「差不多」的オジ生活

中国語の「差不多」という言葉。「だいたいそんなとこだよ」「ま、いいじゃん」と肩の力が抜けるようで好き。

カッパの飼い方

2007-01-30 | 
「カッパの飼い方」という漫画にはまってます。

どことなく懐かしい昭和の日常生活。現実との大きな違いはそこにカッパがいること。ごく自然にカッパが「いる」のです。だから養殖カッパが犬や猫と同じようにペットショップで売られていても、それを飼うためのノウハウがあることもごくごく自然というわけで、この漫画が成り立つわけです。(あれ、論理が不思議。鶏が先か卵が先か?)

「私」という主人公が飼うカッパの「かぁたん」の成長日記ですが、題名の通り飼い方のノウハウ本です。カッパにはカッパ巻きを与えてはいけないから始まり、トイレトレーニングやお散歩、カッパ相撲を他の動物にしないようにするには、などなど。

荒唐無稽と思うでしょ。でも「そうかあ、カッパ飼うにはこうした点に注意しないといけないんだあ」と何の役に立つのか納得してしまったり、「そんな馬鹿なことあるかい」と茶々を入れたくなったり。

カッパと人間の歴史があたかもほんとのことかのように説明されていたりして、徹頭徹尾架空の世界を構築します。とにかく架空の世界を所与のものとしてしまった作者は、それだけでも「勝ち」という感じがします。

出てくるカッパがみな個性的で人間くさく(W)、かぁたんはとても可愛くてちょっとぼーっとしたところもあるやんちゃっ子。笑えたりしんみりしたり。出てくる人間は「私」を含めて全員顔の表情がない。というか、目、鼻、口の無いのっぺらぼうでカッパよりもよほど魑魅魍魎っぽい。だからますますカッパが人間らしく可愛く見えてくる。

この漫画を読むときっと「ああ、私もカッパが飼いたいなあ」などとつぶやくことでしょう。

お味噌づくり

2007-01-28 | 

今日は自宅で寒味噌仕込。昨年はお休みしてしまいましたが、今回で3回目になる自家製お味噌作りです。

昨夜から水に漬けておいた大豆を5時間ほど煮込みます。それをフードプロセッサーでつぶしてさらにすりこ木で粒をつぶしていきます。

ここに麹とお塩を加えてよくかき混ぜます。これをおにぎり程度の大きさの団子にして次々と仕込ダル(っていってもプラ製の漬物容器ですけど)の中に投げつけていきます。空気を抜くためですが、ここは嫌いな人物を思い浮かべながら、がポイントですね(←冗談ですよ、もちろん)。さらにぎゅっぎゅっと空気をぬくように押し込んでいく。


重石をして、ふたをしたらあとは麹菌にお任せです。5月にはおいしい(いや、手前味噌っていう言葉を実感します。だってほんとにおいしいんですもの)お味噌の出来上がりです。楽しみ!


アンチエイジング

2007-01-27 | つれづれ
歳をとるとお肌に張りがなくなる、っていうのは当然女性だけの話ではない。男性だって気にしだすと意外と気になる、というのは私の場合だけなのだろうか? もう少し若くいたいなどと、これまた欲望のかたまりみたいなことを考えて、にわかにアンチエイジングに興味が出てきた。

男性用化粧品なるものもけっこうあるのですが、なんだか高いですね。というわけで、これまたにわかに、ピンキリがある女性用化粧品に興味が(ってヘンな意味、オカマさんとかというわけでは決してないので)。

ほんとにいろいろな種類があって、奥が深いというか、魑魅魍魎の世界というか、おもしろいですね。で、値段の幅にもびっくり。これってやはり相当に値段によって効果が違うものなのか。あと、根本的に疑問があるのが男性用、女性用と分けてある意味はなんなのだろうか、ということ。女性用を使ってはいけない理由でもあるのだろうか?

すみません。なんだか今日は妙な話で。でも、繰り返しますがへんな方向の話ではなく、ほんとにアンチエイジングに興味が出てきたとういうだけです。念のため。

わからぬことばかり

2007-01-26 | つれづれ
人間、歳をとるといろいろなことがわかるようになる、分別もついて我慢もできるようになる。そんなふうに若いころは空想したこともあるが、40をとうに過ぎても全然そんなことはない。わからぬことばかり。分別はつかず、したがって我慢もきかない。感情のコントロールも、かえってきかなくなった面もあるように思う。さて、困った。悩み、いや煩悩、妄想の類に感情をかき乱されること少なからず。あれがしたい、これがほしい、そうなったらいいなあ、という欲望があふれている。なんとかならんものかねえ…

