「差不多」的オジ生活

中国語の「差不多」という言葉。「だいたいそんなとこだよ」「ま、いいじゃん」と肩の力が抜けるようで好き。

上海弾丸旅行3

2007-03-03 | 中国
今回唯一の「観光地」旅行は上海郊外に広がる水郷地帯のひとつ「朱家角」です。市街地から高速で約50分ほど。蛇足ですが、上海は市街地部分の高速代金は無料で制限速度は80キロ、郊外に向かう高速は20元で制限速度が120キロだそうです。一応社会主義を名乗る国ですが、都市間高速が民営なためでしょうか。インフラの整備のスピードはほんとに驚くばかりです。

閑話休題。で、この朱家角は明代からの家屋を生かしたというか、生活空間をそのままに観光化したような街。多くの中国映画がここでロケをしています。写真をみていただくと少しは雰囲気が伝わるでしょうか。どこか懐かしい、ほっとする景色です。ここでブラブラ散策。明代の家具を生かした現代絵画美術館やお寺をめぐり、水路に臨んだお茶屋さんで一息。なんだか時の流れもゆったりとした感覚で、とても落ち着けた。ただ、ここは、夏場はどうなのでしょう? 上海市内は相当公害があるように感じましたので、水がにおいやしないか、ちょいと心配。ま、それはおいておいて。

市街では南京東路というバンドからつながるメインストリートの変化を楽しみにしていたのです。でも、行ってびっくり。以前は人があふれにあふれ、百貨店やらその当時の先端の店などが並ぶ活気ある通りだったはず。ところが…

ろくなショッピングする店がない。人通りも以前に比べて格段に少ない。え、なにこれ?という感じです。私にとってこの通りは最初の中国訪問で一番モノがある場所と刷り込まれていたのですから…しかもよくみると歩いている人はほとんどが地方から出てきた人のようです。服装と言葉ですぐにわかります。上海人はどこに?

というわけで、向かったのがその名も「新天地」。

スタバをはじめ、ブランド店もいくつか。しゃれた感じのレストランやカフェ、シネコン、スポーツクラブなどもあり、石造りの町並みのとあわせてなかなか楽しめそう。実はここ、中国共産党が第1回大会を秘密裏に開いた場所。つまり共産党誕生のいわば聖地で以前は民家のカベに「ここで第1回中央大会開催される」と案内板が掲げらていた。それをまあなんとも大胆に再開発したものです。改革開放にむけて、まずは自ら変化したことを象徴的に示す意味合いもあったのでしょうか。

それはそうと、ここでぶらついて楽しいと思ったのは短時間。なにせ買いたいと思えるものがほとんどない。そう、ソフトがやはりまだ追いついていないのです。スタバのご当地タンブラーでもせめて購入しようかとも思いましたが、まあやめておきました。近くにある「太平洋百貨店」という老舗デパートのほうがモノの質がよかったように感じました。これからですね、この新天地も。

変わらぬ中国の景色と変わる先端の景色。二つを今回の旅行では味わいました。ほかにも実は上海に住む友人をたずねるなど、30数時間をフルに歩き回ったのですが、まあ、この辺にしておきますか。

さて、わずか3回の旅行記でしたが、少しは変わりつつある上海を感じていただけましたでしょうか? あまり上海のことをほめる上海人以外の中国人や、日本人を私は知らないのですが、個人的には実は大好きな街。たとえリトル東京みたいなどといわれようと、金に汚いといわれようと、上海人は常に時代に敏感にたくましく生きてきたし、これからもそうでしょう。「よそ者」にもおおらかなところはやはり港町的だし、背丈も日本人に近いし、私のブロークン中国標準語でも受け止めてくれるし(北京の人は自分の言葉が標準語だと誤認しているので意外と許容度が狭い。上海人は上海語が母国語で標準語は外国語たいなものなので、「アジア人どうしの英語」的な部分があると感じます)、いいところだと思うんだけどなあ。ま、観光地としての魅力は少ないかもしれないですけどね。また、変化を楽しみにいつか訪れたいと思います。

上海弾丸旅行2

2007-03-01 | 中国
なにせ滞在時間が30数時間の超特急旅行ですから、一番の楽しみは当然、食事です。今回一番の目玉は上海の象徴、バンドにあるいま最も先端といわれる「外灘三号」ビルの中の中華料理レストラン「黄浦会」です。

