「差不多」的オジ生活

中国語の「差不多」という言葉。「だいたいそんなとこだよ」「ま、いいじゃん」と肩の力が抜けるようで好き。

愛のチャーハン

2008-10-29 | 


いつぞや「軍隊定食」のことを書いた大久保にある韓国料理店「海辛(ヘシン)」で昼食。プルコギチャーハンをたのんだら写真のようなハート型で出てきました。なんだかキュート愛ですよ、愛。

付随してカボチャやらカクテキやらの小皿が6つもついて、お得。チャーハンもたっぷりで750円でした。油が強すぎたのがちょっと残念でした。

茄子 スーツケースの渡り鳥

2008-10-27 | 映画
アニメ映画「茄子 アンダルシアの夏」の続編「茄子 スーツケースの渡り鳥」を昨日、観ました。実は昨日はこの映画の舞台にもなっている宇都宮でのジャパンカップがあった日でした。行けない自分、せめてもと思って借りてみました。54分という短い作品ですが、また実際にロードバイクに乗って疾走しているかのような感覚になります。監督・脚本・キャラクターデザインが高坂希太郎さんということもあり、「カリオストロの城」のような美しい絵で仕上がっています。同時に、世界一過酷なスポーツともいわれるロードレースの選手たちの悩みを主題に据えていて、考えさせられる内容でした。

=以下、公式HPからのあらすじ=
「ヴェルタ・ア・エスパーニャ」最終日前日に国民的英雄のレーサー、マルコ・ロンダニーニが突如の自殺。ぺぺのチームメイト、チョッチは同郷の先輩だったマルコの自殺により、レーサーとしての生活に疑問を感じはじめる。
そんな中、マルコの死の悲しみを胸に秘め、ぺぺ、チョッチほかチーム・パオパオビールはジャパンカップが開催される宇都宮に向かう。
来年でチームが無くなるパオパオビールだが、初来日で地元の応援もあり、チームはレースを前に意気が上がる。しかし、レース前日、チョッチはポイントのために強いられる苦しいレース生活から来年で引退することをぺぺに告白する。しかし、ぺぺは自分は「ポイントじゃなく、勝つために生きている」とチョッチの言葉に耳を貸さない。果たして、チーム・パオパオのレースの行方は? 勝者は誰なのか? 熱戦の火蓋が切って落とされる


結局、人はなんのために生きるのかという問いに突き当たる。苦労は誰にでもあるし、いつでもある。でもそれは何のため? 生きる目的とは? そんなことを考えさせられますが、もちろん、答えなんてないです。ある意味、突き放されたように、でも目前の自分がするべきことに全力で挑む姿勢に美しさを感じさせます。まあ、ちょっと青臭いかな?でも、まあ、たまにはこんな感じもいいものです。

サクリファイス

2008-10-26 | 
近藤史恵さんの小説「サクリファイス」。自転車のロードレースを舞台に描く、まあなんというか、ミステリーに分類される内容なのでしょうか。分類はどうあれ、私は面白く一気に読ませてもらいました。最後のほうの二転三転する展開には、うまく「だまされる」ような快感さえ感じます。人間の善意、他者への思いやりを信じたくなる。そんな内容。お奨め度が高い作品です。

=以下アマゾンから=
ただ、あの人を勝たせるために走る。それが、僕のすべてだ。
勝つことを義務づけられた〈エース〉と、それをサポートする〈アシスト〉が、冷酷に分担された世界、自転車ロードレース。初めて抜擢された海外遠征で、僕は思いも寄らない悲劇に遭遇する。それは、単なる事故のはずだった――。二転三転する〈真相〉、リフレインの度に重きを増すテーマ、押し寄せる感動! 青春ミステリの逸品。


ロードレースのことを知らない人が読んでもわかるように、丁寧に駆け引きや、エースとアシストのことが説明されています。ロードレ-スは通常、チーム戦です。チームのエースを優勝させることがチームの目的。だから、ひとりのエースのためにほかの選手はアシストとして己のすべてを犠牲にする。まさにサクリファイスです。たとえば実際のレースでもあったのですが、若いアシストの走りが絶好調で、初めてステージ優勝も狙える場面があった。ところが、エースの自転車がパンクしてしまい、サポートカーはしばらくこれない状況。アシストにエースはタイヤをはずすように命じます。そして、アシストは栄光を手にすることはできなかった。それが当然のこととして受け止められるのがロードレースです。エースの勝利のためにのみ存在するアシスト。この小説の肝がこの絶対的関係性です。

