goo blog サービス終了のお知らせ 

ちあの散歩道

輝いてアラカンヌ☆ありがとうの言葉を添えて暮らしのドアをそっと開けると今日も豊かな感動と新しい気づきが待っています。

映画 ショコラ

2007年10月08日 | 映画・芝居・芸術など

映画「ショコラ」をレンタルDVDで観ました。
喫茶店を開いていた知人が以前私に「ショコラ」を観るように薦めてくれたのが、今になってしまいました。
「たくさんの種類のチョコレートを作って、彼女のチョコを食べた人が元気になって行く映画だよ。だからあなたも観るといいよ」と、私の背中を強く押してくれたその言葉がとても印象に残っていました。

因習の色濃く残るフランスの小さな村に、風の吹く中赤いマントを着た母と女の子が流れ着き、荒れ果てた家を借り、修理し、ディスプレイしてそこでチョコレートの店を開くことから物語が始まりました。
信仰に忠誠を誓うことで村人を統治しようとした暴君レノ伯爵と、古い村の因習に従うことなく美味しいチョコレートを作ろうと店を開いた不思議な女性ヴィアンヌ。異質な考えを持ったヴィアンヌを村人たちはこぞって無視したり敵視したり。
そんな中でも、ヴィアンヌはお客を一目見ただけでその人に必要なぴったりのチョコを言い当て、にっこりと笑ってそれを振舞います。まるでチョコレートが魔力を持っているように。そしてそのときのヴィアンヌの眼力にも感服。

チョコレートのおいしさに魅了された村人たちは、徐々にに心を開き、それまで秘めていた情熱を目覚めさせ自分の今まで封印されてきた意思に気付いていきます。
チョコレート作りに大切なスパイスの入った伝来の壷をヴィアンヌが大切にしていたシーンがありました。チョコレートの中に第六感をバージョンアップしたような“ヴィアンヌ風第八感”のスパイスがヴィアンヌの手によって盛り込まれていたのでしょうか。

レノ伯爵と女主人ヴィアンヌは村人たちにとってまるで“北風”と“太陽”のような感じでした。

映画の終わり頃に「排除する厳しさより受け容れる寛容さ」という言葉が新任牧師によって語られます。
ヴィアンヌはただ強いだけの女性ではなく、その笑顔は優しくチャーミングです。
たくさんの困難な中で時には落ち込んだりくじけそうになったりとそんな弱さを強さの裏側に見せるときもあり、誠実で純粋でだからこそ大人の女性として魅力的なのだと思いました。

今日は雨が降って、秋が深まって行く感じの一日でした。

映画「めがね」

2007年10月03日 | 映画・芝居・芸術など

水曜日は映画館の「レディースデー」です。
「めがね」(萩上直子監督)を観ました。

「暮らすこと」「生きること」「旅をすること」「人と関わること」などが海などの自然と登場する人を通して心地よく描かれていて、人生にはもっともっと「めがね」のようなこんな旅が必要なのかもしれないと思いました。そして私もこの“旅の暮らし”に参加しているような気分に。食べるものも美味しそう。
こんな場所があって、こんな宿があって、宿の主がこんな感じだったら、私はここを目指してすぐに旅に出たいと、そんな気分にもなりました。
「めがね」は、わずか5人の登場する大人たちがみんなめがねをかけていて、それもとてもかっこいい。
タエコの小林聡美さん、サクラのもたいまさこさん、ハルナの市川実日子さん、ヨモギの加瀬亮さん、ユージの光石研さん、それに犬のコージ。みんなマイペースでのんびりゆったりしています。
モノガタリの中には、会話がとても少ないけれど、そのさりげない会話の一つ一つが何だかずしりと意味があるように思えて、特にサクラとタエコが言葉を交わすシーンはどれも印象に残りました。
言葉は生きものなのですね。返事の仕様と受ける人の態度や表情によってその意味合いも変わってくるし、ここで信頼関係が築けるかどうかなどまるで一期一会のカウンセリングの世界みたいでした。

