「差不多」的オジ生活

中国語の「差不多」という言葉。「だいたいそんなとこだよ」「ま、いいじゃん」と肩の力が抜けるようで好き。

町でうわさの天狗の子

2011-02-17 | 
岩本ナオさんの漫画「町でうわさの天狗の子」を3巻まで読んでみました。懐かしいテイストの漫画ですね。主人公の女子高校生が天狗と人間のハーフという、なんとも愉快な設定で、登場「人物」の中に、修行を積んでしゃべれるようになったキツネやウサギなどが出てくるものの、本筋は実に懐かしい学園ラブコメです。いい味出しています。

主人公は特にエスパー的な能力があるわけでもなく、怪力の持ち主という以外はごく普通の女子高生。スカートの丈をどのぐらいにしようか、憧れの美男同級生とどうやったら付き合えるのか、付き合い始めてからどうデートを重ねるか、そんな悩みに日々苛まれています。父親の天狗は娘を溺愛する親バカ。幼馴染で天狗修行をしている同級生が、主人公のピンチになると面倒くさそうに現れる。この幼馴染の秘めていると思われる「思い」にはまったく鈍感な主人公という、まさにかつての王道少女マンガそのものです。

出てくる人物がどれもこれも、なんとも等身大というか、そこらへんにいそう(モノノケの類はいないけど^^)。かわいらしいんですよね。でも何よりの魅力はきっと、主人公や天狗といった自分たちとは同質ではない存在を、ごくごく自然に受け入れている人々の姿かもしれません。不思議なぐらいうらやましいと思えるんです。「普通」と違うことを指摘し、ことさらに強調するイジメの世界、現実の社会とはまったく異なる、多様性をおおらかに認める姿にうらやましさを感じてしまうのです。「いいじゃない天狗の血だって個性だよ」というような懐の深さに救われる、心地よさを感じるのです。

ドントクライ、ガール

2011-02-01 | 
先週、「HER」のことを書いたヤマシタトモコさんの作品「ドントクライ、ガール」。「このマンガがすごい!2011」のオンナ編の2位になった作品ですが、私は「?」でした。なにが面白いのか実はさっぱりわからなかった。トンデモギャクとシモネタを組み合わせた、今風のナンセンス漫画といった位置づけなのでしょうか? なんでこれが2位? 謎だ…

チェーザレ 破壊の創造者2~8巻

2011-01-31 | 
先日第1巻を読んで引き込まれた「チェーザレ」をいま出ている8巻まで一気読みです。中世からルネサンスへと移り行く時代を背景に、権謀術数渦巻く国際政治を詳細で精密なタッチで描く秀作だとあらためて思いました。

なにせ当時の中世ヨーロッパ、特にイタリア半島は小国乱立で、教皇と皇帝、大国フランスとの関係などもあって複雑極まりありません。そのため相当意識して人間関係などをおさえておかないとワケがわからないことになりそうですが、それがまた面白い。駆け引きや人間の欲望などを見事に描きます。

主人公のチェーザレはまだ8巻の段階では17歳になったばかり。これからいよいよ政治の表舞台に出ていくところです。1492年というレコンキスタが終わり、新大陸が「発見」される激動期を、マキャベリが君主論の模範としたチェーザレがどう切り開いていくのか。ワクワクです。

巻末の解説文書が学術書のようなレベル。大変に勉強になります。「カノッサの屈辱」が実は皇帝側の勝利と当時は受け止められていたことなど、最新の研究や思い切った仮説・推理の展開に、中世という時代を少し見直しています。やはり歴史は人間が動かしているのだ、と。そしてたとえば第7巻の巻末を見るとわかるのですが、何気ない一枚の絵柄を描くのにいったいどれほどの時間と労力をかけているのかという驚き。極力当時の建築物などの姿を再現しようとする努力に頭が下がると同時に、なるほどだからまるで実際に時代を経験したように気分にもなるのだ、と感心することしきりです。それにしても、このペースだとチェーザレの死去までにいったい何巻かかるのか。気長に付き合っていきたいと思います。

小さいおうち

2011-01-28 | 
中島京子さんの「小さいおうち」。読ませるテクニックに長けた作品だと感じました。別に内容が悪いとか、つまらないとかではなく、純粋に読ませることが上手な作家さんだなあと感じたのです。私は引き込まれ、最後はけっこうジーンとしていました。

