「差不多」的オジ生活

中国語の「差不多」という言葉。「だいたいそんなとこだよ」「ま、いいじゃん」と肩の力が抜けるようで好き。

困ったものです

2006-06-29 | つれづれ
最近、特定の記事に大量のトラックバックが送られています。日に何本も。内容はしょーもない下半身ネタ。困ったものです。

皆様の目に触れるのもお目汚しですし、仕方がないのでTBはいったん「事前審査」にかけてからアップするように機能設定しました。TBを送ったはずなのに反映しない、ということがあってもそんな事情ですのでお許しください。

それにしても、せっかくのブログの優れた機能TBがこんな形で不便をかこつってねえ。大きく言えば言論の不自由を招く。自分で自分の首を絞めていることがわからないのかなあ。ほんと不愉快です。

iPod沈黙せり

2006-06-28 | つれづれ
ショックです…愛用のiPodが突然「ご臨終」してしまいました。3年強使って、1400曲ほどの音楽が入っていたというのに。

「画面がつかない、おかしいな?」からはじまり、充電にもアダプタにも反応なし。沈黙したままなんです。充電池がへたっただけならよいのに、とかすかな望みを捨て切れないではいたのですが、アップルストアの見立てはやはり「マザーボードがいかれています。修理は29800円かかります」。

え、だってそれってiPodナノよりも高いじゃない?! 釈然としない思いをかかえ、さてどうすべきか、と思案中なのでありました。なんだか途方にくれる。救いはiMacに音楽がインストールされていること。とはいえ、最近またぞろこちらの調子も不安定。そろそろ本気でバックアップをとらないと…

続報

2006-06-27 | つれづれ
昨日の続き。なんと、うまい具合にキャンセルが出て石垣島に行けるには行ける状態に飛行機会社・時間も宿泊先ホテルも希望とは違うとはいえ、とにもかくにも石垣島に足を踏み入れる権利は得た、ということになります。

ところが、悩ましいのはグアムもいいかなあ、なんて思ってしまったこと。子どもはパスポートの有効期限が切れていたので、わざわざきょう申請に行かせてしまった。でも、グアムの希望便・宿泊先もやはり満杯。「ええい、仕方がない!」とキャンセル待ちをかけることにしました。海外はすでにキャンセル料発生期間になっているそうで、望み薄なのではありますが。

石垣島を「保険」にするなんて贅沢? 気が多いとろくなことはないかな? ま、来週あたりまで二正面作戦で様子見といたします。

う、残念…

2006-06-26 | つれづれ
夏休みの日程が決まった。おそらく家族旅行は最後になるかなあ(もういい加減子どもが付き合ってくれなくなっているんですよ。まあ、男の子だからねえ…)などと思いつつ、「いざ石垣島へ!」と勇んで旅行会社に行きました。ところが…

「あ、その期間(7月末)、すでに那覇・石垣間の飛行機が満席です。ANAは空席待ちもできません」ですって。あえなく撃沈。羽田からの直行便も含めてとにかく空席待ちできる便にはすべてキャンセル待ちをかけましたが、さてどうなることか。ふー。

もっと早く日程が決まれば、というか、もう決め打ちで予約しないといけないんですね。本島には夏休みを含めてすでに10回ほど行っていたので石垣も同じ感覚で「まだ大丈夫」などと根拠レスな考えをしていました。いやー、皆様、行動が早い!

で、いま旅行関係のネットをみているとなんだかグアムやサイパンのほうが安い…まあいまさらですが、不思議。それにしてもなんでこんなにこの時期は値段がはねあがるかねえ。子どもが学校に通っている限りはどうしても旅行にあてられる期間が限られる。その期間がめちゃ高い。ほんとに独身貴族、DINKSがうらやましいと思うことのひとつです。少子化対策に政府の補助金を使って子持ち特別旅行料金を設定して欲しい!?

