「差不多」的オジ生活

中国語の「差不多」という言葉。「だいたいそんなとこだよ」「ま、いいじゃん」と肩の力が抜けるようで好き。

努力

2007-11-30 | つれづれ
いまのご時勢、「努力」ははやらないのだろうか? 努力したら必ずいい結果がついてくる、などということを信じられるほど世の中は甘くない、という現実に妙に覚めてしまっているのか。要領よくある場面は切り抜けられたとしても、それが続くほど幸運は長く続かないというのも、また一方の現実なのだが…

「楽して~」「猫でもわかる~」などなど、簡単に成功する近道があるかのような書籍も巷にあふれかえっている。「努力しても成果がなければつまらないし、今の生活でいい」といった風情が蔓延しているかのよう。たとえば英語をしゃべれるようになりたければ、たくさん聴いて、しゃべり、たくさん単語を書いて覚える。英語の本を読む。これが遠回りのようで一番の近道なんだけどなあ。そんな努力は恥ずかしいとでもいうのかなあ。

少なくとも、努力したら必ず元いた立ち位置からは違う位置へ自分が移動し、違う視点を得られることだけは確かなこと。これだけは声を大にして言いたい! その視点で世の中や自分のことをみられたら、それこそが大きな成果といえるようにも思う。富や名声だけが成功・成果ではないことに気づくには、努力という過程が必要なのだともいえるのだけど、こうしたことがわかるにはとにもかくにも、やはり努力が…

ま、いくら周囲が口をすっぱくしても自ら動かない限りは何も変わらないし、なにも得られない。視座は固定されたきり。視野も狭く、世の中に無限の世界が広がっているのを知ることもできないのだということに一日も早く気づいてほしいなあ。努力、努力。朝のNHK連続ドラマ「ちりとてちん」の不器用な主人公の、でも懸命に努力する姿を見習ってほしいものです。

きょうは愚痴です、愚痴。

蜂の家カリー

2007-11-28 | 
マスコミでよく取り上げられているようですが、先日、銀座・歌舞伎座のすぐ近くにあるカレー屋さん蜂の家カリー銀座本店で初めてカレーを食べました。うたい文句に「一口目は甘く、二口目は辛く、三口目は旨さが広がるカレー」とありますが、その通り。甘みから辛みに、そしてうまみという感じ。あまり奇をてらわない素直な味わいのようでいて、実は複雑な香辛料の味わいが感じられます。

食後の余韻が長いというと変な表現かもしれないですが、辛さによるピリピリとはちょっと違う、ちょっと甘辛い香辛料の心地よい香りが口中にしばらーーく残ります。これはいいですね。狭い庶民的な雰囲気のカレー屋さんで、けっこうクセになりそうな気がしています。

まいった!

2007-11-27 | つれづれ
今日は実に恥ずかしい失敗をしてしまいました。出張で羽田空港から飛行機に乗ろうと思ったら、なんと電車が遅れて羽田着が出発13分前に。

今は15分前を過ぎると発券してくれません。予約は無効になってしまいます。ショック!

百の単位で飛行機に乗る機会がありますが、こんな事は初めて。

初めてのキャンセル待ち。もちろん仕事には遅刻です。まいった…社会人としてただただ恥じるばかり。

電車が遅れたといっても十分程度。余裕を持って、ということですね。多くの方々にご迷惑をかけてしまい、反省しきりです。

Always 続・三丁目の夕日

2007-11-25 | 映画
漫画で十分と思っていたので第一部も観ていなかったし、「どうせノスタルジックに訴えかける映画だろ?」と当初は観る気がなかった映画「Always 続・三丁目の夕日」だが、jamsession123goさんの映画評を読んで俄然興味がわいたので観てきました。一言でいえば感動し、涙しました。この映画評に書かれた通りで、あらたに付け加えることが難しいのですが、少し。

てのは昭和30年代の生まれで、下町の貧しい地区で育ちました。だからなによりもまず、時代背景への「共感」があることはいわずもがなです。いまさらながら驚くのは、自分が生まれたあの時代はまだ戦争のにおいがいたるところにくすぶっていたのだ、ということ。

