「差不多」的オジ生活

中国語の「差不多」という言葉。「だいたいそんなとこだよ」「ま、いいじゃん」と肩の力が抜けるようで好き。

文京シビックセンター

2006-04-30 | つれづれ
文京区役所がある文京シビックセンター25階の無料展望台からの眺め。さっきの小石川後楽園は左手の緑です。遠くに新宿の高層ビル、見えます?

バブルの塔ですが、眺めはいいでしょ。


うららか

2006-04-30 | つれづれ
東京はうららかないい天気。自転車でお散歩です。

写真は小石川後楽園。東京ドームの隣です。隣の喧騒がウソのような世界。意外と知られていないのでは?


鹿鳴館

2006-04-29 | つれづれ
劇団四季が東京・自由劇場で上演中の舞台「鹿鳴館」に行ってきました。あんまり舞台芸術には縁がないのですが、四季はわかりやすいので(笑)、結構好きです。

三島由紀夫の作品を舞台にしました。パンフから引用すると「夫婦と昔日の恋人を巡る愛憎の縺れ、離れ離れになった親子の名乗りなど宿命的な人間関係の縦糸に、政治的陰謀や暗殺という横糸が絡み合って描かれる愛と憎しみのドラマが三島文学の真骨頂ともいえる豊穣な言葉、甘美な修辞に紡がれ」という感じ。

まさに「豊穣な言葉、甘美な修辞」という通り、三島の本を読んでいるかのようなやや古臭い言い回しの言葉が延々と続きます。2部構成ですが、1部はほんとにセリフを「聴く」という感じ。しかも古風な言い回しのセリフを。「観る」というのとは異なる舞台でさながら「築地小劇場かいなここは?」と思ったしだい。

これが続くときついなあ、と思っていたら2部は引き込まれました。いわば1部で人間関係を説明、その知識に乗っかって2部で舞台が始まった、観る行為が加わった。そう、1部は前座、準備段階なのでした。

まさに三島文学(といってもまともに読んだ本は「金閣寺」と、さてなんだったっけ?)なのでしょう。人間の信じる力や愛情、憎悪、偽善、嫉妬、欲望といったものが次々と役者の手によって舞台上に出現してきます。

終わってみると舞台を観たというよりも、一冊の本を読み終わったような感じ。セリフがメインの舞台。演出では赤い照明の使い方が印象的でした。

なにより感心したのは主役の夫婦を演じた日下武史さんと野村玲子さん。特に野村さん。長い、言い回しも現代語とはちょっと違ったセリフを、よくもまあ覚えているものだと、妙なところに感心しきりでした。だって2時間半にわたる舞台の大半はこの2人、特に野村さんのセリフなんですから。役者ってスゴイ!

あと、けっこうセリフで耳の残るのが「女は」「男は」という言い方。よく使われるんです。まあ、気になる人には気になりそうな。時代背景が明治時代ですからね。

鶴のす

2006-04-28 | 
大阪に出張。以前働いていたこともありお気に入りのランチがあります。


堂島にある「鶴のす」。ロシアレストランですがお薦めはオムライスに小ボルシチで千円のランチです。

ボリューム満点のオムライスは、ピリッと辛いライスにケチャップの甘酸っぱさがよく合う。たまごも薄く焼き上げていてベタベタしない。

ボルシチはよく煮込んだ野菜の甘さがライスと合う。

大阪に行く機会があればおためしあれ!

移転前(もう十年ぐらい経ちますが)に比べて店内の風情がなくなったのが残念なのですが。

「町長選挙」

2006-04-27 | 
このブログでも何回か取り上げた奥田英朗さんの最新作「町長選挙」を読みました。「イン・ザ・プール」「空中ブランコ」に続く、あの精神科医・伊良部シリーズ第3段となります。

奥田さんですから相変わらず読みやすい文章。発想も面白い。でも、今回の作品集は前2作品と比べるとはっきりいって面白さがダウンしています。

原因は一言。今回は登場人物のモデルが実在していて、しかもその実在の人物たちが相当に面白いから、小説の中の架空人物が「負け」るのです。

だってナベツネ、ホリエモン、黒木瞳がモデルなんですよ。実際の人物が面白い人たちばかり。「事実は小説よりも」となります。で、伊良部の変人ぶりもかすんでしまうんです。