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赤い三角屋根の家で美しい奥様と過ごした女中奉公の日々を振り返るタキ。そして60年以上の時を超えて、語られなかった想いは現代によみがえる。


戦前から戦中の激動時代が舞台。でも、赤い屋根のおうちでは静かな日常が続く。たしかに、歴史をふりかえる立場からは、きっと戦争一色で大変な空気、生活だったのだろうなあ、と思うのですが、どんな時代にも人は生きて日常のささやかなできごとに喜び、悲しむ暮らしは続いているのですよね。それをうまく描いていると感じました。「戦中にこんなことを国民は感じていたの?」という素直な疑問を、登場人物の一人、主人公のタキさんの甥っ子に担わせる手法がうまい。

さらに最後の数十ページを、それまでとまったく違ったトーンで描くことで、庶民の生活を飲み込んだ、戦争というとてつもない事態をきちんと描いている。なかなかにお見事です。上空からの視点と地上からの視点がバランス取れているという感じでしょうか。

HER

2011-01-26 | 
「このマンガがすごい!2011」で、一位と二位を獲得して話題のヤマシタトモコさんの一位の方の作品「HER」。野坂昭如さんではないですが、男と女の間には~とつぶやきたくなる。そんな女子力、女子の本音(と思われますが、私には定かならず)を赤裸々に描いているようにかんじました。いやあ、女は男にとって永遠の謎です、ハイ。

なんだか知りたいような、知りたくないような、女の世界。たぶん、この漫画が女子部門一位ということは、多くの女性が支持している、共感しているということだと思うのです。だとすると、やはり男はかわいいコドモみたいなものかなあ。女子会が成り立つのがよくわかりました。こんなに怖いけど、底なしに不可解だけど、だからこそ尽きせぬ魅力を、愛おしさを、男は女性に感じるのでしょうね。

芥川賞・直木賞

2011-01-18 | 
芥川賞と直木賞は、久しぶりの4人受賞でしたね。ちょっとびっくりが、偶然ですが昨日アップした道尾秀介さんが5連続のノミネートの末に賞を獲得したこと。別に受賞に驚いたのではなく、タイミングがたまたまあったことへの驚きです。さすがにそろそろということだったのでしょうか。「光媒の光」が山本周五郎賞で、もう「時機」だったのでしょうか。対象作品はまだ読んでいませんが、以前とテーストが違うのかなあ。

昨年末に「流跡」の感想をアップした朝吹真理子さんの芥川賞は(該当作は未読ですが)なんとなく妥当な気がします。もちろん、26歳の若さや3代続く文学の血筋など、話題性もあるでしょうが、そんなことはオマケにすぎない。それほど高いポテンシャルがある作家さんだと思います。彼女の日本語はすごい。日本語の美しさ、魅力、文学の持つ可能性を引き出す能力を感じます。該当作も楽しみにしています。

ほかのお二方、特に木内昇さんの作品は面白そうですね。芥川賞「苦役列車」はなんか「伝統的」な無頼派の臭いを感じますが、さてどうなのでしょう。

チェーザレ 破壊の創造者(1)

2011-01-15 | 
モーニングで連載中の漫画「チェーザレ 破壊の創造者」。惣領冬実さんという観世流能楽師の家の出という漫画家さんの作品です。表の世界史にはどうあれ、裏というか物語的な世界史には欠かせないチェーザレ・ボルジアを主人公にした作品です。すでに9巻まで出ているのですが、恥ずかしながらこれまでノータッチ。遅ればせで読み始めて、はまりました

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新説チェーザレ・ボルジア伝
本邦未訳『サチェルドーテ版チェーザレ・ボルジア伝』(イタリア語原書)を精査し惣領冬美が描く、華麗なるルネッサンス絵巻。
歴史の闇に葬られた人類史上、最も美しき英雄、チェーザレ・ボルジアの真実が甦る。新鋭ダンテ学者・原基晶が監修。世界的に最も定評のあるサチェルドーテ版チェーザレ・ボルジア伝のイタリア語原書を翻訳し、精査を重ね生まれた全く新しい物語。


これは楽しみな作品です。チェーザレという人物の不思議な魅力がすでに1巻からひしひしと伝わります。舞台となるピサの街も相当綿密に取材して時代考証もしっかりされている様子で、とてもリアルです。登場人物たちの服装、生活もきっちり時代考証をしている感じがします。「世界」に入り込めるんですね。塩野七生さんファンですが、実はまだ「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷 」は未読なんです。こちらも読まねば、と思いました。

さて、続きを楽しみに読むとしますか!

