「差不多」的オジ生活

中国語の「差不多」という言葉。「だいたいそんなとこだよ」「ま、いいじゃん」と肩の力が抜けるようで好き。

膝枕

2006-07-31 | つれづれ
お買い物に、とあるホームセンターに出かけたら写真のようなものが…思わず笑ってしまいました。低反発ひざまくら。ご丁寧にスカートらしき布までつけて、うーん、どんな人が買うのでしょう? 想像すると、おかしいような哀しいような。

ま、生身の女性はなにかというと「反発」が強いから(笑)、というギャグだとしたら作った人はなかなかにシャレがわかるなあ、と思ったのでした。

人生の残り時間

2006-07-29 | つれづれ
同じ歳(つまり中年真っ只中)の友人と痛飲しました。その話の流れで、人生の残り時間みたいな話になった。期せずして二人とも「逆算」が行動規範のもとになっていることに気づいた。

要するに「あと体の自由がきくのがこれくらいの年月」「子供の手の離れ度合いがこれぐらい」など、いろいろ平均的なライフサイクルを頭に描いて「じゃ、いまこうしたことをしておきたい」「優先付けはこちら」ということを、常にではないけれど何かの折に触れて考えて行動している、ということだ。

別にたいそうに「メメントモリ(死をおもえ)」とか「世は無常」とか「一刻一刻を大切に」などといった高尚な感じではなく、なんとなく体や精神の「硬直」度合いが進んでいるのが日常生活の中で感じられるのでジタバタし始めた、というのが実際のところだろう。

で、こう書くとかっこよさげですけど、実際には要するに「遊び」の順位付けをしているだけなんですけどね、二人とも。たとえば私なら体がまだ元気なうちに自転車の優先順位を高くする、とか。他愛ない話です。ハイ。失礼しました。

スピードメーター

2006-07-28 | 自転車
いやー、ついにつけちゃいました。自転車のスピードメーター。性格的に、着けると気にしてスピードを出したり、無理をしてしまったりするような気がして躊躇っていたのですが、自分がどの程度の距離を走っているのか、とかペースがどんなのか、やはり知りたくなってしまって。フォールディングバイクにはワイアレスのを、クロスバイクには有線方式のものを着けました。

意識するともなく意識しましたが、なかなか面白い。なんとなく張り合いが出ます。Bromptonでも平地走行時速30キロ出るんだ、というのが発見でした。侮りがたい小径車! 週末は荒川サイクリングロードでクロスバイクのスピードに挑戦してみようかなあ。脚力のなさにがっかりするかな?

それにしてもメーターって値段が高すぎ。安物のママチャリが一台買えてしまいそう…自転車用品一般にいえるのですが、ほんと価格はなんとかしてほしい。

安徳天皇漂海記

2006-07-26 | 
「安徳天皇漂海記」(宇月原晴明さん、中央公論新社)という小説を読みました。不思議で幻想的なお話です。失礼な言い方をすれば大風呂敷。山田風太郎のようなワクワク感はまったくない、むしろ暗―い話ですが、歴史に対し縦横無尽に想像力を働かせて、歴史人物どうしの、ありえないからみを描くという一点では共通性を感じました。

2部構成。1部では壇ノ浦で三種の神器とともに海中に没した安徳天皇が不可思議なる神器の力で琥珀のような玉に守られ生きているという設定で、源氏の3代将軍・実朝と関係していくさまが描かれます。巷間いわれる実朝像の裏に実は、安徳天皇の御霊を鎮めたいという強い信念がある、という解釈をほどこします。実朝の哀しい結末。

2部ではさらに飛躍。大モンゴル帝国のクビライカンや「東方見聞録」のマルコポーロ、南宋最後の皇帝まで登場します。そこに安徳天皇の「霊」が絡んできて、壮大といえば壮大、哀しいといえば哀しい物語がつむがれます。元寇を退けた「神風」が、実は安徳天皇が持っていた神器の力だというすごいお話です。

