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無知の涙

おじさんの独り言

ID-0

2017年05月29日 | 漫画やアニメ

日曜日深夜にTOKYOMXで放映されている「ID-0」が久しぶりにSFロボットアニメとして当たりな気がする。しかもオリジナル作品。

このアニメ独自の専門用語が乱発するので、なかなか理解が追い付かないが、そういう部分が気にならないくらい引き込まれる。

・舞台は基本的に宇宙。
・マインドトランスシステムというもので、Iマシンというロボットに意識を転送して活動ができる。Iマシンが破壊されても肉体が存在さえしていれば、再び肉体に意識を戻す事が可能。

・その一方、肉体がなく、Iマシンのみに生命を依存している者もいる。その者達をエバートランサーと呼称している。

・宇宙空間に人類が構築したミゲル・ネットワークというものが存在し、このネットワーク内であれば地球上と同じように情報共有が可能。

・ミゲル・ジャンプというワープ技術が存在する。

・これらの高高度な技術を可能にしたのが、オリハルトと呼ばれる真っ赤な鉱石と言われている。このオリハルトは宇宙空間に存在しているが、需要と供給のバランスを崩さない為なのか、このオリハルト鉱石の発掘については定められた法が存在し、正式な手順を踏まないと違法掘削になり取り締まられるようである。

 

全て録画しているものの、まだ1度も再試聴していない為、かなり情報が曖昧だが、このアニメを見るうえでのポイントはこんな感じかと。

物語の主人公はイド(ID-0)という過去の記憶もIDも全て消失しているエバートランサー。恐らくこの物語の大きなカギを握っていると思われる。

それとミクリ・マヤというアカデミー学生の女の子。課外活動の一環でオリハルト掘削を行っていたが、不慮の事態が起こり宇宙空間に投げ出されてしまう。行動を共にしていた教授達は助けるどころか、マヤをあっさり見捨て、あまつさえ彼女の肉体をも宇宙空間に捨ててしまう。そんな絶体絶命のマヤを救ったのがIDOが所属しているオリハルト民間掘削業者のエスカベイト社であった。

エスカベイト社は船長と船長の娘に動物を含めた4名のエバートランサーの計6名で構成されている、掘削活動も限りなくグレーで胡散臭い集団。運よくマヤの肉体もエスカベイト社に拾われたので、マヤはすぐに元の場所に帰して欲しいと申し出るが、マヤの存在を消したと思い込んでいるアカデミーの教授にオリハルト違法取引の罪をなすり付けられてしまい、すっかりミゲルネットワーク界隈ではお尋ね者となってしまっていた。何にしても生きてゆくには金がいるわけで、宇宙地質学においてはアカデミー主席の知識を誇るマヤは不本意ながらもエスカベイト社の社員となり、彼らと行動を共にすることとなった。

超巨大なオリハルトの中から現れた少女アリス、その少女に接触した時に記憶の断片のようなものを見たIDO。アリスは何故か宇宙空間でも生存可能で、それはオリハルトで機密維持層を形成しているからだという。そのアリスを執拗に狙う謎の移動天体アマツミカボシ。アリスを守る過程でその移動天体に飲み込まれてしまったIDOとマヤが、天体内に取り込まれていた船から回収したログには、「移動天体は未知の文明によって作り出された有害なオリハルトを自動で回収する装置なのではないか」という考察が残されていた。オリハルトは人類が触れてはいけないものだったのではないか。

だがこの世界にとってのオリハルトは最早切っても切り離せないほどの依存関係にある。

そのログの最後はこう締められていた。ドクター・アリスガワが予言したように----。

ドクターアリスガワというのは、ケイン・アリスガワの事なのだろうか。Iマシンの開発者であり、オリリアンの提唱者。オリリアンの定義が良く分からないが、オリハルトの中から現れ、常時オリハルトが身を守るように作用しているアリスの事なのだろうか。今週の放送でアリスガワの容姿が以前にアリスを拉致ろうと接触してきたオブザーバの奴に酷似。それ以外の情報はなし。意図的に隠されているのか、IDOと同じく抹消されたのか。そうなるとIDO=アリスガワの線を疑ってしまう。

