「差不多」的オジ生活

中国語の「差不多」という言葉。「だいたいそんなとこだよ」「ま、いいじゃん」と肩の力が抜けるようで好き。

ホノルルセンチュリーライド3

2010-09-30 | 自転車
2度のパンクというアクシデントに見舞われた前半と異なり、後半は淡々とした行程となりました。あ、折り返し地点はスワンジー・ビーチパークという椰子、白砂、青い海というお約束のような美しい場所でした。コースの説明をしていなかったのですが、ワイキキからダイアモンドヘッド方向に走り、そのまま島の海岸沿いに近い場所を反時計回りにぐるっと地図上で上がっていくようなルートが往路。その逆が復路ですが、少し往路とは道が異なる部分もあり、完全な往復ではなかったです。

午後になり、日差しが強まる。もうすでに参加者は相当にバラけていて、集団で走ることより、個人で走る区間が多くなってきます。それに、これは感覚的なものですが、往路よりも復路のほうが、上り坂が多い気がする。体力の消耗が進んでいるからかもしれませんし、集団でないからそう感じるのか。鶏か卵かですけど、いずれにせよ、やはり後半は少々きつく感じます。

私はロードバイクに乗り始めて4年。まだ個人で走った一度の最長距離は130キロほど。道端でへたり込んでいる人がいたり、バス停の椅子で横になっている人がいたりで、やはり160キロというのはそれなりの距離であることを再認識しました。あ、自転車に乗らない方にはさっきから「集団」「個人」という表現の意味がわからないかもしれないので簡単に説明です。一人で走ると空気抵抗をモロに自分一人で負うことになる(向かい風を想像してみてください)のですが、集団だと、先頭の人は個人と同じでも、後ろの人は空気抵抗が極端に少なくなり、実に楽に走れるようになります。いわば盾になるわけです。同じスピードを出すのに、体力の消耗は天と地の差ほど。だからツールドフランスのようなプロの長距離レースでは、集団の先頭を引っ張るのは交代で、というのが暗黙のお約束になっているのです。しかもチームのエースを勝たせることが目的なので、エース以外の人間が先頭に立ってエースをサポートしたり、他のチームをけん制したりというのがレースの見所にもなる。おっと、話がわき道に脱線してしまいました。

閑話休題。復路ではだらだら坂を登りきったところにあるマカブウ岬が絶景でした。ここまでくればもうゴールは40キロほど。しばらくは一気に下ります。気持ちよく時速50キロ程度のところでブレーキをかけながら距離を稼ぎます。



で、いよいよ最後の補給所。でも、メーターをみると、なんか距離が…どうも最後まで走っても160キロないのではないかいな? という疑問がわいてきます。現実にダイアモンドヘッドまで戻るとそれは確信に。そう、実はちょっと寸足らず。メーターでは153キロしかありません。ま、いかにもアメリカ的なアバウトさですね。

それはそれとして、ゴールのカピオラニ公園に入ると、地元の子どもが「Good job!」と手を振ってくれました。こちらも手を振り替えし、「Thank you!」。いよいよ「FINISH」の旗が見えてきます。コース沿道から手を出して、いわばハイタッチしてくれる人もいます。ゴールの瞬間は思わずガッツポーズが出てしまいました。やったあ!!パンクもあって予定より10分ほど余計にかかりましたが、ほぼ予定通りの時間で完走です。達成感がふつふつと沸いてきます。「まだまだやればできるじゃない」とちょっと自分に自信が持てました。



完走証をもらい、記念撮影。ま、顔はパスということで。本当に快適な走りで、楽しかったあ。手元のメーターでは平均時速22.2キロ。個人的には実にいいペースでした。まだまだ走れそう。またいつの日か参加したいものです。

下の写真は、ワイキキビーチの夕暮れです。これにて、センチュリーライドの報告は終了です。


ホノルルセンチュリーライド2

2010-09-29 | 自転車
 今年で29回目の開催だったホノルルセンチュリーライド。100マイルばかりでなく、75、50、20マイルと、それぞれの体力に応じた参加、楽しみ方ができるのがこの大会の魅力です。スタートの仕方も、体力や経験に応じて4グループに分かれてスタートします。ロードバイクばかりでなく、4人でこぐ自転車やママチャリ、子供もいれば、仮装姿のライダーもいる。タイムを争うレースとはぜんぜん違う、アットホームな雰囲気です。