映画の中に「たそがれる」という言葉が出てきます。
青碧色のなだらかな海、白い砂浜、この海をみてのんびりと「たそがれて」過ごす。
人の気配がありながら静かな静かなシーンがたびたび登場しますが、観ているだけでその緩やかさに涙がこぼれそうになります。

もう一度観たい映画です。




ドキュメンタリー映画「ひめゆり」

2007年05月28日 | 映画・芝居・芸術など

東中野の「ぽれぽれ東中野」で公開されたドキュメンタリー映画「ひめゆり」(柴田昌平監督作品)を観ました。

20年位前、私は沖縄の「ひめゆりの塔」を訪ねています。観光ツアーの一環として深い戦争認識も持たないまま「ひめゆりの壕」の前に立ったとき、意味もなく足ががくがくと震えるのを抑えることが出来なかったのをよく覚えています。
そのとき突然わき起った自分の感情の不思議を以来ずっと忘れることが出来ないまま抱え持っていましたので「ひめゆり部隊」のことを知りたいと思い続けていました。

「ひめゆり」は、「ひめゆり学徒隊」として沖縄の戦場に看護活動のため派遣された沖縄の女学生たちの記録です。
15歳から19歳までの女学生が戦場で犠牲になり、生存した22人の、今はおばぁとなった女性の証言がまとめられています。

時々映し出される今の沖縄の青い空と生い茂る緑の草原の中に、おそらく山百合だと思いますが真っ白いユリの花が咲いている美しいシーンが逆に胸を打ちます。
証言をはさんで、沖縄戦記録映像も映し出されますが、いずれも殺伐とした焦土が広がります。

米軍に包囲されるという戦の最中に、負傷した兵士を看護するために掘られた壕の中で献身的な看護をする女学生たちはその証言から過酷な戦闘環境の中でも何疑うことなく身を粉にしながら心身の疲弊をものともせずに国のために尽くします。
看護する兵隊が壕の中で次々と死んでいき、自らもほとんどの学友を亡くした生存者が、生き残った罪悪感にさいなまれながら重たい口を開き、その証言からいかに戦争が過酷で悲惨で理不尽なものかが紐解かれていきます。

証言者はあくまで淡々と自分の言葉で語り、ナレーションや音楽が一切入らず、字幕と映像と生存者たちの語りだけで映画は2時間が過ぎていきます。
その深い傷がトラウマとなって未だに戦争体験を語れない生存者もいるといいます。語ることに立ち上がった女性たちは、自らの体験した戦争の冷酷さと無意味さを後世の人たちに語り継ぎたいとカメラの前で語り始めます。
老いて語る女性たちのどの方たちもしっかりとした語り口と美しい面立ちが強く心に残る映画でもあります。
女学生のまま戦場に散った人たちの大写しになったモノクロ写真と添えられた紹介文の書かれた字幕はその理不尽な短い生涯をいっそう際立たせ哀しさを誘います。

決して楽しい映画でもなく、重たくて地味な映画ですが、私は生存者たちの戦地で体験した生の言葉を自分の心の中に刻みたいと思いました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●今日のニュース「河瀬監督にカンヌ・グランプリ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
4月20日付ブログで、御茶ノ水写真ギャラリーで上映された河瀬直美監督作品「垂乳女」を観たことやそのあと河瀬監督によるトークショーが行われたことを書きましたが、その日の夕刊に、河瀬直美監督の日仏合作映画「殯の森(もがりのもり)」が第60回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門の出品作に選ばれたと報じていたことを書きましたが、今日の夕刊に大きく写真入でカンヌ・グランプリを受賞した河瀬監督が載っていました。
おめでとうございます。
受賞作「殯の森(もがりのもり)」は6月23日から渋谷の「シネマ・アンジェリカ」で上映されます。11:00/13:10/15:20/17:30/19:40です。





「レベッカ」そして「巴里の女性」

2007年04月25日 | 映画・芝居・芸術など

レンタルDVDでヒッチコック監督の「レベッカ」と、チャップリンの「巴里の女性」を観ました。
「レベッカ」は、1940年にアメリカで制作され、日本初公開は1951年。
「巴里の女性」は1923年アメリカ映画。