映画の中で鈴木オート社長は、属していた中隊の集いに躊躇しながら出席します。薬師丸ひろ子も、戦争で引き裂かれて生死さえ不明だった恋人との出会いが描かれます。そう。貧しさの根っこにあったのは戦争で徹底的に破壊されつくした生活。私の暮らす下町では傷病兵が道端でアコーディオンを鳴らし、「お恵み」を請うていました。いまでもはっきり覚えています。そんな絶望と貧困の極みから立ち直り、生きる人々の姿こそがこの映画で描かれる「生きるという実感を持って生きている人」(by jamsession123goさん)だと思います。

格差社会が喧伝される今日と、戦争の影がまだそこここにあって絶対的貧困が存在したあの時代。大きく違うのは人々の「生きる」ことへの貪欲なまでのパワー、生きることの「実感」のような気がします。

ストーリーはきれいごとといわれればそれまでの展開となります。芥川賞落選以後の話は現実にはありえないでしょう。でも、「生きるという実感を持って生きている人」にはああした展開こそが必要だと思うし、あれがなければもはや身もふたもない「現実」になってしまいます。あの3人がその後どうなるのか。日本橋が高速道路の下に入り暗い影に一日中覆われるように、だんだん生きる実感が薄れ、ただ時代に流されてなんとなく生活の心配のいらない「豊かさ」を手に入れてなんとなく生きている、という生活に変わっていくのか。ちゃぶ台がなくなり「リビング・ダイニング」で空虚にテレビの音が響く生活に変化していくのか…あまり楽しい想像ではないのですが、現実をみるとふと思ってしまう。逆説的ですが、そんな想像をしてしまうような生活をしているからこそ、あの時代以降、日本がどのような変化をたどって現在の姿に至っているかをスクリーンのこちら側にいる我々は知っているからこそ、この映画の持つ「夢」のような人間関係、生きる実感に感動し、涙するような気がします。

涙といえば、これもjamsession123goさんの受け売りですが、三人の女性たちの誠実で美しい涙が、観るものの心を浄化するように私も感じました。

本文全体が蛇足なのですが、ついでに蛇足をもう一つ。朝日新聞に先日、この映画の時代は青空が広がっていたのか?という内容の記事が掲載されていました。川は汚れて臭く、スモッグで青空が見えることは少なかった、という内容。身もふたもないですが、夢のように描かれる「過去」の現実も厳しいもの。あくまでも「人間」「人間関係」のあらまほしき姿を描いた映画であり、成功した映画だということにしておきたいと思います。

「岳」

2007-11-23 | 
山岳救助ボランティアの青年を描いた漫画「岳」。いま出ている5巻まで一気読みしました。

主人公の「三歩」という名の青年は世界の山々を踏破し、米国で山岳救助をしていたこともある。いまは日本アルプスで救助ボランティアをしている。三歩はスーパーマンでもなんでもないので、救助活動が成功するとは限らない。それどころか、自分の背中で、手の中で何人もの人が死んでいく。死が至るところに出てくる漫画です。

三歩はそれを粛々と受け止める。涙を見せるわけでもない。遺体には必ず「良く頑張った」と声をかける。悲しみをしっかり受け止め、止揚しているかのように。その抑えた感情表現が読む者の胸に迫る。派手さはまったくないが、毎回、人間の尊厳と自然の過酷さが、抑えた筆致で描かれている秀作です。

長野県警山岳救助隊の新人女性警官がいわば「街」の人の常識を代弁するような形で登場し、三歩との対比が描かれる(巻が進むにつれだんだん、「山の人」になっていくんですけどね)。その中の一つに、新人警官が要救助者のところにたどり着き、救助ヘリに乗せようとした直前に要救助者が息を引き取る話が出てくる。ヘリからの指示は、ヘリで遺体を回収しやすい地点に遺体を移動させる。つまり遺体を垂直に近い岩場から投げおろして平らな地点に「移動」させること。