 午前5時45分。開会式が始まりました。まだ夜明け前のスタート地点のカピオラニ公園は自転車でいっぱい。とはいえ、過去に出場経験のある人に言わせると、ずいぶんと少なくなったとか。日本から2000人を超す出場者もいたときに比べれば、確かに1000人では半減ですから。米国などからは1200人ほどの参加です。



「Less cars and more bicycles!」と、ハワイ自転車連盟みたいなところの代表者が挨拶すると大きな拍手が。ホノルル市街地も自転車専用道がけっこう整備されていて、日本と違って歩道走行は禁止(というか、世界で歩道を自転車が走るなんていう、きわめて危険で異常な国は日本だけなんだそうですけど)ですから、車道も車とシェアしている感じは前日の走行で感じていました。日本の劣悪な環境から見ると、うらやましい限りです。ただ、ここまでたどりつくには、やはり時間が必要だったようです。「シェア・ザ・ロード」運動の象徴が、このセンチュリーライドなのです。

 諸注意(たとえば、右側走行ですから、抜くときには「On your left !」と声をかけるとか)を聞いてからいよいよ出発です。スタートしてほんの10分ほどでダイアモンドヘッドに。ちょうど日の出の時間です。美しい日の出でした。



 こんなふうに、ところどころで写真を撮ったりしながら進みます。だいたい25マイル程度ごとに公園や学校の校庭などに補給所が設けられ、地元の子どもらがボランティアでバナナやオレンジ、水などを振舞ってくれます。きちんと補給していかないと、食事も取れませんからバテてしまいます。気温は30度程度ですが、やはり日差しは南国の日差しで、きついですから。たとえば下の写真のような場所が補給所です。地元の小学校の野球チームが遠征費用の一助にしようと、おにぎりなどを売っている場所もありました。



 私の目標はトータルで10時間以内にゴールイン。まあ、無理をせず、ゆっくり写真撮影をしながら、制限時間(17時まで)には余裕を持って帰りたい、という感じでしょうか。なんといってもオジライダーなので。コースはけっこうアップダウンもあります。住宅街もあれば、山の中もあれば、海沿いもあれば、高速道路もあります。変化に富んでいて飽きがこない。これは荒川では絶対に味わえない感じですね。

 折り返し地点を目前にしたところでスコール。幸い、私はほとんどあがったときでしたが、路面が濡れています。こういうときはパンクしやすい。と思っていると、案の定のパンクでした。アタタ。日ごろなら黙々とチューブ交換ですが、やはり初の海外大会ですし、すごく動揺。ぜんぜん、冷静に作業ができない。でも、お互い助け合いで、見も知らぬ人が助けてくれて、本当に感謝、感謝でした。困ったときはお互い様。情けは人のためならず。そんな言葉がふつふつと沸いてきます。親切が骨身にしみました。ちなみに、運の悪いことにパンクにもう一度会ってしまい、日ごろの行いの悪さを露呈してしまいました。予備チューブは2本用意していたので事なきを得ましたけど。なお、この大会ではパンクはけっこうあるそうです。高速道路などが典型ですが、右端にはけっこう小さなごみがたまっているので、危険なんですよね。

 というわけで、まるでお約束のようなアクシデントに見舞われながらも、なんとか折り返し地点までやってきました。この地点にはセブンイレブンがあって、大会参加者でごった返していました。ここを逃すと、まともな食べ物を買える場所がないですから。というわけで、てのもここで簡単な食べ物を購入して後半に備えました。今日のレポートはここまでにしておきましょう。