その関係性の中でエースの座を目指す人間とエースの座を守ろうとする人間がいる。当然ですよね。人間のどろどろとした欲も出てくる。そんな話の展開が最後の最後で浄化されるように、実に悲しいけれど、美しい人間の物語に転化されます。

ここからはネタバレ的部分がありますのでご注意ください。

サクリファイスを強要していた側が、心の痛みを感じないことはないだろうと思うんです。アシストたちの夢をつぶし、アシストたちの思いを一身に担う。責任感に押しつぶされる人がいてもおかしくはないでしょう。小説の中のエースはまさにそんな心でアシストたちと接している(表面上はまったくそんなことを感じさせない。むしろ、怖い人として受け止められているんですけど)。サクリファイスを受け入れる責任ある立場として、その犠牲に報いるべく最後の最後、まさに自らの命をかけて、自らをサクリファイスすることで若いアシストの未来を切り開く。そのことを誰に伝えるわけでもなく、だれに理解されることも期待しないで行う。たまたまそれに気づくことができた主人公。最後の最後まで読者もそのことに気づかないだけに、エースの行動の意味がわかると最後は怒涛の感動です!

おおきく振りかぶって11巻

2008-10-25 | 
このブログではお馴染み、いま一番面白いと思える野球漫画「おおきく振りかぶって」(ひぐちアサさん著)の最新11巻が発売されました。いよいよ4回戦。ベスト16入りをかけての戦いが始まりました。捕手阿部に下僕のように従う投手三橋。この2人の関係がどうやら、この4回戦で大きく変わるのかもしれません。果たして三橋は「成長」できるのか。自分の意思をきちんと伝えることができるのか、が焦点のように思えます。阿部の父親が言うとおり、阿部自身の他人との関係づくりも悩ましいところです。

これまで順風満帆にチーム作りも進んで、勝ち続けてきた西浦が初めて直面する壁。どう乗り越えるのか。楽しかった子ども時代から、困難に直面して自力で乗り越えていかなくてはならない大人への成長過程である「青春」という人生の時期を暗喩しているようにも思えます。10巻までとは随分と雰囲気が変わり、ちょいと重い雰囲気が立ち込めています。

「アフタヌーン」の連載のほうでは相当先に進んでいるようですが(なんでこんなに単行本と間があくのかなあ…)、じっと我慢して、次の刊行を待ちたいと思います。

流星の絆

2008-10-23 | 
当代一の人気作家、東野圭吾さんの「流星の絆」。いよいよというかやたら早いですが、クドカンの手でテレビドラマも始まってしまいましたので、遅まきながら購入です。さすが東野さん、読ませ方、引っ張り方がうまいです。あきさせないし、お約束の最後のどんでん返しもあるし、読者のつぼを心得ているとでもいいましょうか。お見事です。

では、名作か、といわれると、「面白いんですけど…」と断言は避けてしまいます。ストーリー的な面白さはもちろん、お見事です。でも、なにかが足りないんですよね。小説に何を求めるのか、にもよるのでしょうが、深み、人間への洞察みたいなもの、が足りない気がしてなりません。いや、人気作家だからこそ、ケチをつけるのですけど。

最近の日本の小説で売れ筋は犯罪モノばかり。殺人ですね、基本的に。そういう社会的な閉塞感、ドンヨリ感があるのはわかるのですけど、そればかりかい?と問いたくなります。安易な気がします。先日書いた「告白」もたしかに殺人がからむのですが、もっと社会や人間への洞察があるように思います。売れていることイコール名作ではないことは重々承知ですが、なんだか同じ犯罪を扱うにせよ「罪と罰」のような人間への洞察、信仰の問題など、突き詰めて考えようという臭いが感じられないのが残念な気がしてなりません。まあ、売れっ子作家に求めるのはお門違いであることは重々承知していますが、売れっ子だらこそ実験的にできることもあるように思うのですが…

