「差不多」的オジ生活

中国語の「差不多」という言葉。「だいたいそんなとこだよ」「ま、いいじゃん」と肩の力が抜けるようで好き。

花よりもなほ

2006-06-24 | 映画
是枝裕和監督の映画「花よりもなほ」を観てきました。見終わった後、最初に思ったのは、「なほ」の後に続く言葉は何だろう?でした。ストーリーは以下のようなもの。

=以下goo映画より=
父の仇を討つため信州松本から江戸に出てきた青木宗左衛門は、おんぼろ長屋で実家からの仕送りだけが頼みの貧乏生活を送りつつ、憎き仇、金沢十兵衛の所在を探っていた。仇討ちに成功した暁には、名誉の回復だけでなく藩からの賞金も手に入るはずだ。ところが、この宗左、剣の腕はからっきしで、その不甲斐なさは長屋の住人たちもあきれるほど。刀を差してはいても武芸にとんと疎い宗左は、近所の子どもたちを集めて寺子屋を開く。


桜花の散り際の潔さ、とういう言葉が劇中会話の中で何回か出てきます。でも桜が散るのは来年咲く事ができるから、咲くためなんだ、とも。たぶん「花よりもなほ」のあとに続くのは普通に考えれば
「人は美し」とか「人は尊し」
といった言葉でしょう。でも、そこに
「人はしたたか」「人はタフネス」「人は愛らし」「人は滑稽」「人は結構」
といった言葉をあてはめても「いいじゃない。なんだってOK、正解だよ」といってもらえそうな、人が生きるということに対する全面的な肯定感が感じられる映画でした。

ネタバレですが、あだ討ちは実際には行われません。憎しみを慈しみに昇華させる(「糞を餅に変える」という言葉が象徴的)ともでいいましょうか。宮沢りえさんが演じる武家の寡婦も、実は夫を仇に殺されたことが最後のほうで明らかになりますが、そのことをついにだれも一言も言葉にすることなく、というか包み込んだまま、終わります。逆に場面場面で登場する赤穂浪士が対比的で、肩肘張った感じが滑稽にさえ思える。

まあ、こういう終わり方もあり、という終わり方です。人の弱さや滑稽さ、でも時にはそれが強くも美しくもなれるんだと、暖かいまなざしで見守るとでもいいましょうか。監督の、人間に対する暖かい視線を感じます。おそらく最後のカット、主演の岡田准一さんの笑顔はその象徴だったのではないでしょうか。

それにしても、岡田准一さんがかっこいい(って男が言うのも変かな)。宮沢りえさんはいっそう美しくなった感じがします、というか芸が自然になった感じ。いいですねえ。長屋のセットも見事なおんぼろ。でも、惜しむらくは、ほかの住人たちは長屋っぽいのに、岡田さんと宮沢さんはこぎれいで浮いた感じがしてしまう。これは仕方がないのでしょうけど。

たぶん、物足りなさを感じる人が多い映画かも。でも、笑えるし、気持ちが暖かくなる映画でした。