このビルは前回、私が写っている写真の左の建物で、一階はアルマーニ。出入り口には「黒服」がいる、実に敷居が高い感じ。その5階にあります。まず内装にこけ脅されてしまう情けない小市民の私。やたらでかいシャンデリアもですが、歩くスペースがやたらと長くとってあって、シックな家具なども配している。要するに「無駄」に価値を見出した、これまでの中国ではあまりお目にかからないタイプの装飾なのです。

窓の外には、中国の発展の象徴ともいえる浦東開発区の高層ビル群が見えます。ロケーションは最高。昼に行ったのですが、さぞや夜景が美しいことでしょう。

さて、肝心の料理。188元(1元は約16円でした)のセットをたのみました。写真がその最初。ご覧の通り、感じはフランス料理風。でも、一皿一皿、少量ずつの料理を出すのはまるで懐石です。味は確かに中華なので、なんだか不思議な感じがします。

このあと、スープや、笹に包まれた魚介類のチャーハン、カレー風味のパイなどが続きます。ま、最初は「おお、中国でもこんな料理が食べられるのか」という驚きで楽しめましたが、正直、お味はまあ、この程度なのか、と。特にカレー味のパイなどは一口食べてご遠慮しました。ま、ベタな話題を楽しみたい、という方にはお奨めですが、味を追い求める方にはいかがなものか、というのが結論でしょうか。あと、従業員の男性、せっかく黒服を着ていい感じなのだから鼻毛は切ろうね!

晩御飯はアタリでした。旧フランス租界にある一軒家を改造した「点石斎小宴」という上海料理のお店。店内の雰囲気がいい。「こけおどし」はなく、白壁。照明は天井への間接照明で、やわらかいクリーム系の光が店内を落ち着いた雰囲気に見せます。上海料理の名物、豆腐にカニ味噌を加えた料理など、お味はグー!難点は、お値段がやや高めで量がお上品なことでしょうか。でも、雰囲気と味で合格点でした。

食後は、やはり旧フランス租界の中にある、以前は蒋介石が住んでいたという大きなお屋敷のホールを使ったバー。中は白人が目立ちました。ここは上海なの?と思える雰囲気の中、グラスを傾けて夜もふけたのでありました。

と、ここまで書いておきながら今回一番おいしかったのは?と問われたら、街中で買って歩き食いした、豚肉入りの粽(2元)なんていったら怒られるかな?だって、笹の香りが餅米にしみついて、醤油との相性もばっちり。ハフハフしながらたべたら、もうおいしくておいしくて…

上海弾丸旅行1

2007-02-27 | 中国
留守中のコメ、ありがとうございました。今回の行き先は中国・上海でした。とはいえ、なんと滞在時間30数時間(!)という超弾丸旅行。何しに行ったの?という突っ込みは、このさい置いておいてくださいね。携帯もメールもない非日常への脱出が最大目的なので。

上海は最初に行ったのが1986年。人民服を着た自転車の集団に圧倒されて以来、今回が5回目の訪問。とはいえ、前回は99年でしたからほんとに久しぶりです。今回は、その変貌の速さにただただ驚愕しました。まるで別の都市ですね。まずは新空港(市街地とリニアモーターカーで結ばれている99年末に開港した空港です)の巨大さに(もすぐ滑走路5本になるそうです)驚き、次々と建設されている高層ビルに驚き、「別荘」といわれる郊外の戸建て住宅郡に驚き、高速道路の充実ぶりに驚き、人々の服装センスがよくなっていることに驚き、とただただ驚きの連続でした。ハード面ではある部分では東京を越えているという印象を受けました。

ただ、総体的にいえば、ソフト面は以前と比べればかなり改善されたとはいえ、まだまだ。なんで?と思えるような不合理な動き方、非効率さは相変わらずですし、買い物でも特に食指が動くようなものはほとんどない。ハードにソフトがおいついていない感じがぬぐえなかった。上海駅をみれば地方からの貧しい人々の出稼ぎの波はあいかわらずとどまるところを知らず、マッサージや街中で掃除などして働く人々と話をすると「上海人」には今回は誰も出会わず、一方でタクシーやホテルの従業員らは上海人で、上海とその他の都市との格差の存在を印象付けられた感じがしました。

きょうは総体的な印象にとどめて、次回から旅行の具体編とします。あ、上海の象徴・バンド(外灘)での写真を一枚。初めて自分自身が写った写真を使ってみますね。お目汚し、失礼。

ボランティア

2006-04-17 | 中国
今朝,ニュースで北京オリンピックに向けて手話通訳ボランティア養成が急務という話題を取り上げていた。そこから突然、「ボランティア」という言葉が中国でなんといわれているか、という連想ゲーム。