まあ、繰り返しですが、はずれのない作品です。「後味のよいミステリー」がお好みの方にはうってつけかと。

テレビは前回チラと見ましたが、少しオチャラケ度が過ぎる(クドカンだから仕方が無いかな?)気がしました。原作のほうがもっと緊迫感があります。

「告白」

2008-10-21 | 
湊かなえさんという方のデビュー作「告白」。これ、すごいです。読書の秋に是非是非と強くお奨めします。読み出したら止まらない。てのは昨日昼間に買った本を一気に夜中前までに読みきってしまいました。自身の倫理観とか正義感とかが問われます。「あなたは教師の行動をどう思う?」と、この本を読んだ方と話をしたくなるような本です。

=以下アマゾンから=
我が子を校内で亡くした女性教師が、終業式のHRで犯人である少年を指し示す。ひとつの事件をモノローグ形式で「級友」「犯人」「犯人の家族」から、それぞれ語らせ真相に迫る。選考委員全員を唸らせた新人離れした圧倒的な筆力と、伏線が鏤められた緻密な構成力は、デビュー作とは思えぬ完成度である。


宮部みゆきさん的な読ませ方です。立場を変える語り手が登場することで物事の多面性が浮かび上がる。表に見えていたものが実は裏だったのかもしれないし、なにが正解なのか、はもはや混沌の中に埋もれていきます。映画「羅生門」にも通じるものがあります。

短編を集めた形ですが、いずれも一人称の語り。よくここまで書き込めたものです。筆力にも驚かされます。そして、辛らつな皮肉、パロディ的な色彩には苦笑い、時に大笑いを誘われます。

それにしても教師のとった行動は…私自身は理解を示したくなっている自分に、ちょっと驚いています。たとえ無力で無意味でも、法律を前提にしなければ社会秩序はなりたたない。でも、無意味さと悲劇・結果との落差の大きさに愕然とする。「自分なら」、何度と無く自問することでしょう。

少年法、マスメディア、学校教育、いじめ、モンスターペアレントといわれるような事実上崩壊した家庭教育…テーマ的に読んでも相当に「面白い」小説です。

イーグル・アイ

2008-10-20 | 映画
スピルバーグの映画「イーグルアイ」。ネタバレっぽい話もありますのでご注意ください。jamsession123goさんのレビューに尽きますが、まさにジェットコースターのような疾走感です。「2001年宇宙の旅」のコンピュータHALのようなコンピュータがこの映画を支配する主人公です。HAL以上に能力が高くなっているのでしょう、相当無謀なことを企てます。だって殺そうとする相手が相手ですから(この辺は一番の肝ネタばれなので…)。映画のはじめのころの不気味なほどの能力からすると実際に姿をみせるとややヘボくない?と思いたくなるような人間的な部分とか、映像的な姿とかが、ちょっと「ちゃちい」感じがしてしまいました。そういう意味では残念な点もあります。でも、「なぜあなたたち2人なの?」もちゃんと説明つくところが、さすが、スピルバーグと思います。

あらゆる場所で監視されているというまさに現代社会の寓話なのでしょうが、そんな難しいことを考えなくても純粋に最後までハラハラさせられた、なかなかに面白い一本。カーチェイス場面ひとつだけとっても、映画館のスクリーンで観るのをお奨めします。

シャトーディケム

2008-10-19 | ワイン
つ、ついに飲んじゃいました。シャトーディケム! しかも90年ヴィンテージです。貴腐ワインのなかの貴腐ワイン。単なる甘さとは違い、まろやかな酸味も感じられる、複雑なお味。何より、余韻が桁違いに長いのです。一口飲むと、しばらくはその余韻で楽しめてしまう。なるほど、世の人々がシャトーディケムを賞賛してやまないのが判る気がしました。今回は一瓶をシェアでしたので、一杯だけの賞味でした。まあ、はっきりいって、めちゃくちゃ高いので「次」の機会がいつになるのやら、ですけど。一度でいいから思い切って飲んでみたいものです。

