2012年9月で閉館されることになった門仲天井ホール(門前仲町駅下車)。
門天プロジェクト主宰者で、次の2つの会の主催者斉藤さんより次のお知らせが届きました。
お時間のある方で、ご興味のある方はどうぞお申し込み下さい。
きっと、心に残るステキなイベントになることでしょう。
●1月28日(土) 午後2時~5時 映画上映会と、一人芝居上演。
「瞽女さんの唄が聞こえる」(伊藤喜雄監督作品)(34分)
宮本常一の「忘れられた日本人」より、ひとり芝居・阪本長利『土佐源氏』上演(70分)
前売り入場料2500円(当日券3000円)。
●2月19日(日) 午後3時開演~6時 映画「見えない雲」上演と翻訳者高田ゆみ子さんとお話しする会。
「見えない雲」は、2006年上映されたドイツ映画。あるドイツの原子力発電所で爆発事故が起き、町はパニックに陥った……」様子が描かれた映画です。
入場無料・資料代として1000円。
「見えない雲」のことは、数日前、このブログでも書きました。→★
いずれも、申し込み先は門仲天井ホール03‐3641‐8275へ。
またはgokuraku1956★gmail.com へ。
迷惑メール防止のため★印を@に替えて送って下さいね。
DVDで観ようと決めていたけれど、街に出たので、渋谷角川シネマで「エンディングノート」を観ました。
サラリーマンだった父親が役員まで登りつめ、67歳でリタイアした後、さあ、これから余生を楽しもうとの矢先、ステージ4の末期がんに襲われるところから話しが始まります。
「わたくし、終活に大忙し。『娘』が撮り続けた膨大な家族の記録。感動のエンターティメント・ドキュメンタリー」と、ワイシャツにネクタイ姿の、当時はまだふっくらとしたお父さんが笑顔で写真に映っています。
カメラを回したのは娘の砂田麻美監督。主人公は監督の父親の砂田知昭氏。
ガン告知から半年で逝った父が遺したエンディングノートには葬儀の段取りまでが記されていました。
お父さんはとっても明るく、おちゃめで理知的。この明るさが最期まで続きます。
家族との“なかよし時間”などが克明に描かれた映画ですが、観ているとお父さんの明るさや段取りの良さがちょっとせつない。
ひねくれものの私は、思わず、「お父さん、立派過ぎます。死に逝くときにここまで立派でなくてもよかったのでは……」と、自分のいずれかの日の越し方を想像しながら、考えさせられてしまったことも真実。
しかし半面、ガンにかかっても、気持ち次第で、ここまで高いクオリティオブライフを実践しながらこんなに楽に逝けるのかと期待も持ちました。性格、ガンの部位などでも異なるでしょうけれど。
就活だと思っていたら終活。
さらにエンディングノートブームを引き起こしたこの映画の社会的役割は大きいし、私たちに与えたインパクトも大。家族の絆もしっかり描かれ、正直、「死」って、こんなだったの?と、思い描かせてくれた功績は偉大です。遺されていく妻、90歳を超えた母、そして長男、長女、次女(監督)の立ち位置と、お孫ちゃんの存在の大きさ。凝縮された家族像が、死に向かう父であり夫であり祖父であり息子でもある砂田氏を中心に、さりげなく描き抜かれています。
映画が終わり、エンディングに流れる歌の中にこんな言葉がありました。
「心の在り処は~、気が付けば~いつもそこにあるよ~」。
生と死は表と裏。生があれば死があり、よい死を望めばよい生を営むしかない。
死を見つめたとき、死を身近に描いたとき、エンディングノートを記しながら生き、活き切って逝った砂田知昭氏のご冥福をお祈りいたします。
今日は4日の水曜日。
ゆっくりと平常に戻って行きます。
近くのTUTAYAへ映画のDVDを借りに行きます。水曜日は1週間のレンタルで100円だから。
水曜日にたいてい3本借ります。
TUTAYAでDVDの棚を見ていたら「見えない雲」(2006年12月30日映画公開)がありました。
2006年制作のドイツ映画です。
ドイツは、昨年すでに脱原発を宣言をしました。そのドイツで制作された原発事故を扱った映画です。
「見えない雲」を観た時に私が書いた記事が見つかりました。→★(2006年12月)。今はないjanjanの市民記者として、記者発表で観たのかも知れません。
そのとき、だれが2011年に日本の原発でメルトダウンが起こるなど予測したことでしょうか?