花はさくら木

2007-01-25 | 
辻原登さんの時代小説「花はさくら木」。ばらばらの史実と史実の間を作者の空想・構想力で埋めることができる時代小説のよさを活かし、壮大な夢物語をつむいだ豪華絢爛たる作品でした。

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江戸時代中期・宝暦十一年。京・大坂を舞台に、即位前の女性天皇・智子内親王(後桜町)、権謀術数の田沼意次が活躍する。人・歴史・地理があやなす華麗な恋と冒険のとびきりの時代小説。


一般には賄賂政治家と悪いイメージの強い田沼意次を、時代を先取りした世界観をもった経済通、颯爽たる凛々しい武士という観点で描きます。智子内親王との淡い恋心などという、まず現実にはありえない話もすんなりと読めてしまう。鴻池VS改革者・田沼の息詰まる駆け引き、朝鮮王朝まで絡んでくる幕府と朝廷、商人の権力争い…スケールが大きいです。蕪村や平賀源内、上田秋成ら、歴史の教科書に名前が出てくる人物たちが色を添えます。

ぜんぜん本筋とは関係ないですが「下らない」という言葉は、京・大阪から江戸に文物・文化が下っても、江戸からは下るものが無い、つまりつまらない、内容の無いものということから来ていると文中から知りました。

福岡

2007-01-23 | つれづれ
今日は福岡に日帰り出張。ホークスタウンのヤフードーム周りに写真のようなモニュメントが。

手が一杯。選手だけでなく俳優ら有名人のブロンズ製手形です。

壮観というかシュールというか…握手するんですよね?よく手形を地面などに埋めてあるのはありますが立体は初めて見ました。


なさけない

2007-01-21 | 自転車
昨日、本日と自転車に。でも、走行距離はわずかに30キロと50キロ。情けない…

最近ロングライドしていないこと、体が温まるのに時間がかかること、北風が強いこと、天気がイマイチで走っていても気持ちよくないこと、など言い訳はたくさんできるのですが、なんだか気力がなえている。向かい風が強いからもういいや、といった感じで自分に甘い!

今日なんか、なんと10キロ走ったところで息があがりそう。情けなや情けなや。しょうがないから以前みた自転車好きの方のブログにあった方法を実践してみました。10キロ走ったら声に出して「よくやった!」といいながら自分の肩や足をなでてみるのです。これ、不思議ですよね。たしかになんだかやる気が出てくる。

よーし、じゃあ次は20キロに行こうな、という感じ。で、10キロ走ったらまたほめて誤魔化す(W)。意外と仕事や日常生活にも応用できそうな方法だと思いませんか? 目標をすごく手近なところにおいて、クリアするたびに達成感と満足を与えてやる気を引き出すって。

というわけで、正月太りがいまだに解消しない「ての」なのでありました(あ、体の重さも息があがる原因か…)。

芋たこなんきん

2007-01-20 | つれづれ
朝の連ドラ「芋たこなんきん」は、藤山直美さんと國村隼さんのなにげない夫婦の会話が好きで、欠かさずみてます。何か大きな事件があるわけでもない、ささやかな日常生活を描いているだけなのですが、人生の機微を感じさせる。役者がうまく、原作の面白さとかみ合って極上の作品に仕上がっていると思います。

特に今朝の放映は、子育てする親としてとても深い示唆を受けた気がします。思春期の娘を強制的にコントロールしようとするのではなく、「言うべきことは言った。あとは自分自身の判断」と口には出さないまでも態度で示して娘の自覚を促す。内心どきどきしているだろう親。うるさく言って強制的にしたがわせようとしたほうが親にしてみれば楽な気がしますが、安易には流れない。娘を心から信頼しているからこその態度とはいえ、言うは易し行う難し、です。

そばに寄り添ってそっと「焦らなくていい。いつかはみな大人になる。自分自身の才能に気づく」というアドバイスを、思春期のど真ん中であがく子どもに言える。そんな親になれるものならなりたいものだと思いました。

プルートウ4

2007-01-20 | 
浦沢直樹さんの漫画「PLUTO」の4巻。うーん、ますます引き込まれます。ロボットと人間という存在の根源を問うことになりそうな天馬博士の登場とゲジヒトの謎めいた「過去」、いきなり死んでしまったアトム。天才浦沢がどうこの壮大な物語を展開させていくのかほんとに楽しみです。

先日、浦沢さんがNHKの番組「プロフェッショナル」に登場していました。ファンの私は気合を入れてみましたよ。で、感じたことは、浦沢さんはとても意志が強い人なのだなあ、ということ。天才の背骨を支えるのは、一本すっと筋を通した信念、哲学とでもいいましょうか。「人間を描きたい」。その思いが浦沢さんを支えている。