蟹工船

2008-10-18 | 
格差社会、貧困が世を覆っている社会の中で、昨年あたりから売れている小林多喜二のプロレタリアート文学作品「蟹工船」。最近はますます話題になることが増えました。というか、いまや蟹工船は連帯のためのキーワードともなっているようで、貧困関連の集会やシンポでは必ずといっていいほど言及されたり、プラやコスチュームに使われたりしています。先日、映画「フツーの仕事がしたい」を観て、久しぶりに、なにせ大学時代以来なので約30年ぶりに、蟹工船を手にとって読んでみました。

懐かしいですね。けっこうこうした本を読みまくっていた青春時代、社会の不公正さに憤りを覚えていた学生時代がよみがえります。ただ、あのころは社会のなんたるかも知らない、頭の中で構築した「社会モデル」に対して、いわば頭でっかちの憤りでした。

いまのロストジェネレーションとも呼ばれる20代から30代を中心とする貧困社会に生きる若者には、まさに現実感、日々の生活の中から感じる矛盾が戦前の書物にも記されていたことに対する驚きと共感が感じられるのではないでしょうか。先に現実があり、それを代弁する書があった、という感じでしょうか。切実さという意味では私の青春時代とは天と地ほどの差がありそうです。

読み返すと、悲惨、陰惨な内容ですよね。目を背けたくなるような惨状。それを生み出す資本の論理と労働者の無力感。でも、先日の映画もそうですが、小さな一人ひとりが団結、連帯することで思いもかけない力が得られる。現実を変えることができる。蟹工船の蛇足とも思える「あとがき」が現実になる可能性を、いまの若者は感じているのでしょう。そんな、ある意味、とんでもない世の中なのでしょう。

東西冷戦の終結で共産主義・社会主義が負けたという無力感が、資本主義をここまでずうずうしくむき出しの資本の論理に走らせてしまった。暴走する資本主義に待ったをかける新たな思想が生まれない限り、また弱者切捨ての「勝ち組・負け組み社会」が続いていく。少なくとも社会主義はそうした観点からまだまだ有効性を失っていないと、改めて信じられる気がしています。

人間が人間として当たり前に幸せを追い求めることができる社会、笑って老後を過ごせる社会、社会的弱者がきちんと保護される社会。もちろん、ズルをして甘える人だっているでしょう(実際にいましたよね、こんな社会になる前の「一億総中流」などと自嘲気味に語られていた時代に)が、いまの生存権すら脅かされている、人間としての尊厳のかけらも無視されてしまうような世の中より数百万倍もマシだと思っています。蟹工船はそんな社会を目指すための第一歩として、現代に蘇ったのでしょう。

海街diary2「真昼の月」

2008-10-17 | 
吉田秋生さんの名作漫画、海街diaryの第2巻「真昼の月」がようやく出ました。月刊誌にたまに掲載ですのでなかなか単行本にならない。楽しみにしていました。

あいかわらず、ほんのりとしながら、家族というもののやっかいさ、不可思議さ、人間の心の温かみみたいなものを感じさせる、やはり名作ですね。とはいえ、第1巻ほどは激しく「感動!」という場面はありませんでした。でも、登場人物たちがこなれてきた分、自然に上述したようなことを感じさせます。

フツーの仕事がしたい

2008-10-16 | 映画
ドキュメンタリー映画「フツーの仕事がしたい」。ポレポレ東中野で上映中です。久しぶりにドキュメンタリーを観ました。あらためて「蟹工船」が若い人たちの間ではやっている理由の一端を垣間見た気がします。ほんと、むき出しの資本主義、グローバリズム、新自由主義の結果がこの映画でみられる労働者の姿なのだと思うと、やりきれなさで一杯の気持ちです。

=以下、公式HPからのあらすじ=
皆倉信和さん(36歳)は、根っからの車好き。高校卒業後、運送関係の仕事ばかりを転々とし、現在はセメント輸送運転手として働いている。しかし、月552時間にも及ぶ労働時間ゆえ、家に帰れない日々が続き、心体ともにボロボロな状態。 「会社が赤字だから」と賃金も一方的に下がった。生活に限界を感じた皆倉さんは、藁にもすがる思いで、ユニオン(労働組合)の扉を叩く。ところが彼を待っていたのは、会社ぐるみのユニオン脱退工作だった。生き残るための闘いが、否が応でも始まった。


もはや人間の生活ではないですよね、労働時間と賃金を考えると。ごく普通の気の弱そうな男性がだんだんしっかりと自分の意見を持って闘うようになる姿は感動します。組合や連帯といったものの意義を再認識します。

