された静かで美しいたたずまい。
古びたドアの木枠に張られたガラスの繊細さ。射し込む柔らかな光を通して透けるレースのカーテン。
家の階段の周りに置かれた年季の入った植物の鉢植え。
豪華でない庶民の暮らしの中で映し出される室内は私の憧れの宝庫。ソファーの形や色合い、古びた家具や布、アンティークを思わせる調度や調度品への束の間の憧れ。

日本の昔ながらの家屋は、何もない侘び寂びの美しさを秘めています。
フランス映画やヨーロッパの映画には、しっとりと落ち着いた使い込まれたホーローの鍋やカップなど調度品の使い方や色合いや形の美しさに見惚れてしまいます。

『クレールの刺繍』では、刺繍を刺す主人公の美しさとその刺繍の品のいい豪華さにも目を見張りました。

沖潤子さんの本が届いて、映画『クレールの刺繍』を思い出しました。


小さな市民ギャラリー 八幡宿駅で

2011年08月19日 | 映画・芝居・芸術など

 
 

午後から外出。五井に行きました。
帰りは八幡宿駅まで送って下さる方がいて、JR八幡宿駅から電車に乗りました。

八幡宿駅の通路を通っていると、漁具の展示に目が止まりました。
その昔、この辺りは海が迫っていました。今は海が埋め立てられコンビナート群が立ち並んでいますが。
駅の通路に「市民ギャラリー」があって、私が通った今日は漁具の展示が行われていました。
ガラス張りのため、さらに人の通行が多いため、うまく写真に撮ることができなかったけれど、この展示、とても美しかったです。

昔の人たちが使った道具というのは、それだけでどうしてこうも美しいのでしょうか。
カゴや網、魚篭など手仕事の美しさに目を見張りました。


映画「エクレール」と「ふみ子の海」

2011年05月31日 | 映画・芝居・芸術など

映画「エクレール」のチケットを試写を見たという知人にいただきました。
5月21日から公開上映が始まった「エクレール・お菓子放浪記」は、新聞やネットを通してメディアにも数多く登場しています。
このブログを書くときまず最初に開くgoo。このトップページにも「エクレール」が広報されています。

「エクレール・お菓子放浪記」は被災前の東北が映し出されているのでしょうか?
――映画『エクレール・お菓子放浪記』は、東日本大震災 被災地・宮城県石巻市を中心にロケを行った作品です。「全国にこの映画を届ける事で、東北の復興に向け支援の輪を広げたい」――。

「エクレール」の監督近藤明男氏とこの映画の試写会で45年ぶりに再会したという知人。「そんなこともあるのねぇ」と驚いた私。近藤監督は映画「ふみ子の海」を作った人としても知られています。
『ふみ子の海』の原作者は上越高田の高田瞽女研究家の市川信夫さん。「門前仲町の門仲天井ホールにて短編記録映画『瞽女(ごぜ)さんの唄が聞こえる』上映会」からのご縁で参加した「高田瞽女さんツアー」。
1泊2日の「高田瞽女さんツアー」には市川さんもずっと参加され、瞽女のふるさと高田の町と瞽女さん所縁の場所を案内していただきました。「ふみ子の海」のロケ地も訪れた旅は、ステキな人たちとの出逢い旅でもありました。
そして今回の映画「エクレール・お菓子放浪記」へとつながりました。

ほんの少しの小さな小さなご縁から広がる諸々のことを思うとき、いつもいつも感謝でいっぱいになります。
来週には「エクレール」、観れるかしら……?観たいな。
それにしても、45年ぶりとはなんという奇遇でしょう。いくつかの偶然に引き寄せられての再会だそうで、そのドラマチックな出来事は聞いていてもワクワクでした。


山本作兵衛さんの画など

2011年05月27日 | 映画・芝居・芸術など

福岡県の炭坑画家、山本作兵衛さんの作品が「世界記憶遺産」に登録されたことを知りました。

2009年12月、目黒美術館で行われた「“文化”資源としての〈炭坑〉展」を見ていた私は、そこで山本作兵衛さんの膨大な“炭坑の絵”にくぎ付けになりました。
ニュースによると、作兵衛さんは7歳から炭坑内で働き、以後半世紀以上を炭坑夫として18炭鉱で働き、絵を描き始めたのは還暦をすぎてからだそうです。92歳で亡くなるまでヤマの絵を描き続けた作兵衛さん。
そのリアリティに富んだ絵は、どんな著名な画家の絵よりも記録としてもすぐれ、一般の人が知る術もない炭坑の様子や炭坑で働く人々や家族の暮らしが如実にわかるものでした。
ふつうの人たちが日々の暮らしや、自分の周辺を記述することの大切さを教えられた「炭坑展」でした。