ホノルルセンチュりー1

2010-09-28 | 自転車
本日、ハワイから帰国しました。肝心のホノルルセンチュリーライドは、100マイル(160キロ)を無事に走破しました。楽しかったあもちろん、南国の風を感じながら美しい海や山といった風景の中を走るのが楽しいのは言うまでも無いのですが、それ以上に、ホスピタリティあふれるハワイの皆さんが、全面協力してくれてとても快適でした。

警官が大量に出て交通規制されるは(なにせ高速道路まで自転車に解放してくれる)、住宅街の真ん中もコースだったりで日常にも不便をきたすだろうに、すごく好意的に道端で応援してくれたりして、大感激日本人リピーターが多いのもうなずけます。とはいえ、日本航空が経営再建のためスポンサーを今回から降りたそうで、日本からの参加者が随分と減って1000人だったそうです。アメリカなどの人が1200人と聞きました。私が確認しただけでも、地元ハワイのほか、アイオワやイリノイ州などからの参加者もいました。

というわけで、ライドのもう少し詳しい内容は明日以降にします。きょうはとりあえず、大会前日の風景を少し。なんというか、ふつうの観光旅行と違って、自分の愛車で走る異国の街ってすごく不思議。日常の非日常性みたいな感じ。それに、歩くと広いと思っていた街が、実はそれほどでもないと知る面白さ。なかなかに味わえない感覚でしたよ。で、ワイキキの浜に自転車の図が下の写真。



で、大会を翌日に控えたスタート兼ゴールのカピオラ公園では準備の真っ只中でした。


お月見団子

2010-09-22 | つれづれ
きょうは中秋の名月。東京では少々雲が出ていますが、美しい名月が拝めました。でも、花より団子ではないですが、お月見団子。ちょっとかわいらしいのを見つけたので買ってきましたよ。普通のお団子に、ウサギさんのお饅頭と、月に見立てたお饅頭が、いい風情でした。日本人らしい細かい芸ですよね。



小暮写眞館

2010-09-21 | 
千葉ロッテマリーンズ、ようやく仙台での連敗に終止符ですね。とはいえ、クライマックスシリーズはどうなるものか? で、標題の「小暮写眞館」。いわずと知れた宮部みゆきさんの最新書き下ろし作品です。700ページにものぼる大長編ですが、宮部さんの中では軽めの現代小説に分類されますので、軽く読めます。

宮部さんの作品は基本的に好きなのですが、この作品は正直いうと「?」の評価です。「ステップファザーステップ」を読んだときにも感じたのですが、宮部さんの描く子どもとか高校生とかはあまりにもリアリティがないんですよね。「火車」「理由」や「模倣犯」などの硬派の現代モノでの人物描写とはおおきく異なり、どちらかというとファンタジー世界の登場人物のように描くので、作品にのめりこめない。しかも、この作品は心霊写真やら幽霊やらが彩るので、どうにもこうにも話しに乗り切るのが大変でした。特に主人公の弟「ぴか」や友人の「てんこ」など、ありえんでしょう。突っ込みどころが多すぎて書く気も起きません。

じゃあ、ファンタジーと割り切ればいいじゃないか、と言われそうですが、そうすると最終章は?と相成ります。実はこの小説、延々と続く長文は、この最終章での、高校生の主人公の淡い初恋物語へ収斂していくための、ながーーーい前文のようなものなのです。で、この最終章だけはけっこう読み応えがある。じんわりときました。ああ、青春というか、出会いと別れ。初恋相手の年上女性の背景が明らかになったときの、「なるほど。そういうことか」という感じ。この女性はきちんと存在している感じがするんですよね、ほかの登場人物と違って。宮部さんは子どもを描くより、やはり大人を描くほうがきっちりとしている気がします。もしくは、荒唐無稽が最初から読者に織り込み済みの時代小説やファンタジーですよね。

あ、表紙と裏表紙の美しい写真は、ちゃんと本文と連動しています。これ以上はネタバレになるので書かないですけれど。まあ、とにかく長かったあ。

よもやの連敗。仙台で16連敗

2010-09-19 | つれづれ
千葉ロッテマリーンズ、どうした! だいじなところでズルズルと負け続け、優勝どころかクライマックスシリーズすら危うくなってきました。だいたい、なんで楽天の本拠地で勝てない?仙台で今日のサヨナラ負けで16連敗ってどうよ? 失礼ながら相手は最下位球団ですよ。ふーーーーー。今シーズンは最低でもクライマックスシリーズだと信じていただけに、この最終盤は何?あとは祈るのみか。