しかし、彼女は指示を拒み、背中に背負って下に移動し始める。体力が続かない、と思ったところに三歩が現れ、「よく頑張った」とあとを引き受けるのだが、三歩のとった行動は遺体の顔にボウシをかぶせて防護して下に放り投げることだった。新人からの非難にも弁解することのない三歩。ヘリの操縦士は新人に語る。「遺族は一刻も早い遺体との対面を望んでいる。お前の頑張りを期待しているのではないんだ」。とても静かに。言葉少なにこんな話が、ほぼ一話読みきりの形で描かれます。

三歩は、要救助者に必ず「良く頑張った」と笑顔を見せ、「また山においでよ!」と搬送ヘリに乗せて送り出す。山の恐ろしさを知り尽くしたがゆえに、その魅力も知り尽くした言葉。この漫画を読んで山に惹かれるのか、しり込みするのか、そこは微妙だとは思いますが。

東京駅地下でリゾット

2007-11-21 | 
さらささんの昨日のコメに答えるような文書です、今日は。だいたい出張では地元名物を食することが責務(?)とてのは考えているので、いつも仕事以上に最大限の努力を払います(?)。どうせならおいしいものを食べたい!と常々思っています。

で、今回の大阪・名古屋の出張。実はほんとに駆け足でしたので、いつものオムライス(いつかこのブログでも書いた大阪・堂島の「つるの巣」)を食したのと、名古屋で「山本屋総本家」の煮込みうどんを食するのが精一杯でした。煮込みうどんはいつもながら、あの熱々の濃いーーいお味噌仕立ての汁に、硬くこしのあるうどんが入れてあって、コーチンをハフハフとしながら食べる。この寒い季節には最高ですね。

実は今回の出張で一番の収穫が意外なことに東京駅のエキナカ「グランスタ」。八重洲の再開発と歩みを一にして先月、「銀の鈴」周辺の東京駅の中の地下街が大幅にリニューアル。お惣菜やおいしそうなお菓子、お酒の販売店などがずらりと並んでいるのですが、そこに有名なイタリアンシェフ植竹隆政さんがプロデュースする「RISO RISTORANTE CANOVIANO」(リーゾ カノビエッタ)という小さなカウンター形式のお店がオープンしたのです。

エキナカなのに、前回みたときには行列していたのですが、やや晩御飯には早い時間だったためすんなり入れたのでラッキー。リゾット専門のお店。すごくシンプルな味付けで、なによりご飯が柔らかすぎず、べたつかず、ちょっと芯が残る感じの、なんというかアルデンテご飯とでもいう感じの作り。口の中でハフハフしながらおコメがほぐれていくような感じがします。味付けがシンプルなので素材の味とご飯の味が前面に感じられます。うーん、おいしい!

あと、うれしかったのがグラスでスプマンテが飲めたこと。発泡性ワインはグラスで出さないところが多い(赤や白と違って、開けたら長くはもたないから一本売りするところが多い)ので、ちょっと感動しました。わざわざ新しい一本を一杯のために開けてくれました。お店の人に聞いたら「一日でけっこう売れるから大丈夫」ということのようですが、どうしたって残りが出ることが多いはず。残れば翌日は厳しいでしょうに。心意気がうれしいじゃないですか。

というわけで、意外にも今回の出張で一番の「おいしい!」は出発点の東京駅だったのでありました。

名古屋

2007-11-20 | つれづれ
突然の出張で大阪と名古屋をハシゴしてます(木の葉さん、黙って御領地にお邪魔してごめんなさい!)。駅前はクリスマス模様です。


「沈底魚」

2007-11-19 | 
今年の江戸川乱歩賞作品「沈底魚」(曽根圭介さん著)。公安警察と中国のスパイをめぐる物語です。与党の大物政治家が中国のスパイであるという情報の真偽をめぐる両国の駆け引きに翻弄される一線の公安刑事。二重スパイ、三重スパイの網の中でだれを信じて良いのか、なにが真実なのか。公安刑事の暗い雰囲気がうまく漂っています。

なかなかに読ませはするのですが、ただ、ありがちな話と展開だな、という気もします。意外性があまりないというか…たぶんこういう展開なのだろうな、という方向に向かっていく。組織の非情さが徹底されていないような印象もあります。でも、文書も読みやすいので、お時間がある人、公安モノが好きな人にはお奨めという気がします。