10年以上前、私が中国に留学していたころは「義務活動」といっていた。強い違和感を覚えて中国人の友人と「ボランティアって自発的活動であって、義務ではない」という説明をしたが、全然話が噛み合なかった記憶がある。その話をしたら妻が「でも義務って元々は義に務めることでしょ? 本来はいい意味なんじゃない?」と言う。目から鱗だった。

確かに字義からすればその通り。いまは義務というと強制というニュアンスが強いがもとは違ったのかも、だとすれば中国語の言い方って間違っていないじゃない、などと思った。

そこでいまはどういわれているのかと調べたら「社会福利活動」「志愿者」「自発性的」などといっているらしい。中国でもボランティアの概念が日本に近づいてきたのか、はたまたやはり「義務」という言葉は彼の国でも強制の意味合いが強いと敬遠されたのか。

ところで冒頭のニュースでは、必要なボランティア1000人に対し、いまは50人程度しか確保できていないとのこと。ボランティア養成、言葉は変われど決して楽ではないようで…

いまの中国の大学生は?

2005-12-17 | 中国
以前、もう10年以上も前だが、中国に1年留学していた事がある。まだ改革開放が進む前で、「ワープロ」の持ち込みも制限されているような時代だった。

そのころ、中国の大学生たちと話をしているとよく出てきた言葉が「我々知識分子は~」といったフレーズ。要するにぼくら知識人(インテリゲンチア)は、といった意味だ。

最初は「げげッ」と引く感じだったけど、話をしているうちに、社会を支えて引っ張っていく情熱や責任感みたいなものが強い自負心とともに感じられて、しだいに好感を持つようになった。実際に数からしても、当時は大学生はエリート中のエリートなのだからある意味当然の自負心だったかもしれない。同じ世代の日本人が「ミーイズム」(いまは使わないでしょうけど、こんな言葉)に陥っているのと好対照でなんだか羨ましいようなまぶしいような感じだった。

テレビで中国の変貌ぶりを見て、ふと思った。いまの若い中国の大学生たちもやはり「知識分子」と誇らしげに語るのだろうか、と。社会を支え変えていく自負心にあふれているのだろうか。それとも才能は金儲けに向け、自身の利益を追求する方向にのみ意識が向いているのだろうか。階級的な意識を共有しているのだろうか。

「知識分子」のいまの意識を、今度中国で学生たちと話す機会があればぜひきいてみたいものだ。

中国語教室を探す

2005-07-20 | 中国
中国語の勉強を再開しようと思い、教室探しを始めました。で、とある教室に見学に行ってビックリ! 十数人も生徒がいるんですから。

いやー、これが常識なのかもしれないですが、「発言」の機会がほとんど考えられないですよね、この人数だと。

てのはずーっと以前に中国語教室に通っていたことがあるのですが、そこは生徒3人でした(単に生徒が集まらなかっただけなんですけど…)。当然ながらたくさんしゃべれました。学生時代に通った英語教室も数人単位で、しかも授業後に先生とお酒を飲みに行くという無料「補習」まであったので(いい英国人のおじさんだったなあ)、今回はちょっと驚いてしまったのです。

それにしても中国語教室の増え方にもビックリです。以前は都内でも大体有名どころの教室は限られていたのに、いまやNOVAやベルリッツまで中国語教室を開き、ネットでみると小さい教室がそれこそ数え切れないぐらいあります。第一、ネットで中国にいる講師とテレビ電話講座なんていうのまであるんですから、オジさんとしてはただただ驚くばかり。中国語もずいぶんとメジャーな言語になったんだなあとあらためて思うのです。

さて、いい具合の教室が見つかるかなあ。お金があればマンツーマンを選択するんですけどね。刻苦勉励、自学自習、自力更生、雷鋒精神? お金は大事だよー精神でもって自分でやろうかなあ。

PS ちょっと夏向きにテンプレートを変更してみました。

中国語

2005-07-07 | 中国
ワケあって、中国語の勉強を再開することにした。数年間たなざらしの状態。久しぶりに「中国語ジャーナル」を購入してCDをきくが、悲惨! 耳がついていかない。
絵文字を使っている場合ではないんだけど…
さて、油をさせばなんとかなるものか、はたまたどうしようもないのか。なにせ、もう若くはないですから、心配。
急速な経済発展やネットの普及で新しい単語も多い。ちなみにブログは「博客」だそうです。まるで賭博の客みたいですよね。てのは学習に使っていた中国語のテキストに「人民解放軍は人民のためにウンヌン」なんて書いてあった世代です。ほんに変化のスピードには驚かされます。さて、少し気合をいれるか。