花よりもなほ

2006-06-24 | 映画
是枝裕和監督の映画「花よりもなほ」を観てきました。見終わった後、最初に思ったのは、「なほ」の後に続く言葉は何だろう?でした。ストーリーは以下のようなもの。

=以下goo映画より=
父の仇を討つため信州松本から江戸に出てきた青木宗左衛門は、おんぼろ長屋で実家からの仕送りだけが頼みの貧乏生活を送りつつ、憎き仇、金沢十兵衛の所在を探っていた。仇討ちに成功した暁には、名誉の回復だけでなく藩からの賞金も手に入るはずだ。ところが、この宗左、剣の腕はからっきしで、その不甲斐なさは長屋の住人たちもあきれるほど。刀を差してはいても武芸にとんと疎い宗左は、近所の子どもたちを集めて寺子屋を開く。


桜花の散り際の潔さ、とういう言葉が劇中会話の中で何回か出てきます。でも桜が散るのは来年咲く事ができるから、咲くためなんだ、とも。たぶん「花よりもなほ」のあとに続くのは普通に考えれば
「人は美し」とか「人は尊し」
といった言葉でしょう。でも、そこに
「人はしたたか」「人はタフネス」「人は愛らし」「人は滑稽」「人は結構」
といった言葉をあてはめても「いいじゃない。なんだってOK、正解だよ」といってもらえそうな、人が生きるということに対する全面的な肯定感が感じられる映画でした。

ネタバレですが、あだ討ちは実際には行われません。憎しみを慈しみに昇華させる(「糞を餅に変える」という言葉が象徴的)ともでいいましょうか。宮沢りえさんが演じる武家の寡婦も、実は夫を仇に殺されたことが最後のほうで明らかになりますが、そのことをついにだれも一言も言葉にすることなく、というか包み込んだまま、終わります。逆に場面場面で登場する赤穂浪士が対比的で、肩肘張った感じが滑稽にさえ思える。

まあ、こういう終わり方もあり、という終わり方です。人の弱さや滑稽さ、でも時にはそれが強くも美しくもなれるんだと、暖かいまなざしで見守るとでもいいましょうか。監督の、人間に対する暖かい視線を感じます。おそらく最後のカット、主演の岡田准一さんの笑顔はその象徴だったのではないでしょうか。

それにしても、岡田准一さんがかっこいい(って男が言うのも変かな)。宮沢りえさんはいっそう美しくなった感じがします、というか芸が自然になった感じ。いいですねえ。長屋のセットも見事なおんぼろ。でも、惜しむらくは、ほかの住人たちは長屋っぽいのに、岡田さんと宮沢さんはこぎれいで浮いた感じがしてしまう。これは仕方がないのでしょうけど。

たぶん、物足りなさを感じる人が多い映画かも。でも、笑えるし、気持ちが暖かくなる映画でした。

沖縄慰霊の日

2006-06-23 | つれづれ
きょう23日は、沖縄慰霊の日。「鉄の暴風」と呼ばれた過酷な戦禍で20万人を超える人々、しかもその多くは一般住民が犠牲になった。凄惨な沖縄戦で日本軍の組織的抵抗が終わったのが61年前の今日だ。

平和祈念公園を訪れたことがある。「平和の礎」には犠牲になった日米双方の人々の名前が、わかる限りすべて刻まれている。その数に驚き、その一人ひとりに人生・生活があったことに思いをいたすと、名前を前に立ちすくむ。慄然とし、足が震えた。

過去だけではない。基地の島・沖縄の現在にも立ちすくむ。住宅街のど真ん中にある普天間基地。本土の日常からはまったく見えない世界がそこには広がっている。沖縄の中でも南北、東西格差があり、その「弱い」部分に特に皺寄せがいく構図の残酷さ、政治の非情さ。施設移転先として揺れる、絵に描いたような僻地・辺野古はその象徴のように思えた。

沖縄にとって戦争は過去にはなっていない。米軍の存在を通じて戦争は常に日常のすぐ裏側に、のぞける位置にある。そんなふうに沖縄で感じたことを、せめて「慰霊の日」には思い出したい。自分に何ができるのかを、せめて考える日にしたいと思う。

過剰な入れ込みは…

2006-06-21 | つれづれ
なんだかこんなことを書くと「非国民」といわれそうな雰囲気もある今日この頃の日本ですが(笑)、私はサッカーにまったくといっていいほど興味がない。だからワールドカップも観ていないのですが、さすがに巷にあふれる情報で、日本の決勝トーナメント進出が難しくなったということは知っています。