ちはやふる第10巻

2010-09-18 | 
漫画「ちはやふる」の第10巻。2年生になり、初めて後輩と一緒に迎える都大会の様子がメインです。今回も、才能にはあまり恵まれないながらも努力は人一倍の太一がオジさん心をつかみます。努力がなかなか実を結ばない苛立ち。運に見放されることが続き、迷いが生じます。それをまた周囲の人たちの支えで乗り越える姿は感動的です。いつもながら続きが楽しみです。

のりりん

2010-09-15 | 
鬼頭莫宏さんの漫画「のりりん」第1巻を手に取りました。自転車漫画です。ストーリーは正直、まだぜんぜん面白くないです。展開は強引で脈絡が無いし、キャラがたっていないわりには登場人物が多すぎて、落ち着かない。でも、自転車の描写が素敵。作者自身が自転車大好きな人だとビシビシ伝わります。風と一体になる感じや、車道を走る自転車の微妙な立場とか、横や後ろを走る車への配慮、坂道での感じやすれ違う人との簡単な挨拶などなど、とても親近感がわくというか、魅力や直面する現実をうまく伝えています。

でも、一方で自転車嫌いを公言する主人公が最初にいう言葉もまた、自転車乗りには耳が痛い部分もあります。「ナルシストっぽい」「日常の中で汗臭い感じ」「スポーツだか移動手段だかわからない」「非日常を無理やりに日常の中に持ち込んでいるガキっぽさ」「マゾだかサドだかはっきりしない」「妄信的で自分たちこそ最高とういう感じ」「興味の無い人間にも強引に勧めようとする」まあ、言い返せない部分も…。実際、そういうところが自転車好きにはあるので。

ま、でも、それだけ魅力的で、青春の心持に帰ることのできる手段なのですけど。「30歳過ぎたら男はロード」「大人の青春は自転車から」。話の中のこうした言葉もまた真実なのだと思います。

母校

2010-09-14 | つれづれ
用事があって、久しぶりに母校の大学に出向きました。また新しい建物を建設中で、また一つ懐かしい風景が消えていたのはオジさん世代には少々寂しい感じがしましたよ。でも、いまの学生さんは真面目で勉強もきちんとしてそうで、どうも大学レジャーランド世代には真面目すぎる雰囲気。ま、そうはいってもたまに行くと、まだまだ俺もしっかりしなきゃ、と青春の志を思い出し、気持ちが新たになるのでした。

この夏のお役立ち

2010-09-13 | つれづれ
まだまだ暑いですが、さすがに秋の気配をところどころに感じるようになってきました。異常な暑さだったこの夏、お世話になった意外なものが、シッカロール。あの、赤ちゃんにパタパタする汗疹除けです。一時、ちょいと汗疹も出て、以来、パタパタしてました。なんとも言えない懐かしい香り。思わず、汗疹のない首まわりにまでパタパタ。そもそもまだ売っているとは知らなかったので、ふるーい幼なじみに出会ったような気さえしました。その「旧友」ともいよいよ、サヨナラの季節かな? この猛暑、さすがにもういいでしょう。

フィリップ・アリエの「CHINON Vieilles Vignes」2005年

2010-09-12 | ワイン
フィリップ・アリエの「CHINON Vieilles Vignes」2005年。とても豊かな香り。ラズベリーのような新鮮な果実、やや青みを帯びた香り。バニラ、少しチョコレートっぽいニュアンスもあった。お花畑みたいな印象も。酸味は弱く、ふくよかで柔らかな果実のような味わいが印象的。なにより、きめ細やかなタンニンで滑らかな飲み心地が驚きでした。これで5000円以下とは。満足度が高い一本でした。

