「差不多」的オジ生活

中国語の「差不多」という言葉。「だいたいそんなとこだよ」「ま、いいじゃん」と肩の力が抜けるようで好き。

沖縄慰霊の日

2006-06-23 | つれづれ
きょう23日は、沖縄慰霊の日。「鉄の暴風」と呼ばれた過酷な戦禍で20万人を超える人々、しかもその多くは一般住民が犠牲になった。凄惨な沖縄戦で日本軍の組織的抵抗が終わったのが61年前の今日だ。

平和祈念公園を訪れたことがある。「平和の礎」には犠牲になった日米双方の人々の名前が、わかる限りすべて刻まれている。その数に驚き、その一人ひとりに人生・生活があったことに思いをいたすと、名前を前に立ちすくむ。慄然とし、足が震えた。

過去だけではない。基地の島・沖縄の現在にも立ちすくむ。住宅街のど真ん中にある普天間基地。本土の日常からはまったく見えない世界がそこには広がっている。沖縄の中でも南北、東西格差があり、その「弱い」部分に特に皺寄せがいく構図の残酷さ、政治の非情さ。施設移転先として揺れる、絵に描いたような僻地・辺野古はその象徴のように思えた。

沖縄にとって戦争は過去にはなっていない。米軍の存在を通じて戦争は常に日常のすぐ裏側に、のぞける位置にある。そんなふうに沖縄で感じたことを、せめて「慰霊の日」には思い出したい。自分に何ができるのかを、せめて考える日にしたいと思う。

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3 コメント

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風化させないこと (さらさ)
2006-06-24 06:55:41
今年の「沖縄全戦没者追悼式」で

女子高校生の詩の朗読がありました。

今なお「戦争の影がみえる沖縄」に生きる

憤りを詩に託してありました。

戦争を知らない若い世代の子どもですら

日常に「戦争」を感じてしまう、ここ沖縄。



修学旅行で各地から、学生さんが訪れます。



「平和記念公園」のあの「礎」を見るだけで

「戦争の悲惨さ」を充分感じることができます。



あの、平和そのももの、緑と、空・海の青の

下に、静かに建つ黒い「礎」



20万あまりの御霊を

その「礎」のぼうだいな数と形をみれば

実感せざる得ないでしょう。



若い人たちには、ぜひ、訪れて欲しい

「場所」です。



風化させずに伝えていくことが

大人の役目かな・・・

と、昨日はあらためて考えた一日でした。
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さらささん (ての)
2006-06-24 17:05:27
私も久しぶりに(すみません)沖縄のことを考えた一日でした。きっかけをいただき、ありがとうございました。

そう。どこまでも空と海の青、礎の黒、の対比は印象的でした。

沖縄の子どもは戦争を語り継げる。私は一度、子どもをつれて戦跡・基地めぐりを一日かけてしたことがあります。意識的にそうしたことでもしないと、本土の子どもは「語り継ぎ」がないままになってしまいそうです。
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慰霊 (はれっと)
2006-06-26 01:26:26
てのさんも、この日のことを記されていたのですね。

トラックバックさせていただきました。



子供たちに戦争を伝える旅をされたとか…



わたしも長子が小学生のうちに

(反抗期の前に)

広島に連れて行きました。



末子は未就学でしたから、聊か早いかと思いましたが、素直な時期に真実を見せたかったのです。



平和祈念公園にうかがった際、多くの修学旅行生が来ていました。

しかし、ベルトコンベヤに乗っているかのように流れていく高校生を見て悲しくなりました。

真剣に資料館を廻る子も見かけましたが、大半の子は残念ながら…



子等は衝撃をまともに受けまいとして、ワザと悪ふざけをしていたのかも知れません。



そう思いたいのかもしれませんが、1年ほど経った今だからそう思えるようになりました。
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