今週のラストはアマツミカボシがフィフィスと呼ばれる推定人口1000億といわれる惑星を襲っている映像。Cパートでは謎仮面がMTしたと思われるIマシンが、エスカベイト社のエバートランサーの1人であるカーラと接触し、カーラの肉体と引き換えに何かを取引した模様。予防に勝る治療なし、みたいな事を謎仮面が言っていたので、やはりIDOの記憶が戻るのを謎仮面は阻止しないとならないのではないか。アリスガワはオリハルトの危険性、というよりアマツミカボシの危険を事前に察知していて、それを回避するのにオリリアンが必要で、アリスガワは娘のアリスを実験台にして成功したが、莫大な利益を狙う謎仮面に存在ごと抹消されてしまった。なので、IDOが記憶を取り戻す前に破壊せよと。

でもアリスがオリリアンとして、回避どころかガッツリ狙われてるし、謎が謎を呼ぶ。

久しぶりに25分が10分くらいに感じるSFアニメ。宇宙区間できちんと音を消すのは僕が知ってる限りAKIRA以来。あと宇宙天気報を毎日見ている者としては、CMEバーストなんかのリアルな現象を取り入れられているのが地味に嬉しい。わりとガンダムではここらへんのリアルさはノリですっ飛ばされているので。SEED系はちょこっと描写していましたが。

不自然な巨乳女子キャラが出てこないというのもポイント高い。某国民的マンガのように作品が面白ければそんなのも良い要素になったりするかもしれないけど、だいたい逆効果な気がします。話が面白くないうえに気持ち悪い。

オリジナル作品ということと、話の展開からなんとなく1クールで終了してしまいそうな雰囲気をビンビン感じますが、キャラもそれぞれ完成されているし、やり取り見てるだけで面白いので、もう少し展開を引き延ばして2クールくらい頑張って欲しいと思いますが、なかなか厳しいのでしょうね。

鉄血のオルズみたいなパープリンが分割とはいえ1年もできて、こういう良作が1クールとか、そりゃSFロボアニメ枠はどんどん衰退するわけですよ。

 

 

 

 


マクギリスが幕切りす(オルヘンズ)

2017年03月30日 | 漫画やアニメ

自分で作る立場にいるわけでもないのに、あまり人様の作品をコキおろすのは気が引けるのですが、あまりにもひどいストーリー展開、いよいよ最終回に向けて盛り下がって参りましたという感じの鉄血のオルフェンズ。

思い返してみれば、1期も2期も最初のバルバトス登場シーンだけのアニメだったような気がします。

1期からだいぶ怪しい匂いがして、あまり真面目には視聴してませんでしたけど。

2期は最初に宇宙海賊と戦ったり、モビルアーマー出てきたりしたところまでは、けっこう良かった。

2期後期のオープニングがダサダサになり、なぜかナゼ兄貴が死んで、女の子が殺し屋に射殺されたあたりで、本格的にダメだこりゃと。ガンダムは戦争が1つのテーマなので登場人物の死というものが常に付きまとうものであるが、どうも2期は気分の悪い死に方が多い気がします。

結果論でいえば、こんなことになるなら、ナゼをみすみす死なせずに力合わせて抵抗してれば良かったじゃん。そのほうが展開としては燃えるわ。というか、今の状況よりはだいぶマシに思える。

その原因を作った奴が、マクギリス。物語の中心にいながら、影でいろいろ暗躍し、様々な状況を作り出している頭脳派かと思いきや、終盤に差し掛かるに連れ、お前の頭はハッピーセットかよ、と言いたくなるような小物ぶりを露見。本気でバエル手に入れただけでGHの誰もが無条件で平伏すと思っていたのか。本気で思っていそうな感じだったので、これは何か隠された仕掛けがあるのだろうと思ってたけど、なんにもなかった。嘘でしょ。

この様子が何かと重なる気がして思い出してみたが、あれだ。子供のころ、誰かがなんか汚いもの触ると、そのバイキンの感染を防ぐ為に皆で口々に「バリア!」と言って謎のバリアーを展開したけど、そのバリアーを無視されて怒ってる子供みたいなアホさがある。なんだよ!バリヤー張ってんだろ!なんでつけるんだよ!