だから収録されている中では表題の「町長選挙」という作品が一番面白い。モデルがわからないから、伊良部の面白さが引き立つ。

悩んでいることがアホらしくみえてくる。それが伊良部の持ち味。次回作品に期待です。

ついに購入

2006-04-25 | 自転車

 

いやあ、ついに買ってしまいました。折りたたみ自転車「Brompton」。お小遣いを貯めて(ってまるで子どもですけど、ホントに)、ようやく。うれしい!

見てくださいこのコンパクトさ! これはまだたたんでいる途中の段階。さらに半分ほど。新聞1ページを少し上回る程度の大きさになります。しかも簡単に。30秒ほどでしょうか。なれればもっと早くなりそう。

これまでも自転車通勤はしているのですが、折りたたみ自転車は午前中しか晴れていないとか、帰りにお酒を飲むといったときに使うつもりです。

悩んだのがドイツ製の「BD」とこのイギリス製「ブロンプトン」のどちらにしようか、ということ。試乗するとやはり評判通り「BD」のほうがスピードも出るし、ある程度の距離を乗っても疲れにくそう。でも、ブロンプトンのコンパクトさ、かわいらしさに惹かれました。街乗り、しかもせいぜい10キロぐらいしか乗らないからこの走りでも十分と判断しました。

都内を早速走ってみました。予想以上に快適な走りです。3段変速ですが、北の丸公園前の靖国通りの坂も上りきれました。スピードもけっこう出ます。いま使っているクロスバイクと比べるとややブレーキの効きが悪いかな、というのが気になりましたが。慣れればなんとかなりそう。

もっと早く買っていればよかった。これ、世界が広がります。これまで自転車で走ったことのない場所に輪行も簡単ですから。楽しみです。


モチクリーム

2006-04-24 | 
お餅の中にチョコミントやブルーベリー、抹茶、バナナなどのフレーバーと生クリームが入ったお菓子「モチクリーム」。見た目がきれいだったのとどこかで話題にしているのを見た記憶があったので、つい買って食べてみました。

これ、もういいです。1個157円もする(大きさは2口で食べられる程度)のに、なんだか味はいまいち。奇をてらった感じでモチとの相性が伴わない。冷やして食べるとおいしいと書いてはありましたが、素直に大福モチのほうがおいしいと思いました。

洋菓子と和菓子のコラボレーションといったところなのでしょうが、なんでもあわせればいいというものではない。やはりケーキはケーキ、モチはモチでいい。保守的なのかもしれないが、そう思いました。

五月人形

2006-04-23 | つれづれ
五月人形を出しました。といっても小さな鎧兜ですが。

実家の子供時代には五段飾りが組み立てられるのを、わくわくしながら眺めました。異空間が出現するみたいで。

いま我が家はマンションという名のウサギ小屋。とてもじゃないが五段飾りなんぞ無理。まあ、せめてもの雰囲気だしです。
子供もそろそろ「え、もう子供じゃないからいらないよ」と言いそうなお年頃ですけどね。

さてあと何年飾れるのでしょう。

ラム酒

2006-04-22 | つれづれ
ラム酒というとキューバ、みたいに思っていたのですが、バーで飲んでいたら以下のような知識を仕込みました。

ボトルラベルに「RUM」とあるのはイギリス系植民地だった場所のラム、「ROM」とあればスペイン系、「RHOM」というように「H」が入るとフランス系、なんだそうです。

へー、とちょとしたトリビア。なるほどいわれてみればラベルの文字に違いが。真偽のほどはわかりませんが。人間いくつになってもどこにいても勉強、ってか?

ついでに驚いたのが、23年モノのXOラム酒。飲んでみると、これが不思議なことにシングルモルトの古酒に似いるんです。甘みがウイスキーより強いけど、香りやふくよかな感じが似ている。古いお酒ってやはり似てくるものなのでしょうか?