いずれも古い白黒映画ですが、言い知れぬ映画の醍醐味を感じました。
映画は映画館でという考えはもちろんですが、こんな古い名作を映画館で観るのは難しく、レンタルDVDを使って家庭で観ることが出来るシステムは本当にうれしくありがたいことです。

チャップリンの「巴里の女性」は、とても単純でどこにでもよくあるラブストーリーですが、シンプルな画面構成や脚本にチャップリンの洗練されたセンスが散りばめられているようで、さすがチャップリンと思って見惚れてしまいました。
最後にマリーの乗った馬車が土ぼこりを立てながらマリーを心の中で探すピエールの車とすれ違う場面など、やはり心憎い演出と計算がしたたかにされているようで、ずっと観終わった後も心に残るシーンでした。
成金の愛人生活のむなしさに気付いたマリーが、ピエールと別れ、亡くなった恋人ジャンの母親とともに福祉施設を作り、施設の子供達に献身的な愛を注ぐなど、ややむすると軽薄な展開になりがちな話も、品位の高い雰囲気が映画の中に漂ってチャップリンの世界があふれていました。

「レベッカ」はヒッチコック監督作品で、これはチャップリンとは異なり、同じラブストーリーながらどこかにニヒルな冷やりとした感触が画面のあちこちに漂い、さすがサスペンスの王様と称された監督の作品なんだなと、サスペンスやホラー映画は余り好きではなかったけれど、惹き付けられる仕掛けが随所に散りばめられていて面白い映画だなと思ってしまいました。ヒッチコックも近いうちにレンタルしたい監督の一人となりました。

DVDで監督ごとに追いかけていったり、ジャンルや映画賞受賞で探してみたりと「映画鑑賞」の興味は尽きません。
目標は1週間に2本のレンタルですが、しかしなかなか1週間に2本のDVDを観ることは時間的に難しく、観るピッチを何とかスピードアップしたいなと考えているところです。


映画「無名(むみょう)の人~石井筆子の生涯~」

2007年03月30日 | 映画・芝居・芸術など
千葉市生涯学習センター2階ホールで「無名の人~石井筆子の生涯~」を観ました。
この映画は「男女共同参画セミナー」として行われ、主催者は「千葉・市原・葛南地域男女共同参画地域推進会議 ちば県民共生センター」で、自主上映映画でした。

石井筆子についてはほとんど知られていなくて、津田梅子、山川捨松とほぼ同時代を生き、男女同権運動などは平塚らいちょうよりも10年も早くから取り組んだ人であることもわかりました。

先日放映されたNHKのテレビ番組「そのとき歴史が動いた」で石井筆子が特集され、たまたまそれを観ていたわたしは、自分の信念を曲げず障害者福祉に心血を注ぎ、こんな壮絶な人生を生きた女性がいたのだと深い感銘を受けたことを覚えています。
そして「石井筆子の生涯」をぜひ観て見たいと思ったのがきっかけです。

宮崎信恵監督の舞台挨拶に続き、上映が行われ、上映後宮崎監督の講演が行われました。
監督は「石井筆子は知的障害児を授かることによって障害児教育とその福祉に生涯を捧げた人として知られていますが、この映画を通して筆子の明治の時代における女性の自立と女子教育の振興、男女同権論を展開した人、女性の人権のために闘った人という筆子の根底に流れる思想や福祉以外のもうひとつの側面のすばらしさに触れて欲しい」と話しました。

映画は、筆子が使ったという日本最古のアップライトピアノが遺され、その映像が映し出されたのを皮切りに吉永小百合さんがナレーションをつとめる等、もの静かな語り口ながら、史実や資料を忠実に再現し、その足跡と生涯を辿っています。

監督は、「にぎやかで派手でパフォーマンス豊かなものが受け入れられる時代に、資料が多くて、堅くて、真面目な映画です。ドキュメンタリー映画は上映も採算ベースで考えると映画館での上映はやってくれるところも少なく、しかし、ひとりでもたくさんの方にこの映画を観て欲しいと願っています。」と挨拶されました。