まあ、こうした概略を読むと「なんじゃ、そりゃ?」でしょうが、原文は著者の細かい気配りのきいた文章の力で読ませます。基調にあるのが平家物語だから、常に無常感が漂っている。設定の大風呂敷感と内容の無常感が不思議な融合をした小説です。こうした歴史空想ジャンルの小説が好きな人には面白い作品かと。設定自体で「笑っちゃう」という人にはお奨めできない作品でした。

地デジ

2006-07-25 | つれづれ
昨日からテレビで「チデジ」ということばが使われています。どうも昨日でちょうどあと5年となった地上デジタル放送への全面移行に備えてのキャンペーンの一環のようです。ニュースでは竹中が総務省で「地上デジタル放送完全移行まであと5年!カウントダウンセレモニー」というのをしている光景が映っていました。

まあ、地上デジタル放送の必要性などは別の議論なのですが、気になったのは「地デジ」という略しかた。目で文字を見るのではなく、耳で音を聞くとなにか汚くないですか? いや、そのなんというか、下の病気の一種かと勘違いしそうで…。こんな連想は品性下劣なわたしだけ?ほかにいい略称はないものなのでしょうか?

話題がずれますが、いくらキャンペーンを繰り返しても、世の中には不思議な人がいて、テレビも新聞もラジオもネットも、ありとあらゆる情報から遠ざかっているというか、世間の情報に無関心というか、聞いていても理解できないというか…日本が1年後に沈没するから国外に逃げてくださいとあらゆるメディアで広報してもその日まで「知らなかった」というような人が必ずいる。

きっと5年後には「おれはそんな話聞いていない。テレビ代が払えない」とか騒ぐ人が出てくることでしょう。見ものです。

ついでの連想ゲームですが、私の暮らす下町に、地上デジタル放送に対応した新東京タワーが建設されます。こちらではけっこう盛り上がっているのですが、ほかの地区はさほどでもないようですね。ま、どんなものができるのか、こちらは純粋に楽しみです。

濡れた雨傘と想像力

2006-07-23 | つれづれ
先日のことです。地下鉄に乗っていたらなんだか頭に冷たいものが落ちてきた感じがしました。隣の席の人の腕をふと見ると水がたれている。アレ?と思い見上げると、なんと網棚に雨傘がおいてあるではありませんか。どうやら目の前で少年漫画雑誌を読んでいる(私も漫画が大好きなのはご承知の通りですが、電車の中では読まない、を原則にしています。せめてもの矜持というと大げさでしょうか?)30代後半のサラリーマンのもののようです。

漫画をトントンとたたいて問いました。「失礼ですが、これはあなたの傘ですか?水滴が落ちてきます」。幸い逆上するタイプではなく、「あ、失礼しました」とあわてておろして腕に下げました。こういうので逆上して無視を決め込むような輩が最近は少なくないのでそういう意味ではよかった。

でも、簡単な想像力の問題だと思うのですがいかがでしょう?濡れた傘を網棚に載せたらどうなるか。ほかにも最近目に付くのは、傘を刀のように横にして(とがったほうを後ろの人に突き出すようにして)歩く人が多くなりました。危ないったらありゃしない。これも想像力の欠如でしょう。後ろの人に対する。

オジの苦言っぽくいいますが、ほんとに最近のマナーというか、周りの人に対する想像力が欠けたような行為には唖然とさせられることが多い。そもそも周囲に人などいないかのように考えているとしか思えません。まさに傍若無人。

きょうも地下鉄車内でファンデーションを顔に塗りつけるところから化粧をはじめている女性がいました。おぞましい、と私などは思うのですが、古いのでしょうか?化けているさなかをみられて恥ずかしいとは思わないのでしょうか?臭いが周囲に不快感をもたらすことに想いがいたらないのでしょうか?不思議でなりません。