上野朱著『父を焼く』の中に、山本作兵衛さんのことに触れた章「名残りのつるべ」から一部を抜粋します。

「……炭坑の画仙であり酒仙であった山本作兵衛さん……石炭を運ぶ川舟船頭の子として生まれた作兵衛さんは、尋常小学校を卒業後に3カ月間だけ高等小学校へ通学。12歳で鶴嘴鍛冶に弟子入りした後、14歳からは後山として坑内に下がり、その後のほとんどを筑豊の炭坑で過ごした根っからのヤマの人だった。そしてその歴史を『絵などと言えるものじゃござっせん。ただ孫たちに炭坑を伝えたかっただけ』との一念で、幼いころから好きでたまらなかった絵に残された。またその絵に加えて画面狭しと書き込まれた説明文の文字は、満足に学校に通えなかったのを補うべく、漢和辞典を借りて書き写した独習の文字である……」

この章の中には朱さんの父である上野英信と向き合う山本作兵衛さんの写真が載っています。
山本作兵衛さんの炭坑画を世界記憶遺産に登録したユネスコの関係者の鑑識眼の高さは凄いなあと驚いています。ほぼ無名の作兵衛さんを選んだ公平なモノサシもうれしい。田川市が炭坑の世界遺産登録申請のために資料として添付した作兵衛さんの炭坑画。ヒョウタンからコマとはこういうことを言うのでしょうか。ほんの一部の関係者にしか知られず、評価されなかった作兵衛さんの絵が世界の「記憶遺産」として認められるなんて、素敵なことですね。作兵衛さん、生きていたら何とおっしゃるでしょうか……その会話の想像も楽しいです。
「記録なくして事実なし」と言ったのは映画監督の故土本典昭さん。
記録するための記憶の凄さとその記憶を絵や文字で証言した山本作兵衛さんの偉業が認められ、称えられたことは同列に並ぶ私たち庶民にもうれしい出来事です。

そして、今日届いた本は、英信さんらとともに炭鉱に暮らしたことのある森崎和江さんと、中島岳志さんとの対談集『日本断層論』(nhk出版新書)。
本は届いたけれど、読むのはちょっとお預けになるくらい今の私には時間の余裕がないけれど、楽しみです。


マーティン・ヘルムヘンのピアノコンサート

2011年05月01日 | 映画・芝居・芸術など

4月30日にトッパンホールで行われたマーティン・ヘルムヘンのコンサートに行きました。
ひょんなご縁から1枚のチケットが届き、1席を埋めることに。
ずっと前から決まっていたこの日のコンサートも、3・11の影響で観客動員などに不安があったらしく、私にもお誘いが届きました。
海外のアーチストが来日を取りやめる中で、マーティンは予定通りという事でその思いにも応えたいという関係者の熱い願いが届き、客席はほぼ満席でした。

久しぶりのピアノコンサート。
1982年生まれのマーティン・ヘルムヘンの瑞々しいピアノタッチ。
魔術がかかったような手が鍵盤の上でしなやかに縦横無尽にあるときはゆるやかに、あるときは激しく動きながら生みだされて行く音は、切れがよく、ピュアで、瑞々しく、深く軽やかで安定感にあふれ、すっかり魅了されました。

プログラムは
バッハ:パルティータ第1番
シェーンベルク:6つのピアノの小品
メンデルスゾーン:無言歌集第6巻
(休憩)
ベートーベン:ピアノソナタ第29番

どれもこれも個性的ですばらしかったです!!!
音痴にドが付くほどの私は、音に関してのたくさんのコンプレックスがあり表現もとても苦手ですが、聴くのは大好き。コンサートはキラキラしていてうっとりと聴きほれ、さらにリズミカルに進んで行ったという感じ。あっというまの至福の2時間でした。
マーティンの柔らかい指先から生まれて来る魅惑あふれる音に魅了され続けました。
客席から眺めていると、ピアノを弾くマーティンのエナメルの靴がライトに照らされて、キラッ、キラッと星のように光り続けました。足元に星がとまった「星の王子様」。初々しいマーティン・ヘルムヘンに参りました。

お誘いくださったSさま、ありがとうございました!!!!!

終了後は高田馬場に出て、友人と待ち合わせ食事。
素敵な話しができました。こちらのSさんにも、ありがとう!!!!!