「見えない雲」はドキュメンタリー映画ではないけれど、ドキュメンタリータッチで若い男女を主役に置きながら、原発事故の怖さを描いた作品です。
またこの映画を観る機会が多く訪れるといいなと思います。
女性たちに両脇を囲まれてご満悦の黒田オサムさん。
みんな、黒田さんの大ファンです。
黒田さん、お茶碗をスプーンで叩きながら、帽子をかぶり、リュックサックを背負って登場。
皆さん、何が始まるかと興味津々。
座卓テーブルを囲んだ貸切の奥和室は、和気あいあいで、黒田さんの芸に魅入りました。
何が始まったかと、フロアのお客さまものぞきこむほどでした。
毎年暮れに行われているという忘年会で、「西瓜妖怪の皆様 12月は毎年恒例の<不>忘年会です」、とご案内をいただきました。黒田オサムさんと一緒に参加させていただきました。
「<不>忘年会」とは、今年のことや、今年出会ったご縁を忘れないということだそうです。
主催者の春原さん(写真下右・右端の方)によると、「ここに集まる方たちは、横のつながりからではなく、個人で参加された方がほとんどです」ということでした。それぞれがつながっている春原ネットワークのようでした。新参者の私たちもそれを聞いて一安心。
仕事などで遅れて来るお客様を迎える春原さんの温かさと、その都度繰り返された乾杯は、10数回以上続きました。参加者には若い方も多く、そのお子様方を祝して、「子どもたちの未来のためにカンパイ!!!」など、乾杯時の言葉かけもステキでした。
春原さんは『わからないことは希望なのだ 新たな文化を切り拓く15人との対話』(アルク)などのご著書があります。
「国境を超えた人の移動が活発な現代、誰もが安心して暮らせる社会は、どうすれば実現できるのだろうか。本書では、日本語教育の現場で長年、外国籍の人たちとかかわってきた春原憲一郎氏が、さまざまな分野の15人の実践家と対話する。強さを前提とした既存の価値観を否定し、これまで切り捨てられてきた弱さを弱いままに包括した新しい文化を切り拓くため、現場で考え抜き、闘っている人たちとの対談の中から見えて来たのは、『わからないという希望』にほかならない。」(本裏表紙より)。
パフォーマンスの世界では大御所の黒田さん。70歳からこの10年間に訪れた国は20カ国ぐらい。100歳まで踊り続けたいという黒田オサムさん。
宴もたけなわを過ぎたころ、春原さんのご配慮で黒田さんの出番がめぐり、18番の「ホイト芸」をご披露されました。
若い学生さんや学者先生、編集者などが集まる席でしたが、みんな、大喜び!!!