「筆子の生誕から150年が経ち、今の時代を考えるとき、いじめや虐待、世界を見れば戦争や紛争が続いています。わたしたちは胸を張って生きているだろうか……誇りを持って生きているだろうかと思うことがあります。わたしも60歳を過ぎて、一人ひとりが社会を成り立たせている、流されることなく生きるということを真剣に考えなければなりません。
石井筆子も今までほとんど知られることなく、筆子の他にもコツコツと実践してきた多くの女性たちが男性の陰に隠れ闇に葬られています。多くの無名の人によって作られた歴史を一つ一つ掘り起こして行くことがこれからは大切です。石井筆子だけを伝えることなく、今、わたしたち女性が本当に解放されているのだろうか、制度は整って来ているのかなどまだまだ問題が残されています。
筆子は地位や名誉や虚飾の世界から身を引き、富、名声、地位のためより、社会的に障害を持った弱者のために一生懸命生きました。鹿鳴館時代を経て、筆子は高い階段から一段ずつ降りて行き、生涯を信念を持って弱者のために捧げました。」と話しました。

非常に静かで華奢で淡々とした語り口の宮崎監督のどこに映画作りのエネルギーがあるのかと思うほどでしたが、数々の福祉関係の映画を制作してきた実績と人としての眼差しのやさしさと視点の確かさのようなものを講演の中にも感じ、静かな感動と深い共鳴を覚えました。

映画は、数少ない筆子を知る人や筆子の姪・甥に当たる方などの証言もあり、晩年の「滝乃川学園」における石井亮一・筆子夫妻の映像なども織り込まれ、また筆子にゆかりのあった場所などの美しい映像にも引き寄せられます。
落ち着きと品格のある素敵なドキュメンタリー映画でした。



思いがけない「共時(事)性」

2007年03月13日 | 映画・芝居・芸術など

「ぽれぽれ東中野」に行き、上映中の映画「日本心中 針生一郎・日本を丸ごと抱え込んでしまった男」「9・11-8・15日本心中」を続けて観ました。
本当は、夜9時からの「大野一雄 ひとりごとのように」を観ようと映画館情報を確認し、「日本心中」2本と合計3本の映画を観る予定で出かけたのですが、「大野一雄」はあきらめて2本の「日本心中」を観て帰って来ました。

「9・11-8・15日本心中」のあと、この監督の大浦信行氏と「三池 終わらない炭鉱の物語」の熊谷博子監督とのトークショーがあり、それにも参加しました。
平日のせいか、最初の映画が5人、後の映画が10人の観客しかいませんでした。
従ってトークショーも10人を前にして行われました。
こういう類の映画だと平日の入りはこんな感じなのかと思いましたが、映画はとても見応えのある面白いものでした。

(写真はパンフレット裏表紙に今日の対談の二人の監督がサインをして下さったものです。パンフレットは細かい字で綴られ、1冊の本のようでパンフレットを読むだけでも充分面白いと思います)

わたしは映画を観るにしても、旅をするにしても、出掛けるにしてもただ一つの目的を持って出掛け、それ以外のそれに付随してくるものは、受け入れられる状況であれば受け入れるというスタンスでほとんど動きますが、動く柱にしている一つのものに付着してくるものの目的以外のものが案外面白く大袈裟な言い方をすれば「未知との思いがけない遭遇」にワクワクすることが多くて、今日の外出もなぜかそんな結末に駆られ、不思議な余韻を楽しんでいます。