でも、これってニュースなのでしょうか? ブラジルがやたらとサッカー強国であることは私でも知っていますし、クロアチアもヨーロッパの強国だそうですね。オーストラリアは監督が「優勝請負人」みたいな人だと聞きましたし、そもそも決勝トーナメントに出られるとほんとに皆さん最初から信じていたのでしょうか? どうもよくわかりません。

日本にいると、異常なまでのマスコミ報道(なにせ最後まで期待をつないで視聴率を上げないといけないテレビの事情は大きいですよね)によって客観的分析は抜きに「日本は強い」と洗脳状態に陥っているように思います。なんだか「日本は神国。鬼畜米英。負けるわけがない」という、いつぞやの状態に似ているような。ま、そこまでいうといいすぎかな?

利害があるわけでも精神的に辛いわけでもないので、傍でみているとおもしろい。応援の風景、負けたり、引き分けたりしたときの表情などは「そこまで入れ込めるんだ。サッカーって魅力的な競技なんだね」とほほえましい。いろいろな芸能人がテレビやラジオで「日本がブラジルに勝ったら××する」とかいう「公約」をしています。しょぼい公約が多くて、「ほんとに応援しているの?」という感じが漂って妙に脱力します。

でも、あまりに応援に熱が入りすぎて「日本」という国家と自分を一体化したりするよりはいいかな。スポーツの一競技。あまり過剰な自己投影はしないほうがよろしいかと。あまりに過剰になると、「次に負けたときにどうするの?」といらぬ心配をしてしまいます。まあ、フーリガンのように暴れたりしなければそれはそれでいいんですけど。

ま、考えてみれば私も千葉ロッテマリーンズの応援になると熱くなりますものね。対象が違うだけで、本質は一緒か。でも対象が「ニッポン」になるとなんか危うさを感じちゃうんですよね。あ、そうそう。ロッテは2年連続で交流戦優勝です!!ふふふ。うれしいです。

おおきく振りかぶって

2006-06-20 | 
また漫画?といわれそうですが、きょうのはお薦め度「星5つ」の作品です。ひぐちアサさんの「おおきく振りかぶって」(いまのところ全6巻)。今年の手塚治虫文化賞新生賞に選ばれた作品です。昨年の同賞「夕凪の街桜の国」もですが、日本の漫画ってほんと水準が高い! 余談ですが、手塚賞の大賞に今年は「失踪日記」が選ばれましたが、どうもいただけないですね。講談社漫画大賞とかならまだしも、手塚賞にふさわしいのかなあ。

閑話休題。で、「大振り」(略してこう呼ばれているらしい)。アマゾンなどでは厳しい評価もありますが、私的には高評価。久しぶりに引き込まれた青春・野球漫画です。

=以下アマゾンから=
「オレ……オレ……がんばってるって思う?」
絶対に面白い高校野球漫画。
オレらのエースは暗くて卑屈(ひくつ)。
勝つために、弱気なエースのために。
行け、オレら!
読むとためになり、しかも血湧き肉躍り涙する。
連載中から人気沸騰、本格高校野球漫画!


性格が悪いというか、やたらと「キョドキョド」する気の弱ーいけど制球力は抜群のエースを中心に、全員高校1年生の硬式野球チームが「一応」甲子園を目指す。監督は女性。部長は数学の教師。こう書くとゲテモノっぽいのですが、実にさわやか、前向きな高校生の姿がかわいい!

出てくるのはごく普通の高校野球部員(技術が相当に高いようにみえるけど)。魔球や特訓があるわけでもない。ひぐちさんは実際に高校野球を相当取材したようで、野球の奥深さ、おもしろさが実によく描かれています。なにせ一球ごとにどんな考え方で配球が組み立てられているのか、バッターはそれをどう読んでいるのかに始まり、監督の采配、コーチャーの役割などこと細かい!この読みあいが、まるで野球観戦しているかのようで、ぐいぐいと引き込む。また、マネジャーや応援団、父母会の姿もきちんと描かれていてお見事というしかありません。