ジンギスカンラーメン

2006-04-20 | 
東京駅八重洲地下街にある「ラーメン激戦区」。ここの「むつみ屋」はたまに使うのだが、きょうは「ジンギスカンラーメン」を試してみた。文字通り、ラム肉を使った味噌ラーメン。

臭みがあるのではないか、硬いのではないか、と心配しつつ食べたが、あまり臭みもなく、味噌と合って甘みも感じた。意外に合うものですね。

ラム肉といえば同じ激戦区にある「中国拉麺  餃子老舗」のジンギスカン丼はおいしかった。ラムが嫌いな人はだめでしょうが、バターの香りとタマネギの甘み、ラム肉のしこしこ感が丼になって、けっこう充実感があります。おなかが減っているときにお勧めです。

Mr.&Mrs.Smith

2006-04-18 | 映画
ブラピとアンジェリーナ・ジョリー共演の映画。二人は殺し屋どうしだけど、素性を知らないまま結婚。ある事件をきっかけにお互いをターゲットとすることになり始まる「バトル」。史上最強・最悪の夫婦喧嘩、というところです。

まあ美男美女のハリウッドスターを見られた、よかったね。という映画でありました。ストーリーからしてB・C級映画ですから。2人の魅力だけでお客さんを呼びました、といったところでしょうか。

それにしても、アンジェリーナ・ジョリーがかっこいい。でも、横顔が正面や斜めから見たときに比べていまひとつだったことを、今回の映画のシーンの中で知りました。アングルによて人の顔ってぜんぜん印象が違うんですね。

ボランティア

2006-04-17 | 中国
今朝,ニュースで北京オリンピックに向けて手話通訳ボランティア養成が急務という話題を取り上げていた。そこから突然、「ボランティア」という言葉が中国でなんといわれているか、という連想ゲーム。

10年以上前、私が中国に留学していたころは「義務活動」といっていた。強い違和感を覚えて中国人の友人と「ボランティアって自発的活動であって、義務ではない」という説明をしたが、全然話が噛み合なかった記憶がある。その話をしたら妻が「でも義務って元々は義に務めることでしょ? 本来はいい意味なんじゃない?」と言う。目から鱗だった。

確かに字義からすればその通り。いまは義務というと強制というニュアンスが強いがもとは違ったのかも、だとすれば中国語の言い方って間違っていないじゃない、などと思った。

そこでいまはどういわれているのかと調べたら「社会福利活動」「志愿者」「自発性的」などといっているらしい。中国でもボランティアの概念が日本に近づいてきたのか、はたまたやはり「義務」という言葉は彼の国でも強制の意味合いが強いと敬遠されたのか。

ところで冒頭のニュースでは、必要なボランティア1000人に対し、いまは50人程度しか確保できていないとのこと。ボランティア養成、言葉は変われど決して楽ではないようで…

我が谷は緑なりき

2006-04-16 | 映画
往年の名画、ジョン・フォードの「我が谷は緑なりき」を借りて観ました。ウエールズの炭鉱町を舞台にした、有名すぎるほど有名な作品ですよね。

学生時代に観て以来だったと思います。自分が父親というものになって初めて観ましたが、いっそう深い味わいをたたえた映画だと思えました。自分はあんなふうに子どもに毅然とした態度でいるのか、自分が死んだとき「父の教えはいつも正しかった」「胸の中にいまも生きている」なんて思ってもらえるのか、なんてチラって思ったりして。

生きていくこと、人と人のつながりは決してきれいごとではすまない。欲望も羨望も裏切りもある。家族だって当然、感情の対立がある。そんな厳しい現実の中だからこそ、なおいっそう信頼と友情、家族愛、人を愛する心、信仰心といったものの輝きが増す。じんわりとその暖かさが伝わる。うまい。やはり古典と呼ぶにふさわしい名画でした。