とても80歳とは思えない軽やかな身のこなしと、しなやかな芸のおかしみに拍手喝さいでした。
「黒田さん、かっこいい~~!!」と、あちこちから声が飛びました。
短い自己紹介のとき、「社会の落ちこぼれの黒田オサムです」と、笑わせた黒田さん。
駅に向かう帰り道、黒田さんがしみじみと、「今日のお客様はみんな高学歴のインテリの方ばかりだったようですねぇ……。」
私もしみじみと、「そうでしたねぇ……」と相槌を打ちました。
黒田さんのことをみんな大好きになってくれました。黒田さんのご人徳ですね。
美浜区の会館で行われた踊りの会の集まりに参加しました。
左は主催者の紀元流家元の紀山先生(山口さん)、右は来賓の葉川流家元の葉川先生。
会が始まると、参加者の皆さんが、これまでに習った踊りを、民謡などの音楽に合わせて楽しまれました。
音楽に乗って踊る踊りは健康にもとても良さそうでした。
乾杯が終わると、舞台の上では踊りや津軽三味線、歌などをご披露。
熱気があふれる会でした。
踊りとは無縁の不器用な私ですが、この会に招いていただいたのは、友人を介して、この会で私の拙著『わたしたちは いつまでも 忘れない』を販売してはどうかという山口さんのおはからいによるものでした。
本を売るというのは、とても難しいことですが、おかげさまで持って行った15冊がほとんど売れました。
さらに、主催者の山口さんは、乾杯の音頭をとる家元の葉川先生と、私を舞台の上に上げて下さり、被災地を巡ったいきさつなどを話して下さいと皆さんに紹介して下さいました。
ほんとにありがたかったです。
会が始まる前、ロビーで本を売っている時、「浪江町の出身です」「原発から17キロのところに実家がありました」という方もいらして、胸を衝かれました。東北出身の方が多かったように感じました。
上の写真左は、「殺陣」を学び、スタントレディもやっているという嵐田さんです。
嵐田さん、本を手にして下さってありがとう!!!!!
(私は、浪江町出身の方が編まれたという帽子を会場で買いました。被っているのわかりますか?うしろにボンボンが付いている暖かくて可愛らしい帽子です。)
暮れも押し迫った26日に、こんなに大勢の方を集めてイベントをやれる山口さんの人脈の素晴らしさに驚いたし、その山口さんとずっと長年のお友だちという私の友人にも感謝しました。
皆さん、輝いていて、お召しものもステキでした!!!!!
好きなことをやり続けるって、素晴らしいですね。踊り、いいなあ……。
末広町の「アーツ千代田」で行われているニパフのパフォーマンス(12月2日まで)。
[第16回ニパフ・アジア・パフォーマンス・アート連続展'11]に行きました。
海外からの参加者も含む若い学生アーチストに交じって、80歳の黒田オサムさんも頑張っていました。
この日は6人のアーチストが舞台に立ちましたが、黒田さんはトリをつとめられました。
大杉栄の『日本脱出記』初版本を持って登場する黒田さん。
「労働者諸君!!」で始まる黒田節と、大杉栄に扮した黒田さんの芸のおかしみをぞんぶんに味わいました。
それにしても、80歳でこの身体のやわらかさ。
観ているのは簡単ですが、行うのはとても難しい動作の数々を黒田さんは相変わらず軽々とこなし、じわりと心を打つパフォーマンス芸の確かさは、人々を感動へと誘います。
私はもう何度もこの黒田さんの“大杉の芸”を観ていますが、何度みても惹き込まれます。
黒田さんが黒いハットをとり、チョンマゲをキュッキュッと引っ張るとBGMが流れ始めます。
このときの黒田さんの表情と間合いの感覚がときどき、観客の笑いを誘うこともあります。
黒田さんは、今年も何度かの海外公演をニパフと共に行いました。
私がいただいた直近の手紙には「ビルマから帰ってきました」とありました。
鉛筆で便箋2枚に書かれたその手紙には、黒田さんは画家のほか、詩人でもあったんだと思うほどステキな文でビルマでの様子がつづられていました。美しいビルマの写真も入れられていました。
70歳にして黒田さん初めての海外公演はヨーロッパだったとか。