「日本心中」は、「鶴見俊輔・重信メイ・鵜飼哲」が出演者に名を連ねていて、この人たちがコメントを出す映画とはどんな映画だろうかと単純に思ったことがきっかけです。もちろん監督の大浦信行さんの名前も、映画の主軸を成す針生一郎さんの名前も知りませんでした。
観終わってあらためて大浦さんや針生さんのことをインターネットで調べてみるとわたしの中にも思いがけない「共時(事)性」があり、細いいくつかの線で結ばれていた事柄があり、とても不思議な感覚で見つめています。
その共時(事)性は直接的なものではなく、知人数人を通しての単純極まりないものではありますが。
例えば、重信房子が帰ってきたとき、故松下竜一氏のもとに取材記者が殺到したけれど、松下氏は入院中ということで妻の洋子さんが対応し、コメントを出さずに済んだと松下氏から聞いたり、大浦さんの「天皇の写真コラージュ」と、室井忠道氏が引き継いだ「映画評論」を1年余り経営した後休刊にしたというその理由が30数年を経て室井氏の口から語られるその理由が「天皇の風刺漫画」を印刷直前に差し止めたということだったり(「金が人と街を駆け抜けた・金融業界、一匹狼の足跡」現代書簡)、「丸木美術館」に針生一郎氏が理事として力を注いでいることを知ったり、そんな単純なことですが。それがどうしたのですか?と突っ込まれるとそれ以上でもそれ以下でもない事柄の中にも思いがけない「共時(事)性」を感じるというそれだけのことですが。
また、熊谷博子監督の作られた「三池~~」を観ましたし、熊谷監督が育児と町づくりを描いた作品も作っていて、その関わり方捉え方がわたしの周辺で町づくりに関わる人たちと明らかに違う覚悟があることなどもひそかに凄いなと見つめています。

「日本心中」は9・11や8・15の絡むドキュメンタリー映画ですが、大浦監督はトークショーの中で「ドキュメンタリーとは違う。ドキュメンタリーの手法に用いられる“監督のメッセージ”を出してというのではなく、最初から暴走している」と話しましたが、出演者がそれぞれ哲学的な言葉で語り続け、アートでは、藤田嗣治の「アッツ島玉砕」がテーマになったり、現代アートの村上隆作品が出てきたり、「あめふ~りおつきさん くものか~げ およめにゆくときゃ だれとい~く」とすっかり忘れていた童謡が流れてきたり。耳に聴こえる言葉のすごさと廃墟感の漂う映像美があったり、そこに奇抜な村上作品が出てきたり、鶴見俊輔さんが針生一郎さんと場末を思わせるカフェに行き薬草茶と草もちを食べたりするシーンや、重信メイさんが金芝河さんを訪ねて行き対談するシーンがあったり、そのいずれもがナレーションも含めて「詠み芝居」のように言葉の力で迫ってきます。大野慶人さんが「うさぎのダンス」を女装してお寺の山門の踊り場で踊っていたり、大野一雄さんが散り敷かれた枯れ葉・花の上で上半身で宇宙と繋がっていたり、その他にも場面場面がそれぞれにユニークで書ききれないほど鮮烈で見応えがありました。
思想を文学や哲学、美術、芸術などで表現する表現者たちの考えの一端を映画を通して観る事が出来たのが面白かったです。

思想信条や難しいことのわからない平凡な一般人のわたしにも、こんな映画がここでは上映出来るのだと驚いたことと、最初が約100分、2番目の「日本心中」の上映時間が145分だったということも忘れさせてくれるほどあっという間に終わったように感じたということは、難しいことはさておき退屈しない面白い映画だったということです。
もう1回観たら、映画を通して透けて見えてくるものが明確になるのかもしれないなと思いながら映画館を後にしました。



「我が谷は緑なりき」

2007年03月11日 | 映画・芝居・芸術など

映画「我が谷は緑なりき」をDVDで観ました。
1941年に作られたジョン・フォード監督作品で、同年のアカデミー賞受賞作品です。映画は白黒映画です。
イギリスのウエールズ地方の炭坑町が舞台となり、そこで働く炭坑夫とその家族、そして炭坑のある場所に建てられた教会に赴任してきた若い牧師が主人公です。

炭坑労働の過酷さ、賃金闘争、炭坑事故などを描きながらも、炭坑夫の重鎮で長老とも言えるモーガン一家の暮らしを通して家族のきずなの深さや人間模様が気高く描かれていて心を打ちます。人としての尊厳や気品が丁寧に描かれていて感動しました。モーガン家の7人兄姉の末息子ヒューを中心に、ヒューに寄せる父母の愛情の表し方など音楽で言えば上質なクラッシック音楽を聴いているようなそんな気分に駆り立ててくれました。
5人の兄の1人を炭坑事故で無くし、最後には父も落盤事故で命を落としますが、父を探しに坑内に入ったヒューが父を捜し当てたとき、動けなくなっていた父は一言まだ幼さを残す末息子に向かって「お前は立派だ」と声をかけ抱きかかえ、そのまま息を引き取りました。
また若き牧師とヒューの姉とのプラトニックな恋も心をときめかせてくれます。