映画の中に出てくる、組み合いつぶしのためには暴力をも辞さず、皆倉さんの母親がなくなったその葬儀の場にまで暴力を持ち込んでくるやくざ者の存在には、人間の暗部をみる思いで嫌悪感で一杯になりました。無法を平気で座視する「会社」。すべては利益のためにと平然と下請け企業の違法を是認する親会社。そうした無法の嵐の中で労働者が団結して戦う姿は美しいというか、人間の可能性、善意、強さを信じたくなります。

とはいえ、大きな流れの中で、小さな取り組みです。小さな取り組みは次々と後に続くものがいなければ、大きな流れに負けてしまいそう。こうした映画に勇気付けられて、それぞれの場で闘う人が増えて、少しはマシな世の中になることを祈っています。

ジョーカー・ゲーム

2008-10-15 | 
柳広司さん著「ジョーカー・ゲーム」。戦前の陸軍にスパイ養成学校「D機関」なるものがあって、そこに常人離れした精鋭が集う。彼らを率いるのがまた、神がかり的なスパイ・結城中佐という人物。1編あたり50ページほどの読みきりが5編掲載されています。以上、そんな内容。といってしまっては身もふたもないのですが、軽く読み流せました。まあスパイものとしては別に可も無く不可もなく、といったところでしょうか。ところどころに、ものの見方で含蓄深いセリフが出てきて、かっこいい、とは思いました。ほんと、頭をカラッポにして読むには適当な、まるでハリウッド映画的小説でした。

どつぼ

2008-10-13 | 自転車
秋晴れの好天。きょうは気合入れて少しロングを走ろう、と思い輪行袋や着替えをリュックに詰め込み、さあ出発!と朝出たのはよいのですが、その後が…走り始めてものの5分、段差を降りた瞬間、「あれ?」っと思ったら、後輪がパンクです。ま、仕方が無い、チューブを取り替えて行くか、と取り替え作業に入ったら、「あれ?」。取替え用のチューブをうっかり、傷つけてしまいましたガ、ガーン。

いや、もう、なんというか、愚かしいミス。取替えチューブは一本のみ。もはや走行不可能です。仕方なく自転車を押したり担いだりして街中の自転車屋さんを目指します。幸い、歩いて5分ほどの場所にあることは知っていましたので。なにせ家の近所でのパンクでしたから…

恥ずかしいのですが、ロードバイクを差し出して、「すみませんん、パンク修理をお願いします」と街中の自転車屋さんに頼むの図。これってロードバイク乗りとしては最悪の恥ずかしさです。案の定というべきか、やはりスポーツタイプの自転車は扱いなれていなくて、クイックレバーの扱いも怪しい手元。でもまあ、なんとかチューブだけは応急処理してもらいます。もはや高速走行は不能。この場で今日の「ロングライド」は終了です。いい天気でした、その後も、ハイ。

チューブ、買ってこようっと。

巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡

2008-10-12 | つれづれ
国立新美術館とサントリー美術館で同時に開催という珍しい形の「巨匠ピカソ展」の、新国立のほうに行ってきました。一言で感想を言えば、「やはりわからん」。とはいえ、年代をおって、ピカソの作風がどのように変化していったのか。その背景にある、次々と繰り返す結婚と恋愛による心境の変化と、スペイン内戦の影響といったものが絵に影響していく様子がよく理解できた気がします。

確かに、キュビズム、シュールレアリズムというのはどうもやはり理解しにくいというかわからないです、素直に。ただ、ピカソの感情の変化が伝わってくるような気がしたのです。不思議ですね。怒りは怒りとして、喜びは喜びとして、美をたたえるものはたたえるものとして。特に妻のマリー=テレーズの肖像と、同じ時期の恋人ドラ・マールの肖像とが並べてあるところはなかなかに興味深かった。ピカソは2人の女性を同時に愛したのだと絵が語ります。まったく愛の量とでもいうものは同じなのですが、2人の魅力と思える部分が異なるんだろうなあ、という印象が感じられます。

晩年の家族をテーマにした絵からは優しさが感じ取れます。それにしても、この絵の表現方法はほんと、不思議です。