練習方法、特にメンタルトレーニングのやりかたは実に合理的。監督は生活のためにバイトしながらの監督業。現実的です。監督の生活を生徒たちもきちんとわきまえていて、「なんか言うこと聞かないと悪いかな」的な思いやりもあったりで、かわいいというか、いじらしいというか。バッテリーの間に芽生える友情もすごーーくかわいい、純情! 「いまどきの高校生」の純情な一面をうまく描いているように思います。実に現実的なんだけど、実に漫画らしい漫画とでもいいましょうか。妙な表現ですが。

残念なのは決定的に絵が下手なこと。投手のキョドキョド感にはよく合うのですが、なにせ全員の顔の区別がつきにくい…でも、それを補って余りある魅力的なストーリーだと私は思います。

まあ、不思議なのはこの女性監督、いったいいつどこでこんなに深い野球理論・技術を身に着けたのか、ということ。そもそも女性である必然性は?ま、細かいことですが。さて、第1回戦、強豪相手の戦いはいよいよ中盤戦。勝っても負けてもおもしろい展開になりそうで、早く続きが読みたーーい!!

なんとブログ開設1周年!

2006-06-19 | つれづれ
いやはや、お恥ずかしい限りですが、なんと昨日18日はブログ開設1周年記念だったのでした(いえ、別に記念セールがあったわけではないのですけど、一応節目ということで)。ボーっとしていてすっかり忘れていました。タハハ…

節目節目に書くことですが、こうして続けてこられたのも、こんなオジの日記にお付き合いいただき、コメを残してくださる皆様のおかげです。あらためて感謝申しあげます。

最初はたしか自転車通勤中心のブログにしようかなあ、などと思って始めたのですが、ぜんぜん違う内容になっていることはご存知の通り。ま、人生はそうそう思う通りにはいかないってことで(←違うってか?)。

この一年、書いた文章で一番多い内容は分類でいうと「つれづれ」。その名の通り、思いつくまま気の向くままに書いている日記部分でした。これは当然といえば当然の結果でしょう。

次に多いのが「本」。感想を書いているのは100冊に満たないですが、感想は書かない仕事関連の本やら趣味のハウツウ本、複数冊で一文というのもあるので年間読書は100冊強といったところでしょうか。中年サラリーマンとしてはまずまずかな、と勝手に思っています。ただし、漫画がかなりの部分を占めているのであまり大きい顔はできませんが。

「映画」は思ったほど伸びなかった。月に3本程度はいけると思っていたのですが、なかなか。次の一年はもう少し観てみたいと思います。自転車はほぼ生活の一部になっている感じ。ホント楽しいです。そういえば先日「大人のための自転車入門」というハウツウ本を読みました。副題が「35歳を過ぎて始める銀輪ライフ」。私はクラブなどには属さず1人で乗っているので参考になる部分がありました。特に長距離のさいの栄養補給方法などはあまり知識がなかったので。自転車に興味をもたれた方はぜひ一読してみてはいかがでしょう?

「食」も最近は増えている感じ。書きはじめるとこのカテゴリーはきりがなくなりそうですので、実はけっこうセーブしています。基本的に1日1本の文章にしているのでほかのカテゴリーに席を譲っているという感じでしょうか。

ブログ名をとっている「中国」の関係は、ハハハ、気が付くとほとんど書いていないです。あまりこの一年は関係する出来事などがなかったからですが、独立したカテゴリーにしている意味があるの?といわれてしまいそうですね。

ま、なにはともあれ、「差不多」。肩の力を抜きながら(いや、正確には抜きたいなあと思いながらなかなか抜け切らないというべきでしょうが)、まだ当分は書き続けたいと思っています。これからも皆様、どうぞよろしくお願いいたします。

チョコレート・アンダーグラウンド

2006-06-18 | 
ayumichanさんからお勧めいただいたファンタジー「チョコレート・アンダーグラウンド」を読んでみました。ジョージ・オーエル「1984年」とミヒャエル・エンデ「モモ」をあわせて、さらに子供向けにしたような作品でした(というと、ちょと褒めすぎかな?)。