80歳の黒田オサムさん、ますます冴えてお元気。

2011年04月30日 | 映画・芝居・芸術など

パフォーマーとして「ホイト芸」などでも知られる黒田オサムさん80歳。
4月28日~29日と2日間にわたって「黒田オサム80歳8時間大学」がニパフによって企画され、武蔵野芸術劇場小ホールで行われました。
タイトルは「こんな時代だからこそ、このじいさんの話しを聞こう。このじいさんのパフォーマンスを観よう」。
私は29日の「黒田オサム80歳お祝いの夜」に参加しました。

 

休憩時間に「黒田さん、写真を一枚」とお願いすると、「はぁ、はぁ、どうぞ、どうぞ」と言いながら、一瞬にしてアーチストの顔に変身されました。
座っているだけでもさまになる黒田さん。そのしなやかな物腰はとても80歳には思えません。

 

同じパフォーマーの後輩の女性が、黒田さんにお祝いのキスをする場面も。
「はぁ、びっくりしましたねぇ!!」と黒田さん、うれしそう。

 
 

黒田さんのいつもの「労働者諸君!!」で始まる「大杉栄」のパフォーマンスでは「革命」の文字が掲げられるけれど、今回はもう一つ、[80歳を祝ってくれてありがとう!」が掲げられました。
それを観ていたら、私はいつしか涙があふれてきました。
黒田さんの元気な様子に感動したのです。
観ているのと演じるのとは天地の差があり、かがんだり、転んだり、すり足で歩いたりの細やかな演技にまったくぶれがなく自然体。動画でお見せできないのが残念です。
77歳のお祝いのときに伺ったのは、駅などの階段を2段ずつ上っているとか、特に練習はしないと言っていたけれど。あるとき駅で待っていたら、ほんとに2段ずつ上がって来る黒田さんにびっくりしました。
海外に毎年出られている黒田さん。
インド、バングラデシュから帰られて、7月にはミャンマーに行かれるとか。ますます冴えています。

 

お祝いの花束を持って踊られる黒田さん。

何度も黒田さんにお会いしていますが、今日の黒田さんはいつにも増して若々しくステキでした。
花束をかざしながら、「負けるが勝ち。私の人生、負けっぱなしです」と黒田さん。
勝ち負けではないけれど、負けてこそ辿りつける克ちの境地、というより、それらを越えて高いところに行かれた方だと勝手に思っています。
なにより、80歳のお祝い企画をこうやってやって下さる方がいて、若い学生さんや中高年のファンに囲まれて現役でパフォーマンスが出来る黒田さんはご自身でしあわせをかみしめていることでしょう。それもこれも黒田さんのお人柄の魅力も大きいと思います。
どうかどうか、黒田さんがいつも話している「100歳まで踊り続けたい」という言葉を実践してほしいと願っています。

1998年から海外公演をニパフの霜田さんに招かれて始めた黒田さん。当時黒田さん67歳。
そのときは、ヨーロッパだったらしいけれど、そのとき黒田さんは生まれて初めて飛行機に乗り、生まれて初めてベッドに寝たそうで、ホテルで同室した霜田さんからそのエピソードが語られました。

黒田さん、80歳おめでとうございます!!!
パフォーマンス、拝見出来てうれしかったです。

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●黒田オサムさんによる神様のお話 (ニパフ資料・他より)

神様はとってもヒョウキンなお方で、子供のように隠れん坊遊びを楽しんでおられるようです。
ですから、黄金に輝く天上を仰ぎ見ても神様はいらっしゃいません。神様はときおり居場所を変え、姿をも変えて隠れていらっしゃいます。そして私達の発見をお待ちになられていらっしゃるようです。
神様探しは容易ではありません。私達は社会的階層性に馴らされた従来の価値観で神様を探し求めるからです。私達はサカサマに馴らされてサカサマであることに気がつきません。(上)と(下)をサカサマにしてごらんなさい。この世で一番偉くない人が一番偉い人よりも偉いということだってありうる筈です。大将より二等兵の方が偉いのです。60円のかつ丼より10円のスイトンの方が偉いということだってありうるのです。社会的価値観を180度変えて神様をお探しになられてごらんなさい。黄金の光りに輝く崇敬なる天上に神様がいらっしゃらないとするなら、その反対の極、地上(ジベタ)に眼を向けてご覧なさい。神様がいらっしゃるのに相応しくないような汚いジベタの片隅の片隅の一枚の破れトタンの陰に、私達の足下に跪かされている、貧しい、弱い、醜い、蔑まれた者がいる筈です。そう、この人達こそ、私達が捜し求めていた神様であるかもしれません。いや神様でないとしても神様のもっとも親しいお友達であることに間違いはありません。
誰だ!浮浪者に石を投げつけるのは。彼らこそ神様か神様のお友達であるぞよ!

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ひょうひょうと生きる黒田オサムさんの言葉から、いつも学ばせていただくばかりです。
ありがとうございます☆。