浦沢漫画の魅力はまさにこれですから。モンスターにせよこのプルートウにせよ、人間の不可思議さ、底知れなさ、複雑さみたいなものを常に基調にしている。だから何度読んでも飽きないし、解釈も様々にできる。単に売れればいいという作家とは一線を画している気がします。

テレビで拝見すると、デビュー以来の作品つくりで体を相当酷使している様子でした。漫画家の宿命みたいなものもあるのでしょうが、今後も健康を維持して名作を次々と世に出し続けて欲しいと願うのでありました。

ぼくと1ルピーの神様

2007-01-19 | 
素敵な本に出合えました。インドの小説です。「ぼくと1ルピーの神様」。16カ国で翻訳されているそうです。

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クイズ番組でみごと全問正解し、史上最高額の賞金を勝ちとった少年ラム。警察は、孤児で教養のない少年が難問に答えられるはずがないと、インチキの容疑で逮捕する。しかし、奇蹟には理由があった―。殺人、強奪、幼児虐待…ずっと孤独に生きてきた少年が、インドの貧しい生活の中で死と隣あわせになって目にしてきたもの。それは、偶然にもクイズの答えでもあり、他に選びようのなかった、たった一つの人生の答え。幸運を呼ぶ1枚のコインだけを頼りにしてきた孤児の、残酷だけれど優しさに満ちた物語。


主人公の少年の生活史を描くことで、インドの現実が浮きぼりになってきます。絶望的なまでの貧富の格差、ストリートチルドレン、スラム、児童売春、児童虐待、激しい宗教間対立、警察の腐敗…哀しい、そして悲しい現実が否応無く迫ってきます。こう書くとすごーーく暗い本に思えそうですが、そんな環境の中でとてもたくましく、自分の知恵と機知で生き続ける少年の姿は読む者に希望という言葉を感じさせます。どん底の生活の中で最後の人間性みたいなもの、人間としての輝き、やさしさを失わない少年に思わずエールを送りたくなる。いや、こちらがエールを送られているような気になる。

クイズミリオネラーがもとになっていると思われるクイズ番組で、なぜ教育も受けていない少年が全問正解という奇跡を起こせたのか。読者はサスペンスものを読んでいるかのようにハラハラしながら、その生活史を追体験します。

題名の1ルピーコインはとてもいい道具仕立て。少年が最後にコインを投げる場面は素敵です。喜劇と悲劇とサスペンスとラブストーリーを一本の映画の中でごった煮にしているインド映画にも似た、多様性あふるる小説でありました。お奨めの一冊です!

お寿司in仙台

2007-01-18 | 
きょうは仙台に日帰り出張。早めのお昼を仙台駅構内にある「牛タンロード」奥の立ち食いすし屋さんで食べました。三陸の海の幸というか、本日は「へえ、こんなものがあるんだ」と知らなかった、あらたな寿司ネタに舌鼓を打ちました。

それはタコ白子とタコ玉子、白魚。特に前2つは生まれて初めて食べました。一貫70円と100円ですから、お安いのに、お味はグータコにこんな寿司ネタがあるとは思いもしませんでした。タコ玉子は外見は植物の種というかグレープフルーツの粒みたいなものを醤油ベースのタレにひたして軍艦にして食べる。口の中でプチっとつぶれるようにしてとろーっとした中身が出てきてシャリとマッチする。うーん、また食べたくなってしまった。

タコ白子はタラやフグのよりは硬いのですが、かに味噌のようなお味でこれまたハマるお味。白魚のお寿司は軍艦にしてショウガを少し乗せてほおばる。プチプチと少しのシャリっと感、ショウガとの相性でおいしかったあ!

ほかにもフカヒレのお寿司とか(←ちょいと高いけど)、いろいろおいしいものがありましたよ。口福口福。

吉野家牛丼

2007-01-16 | つれづれ
ついに食べちゃいました吉野家の牛丼…だってあの味が忘れられなくて…

いや、頭ではわかっているんです。アメリカがまともなBSE対策を施した約束どおりの牛の部位だけを日本に輸出しているなんて、これっぽっちも信じていないのです。どうせ、日本は属国だから何を食わせようといいのだ、ぐらいに考えているのでしょうから。

ま、だから家でも外でも、米国産牛肉はまだBSE発生後、一度も食べていなかった。でも、そうではあっても、ついふらふらと米国産牛肉のくず肉を使っている吉野家に入って「並」と注文してしまったのです。

だって、「やったぜパパ、明日もホームランだ!」の倒産前吉野家時代からあの味に慣れ親しんできましたから。やはり食べたくなってしまたのです。あれだけ食べてきたのだから感染しているならとっくにしているさ、ぐらいの開き直りといえましょうか。

で、久しぶりのお味は…はい、なつかしい!!! この味はやはり慣れ親しんだおいしさです。でも、これで禁断症状も収まったので、しばらくは食べないでおきます。家でも米国産牛肉なんぞ食べないぞ!