トイレット

2010-09-11 | 映画
「かもめ食堂」で有名な荻上直子監督の最新映画「トイレット」。全編英語の台詞のみという珍しい日本映画ですが、まったく違和感がありません。ネタばれっぽいですが、もたいまさこさんが全編を通じて台詞を口にするのはただワンシーンのみ。無言の存在感ある演技が光ります。難しいでしょうにねえ。何か特別な事件や出来事があるわけではない。そういう意味では「かもめ食堂」以来の系譜をきちんと引き継いでいる映画です。じんわりと効くぬる燗のようです。

ストーリーは、プラモデルオタクのレイ、引きこもりピアニストのモーリー、ちょっと生意気な女子大生リサの3兄妹の母親の死から始まります。その母親である祖母「ばーちゃん」が家で暮らすことで3人の関係そして、ばーちゃんとの関係に変化が生じていく。で、なんで題名がトイレットかというと、ばーちゃんが必ずトイレあとで深いため息をつく。それが物語の伏線になるからなんですね。

この映画を観て感じるのは、平凡な日常でも必ず変化が日々あって、変わらないと思っている自分自身だって日々変化している。日常の中に塗りこめられてなかなか意識することはないけれど、そんな変化が、あるとき、ふと表出する。そのことの再認識です。人生ってまあ、そういう日常の繰り返しで進んでいくのでしょう。

一つだけ大きな出来事があります。ある意味アイデンティテイの問題にもかかわるショッキングなできごとですが、でも、映画の中での進行のように、「それがなんだというの?」という感じ。家族って面白い存在です。家族って? とちょっと考えるきっかけを与えてくれます。ギョーザがいい感じで色を添えます。そう。ギョーザづくりは家族の絆を感じさせるんですよね。お奨めです。

あ、そうそう。日本のトイレはやはり偉大だあ!!この監督さん、エアギターがお好きなのかな? かもめ食堂でも確か、ストーリー中に使っていたような記憶が。

なんと、著者さまから反応が!

2010-09-08 | つれづれ
5日に、古市憲寿さんの「希望難民ご一行様 ピースボートと『承認の共同体』幻想」のことを書いたら、なんとご本人(と思われますが、確かめたわけではないですけどね)からご丁寧なコメントをいただき、びっくり こんな、世界の片隅でオジが日常をつづるだけのブログに、よもや著者ご本人から反応があろうとは思いもよらず、うれしいやら、恥ずかしいやら(なにせ、だいたい酔っ払った勢いで文章を書き、推敲もしていないので…)、恐縮やら。誠実なコメントにオジさんはただ感服してしまいました。

批判的に読み、書いてしまいましたが、基本的には共同体を無批判に「是」とするありきたりの本と違って、実に刺激的だったことは強調して余りあります。大塚久雄さんの古典「共同体の基礎理論」では、共同体は前近代的な忌むべき存在で、個の確立のためには脱却すべき対象でした。それが、最近は内山節さんの同名の書「共同体の基礎理論」(同名にするところに意欲がうかがえます)が象徴するように、共同体はこの社会の矛盾を解消する、望ましく、「再生」すべき絆の揺籃所みたいな捉え方をされることが多い。私はどちらかといえばこの考え方、見方に組みするところが大きいのですが(正確に言えば緩やかな志共同体、結縁共同体とでもいうものに対しての希望です)、一方で共同体が魔法の杖みたいに捉えられてしまうことにも違和感を覚えていました。だからこそ、古市さんの本は書店で見て、即購入したのです。で、普段は内田樹さんの著書以外は感想をめったに書かない政治・社会問題系の書籍でしたが、感想まで書いたところです。

「あきらめさせろ!」というのは、若い世代のまさに心の叫びと受け止めてもいます。そういう形での提言がなされるほど、「希望格差社会」が広がり、深刻化しているということに愕然とさせられました。

繰り返しですが、内容に違和感はあるし、特に「枕詞」はやっぱりいやだなあとは思います。でも、これから大きく伸びて、さまざまな分析・提言をされていく方だと思います。コメントへの長めのレスみたいになりましたが、コメント、ありがとうございました。少しでもご参考になることが万一あったとすれば、望外の喜びです。