張ってねーよ。

そうなると後はマクギリス+バエルの戦闘力に期待するところ。最初から伝説の威光やら、なんとく決まっているルールみたいなアヤフヤなものなどに頼らず、圧倒的な戦闘力で屈服させれば良いのだ。伝説のなんとかカエルさんの魂が入っていて+アラヤシキシステム搭載というスペシャルなスペックなのだから。

 ところがどっこい。無名ザコ相手、若しくは無抵抗な相手にそこそこ無双した程度で、割とあっさり死亡。ひでーな。マクギリスは己の思い込みで早々と人生に幕切りす。

そんな小物の片棒を担いだばかりに、すっかり悪役側になってしまった鉄火団。「あいついたんで殺しておきました」みたいなどうでもいい形で物語の主役とも言えるリーダーがまたしても街中で射殺され、いよいよピンチ。ほんとロボットアニメなのに街中で殺すの好きね。まぁでも狙われてる立場って分かっているくせに普通に街中歩いてる方もどうかと思うけど。

来週最終回のようですが、このまま全滅したらかなり気分悪い。1年間通して伝えたメッセージが、生まれや育ちに恵まれなかった人間は野望など抱かずに分相応の生き方しとけよ、というものになってしまう。かと言って生き延びたところで、存在を消してコソコソと生き延びてるようなラストを見せられても不憫でしかない。

これは最近のガンダムシリーズでもちょっとヒドすぎる。

4クールやってこのザマなので、どうしようもない。そもそも分断2クールなのが良くないのだろうか。4クールあるのに、どうしても2クールの尺として物語を成立させないとならない。2期の最初に鉄火団は既に商売的にも軌道に乗り始め、生活面でも火星でそれなりの生活を出来ていたような気がするので、1期で終わりでも良かったような気がしないでもない。

2期の中盤でバエルが出てきたらへんで、漠然とこんなストーリーだったらなぁと。最終的なラスボスはマクギリスバエル。その強さはルプスレクスでも太刀打ちできない。おまけに以前から探し当てていた眠っていたモビルアーマー数体を復活させる。バエルの秘密はMAを従わせることが可能。VSギャラルホルンと鉄火団という構図になるが、バエルの強さに平伏したGHのお偉いさんはマクギリス側につく。それら反抗勢力はバラバラでバエルとMAに対抗していたが、クーデリアが最終的にラスタル勢と鉄火団、ナゼ生存のテイワズを率いて戦う。最後はバエルとバルバトスの対決。圧倒的な戦闘力を誇るバエルであったが、全身をバルバトスに捧げた三日月が新たなバエルとなって、それをオルガが操縦したら燃える。マクギリス側は全滅、マクギリスも幕切りすして、ラスタルとガエリオが新たなGHの指導者となって立て直す。鉄火団には火星の自治権を与えられ、新たなバエルとなったバルバトスは眠りにつき、その元には豊かなになった火星と鉄火団の人たちが暮らしている描写で終わり。EDの最後の絵みたいな。

ありきたりかも知れないけど、そんなに無理やりに奇を衒ったような鬱展開より、燃えるような展開が欲しい。

とはいえ、後から全体をこうした方が良かったなんて誰でもいえるなぁ。もう残すは最終回のところまで来てしまっているので、ではここからどういう最終回になれば満足かというと、どう転んでも多くを望むのはかなり難しいだろうけど、全身を捧げた三日月バルバトスが無双して、少なくともラスタルの首は取って欲しい。トンネル掘って逃走している連中は生存してほしい。

MSのデザインもイマイチで、バルバトスとヴィダールだけはカッコ良かった。ルプスレクスはダサいけど。ヴィダールがカッコ良すぎて速攻で1/100買いました。

その鉄血唯一のカッコいいMSのヴィダールが偽装用の装甲で、中からダッサいキマリスが再登場したときはほんとつくづくこのアニメとは感性が合わんと思い知らされました。

バエルも初登場時のラストカットはものっそいカッコ良かったけど、あの体たらくではプラモ売れないな。早まって買わなくて正解でした。

 


もののけ姫

2014年07月07日 | 漫画やアニメ

先週の金ローで放映された、もののけ姫を観ました。

もののけ姫を見ると、どうしても宮崎監督とエヴァの庵野監督との師弟対決を思い出してしまう。

公開は1997年でしたか。何がキッカケだったか思い出せないけど(そもそもキッカケなんてあったのだろうか?)、雑誌などのインタビューで互いに批判し合うようになった2人。エヴァは観たけど3分しか観なかったね(見るに堪えなかった)、という宮崎監督に対し、宮崎監督はトトロ以降つまらなくなった、という庵野。当時の事なので、言い回し等は微妙に違うかもしれないけど、まぁニュアンス的にはそんな感じだったと思います。

当時スキゾ・エヴァンゲリオン、パラノ・エヴァンゲリオンとかいう本が出ていて、それを買って読んだらそんな感じでけっこう宮崎監督批判をしていて、当時あまりそういうアニメ界についてほとんど何も知らない僕はこんなこと言って大丈夫なの?とハラハラしたものです。大丈夫ではなかったからこその師弟対決でしょうが、読み物としては面白かった。今読んだらもっと面白いと思うが、どこいっちゃたかな。というか、それがもう17年前とは。