白黒映画の良さを存分に生かしたような光の扱い方にも目を見張りました。
光によって輝く一面の水仙畑や山の木々、窓越しに射し込む光の窓の向こうにきらめく木々のさざめきなどどの場面も気の抜けない美しさが漂っていました。
イギリスの暮らしや家具に憧れを抱くわたしは、画面に映し出されるチェストや机、テーブル、ソファーや揺り椅子など、また窓に掛けられたアンティークレースの繊細な模様にもため息をつきながら見つめました。
イギリス紳士の象徴でもあるパイプやステッキ、また女性の長いワンピースの柄がペーズリー柄だったり、独特の縞模様だったり、また衿元に飾られた白いレースの衿などもうっとりするほど素敵でした。

賛美歌や聖歌など流れる音楽の心地よさにも心を奪われました。
日本の炭坑を描いたドキュメンタリー映画なども観ましたが、「我が谷は緑なりき」は当時の日本の上流階級をも上回るような家具や暖炉、ランプ、そしてレンガの家なども映画の中では美しく描かれていましたし、背景に映し出される台所道具なども垂涎もののピッチャーやマグカップなどがさりげなく配されていました。

ジョン・フォードの手によるとても美しくいい映画を観ることが出来てうれしい!とひとり悦に入りました。
ジョンフォードの「駅馬車」ももう一度、DVDで観たいなと思ったほどです。




「おばあちゃんの家」と「ミステリアスパスタ」

2007年02月18日 | 映画・芝居・芸術など

沈丁花が香しい匂いを放って咲き始めている。
赤紫の沈丁花の他に、クリーム色の白い沈丁花も見かける。
馬酔木もすずらんのような白い花を咲かせている。

きょうは寒い一日だった。
ストーブの上のやかんのお湯がちんちんと鳴った。
きのう届いたDVD「おばあちゃんの家」を観た。韓国映画である。

7歳のサンウ少年が母親に連れられておばあちゃんの家にやって来た。
ゲーム機に夢中で、チョコパイやケンタッキーチキンが大好きな少年がおばあちゃんの家に預けられる。
おばあちゃんは話すことも出来ず読み書きも出来ない。古びた今にも崩れ落ちそうなあばら家で曲がった腰を半分に折り曲げるようにして暮らしている。
ゲーム機の電池がなくなり、サンウは電池をせがむがおばあちゃんにはお金がない。それでもおばあちゃんはサンウの願いを聞き入れようとするが、サンウの気に入るようには出来ない。
モノもお金も食べるものも満足にない中で、都会の中で「汚染」されたようにやんちゃでわがままなサンウにおばあちゃんは静かなゆっくりとした愛情を注ぎ続ける。

腰を曲げて足場の悪い坂道をノロノロと歩くおばあちゃん。
街にかぼちゃを売りに行き、手にしたお金で食堂でサンウに食事をさせるおばあちゃん。
自分は何も頼まないでサンウが食べるのを見つめ続けるおばあちゃん。
バスに乗るお金がなくて帰りは山道を歩いて帰ってサンウを心配させるおばあちゃん。顔に刻まれた深い深いシワの先に優しい眼差しをしのばせるおばあちゃん。

「おばあちゃんの家」を観たあと、夕食の献立を考えた。
冷蔵庫の中にあるものでメニューを考えた。
なかなか減らない冷凍庫の中のものを生かそうと思った。
夕食なのにご飯ではなくパスタを作ることにした。「ミステリアスパスタ」を作ることにした。
夏時分に冷凍したままのインゲン一袋、冷凍たらこ、冷凍わかめ、そして玉ねぎのありあわせでミステリアスパスタを作った。ストーブの上に鍋を置き麺を茹でた。
フライパンにオリーブオイルを敷き、材料をミックスして炒め出来上がり。
オリーブオイルがごま油でも食用油でも何でもいい。
ないといえばないけれどあるといえばこんなにたくさんある食材に感謝しながらそれを無駄なく使い切ることの楽しさをこの頃満喫している。「おばあちゃんの家」を観た後はなおさらそうして行こうと思った。ミステリアスパスタは上出来で美味しかった。