十字軍物語1

2011-01-09 | 
塩野七生さんの「十字軍物語」第1巻。塩野さんらしい、人物に光をあててまさに物語として歴史を語る、お馴染みの文体で十字軍の始まりから十字軍国家成立までを描きます。ローマ亡きあと、イスラム勢力におびえるように暮らしていた中世ヨーロッパの人々がなぜいきなり十字軍などという行動に出たのか? そもそもが実はとても人間臭い打算、人間関係の中から始まり、「神がそれを望んでおられる」という修辞が後付でなされるところからして、もうまさに塩野さんワールドです。イスラム世界とキリスト教世界の関係を考える原点ともいえる十字軍の世界を、塩野さんの誘導で旅したいと思います。

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長くイスラム教徒の支配下にあった聖都イェルサレム。一〇九五年、その奪還をローマ法王率いるカトリック教会が呼びかける。「神がそれを望んでおられる」のスローガンのもとに結集したのはキリスト教国の七人の領主たち。ここに第一次十字軍が成立した。さまざまな思惑を抱えた彼らは、時に対立し、時に協力し合いながら成長し、難事を乗り越えていく。ビザンチン帝国皇帝との確執、小アジア横断、大都市アンティオキアを巡る攻防…。そしてイェルサレムを目指す第一次十字軍の戦いはいかなる結末を見たのか―。


第1次十字軍に参加したのはほとんどが王様ではなく、諸侯の部屋住みのような次男坊、三男坊。その一人ひとりが反目しあったり、熱情に突き動かされて動いたり、打算一杯だったり、奥さんに尻をたたかれて動いたり、いじけたりと実に人間くさい。時には足の引っ張り合いもあり、ビザンチン帝国からも嫌がらせを受けてほとんど援助も補給もない中で、そんな人間くさい男たちが「いざエルサレム」という一点で協調しあい、まさに成長していく姿に惹かれます。

イスラム側が十字軍をまったく宗教戦争だと認識していなかった点が面白い。いかにも唐突に出てきた侵略軍であることがよくわかります。だから本来なら兵力でも資金力でもどう考えても上にあったであろうイスラム側が内部分裂して部族同士、家族間でいがみ合い、対策がうまくいかずにエルサレムの「解放」と十字軍国家成立を許してしまう。つくづく歴史というのは人間の営みだと感じます。

それにしても第1巻で大活躍の「タンクレディ」については、ヨーロッパでは日本でいえば誰だろう、たとえば高杉晋作のように、誰もが知っていて、若さの象徴としてみなされていることをさらりと説明してくれるなど、いつもながら塩野さんは日本人の視点で、西洋人には常識でも当方は知らないことをきちんと押さえているところもさすがです。

人間臭く、どちらかというとちょいと悪人っぽいけど魅力的な男たちが退場した第1巻を受けて第2巻ではいよいよ十字軍の花形であるサラディンやリチャード1世、フィリップ2世などが活躍する第3回十字軍あたりまでいくのかな? 人間の営みとしての歴史がまた読めるのかと思うと、ワクワクです。楽しみ!

舞姫テレプシコーラ第2部完結

2011-01-08 | 
山岸凉子さんのバレエ漫画「舞姫テレプシコーラ第2部」が完結いたしました。2000年の連載開始からちょうど10年。第1部では衝撃のラストで話題となり、手塚治虫文化賞も受賞した名作です。でも、第2部のラストは意外なほどあっさりとしていました。3部まで続くのかと思いきや、これで物語は完結ということで、少々物足りなさもあります。謎の中国人と空美の関係というか、空美がなぜあのような形で世界に登場したのか、ぜひそこに至るまでの道のりを読んでみたかったと思います。

また、主人公の六花がようやく最後の最後で成長の証を見せ、これからどう伸びていくのか、華を咲かせるのかを見てみたい気もいたします。ただ、やはりここで終わってよかったのかもしれません。作中人物たちの成長をずっと見続けるわけにはいかないですから。成長とは決して「清く正しく」ではありえませんから。あとは読者の想像に委ねる。そんな、未完成でも、読者の中で熟成ができる作品なのだと思います。