東京では桜も散ってしまったので、テンプレートを変更しました。

かんだやぶそば

2006-04-15 | 
久しぶりに淡路町の「かんだやぶそば」で昼食。土曜日、日曜日は昼時、並ぶのであまり行かないのですが、やはりきょうも並びました。とはいえ10分程度。

昼、ここに行くとどうしてもお酒が欲しくなる(あの雰囲気が「昼酒もいいじゃん」と誘いかけるようで…のんべの言い訳)。ちょっと寒かったし、熱燗を1本つけてもらい、かき揚げを注文。お酒につくお通しの辛みそが、甘めの日本酒によく合うんですよね。

かき揚げは、さくさくとした衣の中にぷりぷりの小エビが一杯。ほんとに箸で切るとさくさくと音がします。ゆずをタレにいれて大根おろしをといて、食べます。口の中でさくさくとぷりぷりが混じり合って至福。日本酒がまた進みます。

お銚子一本をあけ終わる頃に、せいろ2枚を注文。濃いタレにちょっとそばをつけてズズズズっとのどごしを楽しむ。そばの香りも豊かで、これまた至福。量の少なさにはまあ目をつぶりましょう。

最後の締めはそば湯。少しとろっとしたそば湯で濃いタレを薄めて飲む。そばの香りを最後まで楽しむ。これまた嬉しいひと時です。まあ料金はお高いので、なかなかしょっちゅうは行けませんけど、平日の休みなどは、書店街をぶらついて本を購入。その本を読みながら酒を傾ける。至福の一時が楽しめます。日常を忘れる、ささやかな贅沢なのでありました。

「宗教としてのバブル」

2006-04-13 | 
最近、新書がやたらと増えました。岩波や講談、中公といった伝統組に加えて、まあ、次々とよく作るものだと感心しきり。このところベストセラーといえば新書という感じになってきましたものね。

時機を得た出版物をうまく出す、時代の風を敏感にとらえた書物を出すという点で新書は優れていますが、一方で、内容は薄くてもネーミングで人を寄せる、というものが目立たないでもありません。特に最近創刊された新書はその傾向が強いように感じています。

で、あのソフトバンクが新書にまで手を出したということで、一冊ぐらい読んでみるか、と手に取ったのが「宗教としてのバブル」。作者はオウム事件のさいに誤解を受けて故なき非難を受けた宗教学者の島田裕巳さん。

一言でいえば、お金と時間の無駄だった。この一冊で評価してはいけないのでしょうが、ソフトバンクから同時に出た他の新書もパラパラと立ち読みしてみて、どうもソフトバンク新書には内容が薄そうな臭いを感じます。

この本、内容的には、団塊ジュニアまで含めてバブルを経験した世代はみな経済発展至上主義の「バブル信者」。戦後を引っ張ったのが戦争を知らない世代であるように、バブル崩壊後の新しい経済・社会秩序を構築するのはバブルを知らない若い世代だ、といったところでしょうか。

「はあ、そうですね」という感じ。経済発展至上主義に対する批判はすでに古くから存在しているが、要するにそれを「宗教」という観点でみたのが少し目新しい、ということなのでしょう。

でも、陳腐な分析が多い。ベストセラー「下流社会」の内容に依拠した論の展開も目立つ。「いまの若い人は薄着が多い。これはユニクロのカシミアですら高嶺の花と思える貧困層が増えているから」という印象論には、ほんとに学者なの?と苦笑を禁じえませんでした。

まあ、唯一この本で共感できたのが、最近の「ニート」論などに対する意見、若者擁護の視点でした。つまり、最近の論調で多いのは「仕事がない若者自身が悪い。社会的に悪い存在」という感じのものですが、そうではなく、「若者が悪いのではなくて社会構造に問題がある。特に既存の価値観で生き、利益を受けている中高年の既得権こそが問題」といった視点でしょうか。

ただ、そこから「ポストバブルの若者は堅実。新しい社会を」といきなり期待してもねえ、という感じ。どうもあまり論理的な文章展開ではないように思います。

いつも漫画と小説ばかり読んでいると思われるのも癪ですので(いや、大筋あってるんですけど…)、こんな本も取り上げてみました。