ツーリングto川越

2006-07-22 | 自転車

梅雨の合間を縫ってツーリング。本日の目的地は埼玉県川越市。小江戸とも呼ばれる古い町並みの残った城下町です。


ルートはおなじみ荒川サイクリングロードで上江橋まで出て、そこからR16号に入り、市街地まで。距離50キロ強。

曇りがちで朝方は肌寒いくらい。フォールディングバイクBromptonなので距離としてはかなり遠い部類に入ります。でもサイクリングロードなので大丈夫とふんでの行程です。

2時間40分で最初の目的地、喜多院に。徳川家光誕生の間、五百羅漢などがある、大きな寺院です。そこから有名な「時の鐘」がある蔵屋敷街へ。ちょうど正午の鐘の音が鳴りました。澄んだ音が、水面に輪が広がるような感じで遠くへ遠くへと伝播していく。こうした音が聞こえる街って、いいですね。

時の鐘のすぐ近くのお蕎麦屋さん「寿庵」で二八そばを食べて腹ごしらえ。甘みのあるそばはおいしかったのですが、たれが神田の藪そば並みにしょっぱい。ほかのお客さんもちょびっと浸けてはずるずるっ。お、江戸っ子だねえという気分です。

最後に「駄菓子屋通り」に。文字通り、駄菓子屋さんが軒を連ねます。長さ90センチのジャンボふがしなど、変わったものもありました。

駅まで走り、最後は自転車を袋にしまいこみ、輪行で東京に戻りました。久しぶりなのでとても気持ちよい行程なのでありました。


奇遇なること

2006-07-21 | つれづれ
昨日は日帰りで名古屋出張だったのですが、ちょいとした奇遇なることがありました。

仕事を終えて、さて名古屋駅に戻るか、と某交差点に向かってタクシーを拾をうとしたときです。中学生ぐらいの少年がルイガノのマウンテンバイク、しかもまだ買ったばかりとう感じのものに乗って信号待ちをしているのです。

「へー、いい自転車に乗っているなあ」と興味をもってみていました。信号が変わり漕ぎ出します。渡りきったところでステーン!と少年がいきなりひっくりかえってしまいました。

私はあわてて駆けよりました。見ると右上腕部と右足からけっこう出血しています。「立てるか!?頭は打っていないか?!」ときくと、「うーん、大丈夫です」。でも、かなり痛そうです。なんとなく右足が折れているような気がします。「救急車呼ぶか?自宅に電話して迎えに来てもらうか?」と重ねて聞きますと、「いや、いい」。

通りがかりのおばさんや中学生も加わり、さて、やはり救急車を呼ぼうか、というところに40歳ぐらいの男性2人が駆け寄ってきました。で、少年を縁石に座らせて頭を両手で押さえて、体をざっとみます。「頭は痛くないな?自宅に連絡するか?」

応えはやはり「いい」。私が男性にざっと状況を説明すると「やはり頭を打っていると大変だし、折れている可能性がありますね。救急車を呼びましょう」。少年に名前などを聞いて、さっそく携帯で救急車を呼んだのですが、「15歳の少年が自転車で自走中に転んだ事故。右上腕部…」。実にてきぱきとしています。

不思議に思い、「医療関係の方ですか?」とたずねたら「救急隊員です」とのこと。別の地区の隊員なのですが、たまたま研修があったようで近くにいたというのです。なるほど、てきぱきの対応はむべなるかな、でありました。また、私だけだったらこんなに的確に場所の説明もできない(なにせ東京人ですから)し、症状も説明できたかどうか。まさに渡りに船の助けでした。

救急車がきて少年を乗せるところで、見守っていた通りがかりの中学生女子が「がんばってくださいね」と少年を激励します。なんとなく暖かい心持になりました。救急隊の男性2人とはお互いに礼を述べ合い、私はタクシーを拾いました。

