「差不多」的オジ生活

中国語の「差不多」という言葉。「だいたいそんなとこだよ」「ま、いいじゃん」と肩の力が抜けるようで好き。

漫画「夕凪の街桜の国」

2005-07-02 | 
漫画の表現、まだまだ無限の可能性あり。そう感じさせるすごい作品に出合った。

「夕凪の街桜の国」(こうの史代著、双葉社)。出版社の宣伝文を引くと「昭和30年、灼熱の閃光が放たれた時から10年。ヒロシマを舞台に、一人の女性の小さな魂が大きく揺れる。最もか弱き者たちにとって、戦争とは何だったのか……、原爆とは何だったのか……。」

短い作品です。一気に三読しました。悲しみとも、哀しみとも、怒りとも、やり切れなさとも、なんとも適切な表現が浮かばない。うまく表現できない、心の奥に重たい感情がわきあがります、というか心に沈殿していきます。私は打ちのめされたように、読後しばらく言葉が出ませんでした。

2部構成の前半、「10年後」の広島で、原爆の被害者である女性は同時に、生き残ったという一点で「加害者」としての自責の念にさいなまれる。生きていてよかったのか。微妙に揺れる心の動きが繊細に表現される。原爆というと「黒」のイメージが強いが、「白」を使って死を表現する手法の見事さ。

2部構成の後半。「現代の東京」編でいまに続く、原爆のうむ差別や偏見などを静かに表現する。原爆がほかの兵器と違うのはこうした後々まで残る影響であること、時にそれは何気ない日常の中に入り込んでいることを淡々と描く。過去と現在の対比の仕方もスッと入っていける。何気ない一コマ一コマにも、読み返すたびに「あっ!」という発見があります。見事な手法だと感じました。

テーマの重さをことさらにあおることなく、静かに、しかしそれゆえにかえってあまりにも重いテーマ、ごく普通の人間に原爆が何をもたらしたのかを「これでもか」という感じで描くことに成功している稀有な作品だと思います。絵も美しい。

傑作という言葉は適切でない。後世に残る漫画の誕生だと確信します。映画化が決定されたそうですが、作品の質を汚さずに表現してほしいものだと切に願います。