=以下、アマゾンの紹介から=
舞台はイギリス。選挙で勝利をおさめた“健全健康党”は、なんと“チョコレート禁止法”を発令した!国じゅうから甘いものが処分されていく…。そんなおかしな法律に戦いを挑むことにしたハントリーとスマッジャーは、チョコレートを密造し、“地下チョコバー”を始めることにした!チョコレートがこの世からなくなったら、あなたはどうしますか?禁チョコなんて、ダイエットのときしかしたことない!読めばきっと、チョコレートが食べたくなる…。


人の好意、というのはありがたいものです。でも、時には相手が好意と思っていてもこちらには「ありがとう。でもちょっと…」ということもありますよね。以前、辺見庸さんの文章で「善魔ほど恐ろしいものはない」といった内容を読んだことがあります。悪魔のほうがよほど扱いやすい、と。まさに。

で、この本ではいわばそうした押し付けが政治レベルになります。「健康」を絶対的価値観として押し付ける、ナチスをモチーフにした党が、チョコレートなど甘いものを禁止する。ありえそうもない設定で現実世界では複雑そうにみえることをすごく単純化して本質をついているような気がします。ファンタジーらしい作品といえましょうか。

そもそもこんな政党が政権を担うことになったのは国民が「どうせ」と選挙に行かなかったから。政治的無関心の怖さです。印象的な文章のひとつに、党の政治に反発して「革命」に乗り出す男性が党の制服に身を包んで党をだまそうとする場面で、その妻がいった言葉があります。「自分でも見てみた? だれにでもミニ・ヒトラーがひそんでいるものなのね。あと口ひげがあれば、かなりいいところまでいくわよ」と。主義主張の「正しさ」などは別にして、だれしもがもつ支配欲、権力欲の危険を暗に風刺した場面のように思いました。

話がそれてしまいそうですが、「善魔」は日常生活でも体験しませんか? こう書くと誤解を招くやもしれませんが、市民運動をしている方々にみかけるタイプのひとつに「私たちはこんなにいいことをしているの。だから協力するのは当然でしょ。疑問をさしはさむなんて許せない」ということを公然という人がいる。厄介です。

していること、主張していることの「正しさ」は否定できないし、なんとなく協力しないと居心地の悪さも感じてしまう。でも、だからといってあまりに「いいこと」と誇示されたり、強要されたりすると…引きます。それが政治レベルになってしまったら…恐ろしいですね。

と、よれた感想文になってしまいました。ストーリー自体は直線的で、だいたい想像の通りではありますが、少年の冒険物語的ファンタジーとして読んでも及第点の作品だと思います。

浅草

2006-06-16 | つれづれ
今日は仕事で浅草に。観音様を無視するなんざ下町っ子の名折れ(笑)、というわけで参拝です。

いまは宝蔵門は改修工事中です。


地方都市

2006-06-15 | つれづれ
出張が多いのでいろいろな街に行きます。最近とみに感じることが地方都市、それもかつては中核といわれていたような都市の疲弊ぶり。5、6年前まではこれほど強くは感じていなかったのですが、如実にパワーがなくなっているように感じてなりません。

昨日も合併で人口約30万になった都市に行ったのですが、中心になる駅前はごたぶんにもれずシャッターが目立つ。なにより歩いている人が少ない。おばあさんが行商で野菜を1人でぽつんと売っている姿がなんともさびしい感じ。

大通り沿いに行政が設けた「町興し」的なスペースもがらんとしていて、逆に寂しさをかもし出してしまう。大型店もこの都市の場合、ダイエー撤退で「中核」が完全になくなった印象。

まだ「何所に行ってもミニ東京」といわれていた時代のほうが元気があった。地方が疲弊して東京や大阪、仙台、福岡といった一部地域にだけ人やモノ、カネが集中した末に起きることはなにか、と思いをめぐらせると、この国の行く末に「ふー」とため息が出てしまいました。

独特な雰囲気を保っていて好きな県庁所在地をあげると盛岡と松江、金沢。だけど、盛岡は駅前に高層マンションが最近ばんばん建設されて、違和感が…イオンの大型ショッピングセンターも近々できるというから、まだまだシャッターも目立たない中心街商店街もどうなるか…地方の独自性を維持しながらそこに暮らす人々が元気になる街づくり。どこも頭を悩ませながら模索しているのでしょうが、さて妙案はあるのか。