あれを読んだキッカケでエヴァがというか、庵野監督がガンダムの影響を受けている事を知り、1stガンダムを見直す事になって、どんどんロボットアニメにハマっていくことになった。良くも悪くも。

まぁ個人的な話はいいとして、1997年映画公開当時、それぞれのポスターに掲げられた作品のキャッチコピーも対照的で面白かった。みんな、死んでしまえばいいのに、という庵野に対し、生きろ、という宮崎監督。

 

結果は言うまでもなく、興行収入で宮崎監督の圧勝。その興行収入は200億に迫ったと思うが、意外に宮崎監督にとってはこの師弟対決は良かったのではないでしょうか。確かに庵野の言うとおり、トトロ以降もあまり良い作品がない(個人的にはトトロもどうかと思うが)、庵野監督が言うパンツうんぬんの比喩はよく分からないが、無難にまとまりつつあったような気がする。ナウシカやラピュタを見た時の心が震えるような感動がない。それは宮崎監督自身も分かっていたのではないだろうか。図星を突かれたことによる怒り。

なので、もともと対決する気まんまんだったのは宮崎監督だけで、庵野はそれどころではなかったような気がするけど。今では宮崎監督と庵野は仲が良いみたいですね、風立ちぬの声優もやっていたし。

そんなもののけ姫ですが、ちゃんと観たのはこれで2回目。最初に観た時は正直面白くも何ともないという感想だったけど、今回観たらすごい面白かった。当時は前述した師弟対決の事もあり、最初からやや否定的な目で見ていたからわからなかったなぁ。


もののけ姫も割と救いのない話で、人は豊かになる為に自然を壊してゆくが自然もまた保つ為に人を殺す。いつか人は自然を滅ぼすが、また人も滅ぶだろう、何故なら人は自然に生かされているからである、宮崎監督の中で一貫しているとも言える、人と自然は共存していかないといけないというメッセージがこめらているように思う。

2014年に至った人類にとってそのメッセージは割と救いがなく、人類の環境破壊は留まる事を知らず、それが要因で招いているであろう異常気象は年々頻度を増し、もたらされる被害も大きくなっているように思える。発展途上国や後進国が更に発展していけば、問題は更に深刻なものとなるはずである。

ただ物語のうえでそれでも自然はアシタカに生きろという。これは人として生かしたのか、自然と人との調停役として生かしたのか謎であるが。 それを希望と捉えるのか、絶望と捉えるのか、作品を見た人それぞれに委ねられていると思います。

人間の本質として生すなわち欲望であり、欲望こそが生である。良い悪い、好む好まぬというレベルではなく、本質としてそういうものだという話。これに加えて人間は高度な頭脳を持っている為、自意識を持つようになる。この自意識が欲望すらも進化させ、やがて他者との壁を作り、国境と言う壁を作り、小さくも大きくも常に利害が絡むため争いが絶えない。

ガンダムユニコーンEP4のジンネマンとバナージの会話にもあったように、人はどんどんそのシステムを複雑にしてしまい、生きること自体を難しくしてしまった。もののけ姫でいうところの、シシガミの首を取り、生あるものが滅びるまでそれは決して終わらない。

ここらへんのことを見事に表現した作品がグレンラガンだと思うが、話が逸れすぎるのでまたの機会に。

一方エヴァはといえば、キャッチコピーの強烈さから徹頭徹尾救いのない話のように見えるが、意外と最後は光明を見出す。もののけ姫と辿り着くところは変わらないのだが、前面に出しているテーマと作品が実際に持つ深層テーマとしては真逆なものを感じるあたり、それぞれの性格的なものが伺えて面白い。

旧劇のエヴァでは最後にシンジが僅かであるが生きる事への希望を見出す。もののけ姫の自然と人と言うテーマに対し、あくまでエヴァは人と人である。

個の壁をなくし1つの生命体へと進化させる人類補完計画は、人を傷つけ、大切なものを何一つ救えずに手からこぼれ落ちてしまい、またそれによって自分も深く傷き、すっかり現実を見失ったシンジが望んだ世界そのものでもあった。

だが彼は気づく。ここは違う、と。他者との関わりを今一度望めば、再び心の壁が全ての人々を引き離すわ。また、他人の恐怖が始まるのよ、というレイの言葉に、シンジは答える。相互理解、人と分かり合えるかもしれないという希望は見せかけなんだ、自分勝手な思い込みなんだ、いつかは裏切られるんだ、僕を見捨てるんだ。でももう一度会いたいと思った。その気持ちは本当だと思う、と。