最近観た「あの子を探して」や今日の「おばあちゃんの家」、数年前に観た「北京ヴァイオリン」なども映像の中では高層ビルが並んでいたり、携帯電話が駆使されていたり、ハイヒールで闊歩する女性が出てきたり、決して時代劇ではないのに、片や都市に置き去りにされた僻村ではバスに乗るお金にも事欠くような暮らしが描かれる。
便利さはとてもうれしいことだけれど、便利さと引き換えに失って行くものの多さに気付かされる。
自分の中で調和をとりながら、わたしも今までないがしろにしがちだった暮らしを見つめなおしてみたいと思うこの頃。



「あの子を探して」

2007年02月06日 | 映画・芝居・芸術など
「初恋のきた道」と並び賞される「あの子を探して」。
ゆっくりした時間が戻り、「あの子を探して」のDVDをようやく観ることが出来た。
いずれもチャン・イーモウ監督作品である。

「あの子を探して」は「初恋のきた道」と2000年にほぼ同時上映されたのだろうか……。
中国の貧しい寒村を舞台に、子供たちの純真な笑顔と真っ直ぐに物事を直視する目の力強さと爽やかさ、そして困難に立ち向かう一途さに観ていて思わず涙腺が緩んでしまった。

「初恋のきた道」を映画館で観たわたしが、プログラムを買い求めいつものように作家の松下竜一氏に送ったのが2001年の夏時分だったと思う。
大分県中津市に住む松下さんは年間200本の映画をビデオで観るほどの映画好きだった。
中津にある映画館で上映される映画には限界があり、「ぴあシネマクラブ・外国映画編」を取り寄せて読んでいた松下さんは、映画情報をこの「ぴあ」で知り、中津にあるビデオ屋に走り、一本しか入荷しないレンタルビデオを借りては様々なジャンルの映画を観ていたのである。
都内で上映されるドキュメンタリー映画を中津からわたしに知らせてくれたのも松下さんだった。先日観た「ヒバクシャ 世界の終わりから」の最後に映し出された協賛者の中にも松下さんが主宰した「草の根の会」のテロップを見つけた。

わたしは自分が観た映画はせめてプログラムだけでもと松下さんに送っていた。
過去形になってしまったのは、松下さんは2004年6月故人になってしまったから。
わたしの送った「初恋のきた道」のプログラムへの返信は、2001年9月の「草の根通信」に「『初恋のきた道』を観た日」として「これはあなたあての手紙です」と先に手紙が届き、「草の根通信」に載った。(これは松下竜一著「そっと生きていたい」(筑摩書房)に収められている)
松下さんは、チャン・イーモウ監督の大ファンでもあり、「チャン・イーモウ監督の映画は『紅いコーリャン』『菊豆』『紅夢』『秋菊の物語』と観てきていて、いずれも鮮烈な色彩の映像が印象に残っていますが、がらりと作風の変わった『秋菊の物語』が一番好きでした。それが1992年作品でしたから、今回『あの子を探して』と共に久々にチャン・イーモウの期待作と会えることになります。」とあり、「映画評では『あの子を探して』の方が評価は高いようですが、『豆腐屋の四季』(松下作品)の映画化を企画したプロデユーサーや監督の発意の契機に『初恋のきた道』があったと知ってからは、松下センセの『初恋』への思い入れはただならぬものがあります。」と「初恋のきた道」のプログラム送付を喜んでくれた。
余談ながらこのときの「豆腐屋の四季」の映画化の監督は相米慎二監督であったが、取材が入りながら事が進んでいかないのを訝しく思っていた松下さんの元に届いたのは2001年9月相米監督53歳の若すぎるガン死であった。