奇遇はここから(前ぶりが長くてスミマセン、救急隊員との出会いも十分に奇遇ではありますが)。「いあー、びっくりした」と語るともなく運転手さんに語ると、「事故ですか?」と応えてきます。ざっと事故の概要を話します。「ルイガノのマウンテンバイク」といらぬ説明までしたら運転手さんが反応するのです。

「それでこけるって珍しいですね」。あれ、よくわかっているな?と思いながら「ええ。でも、買ったばかりでたぶん慣れていなかったのと、路面が雨でぬれていたこと。あと信じられないことにサンダルでこいでいたんですよ」と説明しました。

「サンダル!?ダメですねえ。絶対。私も自転車が好きでよく乗るのですが…」。あ、やっぱり!? そうだろうと思った通りでした。「実は私も」から始まりあとは15分ほどの道中、ずっと自転車話で盛り上がりました。60歳を超えた運転手さんでしたが、休日にはロードバイクでかっとばしているようです。「いやー、お客さんと自転車の話で盛り上がれたのは長い運転歴で初めてですよ(ちなみに私ももよくタクシーは使うけど、初めてでしたね)。自転車ははまったものにしか魅力がわからないですからね。お客さんまだ若いんだからいろいろチャレンジしてみてくださいよ」

楽しいひと時でした。元を正せば少年の事故から始まったお話。偶然のったタクシーの運転手さんが自転車好き。奇遇だと思いません?いや、この感じはなかなかわかってもらえないかもしれませんが、とても不思議な感じがしました。

だらだらと駄文をつらねて失礼しました。個人的にはとても驚いた出来事の連続だったので。それにしても少年、頭は大丈夫だったかなあ。たぶん足の骨折はしているだろうけど。スポーツタイプの自転車に乗るのなら、せめてヘルメットと靴は必需品ですよね。少年には実は、ちらと苦言を呈したのですが。わが身への忠告としても受け止めた事故でありました。

時をかける少女

2006-07-20 | 映画
筒井康隆さん原作「時をかける少女」。子供のころ、NHKの「タイム・トラベラー」を夢中になってみて、青春時代に原田知世さんの映画もみました。で、今回、「デジモン」や「ONE PIECE」の劇場版を手がけた細田守監督の手で新たにアニメ映画として復活しました。いや、正確には復活ではなく、新たな作品が登場しました。いいですよ、この映画。お勧め度「☆5」! 傑作でしょう。なんかオタクっぽいかな?こういう映画をほめると。でもいい作品はいいので。

原作に登場しない少女が主人公。少女のおばさん役として原作の主人公が出てきます。うーん、月日は流れた…。

少女の伸びやかさがいい。まさに飛翔、ジャンプして時をかける。最初のうち、タイムリープ、時をかけてすることといえば、妹に食べられたプリンを食べに戻ったり、カラオケを繰り返し歌い続けたり、ちょっとしたアンラッキーをさける、といった程度だったのが、だんだん「恋」と「友情」のもつれを解こうとするようになり、人間関係がこんがらがってくる。最終的には友人の命の問題にまで発展していく…

最終的に、少女は自らの手で未来を切り開く道を選ぶ。あまり細かく書くとネタバレですし、この映画は余分な知識無しで観たほうが面白いと思いますので詳細は省きますね。

伸びやかに笑い、豪快に泣く。青春を生きている少女の若さ、力強い生命力が画面からひしひしと伝わる。それを象徴するような夏の青空にむくむくとわく入道雲。バックの絵が細かく書き込まれ、「デジモン」でみせたデジタルワールドが、時をかける道中として使われる。ほんとに美しい絵です。

最後の場面、オジさんはじーんとしました。いいなあ、青春。帰らざる日々よ、ってか。それにしても彼女が「やりたいこと」と語った「やりたいこと」の内容って何なのだろう。たぶん「絵」に関係することなんだろうなあ。