すみません。だらだらとただ思いつくままを書き連ねただけで結論などありません。失礼しました。

ささやかな疑問

2006-06-14 | つれづれ
サッカーワールドカップのニュースで世の中満ち溢れていますね。天邪鬼の私は、実はあまりサッカーに興味がなくて、ちょいとつまらないのですが…

ま、それはさておき、そんなニュースを見ていてささやかな疑問が。「ゴールキーパーが体をはってセーブ」っていう表現がよく見受けられます。でも、これって変では? だってサッカーをあまりよく知らない私でさえキーパーがボールを止める人であることは知っていますし、体をはらないととめられないことも自明かと。

これがたとえば「あ、なんとキーパーが一歩も動かず、首を軽く振っただけでボールがゴールから外れました!」(笑)とかいうことがあったらニュースですよね。「体をはった」は陳腐な常套句の域を出ないように思えてしまうのですが、こんなことを考えるのって変?

わたしを離さないで

2006-06-13 | 
カズオ・イシグロさんの傑作と評判の高い「わたしを離さないで」(早川書房)。これはなんというか、不思議な作品。読後感が重く、人間の底知れぬ欲望に空恐ろしささえ感じます。

=以下はアマゾンからの本紹介=
自他共に認める優秀な介護人キャシー・Hは、提供者と呼ばれる人々を世話している。キャシーが生まれ育った施設ヘールシャムの仲間も提供者だ。共に青春 の日々を送り、かたい絆で結ばれた親友のルースとトミーも彼女が介護した。キャシーは病室のベッドに座り、あるいは病院へ車を走らせながら、施設での奇 妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に極端に力をいれた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちの不思議な態度、そして、キャシーと愛する人々 がたどった数奇で皮肉な運命に……。彼女の回想はヘールシャムの驚くべき真実を明かしていく――英米で絶賛の嵐を巻き起こし、代表作『日の名残り』を凌駕する評されたイシグロ文学の最高到達点

この作品は事前の知識がないまま読んだ方が絶対に面白い。これから書く事はいわばネタばれ部分になりますので、本紹介を読んで「読もうかな」と思われたら、これから先の文章は読まない方がよいかと思います。

とにかく抑制の効いた文章です。淡々と青春の日々を描きます。仲間同士のいじめがあれば、ほのかな恋心もあり、友情もある。日常のほんとうに些細な一こま一こまを、細かい描写で描き上げる。でも、単なる青春文学でないことは言葉の端々にのぞく暗い影からうかがえる。なにかを書き尽くそうとする一歩手前で留る感じ。アマゾンの書評でどなたかが「寸止め」と評していらっしゃいましたが、言いえて妙かと。

で、その暗い影とは何か? 「提供者」という言葉から想像される通り、彼らはクローンで、臓器などを提供するためだけに生かされている存在であることが徐々に明らかになってきます。臓器を数回に渡り提供する間、快復のためにつきそう「介護人」もいつかは提供者になる仲間が担う。しかし、彼らはそうした存在を「使命」として受け入れている。だから声高に疑問や抗議の声をあげることは最期までない。でも、少しでも長く愛する人と共にいたいというささやかな希望はある。そのささやかな希望に向けての行動とその結末…抑制された文章とあいまってとても重い印象を醸し出します。

提供者が普通に心や感情をもち、青春時代を送る「普通の」人間となんらかわりがない存在であることを描くために、淡々とかれらの日常が描かれていたのだということが、じわーっと最後の方には浸透してくる感じ。

「施設」の意味も最後に明らかになるのですが、それが明らかになる段の会話は、人間の欲望の底知れない深さを思わせます。そして、「偽善」以上に他人を傷つけることはないのだ、ということも。提供者がまったく逃げる事無く、最期まで「使命」に忠実に生きようとする姿は、崇高ささえ漂いますが、教育の恐ろしい一面をみせつけます。

こうして書くと安手のSFかホラーのように思われそうですが、最後の一行まで抑制がきいた文章のおかげで、あたかも現実がそこに存在しているかのよう。空恐ろしい。お見事な作品でした。