ニパフ代表の霜田さんの話しによれば、そのとき初めて黒田さんは飛行機に乗り、ホテルについたあと、霜田さんと同室。先にシャワーを浴びた黒田さんに、霜田さんが「黒田さん、先に休んでいて下さいね」と言い置き、シャワーから出てみると、黒田さんはベッドの上に横たわっていたそうです。
黒田さんはこの時初めてベッドというものに寝たので、ベッドの使い方がわからず、ふとんの中に潜り込むのではなく、ふとんの上に寝ていたそうです。
パフォーマンスが終わり、黒田さんと少し話しました。
私が黒田さんに、「ますます冴えてきましたね」と感動を伝えると、
黒田さんは、「こんなことしかできなくてねぇ……」と、しんみりと、いつもの黒田スマイルで返して下さいました。
いつまでもお元気でご活躍して下さいねと、そんな祈りを持ちながら会場をあとにしました。
黒田さんは12月2日午後7時からのニパフ公演にも出演されます。
斉藤真一さんが描いた瞽女さんの絵に魅せられて、踊りを組み立てて行った野口祥子さん。
その野口さんの公演がせんがわ劇場(京王線仙川駅徒歩5分)で開催されました。
(写真は、リハーサル時のものです。)
今日の公演は午後7時からの1回公演、明日25日は午後2時からと午後7時からの2回公演です。
今日の公演には60名くらいのお客様がいらして下さり、その中には、思いがけず私の知り合いの方が飛び入りで来て下さるという大サプライズがあり、ほんとうにうれしかったです。ありがとうございます。
私は舞台上で野口さんの公演を観るのは初めてですが、彼女の執念ともいえる年1回の舞台公演はほんとうにステキでした。
斉藤真一さんの絵の世界が舞台に広がり、斉藤真一の好んだ色、赤が再現され、まるでお春瞽女さんが乗り移ったような野口さんの踊りに魅せられました。
ソロダンスのもう一人の文月若さんの踊りもそれはそれはステキでしたし、ギターの梅田光雄さん、声明の桜井真樹子さんもたっぷりと聴かせてくれました。
とてもよい公演でした。
25日も行われますので、ご興味のある方はどうぞいらして下さい。(当日券2500円)。
私は、11月24日に出来上がったばかりの、~被災地巡礼の旅の記録『私たちはいつまでも忘れない』~(1300円)、の本を売るために会場にかけつけます。
神田末広町駅より徒歩2分のところにあるArts Chiyoda/アーツ千代田3331。
元の学校跡地か何かかしら?調べてみるとそのようでした。
玄関前の一本の木が象徴的でした。
ここは都心に近いけれど、新潟のアートフェスティバル・大地の芸術祭の会場のような雰囲気でした。
ここで行われている「藤原新也の現在 書行無常展」(11月27日まで)。
6つの広いブースに「中国」「日本』「印度」「三陸円顔行脚」「死ぬな生きろ」「福島桜」と、テーマごと分かれて展示されている藤原さんの写真、書などが心にぐっと迫るスペースでした。
これが写真?と思うほどの壁面いっぱいの大型サイズ。写真や書のどれもこれもが強烈なにおいを持って美しさを放ち、不覚にも涙が込み上げてきました。
広い会場のディスプレイの中には、藤原新也さんの、書を書いたときに特別にあつらえたアンティークレースなどで仕立てられた白いジャケットとシャツ、パンツ、ビーチサンダル?も展示されていて、お洒落な藤原さんらしく、こちらもとてもステキでした。
午後5時半からは、藤原新也さんと瀬戸内寂聴さんの対談会が行われました。
藤原新也さんの「CAT WARK」会員のオフ会の様相を呈した会場には300名の方が詰めかけました。
新也さんは、「今日はCAT WARKの株主総会をやろう!!」と、参加者に語り始め、最初から和気あいあい。寂聴さんをお迎えしてのトークも息の合ったとても楽しいものでした。
それにしても、寂聴さんを目の前にして、そのお元気なことと、佇まいの美しさに目を見張りました。
90歳の寂聴さんと65歳の藤原新也さん、ともに色気があり、うっとりと眺めました。
人の魅力は、声、言葉、雰囲気、しぐさ、笑顔などが一体となって醸し出されるということをあらためて感じたひとときでした。