原稿零枚日記

2011-01-06 | 
小川洋子さんの「原稿零枚日記」。小川さんらしい不思議な物語です。読んでいくと虚実、現実と空想が入り混じる幻想空間が広がります。もしかして小川さんご自身のこと? と思えることもあるのですが、日記風に書かれた作中主人公の女性作家の日常に引き込まれていくと別世界へ誘われたかのような心持ち。どこにでもあるけれど、どこにもない日常風景とでもいいましょうか。そんな境界を楽しみたい方にはうってつけの作品です。

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ある作家の奇妙でいとしい日常。長編日記体小説
原稿が進まない作家の私。苔むす宿での奇妙な体験、盗作のニュースに心騒ぎ、子なき相撲に出かけていく。ある作家の奇想天外な日々を通じ、人間の営みの美しさと面白さが浮かび上がる新境地長編。

ちはやふる11巻

2010-12-30 | 
いま連載中の漫画でベスト作品といえば、私にとっては「ちはやふる」。その11巻はオジさん心を鷲づかみにしました。全編、ぐいぐいと心を揺さぶられ、思わず涙が…。この巻の一番の話題は都大会決勝ですが、意外な展開の末に、ちはやたちは敗れます。落ち込む仲間たちに、ちはやは「いままでで一番楽しかったね」と笑顔で言うのですが、帰りの電車の中で「一番楽しかったけど、一番悔しかった」と涙を流す。これは真剣に一つのことに打ち込んだ経験のある者なら誰もが共感できることだと思います。その感情の表現にジンときます。そして、いつもながらそのちはやを見守る真島。今巻でもその思いはうまく伝わらず、切なさが募ります。

ちはやのお母さんも事実上初めての出番ですが、これまた素敵です。落ち込む娘に手を差し伸べる。その差し伸べ方が、心配でたまらないのだけれど、でも信用しているから、という愛情に満ちながらもきちんと我が子の成長を望み、認めている柔らかな接し方。なかなかできないんですよね。これまたジンときます。

また、嫌味キャラとして出ている男性(須藤さん)がいるのですが、実はかるたを愛し、真剣に取り組むからこそ、の思いが伝わる今巻です。プライドが高い人ほど、目標が高いほど、真剣になればなるほど、地道な努力に向かう。上を向いた地道さ、というのもいいですね。とにかくこの巻は読みどころ、ツボが一杯です。

部の仲間たちはいわずもがな、今巻では学校の吹奏楽部の面々の応援もジンときました。青春だなあ、とオジはウルウルです。それにしても63話にしてはじめて「ちはやぶる」と「あらぶる」の違いが説明されました。この説明も、ちはやたち、かるた部の面々にぴったりです。いいなあ、青春!

流跡

2010-12-29 | 
朝吹真理子さんの小説「流跡」。第20回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を最年少で受賞した話題の新人作家は慶応大学院で近世歌舞伎を研究されている才媛とのこと。歌舞伎というより、能の世界を想起させられた文章でした。幽玄にして雅、艶やかで、流れるような文章に身を浸すと、漂い漂い、現世なのかあの世なのか、過去なのか、未来なのか、足元に地面があるような海面のような、そもそも自分が存在しているっていうこと自体が朧な感覚…。実に不可思議なでも離れがたい魅力がある文章です。夏目漱石の「夢十夜」を彷彿とさせる世界です。

小説といえば筋があるのですが、この「小説」はストーリーを説明のしようがありません。書き出しが「……結局一頁として読みすすめられないまま、もう何日も何日も、同じ本を目が追う。どうにかすこしずつ行が流れて、頁の最終段落の最終行の最終文字列にたどりつき、これ以上は余白しかないことをみとめるからか、指が頁をめくる。」で始まります。そして、最後のページは「ゆらゆらくにゃくにゃと何百もの文字列がゆれうごき、最終行の最終文字列できつく縢ったはずの指示記号が一瞬震え、ぽたりと画面の奥に落ちて消えた。それを境にして、うつし出されていたはずの文字がほどけて溶けて、画面はひたすら白紙のがらんどうとなる。キーボードの隙間から書かれたものが流れる結晶となってあてどなくなだれ、四方にひろがってゆく。書くことがひとたびも終わらない。再び人やひとでないものののものおもいやひしめきの微温がつらつらつづきはじめる。文字がとどまることをさけ、書き終わることから逃げてゆく。ひたすら押し流されてゆこうとする。はみだしてゆく。しかしどこへ――」で終わります。