実はもう一度みたい、と思った映画です。それぐらいのお勧め度です。

「のだめ」15巻

2006-07-19 | 
「のだめ」の15巻を遅まきながら、読みました。「のだめカンタービレ」。以前にもレビューした、笑えるクラシック漫画です。

この巻ではついに「のだめ」が初リサイタルに臨み、見事な成功を収める。コスチュームなどであいかわらず奇人・奇行ぶりの一端は感じさせるのですが、なんというか、とても「まとも」になってしまって、初期のころ、日本で学生していたころの破天荒振りが鳴りを潜めたのが残念。この漫画の魅力は、のだめの常識を逸した、次の行動が読めないところにこそあったと思うので。

周囲の音楽家たちも、日本の学生時代編に比べるとおとなしい感じがしてしまう。ストーリーの展開からして、もはやのだめパワーが爆発するようなことは考えにくい。それともうまく展開させるかな。そろそろ峠を越えたかな。

あ、そうそう。私の好きな「もやしもん」という「菌」の漫画があるのですが(やはり以前にレビューしています)、この登場「菌」が今回はのだめの中に特別出演。面白い「コラボ」漫画をほんの少しですがしています。こういう遊び心って好きです。

黒酢バー

2006-07-18 | つれづれ
新橋駅の構内で黒酢バーというものを見つけました。その名の通りお酢やお酢ブレンド飲料を飲ませてくれる。

新しいもの好きなので早速試してみました。

150円の黒酢ストレート。もちろんお酢ですからツンとくる感じはしますが、飲みやすい。

健康に良さげだし、なによりこの蒸し風呂状態の気候でこの清涼感はいいかも。
夏バテ対策に愛用しようかなあ。


お仕事

2006-07-17 | つれづれ
3連休はお仕事。いま帰宅しました。万歩計をみたらなんときょうは25000歩を超えているではありませんか!? びっくり。足が張ったような気分も、なるほどむべなるかな、でありました。きょうは疲れたのでこれにて。

日本沈没

2006-07-15 | 映画
小学生のときに観た映画「日本沈没」。怖かった。当時は江東区に住んでいたのですが、ある場面で政府の対策本部で「江東地区全滅!」というアナウンスと同時に洪水に飲み込まれる映像が…以来、私は極度な地震恐怖症になったのでした。でも、小松左京さんの原作は夢中になって読みましたし、テレビドラマ(サヨーナラと泣かないで…という主題歌の。覚えていますか?)も観ました。

と、前ぶりをして本題です。ことほどさように日本沈没には思い入れがあるので、公開初日の本日、行ってきました。仕事を終えて(きょうから3日間は仕事なんです)映画館へ。

で、一言で言うと、「私の金と時間を返してくれ!」。CGはいまの映画ですから見事。六本木ヒルズや東京タワーが倒れる場面や大津波が襲ってくる場面などはすごいです。でも、内容が、なんじゃいなこれは? とにかく甘っちょろくて(まあ日本人が甘いからそれを反映した、という主張なら、まあわからないでもないですが)、焦点がどこにあるのやら。

突っ込みどころ満載の映画。草なぎ君はなぜ、どうやってあんなに自由自在に移動できるのか、どうやってイギリスに行く気だったのか、電気はどこからくるのか、横須賀はなぜ無傷なのか、なぜ日本人はパニックにならないのか、なぜわざわざ田所博士と危機管理の女性大臣を元夫婦にしたのか、東京消防庁はなぜ最後まで組織・命令系統が生きているのか、自衛隊を動かす燃料、食料はどこに…

考え出すとおかしくて、おかしくて。深刻な場面は一度、ずらーっと道端に遺体が並べられている横で放心したように女性が死んだ子供を抱きながら「すみません、すみません…」と繰り返してつぶやくところ。これはけっこう迫真の場面。

まあ、日本沈没という現象があんなに急激に進むということ自体がありえないからありえない話でいいじゃないか、ということもいえるのでしょうが、ぜんぜん深刻な感じ、切迫感が感じられない。子供のころに観た映画はすごく切迫感があった気がします。そして世界に散り散りになった日本人の哀しみも。