生物と無生物のあいだ

2007-11-18 | 
評判の、福岡伸一さん著「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書)。ワクワクしながら一気読み。生物科学の教養書なのですが、まるでミステリーで謎をひも解くような面白さでした。

「生物とは何か? なぜ私たちは無生物とそうでないものを一瞬にして見分けることができるのか?」。これが本書の出発点で、この問いに対する現在の生物学が到達した地点を歴史を振り返りつつ解説している。

私自身の生物学の知識は高校の教科書レベル。DNAの二重らせん構造にいたく感動した30年ほど前の興奮がいまはまだに自分にとっての最前線。そんな私でも読めます。著者自身が働いた米国の研究所での科学者たちとの出会いなども織り込まれて、生物学者たちがとても人間臭く身近に感じられる。功を争う気持ち、妬みや裏切り、「なんでだろう?」という素朴な人間的な疑問…

生物学の「前線」へのいざないは文句なしに知的に興奮します。DNAによる自己複製だけでは生命を説明するには不十分で「動的平衡」が生命の本質ということが語られる段にはワクワクドキドキ。「分泌」の不思議さとその原理の単純さにはただただ生命の深遠なる不思議さに驚くばかり。半年前の自分の細胞はすべてなくなっている。そのぐらい常に細胞の自己更新が行われている精緻な、でも驚くほど柔軟な、それゆえに環境変化にも細胞の「気まぐれ」にも耐えられる全体構造。どれも生物学をちょっと学んだ人には当たり前なのかもしれませんが、私のような教科書レベルで留まっているものにはただただ目からうろこなのでした。ちなみに「細胞はかくも小さいのに、なぜ我々はこのように大きな身体なのか」なんて考えたことあります?

そして、笑えたというか、笑ったあとでその事実に生命の不可思議さを感じ慄然としたのが、最後の「ノックアウトマウス」の話。生命を探求し、細部を追及していき、ある意味到達したのがここか!というどんでん返し的展開。ほんとに読み物としても一級品の面白さだと思いました。今年の五指に入るお奨めの一冊です!

カフェ・ド・シンラン

2007-11-17 | つれづれ
築地本願寺の境内にちょっと変わったカフェが9月から出現しています。カフェ・ド・シンランというお店です。以前、100号記念の話を書いたおしゃれな環境雑誌「SOTOKOTO」がプロデュース、築地本願寺が協力しています。



いかにもソトコトらしいちょっとおしゃれな空間。粟やヒエなどの雑穀、有機野菜にこだわったお料理。ランチタイムはどうも週変わりの単一メニューのようで、今週は精進料理でした。まずはミネストローネ風のスープ。続いて、玄米と雑穀の混ぜご飯にマスタードベースのとろみをつけた汁をかけて食べやすくしたものに、しし唐と厚揚げなどを添えたプレート料理が出てきました。

エコグッズも少々ですが置いてあります。王理恵さんのお箸などもありました。でも、ちょっと残念なのは期間限定で12月で終わるようにきいています。せっかく作ってけっこう人も多く出入りしているというのになんかもったいない気がします。いかに簡単な作りとはいえ、建築資材を短期間で使ってしまうのはエコっぽくないし…

本願寺が協力しているというのはなんだか面白いですよね。「仏教はロハスだ」ということらしいです。

宇宙食

2007-11-15 | 
知人がアメリカ土産に宇宙食を買ってきてくれました。



「アイス」を早速食してみました。バニラとストロベリー、チョコの3色ミックス。ほんとはおいしいのでしょうね。でも、当たり前ですが、冷たくなんかありません。水分を完全に除去した乾燥アイスは、落雁のようなパサパサしたお菓子で、口の中にべとつきます。こういうのもやはり「アイス」なのかなあ。まあ味はそれっぽいですけどね。やはり本物のほうがいいなあ、と素直に思ったのでありました。