まったく本来的には意味のない、自分とは無関係な他者的存在である音の記号でしかない文字を使って、創作という最も自分自身の深い部分から湧き出る「自我」を表現することの不思議さみたいなものが伝わってきます。最初と最後の文章の間にはひとやひとでないもののが船頭になったり、子煩悩な父親になったりするのですが、どこにも区切りも脈絡もない。自我というとらえどころのないものの、ぐにゃぐにゃした感じを醸し出しています。

作者は、言葉に対してすごく繊細な感性をもっていらっしゃると感じます。さきの引用文章で通常なら漢字を使うような言葉がひらがなで書かれているかと思えば、「縢った(かがった)」などといったまず普段ではお目にかからない言葉、漢字を使って表現にメリハリをつけている。歌舞伎の研究をされているので、日常ではもはや使わなくなったような美しい日本語に接する機会が多いのも理由なのかもしれません。すごい才能だと素直に感嘆しました。次作がとても楽しみです。

聖☆おにいさん・6巻

2010-12-28 | 
「聖☆おにいさん」の6巻。すでに日本人の宗教に対する一般常識に依拠してネタで笑いを取るという段階ではなく、イエスとブッダのちょっとずれた感覚と生活をクスリと笑う感じの漫画になっています。少し絵が雑になったかな。ブッダの顔がすごく崩れているコマがあったりします。筆者も少しお疲れかな? 天国と極楽の違いを「ディズニーシー」と「ディズニーランド」と評しているのは「ほー」とポンと手を打ちましたよ。

きのう何食べた?4巻

2010-12-25 | 
よしながふみさまの「きのう何食べた?」の4巻。いつもながら、そのままレシピにしたい、しかも日常の無理のない料理なのが、いい。この巻では、食材にやたらと凝る人物に食事を作ることになり、主人公の男性が「いや、おれはめんつゆを使うぞ。うん、使うんだ」と自分に言い聞かせるようにして、「普段着」の食事を作る場面がすごく、共感できました。簡単でおいしければ、めんつゆだろうが、すし酢だろうが、いいじゃないですか。そんな突っ込みを思わず入れてしまう展開でした。

俺俺

2010-12-23 | 
星野智幸さんの小説「俺俺」。なんとも不思議な、不条理感ただよう作品です。現代社会を生きる人間の本質的な疎外感と、他者を疎ましく思いながらも他者とかかわりあいたいというアンビバレントな感情、ゆがんだ自己愛…。無縁社会といわれる現代を生きる日本人の、一つの鏡像を提示しているように感じました。

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マクドナルで隣り合わせた男の携帯電話を手に入れてしまった俺は、なりゆきでオレオレ詐欺をしてしまった。そして俺は、気付いたら別の俺になっていた。上司も俺だし母親も俺、俺でない俺、俺ではない俺、俺たち俺俺。俺でありすぎてもう何が何だかわからない。電源オフだ、オフ。壊ちまうす。増殖していく俺に耐えきれず右往左往する俺同士はやがて―。孤独と絶望に満ちたこの時代に、人間が信頼し合うとはどういうことか、読む者に問いかける問題作。


出だしは、なんとなく状況に流される若者、という滑稽感漂う展開ですが、「俺」が増殖を始めた辺りから、俄然不条理感が強まり、俺同士が殺し合いを始めるようになると気持ち悪いとさえ感じてしまう。ですが、最終的には絶望が支配する中から新たな希望が芽生えてきます。やはり人は「生きる」ことから全てが始まる。生への強い思いこそが人を動かし、変えていく原点になる。そんなメッセージを感じました。

それにしても、マックが舞台としてよくつかわれているのですが、まさに「俺」には相応しい。どこにいっても均質で金太郎飴。どんな街に行ってもノッペラボウのように感じることが多いのは、こんな店が主流になっているためでしょう。現代日本、というか資本主義の発展のもたらす疎外の象徴のように感じました。