以下ネタばれあります。
今回は日本人がこの危機から逃げるだけでなく、立ち向かう設定です。信じられないことに科学の力と各国の協力、勇気、奇跡で日本は完全に沈没しきる一歩手前で踏みとどまることになります。「再建」が期待できる設定なのです。

まあ、それもアリなのかなあ。自衛隊や消防庁の広報映画のよう。わたし的にはやはり不満が多い内容の映画でありました。どうせ来年にはTBSが地上波で放映するでしょう。それで十分だと思います。大画面でみる必然性はゼロでした。

家族の言い訳

2006-07-15 | 
森浩美さんの短編小説集「家族の言い訳」。作詞家で数々のヒットソングを生み出した森さんの初の本格小説といううたい文句でしたが、一言で言うと「まあ、こんなものかな」という感想でした。

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親子、夫婦、恋人、その組み合わせの数だけ存在する愛情の形。それまでの人生で、何らかのわだかまりを持つ人々が、愛情を求めて不器用に生きる姿、それに伴って沸き起こる心の葛藤を現代社会の様々な舞台を使って描く。人気作詞家の処女短編集。


家族の数だけ問題が存在する。そのエッセンスをうまく抽出して描いているとは思いますが、ストーリーが平板。人物造形にいたってはありきたり、という以外ありませんでした。なんというか「あらまほしき関係」を作っている感じがぬぐいきれないのです。

それぞれに泣かせる(いや、泣かせようとしているというべきか)話を作ろうとしているのですが、まさに「作る」臭いがぷんぷん。安手の「泣かせる映画」の原作にはちょうどいいかもしれません。どうも最近、この手の薄っぺらい泣かせ話が多いような気がします。たぶん、読者の側がそうした安直な話を求めているからかもしれないのですが、もっと深い人間洞察からくる涙、涙を超えた悲しみ、みたいなものを描く作家はいないものなのでしょうか。

森さんには申し訳ないですが、あまり「本格小説」などとは言わないほうが無難かと。ファンの方には申しわけないきつい文章になってしまいましたが、お許しを。

リチャード三世

2006-07-13 | つれづれ
今日から東京グローブ座で始まった、子供のためのシェークスピアカンパニー「リチャード三世」を観て来ました。「十二夜」などこれまでもシリーズで上演され、山崎清介さんの脚本・演出が評判だったのと、私のような演劇に縁がない人間でも「子供の」シリーズは楽しめるときいていたものですから。

で、実際に楽しめました。リチャード三世の野望が実にわかりやすかった。つまり、原作(というか戯曲)だとあの複雑な人間関係がどうにもわかりにくいのですが、それを巧みに、まさに子どもでもわかるように演出しているのです。おもしろい生き方なんだなあ、と思いました。同時に、哀しい生き方なんだと。

リチャード3世は特別の存在ではなく、人間、特に権力欲に取り付かれた人間には普遍的に見られる行動原理(もちろん人殺しは「一般的」ではないでしょうが)であると、最後の場面は象徴的。有名なセリフ(「馬をくれ、馬を!馬のかわりにわが王国をくれてやる!」などなど)も随所にあり、子供のためというより、大人の鑑賞にもたえるレベルの高い演劇だったと感じました。後半は身を乗り出すように見入っていましたよ。

10人の役者が一人何役もこなしての舞台。10人の手拍子と、つぶやくような声が合唱のように重なるときにおきる空間、時間の変化が印象的。机と椅子だけでときに王宮、ときにロンドン塔、ときに戦場が浮かび上がる。これも不思議でした。あと、リチャード役の山崎さんの目がとてもいい。惹かれました。

原作を大胆に再編成してわかりやすく、ところどころに笑いを取り込む、実に見事な舞台でした。次回作も観たいものです。

PS ぜんぜんこの文章とは関係ないですが、つい先日レビューを書いた「まほろ駅前多田便利軒」が直木賞に選ばれましたね!