久しぶりの100キロ

2007-11-14 | 自転車
出張で休みがいろいろと潰れていたので、代休をとりました。小春日和。久しぶりにまとまった距離を走ろうと思い、荒川を上流に向かいます。今日の目標は上尾市の「榎本牧場」でアイスを食べることなにせ牧場ですから、ミルクアイスが濃厚でおいしいのです。季節的にもそろそろ今年は終わりかな、という思いもありました。

気持ちよかった。平日だけにサイクリングロードもすいていて、快適。太陽が照っているところはポカポカとしている。暑すぎず、寒すぎず。久しぶりのロングライドでしたが、なんとか行けました。途中、秋ケ瀬公園から先のサイクリングロードが一部通行止めで代替ルートがありましたが、車が入ってくる路。ちょっとなあ…

ま、それはさておき、目的のアイスを食し、往復で110キロ。久しぶりの100キロライドです。ちょっと最後は首筋が疲れてしまったのと、脚が弱ったのはまあ、ご愛嬌ということで。これからは寒い季節に向かいます。風も強い季節。ま、能力に合わせて楽しく走りたいと思います。

神の雫13巻

2007-11-13 | 
はまりまくっている(笑)、「神の雫」の第13巻が出ました。キムチとワインのマリアージュなんていう、とんでもなさそうなテーマに挑んだ一巻です。ま、それはさておき、今回の巻、なんと「おまけ」付の販売もありました。CD付バージョンがあったのです。

なにかというと、この巻に出てくるワインを取り上げてイメージする音楽を選んだという、なんというかこの漫画らしいイメージの膨らませ方。ま、一度でいいからここにとりあげているようなおいしいワインを飲んで、そんなイメージを感じてみたいものです

ちなみに取り上げているのが
「エシェゾー1995年」で音楽はフォーレ作曲の「シシリエンヌ 作品78」
「グラヴェッロ2001年」で音楽はファリャ作曲「恋は魔術師より 『火祭りの踊り』」
「シャンボール・ミジュニー・レ・ザムルーズ1991年」でモーツァルトの「ピアノ協奏曲21番」

ですって。私にはなんのことやらなにせお高いものばかり…で、さらにクラシックときた日にゃあ「これだからワインはお高くとまって」なんていわれるのだよ!

夜のピクニック

2007-11-12 | 映画
恩田陸さんの小説「夜のピクニック」の映画化作品です。公開から随分と間が開きましたが、観てみました。まあ、見事なまでに原作に忠実な作品ですね。ほとんど手直ししていない。細かい登場人物まで忠実に再現している。

だから安心感があるといえばあるのですが、自分の読書したさいの想像を、ひとつの型にはめこまされているかのような気分も味わいました。全体的には青春映画としてある水準にいっている(というか原作が優れているというか)のですが、インパクトには欠ける。きっと本を読まなければまずまずの評価なのでしょうが、いかんせん、繰り返しですが、あまりにも忠実すぎるがゆえに想像力の幅の分だけ損した感じがしてしまう。

役者は概ねうまい。あ、そういえば「ちりとてちん」のヒロイン、貫地谷しおりさんが、やはりお笑い系の役どころで出演していましたね。でも、個人的には弟役がイマイチというか下手と感じました。せっかくの役どころなのに、妙に浮いてしまった感じがします。

それにしても「青春」ってやっぱりいいですよね! あの身悶えるような恥ずかしいまでの自意識と、他者との距離のとり方はなんともいえず落ち着かない感じもしますが、そこがまたなんとも初々しい感じ。若さがまぶしい! オジはつくづく思うのでありました。

二匹目のドジョウ

2007-11-11 | つれづれ
9月から続いていた一連の出張がようやく一段落。楽しい仕事なので精神的には張り合いがあるのですが、やはりオジ化している体にはけっこうじんわりと疲れがたまっている感じ。5年ほど前までなら考えられないんだけど、まあ、これも仕方がないことなのでしょう。

閑話休題。前回、ご好評いただいた(?)ので、図に乗って二匹目のドジョウを狙います。前回のと同じ袋。ちょっと紐をいじってアングルを変えてみたら…どうでしょう、ちょっとかわいげのあるふんぞり返る君、という構図では?