「あの子を探して」を今頃になってDVDで観ることになったわたしは、松下さんと「あの子を探して」の映画評を語り合うことは出来なかった。
なぜすぐに観なかったのだろうと悔やまれる。「初恋のきた道」を観たわたしは満足し、その余韻に浸りたくて「あの子を探して」をすぐ観なくてもいいと思ったのだと思う。
「あの子を探して」の貧しいチャン少年に松下さんは自分の若かりし日を重ねたのは想像に難くない。
年間200本の映画を観続けている松下さんに一度だけ頼んだことがある。
「映画のことを書いて下さい!」と。
松下さんは即座に「ビデオでしか観ないわたしに映画を語る資格はありません」と言った。
ビデオで観ることしか出来なかったに過ぎないが、映画のことをもっともっと書き残しておいてほしかったと思う。

「あの子を探して」を観ながら、少女のような代用教員ウエィの一途さと出稼ぎに町に出された少年チャンのやんちゃさと純真さに涙がとめどなくあふれた。
わたしが自分のパソコンでDVDを観ることが出来るのを知ったのは数ヶ月前のことである。探している映画がレンタルビデオやDVDで見つかるとは限らないけれど、映画初心者のわたしには、それでも何かが見つかる。
これからはそんな楽しみも満喫出来る日々を過ごせることがうれしい。





午後から3本の映画を観た!

2007年02月03日 | 映画・芝居・芸術など

「ぽれぽれ東中野」で、午後4時から午後10:55分まで3本の映画を観た。
「ヒバクシャ 世界の終わりに」「六ヵ所村ラプソディー」(いずれも鎌仲ひとみ監督作品)と「朱霊たち」(岩名雅紀監督作品)の3本である。
本当は1本ずつゆっくり観たいと思うけれど、時間や諸々の都合で仕方がない。

「朱霊たち」が午後9時からのレイトショーということもあり、それに合わせて観そびれていた鎌仲作品を観たというのが本当のところである。
「朱霊たち」は、上映開始前に大野慶人氏と岩名監督のトークショーが15分間行われることもあって、会場は立ち見席も用意され満席だった。

観る前は、3本も一度に観たら頭の中が混乱するのではないかと心配していたが、そんなこともなく、3本ともそれぞれを観ながら、「ああ、観ることが出来てよかった!」とうれしさでいっぱいになった。

鎌仲作品は、いずれも監督自身が語りを入れながらのドキュメンタリー映画である。放射能兵器・劣化ウランによるイランの被曝者の実態や、六ヶ所村に作られた原発で使った使用済み核燃料プルトニウムの再処理工場の村の様子が描かれていた。

「日本に55基の原発があり、総電力の3分の1をまかなっているのは事実。わたしたちの暮らしに電気は欠かせない」「原子力、それは一方では未来の可能性であり、また一方では命を脅かす存在として捉えられている」(ちらしより)

この2本の映画は様々なデータを交えながら核汚染の実態が映し出されている。放射能汚染は目で見ることも匂いや味を感じることもなくヒタヒタと身近に迫っていることがあらためてわかった。
便利さの享受と電力消費、そして地球温暖化、この3つのバランスから何かを感じ行動しなければいけないなと思った。

今日観た3本の映画は、娯楽映画からは程遠いけれど、客席は鎌仲作品も満席に近かった。何も出来ないけれど、一人の観客として客席の一つを埋めることしか出来ないけれど、こういう映画を観ながらわたしたち一人ひとりに考えさせるきっかけを作ってくれた両監督に感謝を捧げたい。

「朱霊たち」はモノクロ映画でちょっと難しい映画だなと思ったけれど、わたしはこの映画を観たことをずっとずっと忘れないだろうと思う。
映画は観て感じるものであり、観て語るものではないなと「朱霊たち」には特にそんな印象を持った。とても語れない。わたしにとってこの映画は、観終わった後にひとつのストーリーを自分で自分の中に組み立てて行くようなそんな映画だった。
岩名監督とほぼ同世代を生きたわたしには、監督の伝えたいことが「すごくよくわかる!!」とそんな感想を持ったが、観ていない人に伝えるのは難しい。観ないと伝わらない。