印象に残った言葉は「代受苦」、「若き日に薔薇を摘め」。寂聴さんが若い人に向かって投げかける言葉だそうです。「代受苦」に話しが及んだとき、新也さんは席を立たれ、そばに用意されていた大きなパネルに筆でこの言葉を書き記しました。
さわやかで濃密な空気にあふれた、同じ空間にいることができたことを感謝せずにはいられません。
ありがとうございます。
サザンカの花が目立つようになり、寒くなりました。
水曜日は家の近くのツタヤのレンタルDVDが100円になるサービスがあります。
ここで「プール」「あなたのために」「終着駅」の3本を借りました。
最近は、NHKBSプレミアムでもいい映画をやっているので、できるだけ観るようにしています。
3本のDVDをどのように時間配分して観るか、1週間の返却期限のあいだに考えます。
「プール」をみたけれど、こちらは「めがね」とほぼ同じ女優さんで、ストーリーもカテゴリー的には似ていました。どちらがよかったかといえば、私は「めがね」。「めがね」は5度に分けて観たほどです。
DVDを観ながら、よい映画とはどんな映画か、とよく考えます。
ストーリーがいい、映像や音楽が美しい、などいろいろあげられるけれど、映画館で観る映画の中には、ひとりだったらとても最後まで観なかったかもしれないというようなシリアスなものもあります。難解だったり、逆に平易だったり、しかし、観終わったあとにじみじみ心に残るものがある場合が多いので、侮れません。
読書の秋、文化の秋、が、私の前を猛スピードで通りぬけて行きます。
●公演イベントのお知らせです。
ダンス公演『それぞれのソロ』 野口祥子 文月若
絵画からの贈り物(インスピレーション)
日時:11月24日(木)19時開演
11月25日(金)14時/19時開演
会場:せんがわ劇場(京王線仙川駅徒歩3分)
料金:前売り2000円 当日2500円(全席自由)
予約・問合せ先:野口祥子 電話&ファックス 03-3480-4478
sachi.noguti★nifty.com(★印を@に替えて送信して下さい)
文月若 電話042-322-2849
waka6★tbn.t-com.ne.jp(★印を@に替えて送信して下さい)
創作舞踊家・野口祥子さんとの出会いは、4月に行われた、瞽女さんを巡るツアー旅で越後高田を訪ねたとき、同室になったというご縁からです。
さらに、思わぬことから、7月16日~8月2日まで、野口さんが東日本大震災の被災地を巡る鎮魂と祈りの旅を企画し、その旅に同行者の一人として参加したことでした。
さらにさらに、その旅の記録を、野口さんともう一人の 同行者山本さんに背中を押していただき、本としてまとめることになり、出版することになったという、深いご縁としてつながって行きました。
この本は、『私たちはいつまでも忘れない』(岩手・宮城・福島 震災被災地巡礼の旅の記録)としてこの公演に合わせて「本の泉社」から出版されます。
野口さんが、なぜ「瞽女さんツアー」に参加したのか。
それは、野口さんの公演のテーマでもあった瞽女さんと、瞽女さんの絵を描き続けた画家、斉藤真一さんの絵を通して出逢った瞽女の世界に触れるためだったようです。
3月に行われる予定だった野口さんの公演は、大震災で延期になり、ご案内の11月に行うことになりました。
私たちは3月以前、昨年の12月にも門仲ホールで行われた「もんてんプロジェクト主催『瞽女さんの唄が聞こえる』の伊藤監督作品の上映会に参加していましたが、そのときはすれ違っただけでした。
私は、日々、人との出逢いの不思議をかみしめていますが、野口さんとの出会いも不思議な出来ごとのひとつです。先日アップした、『レオニー』の松井監督を紹介して下さった福沢さんも、この「瞽女さんツアー」参加者のお一人でしたから、さらに不思議をかみしめています。
ルーツを辿れば、私が、もんてんプロジェクトを主催した斉藤弘美さんと、水俣関係の細い糸でつながっていたことから、上映会のご案内をいただき、参加したことからこのご縁です。
いずれも、1度か2度、どこかですれ違ったことがあるくらいのご縁です。
そのご縁が、あるとき何かのきっかけで、強い絆となって結ばれることも多く、ご縁ってほんとに不思議ですね。