ここは旧劇唯一の希望的な場面であり、心に残っている。テレビ版の最終2話ぶんを詰め込んだ形になっているが、ようやく自分の存在を肯定し、生きるという事とはそういう事を繰り返して行くのだということをシンジが認識し肯定した瞬間である。

その割にオチには一切の救いがなく、あの状態でのシンジが望んだのに生き残った他者はアスカ以外はいない感じで、せっかく希望もなんとなくブレてしまったような形になってしまい、当時はすっかり興醒めしてしまった。分かりやすく、凡庸な形にしてくれれば、もう少し素直に時間をかけずにこの作品の良さを理解したのだが、庵野監督自身の感情が入り込み過ぎてどうも作品として捉えるのに時間がかかってしまった。エヴァというのはそういう作品であり、またそうであったからこそ、それまでのアニメの概念的なものをぶち壊して成功を収めた要因であるから、仕方がないと言える。何度も言うように作品は監督のものである。気に入らないなら肩をすくめてその場を立ち去るしかない。

とまぁ長々と書いてしまいましたが、2つの作品が持つテーマは正反対のようでありながら、実際は同じところにある。人間が持つ内面と外面というそれぞれの視点から表現方法はだいぶ変わるが、提議していることは変わらない。面白いなと改めて感じました。

宮崎監督はあくまでエヴァを3分しか見ていないと断言しているが、デイダラボッチ?や作品が持つグロテスクな部分等、けっこうエヴァを意識しているところがあると思われ、本当に見ていないか怪しいところではある。

矢で射ぬかれて、あんな刀剣を使用したような切断面になるのだろうか。生と死を分かりやすくする為とはいえ、わざわざ表現をグロテスクにしているような気さえする。子供の時に観たら軽くトラウマになっていたと思います。

 

 


ドラゴンボールZ 神と神

2014年03月04日 | 漫画やアニメ

今さらながら神VS神を観ました(←神と神、ですね、すみません)。

かなり久しぶりの劇場版だが、どうせいつものお約束展開なんだろうと思いつつ、他に借りたい作品もなかったので借りてみたが、これが中々面白かった。

いつもだいたい謎の異性人が襲撃→ピンチ→復活→勝利、というワンパターン展開だが、今回はなかなか色々な意味でブッ飛んでて面白かった。

まぁサイヤ神へのパワーアップの仕方が相変わらず都合が良すぎて冷めるが、バトルもかなりの迫力で、ようやく瞬間移動というスーパー能力を戦いに取り入れたので見応えがあった。

なぜ瞬間移動を戦いで応用しないのか甚だ不思議だったのでスッとしました。

敵キャラも良い味だしていたし、新設定も出てきたし、また続きがあるかも?


ゲド戦記

2014年01月19日 | 漫画やアニメ

家に帰ってテレビをつけると、金ローでゲド戦記が放映されていたので観てみました。

子ヤギがとても可愛いかったです。

以上。

 

いや以上ではなく、声なんとかならんのかなぁ。

ジブリは監督の意向なのか声優を使いたがらないが、非常にもったいないといつも思ってる。

「自然な演技というものを意識してのこと」とかどうとか聞いたか見たかしたけど、言いたい事はよく分かる。でもそれが却って不自然を生んでいるキャラ、場面があるよな、と思うことがある。もちろんハマっているケースもないわけではないが。

このゲド戦記は割と気になる部分が多かった。ほんともったいないなぁ。作画気合いれてるのに、画に声が乗ってこないというのは。

声優の演技が過剰だと思うのなら、抑えめにしてもらえば良い話かなと。アマにプロの真似はできないが、プロはアマの真似ができる、という意味で。

 

ストーリーはけっこう面白かったけど、僕の理解力が乏しい所為でいまいち分からない部分が多かった。

あの主人公の影は結局なんだったのだろうか。自らの弱い面が生み出した幻、と思っていたが、最後にまるで意志を持ってるかのような行動をして消える。ヒロインに諭され目を覚ました際に、主人公は己の闇を打ち払う、それを象徴してるのが抜けなかった剣を抜くシーンだったのかなと。

深いように見えて、やけにアッサリ乗り換えたな。こんなに何もかも上手くいくなら、魔法使いが世界を滅ぼそうとするのも悪くない、といった感じでした。

 

あと、タイトルが「ゲド戦記」なのに、いまいちゲド感がなかったです(なんだそれ)。