八月の路上に捨てる

2007-01-15 | 
前回の芥川賞作品「八月の路上に捨てる」(伊藤たかみ氏)。いい味出してる作品です。

=以下、アマゾンから=
暑い夏の一日。僕は30歳の誕生日を目前に離婚しようとしていた。愛していながらなぜずれてしまったのか。現代の若者の生活を覆う社会のひずみに目を向けながら、その生態を明るく軽やかに描く芥川賞受賞作!他一篇収録。

夫婦関係って、日々のささやかなできごとの積み重ね、特に共有するできごとがつくっていくものだと思う。逆にささいなすれ違いが徐々に積み重なっていくと夫婦関係も壊れていく。離婚はそのひとつの結果、形だろう。

夢を共有していたはずなのに、価値観が似ていたはずなのに、それが生活という現実の重みの中で磨耗したり強制的に向きを返させられたりしてずれてしまう。話をしたい。でも、その話がうまく伝わらない。話の端緒がうまくつかめない。そんな一組の夫婦のささやかなすれ違いが淡々と描かれる。対照的に、離婚後、また新しい結婚生活を始めようとする女性の、「これからささやかな日常を始めるんだ」という感じの肩肘張らないスタートとささやかな幸福感の描写がじんわりと噛み合った秀作だと思いました。

表題作と一緒に収録されている作品は逆に、そのささやかな噛み合い、積み重ねの面白さをこれまた何気ない日常の場面で切り取っている。2作一緒に読むのはまたなんというか、よりお互いを際立たせてよい効果を生んでいます。これは素直に芥川賞作品らしいなあ、と評価しておきます。

ワーホリ任侠伝

2007-01-14 | 
ヴァシイ章絵さんの「ワーホリ任侠伝」。第1回小説現代長編新人賞受賞作です。ストーリーをざっと書くと…

短大を出て一流商社OLになった女性が夜のバイトで水商売の世界に。そこで知り合った恋人はやくざの2代目。跡目争いに巻き込まれて恋人が殺されると、自分を傷つけるように夜の商売に。自分の身も危なくなって海外逃亡を兼ね、バイトの目的だったワーキングホリデーでニュージーランドに飛ぶ。そこでも水商売をして危険な目にあう。それが跡目争いに根っこで結びついていて最後は…

とまあ、筋書きだけ書くとなんのことやら、でしょうが、テンポがよくてはじけるような元気よい文章が展開します。ぐいぐい引っ張られる感覚の小説です。お子様には読ませられない描写もありますが、現代の若者の孤独感、「つながり」って、などと難しいことを考えないでもありません。とはいえ、よく考えると「ナンなんだあ!?」とういうふうになってしうまうので、ただただ、一気に文章の流れに身をゆだねてその疾走感を楽しむ、そんな不思議な小説なのでありました。

失われた町

2007-01-13 | 
直木賞候補になっている三崎亜記さんの「失われた町」を読みました。前作「となり町戦争」は不気味さがリアリティをもって伝わる秀作でお気に入りの一作でした。それに比べると、うーん、ちょっとかなあ。

=以下、アマゾンから=
30年に一度起こる町の「消滅」。忽然と「失われる」住民たち。喪失を抱えて「日常」を生きる残された人々の悲しみ、そして願いとは。大切な誰かを失った者。帰るべき場所を失った者。「消滅」によって人生を狂わされた人々が、運命に導かれるように「失われた町」月ケ瀬に集う。消滅を食い止めることはできるのか?悲しみを乗り越えることはできるのか?時を超えた人と人のつながりを描く、最新長編900枚。

SF、なのでしょうか。人間という存在のはかなさと永続性、強さと弱さ、というものがうまく描かれている、まあよくできた作品だとは思います。ただ登場人物がどれもできすぎという感じ。「町」の不気味さと対峙する心の強さ、差別のなかに花開いて輝く美しい人間の存在を描こうとするとこうなるのかなあ。

読後の感じが、石田衣良さんの、はっきりいえば駄作だと私は感じた「ブルータワー」に近いです。あれは石田さんが本格SFに挑んだ作品として紹介されているのですが、なんか中途半端な感じがしたのです、設定が。三崎さんの「町」は設定がとにかく奇抜で「おっ」と読ませる。だけど、SFなのかといわれると違う気がする。ジャンルを絞らないからこそ秀作なのだ、といわれると、「そうなんだ…」という感じで納得もする。要するに幅が広く、懐も深い不思議な作品ということなのでしょう。

各章が独立しながら有機的に絡みあって最後に交響曲のようにまとまっていく構成力、筆力はお見事でした。