「差不多」的オジ生活

中国語の「差不多」という言葉。「だいたいそんなとこだよ」「ま、いいじゃん」と肩の力が抜けるようで好き。

名無しバトン

2006-06-12 | つれづれ
はれっとさんから回ってきた「名無しバトン」を本日は引き受けたいと思います。

ただ、あらかじめお断りしておかないといけないのですが、かなりぼかして書いてしまうことをお許しください。書いていることはいつかも申し上げたとおりうそは書かないようにしているのですが、カミングアウトしていない部分もあるので。

以下本文。
1.渡す方を5人最初に書く
自分で隠している部分があるのに人に回すのも気が引けますので、このバトンを面白いと思われた方に拾っていただければ幸いです。

2.名前は?
「ての」。本名とはなんの関係もありません。昨年ブログを始めた当初は「オジ」と言っていましたが、芸がないのでほどなく改名しました。意味はとくにありません。なんとなく思いついたひらがながこの2文字でした。一度名乗ると妙に気にいってしまいました。いまとなってはほかの名前はあまり考えられない。不思議ですね。

3.おいくつですか?
四捨五入すると40歳です。

4.職業は?
サラリーマンです。でも、なんとなくブログから感じていただけると思いますが、ちょいと変わったサラリーマンかも。異動のたびにかなり違う内容の仕事をしている気がします。でも基本はプロ中のプロを相手にしている仕事、と謎かけみたいな文章にしておきますね。


5.趣味は?
ブログをみていただいていると明白ですが読書、自転車、散歩、映画、食べ歩き。野球は千葉ロッテマリーンズのファンで、観戦は趣味といえましょうか。あと、随分以前に「いまハマっているものがあるけど、はずかしいからまだ書かない」というようなことを書いたことがあります。実はまだハマっています。趣味生活の中で重きをなしています。この趣味には願掛けのような部分があって、カミングアウトはもう少し先にしたいと思います。お許しを。


6.好きな異性のタイプは?
女性は基本的にみんな大好き。はれっとさんと同じで、私も女性崇拝の傾向があるように感じています。ま、それはさておき、タイプといわれればキザな言い方ですが、「輝いている女性」(あれ、これまた「はれっとさん」と同じかな?)です。

7.特技は?
うーん、見事なまでに思いつかない。あ、そうだ。ついさっき見聞きした知識をあたかも以前から自分のものであったかのように平然と述べてしまう厚顔無恥さ(うわー、書いていて嫌になってしまった)。

8.何か資格を持っていますか?
運転免許。変わったところでは特殊無線技士(無線電話乙)とか、柔道初段、歴史検定なんていうのももっています。あ、ちょいと自慢すると社会に出てから勉強した中国語はHIS8級です(エヘン!)。

9.何か悩みがありますか?
そりゃ、あるに決まっています。ありすぎてねえ…特に現実的なことをいえば、この歳になるといやでも「家族」の問題は大きい。人生に責任をもつべき時期ということなのでしょう。その責任の重さと成長していない自分自身との乖離。あとはキザにいえば、生老病死。生きること、即ち悩みのような気がします。

10.好きな食べ物と嫌いな食べ物は?
基本的になんでも食べます。特に好きといわれるとなんだろう、太陽の恵みをいっぱいに受けた有機栽培野菜をもぎたてで食べること、かな。嫌いな食べ物はマックのような食モドキ。とはいえ、時に食べることはありますけどね。あ、そうか。要するにスローフードが好きで、嫌いなものはファストフードだ!(といま気づきました)

11.アナタが愛する人へ一言
相当気恥ずかしいし、月並みですが「幸多かれ」。

12.バトンを渡そうとしている方々の紹介
これは「なし」ですね。ごめんなさい。


以上、やはりぼかすと「なんだかねえ」という感じの文章になってしまいました。ここまで読んでくださった方、失礼しました。こんな男ですが、よろしければこれからもブログ、読んでくださいね。

コメントありがとうございます

2006-06-11 | つれづれ
いろいろな方からコメントをいただいておきながら失礼しました。ちょいと留守にしていたもので。富士山の近くにいたのですが、昨日はうっすらと雪を残した黒っぽい霊峰を仰ぎ見ることができました。いつみても勇壮、厳粛、美しい山ですよね。ほんとは写真があればいいのでしょうけど、すみません、うまく撮影できていなくて…というわけで、いま自宅に帰ってきたら濃厚な臭いを充満させている百合の花の写真を代わりに(って、なんで代わりになるのかよくわかりませんが)。きょうはまとめてコメントへの返信で一文つくっちゃいます


はれっとさん:いいですね。「濡れ色」って。なんでも季節感を楽しむ日本人の知恵みたいな気がします。この週末はカメラが活躍されたのでしょうか?

jamsession123goさん:まさに入梅だったんですね。お恥ずかしながらいま知りました。

さらささん:なにがいい、というわけでもないのになぜかはまってしまう独自のスロー漫画はまさに「猫村ワールド」。お暇なときにぜひ。

KUROD@さん:初めまして! そうですか時々来ていただいているとのこと。ありがとうございます。熊本の石橋研究をされているのですね。ぜんぜん関係ないのですが、先日「橋は端だった」という文章を読みました。確かに橋を渡るのは異界、別世界に移動するようなもの。「ウチ」の場所からすれば端だったのでしょうね、と妙に記憶に残ったものですから。また遊びに来てくださいね。

green-teeさん:そうそう、あのスズメの大量死はびっくりでしたね。奇妙なニュース…でも餌を人間に依存していることが原因のひとつという説には、なんだか親しみを感じつつもまずいなあ、という感じがしてしまいます。

雨、ですね

2006-06-09 | つれづれ
雨、ですねえ(←東京では)。梅雨っぽい。なんとなあく、気分まで落ち込んでしまう感じがします。ま、そんなときこそ楽しく、前向きに行きたいものです。気分だけでもね。

きょうの猫村さん2

2006-06-08 | 
漫画「きょうの猫村さん」の第2巻が出ました。「猫村ねこ」が家政婦として、あいかわらず縦結びのエプロンしめて目標目指してまっしぐら、といきたいところですが、そこは猫。ついつい、おコタで居眠りしてしまったり、水洗トイレで砂かきしてしまったり。まったりと脱力しながら日々すごしている様子です。絵はあいかわらずの鉛筆描きのような、いたずら描きのような絵。

今号では「だんな様」の不倫問題が発覚しますが、猫にはよくわからない世界のようで、素朴な突っ込みが脱力を誘いつつ、けっこう本質を突いてしまったり。「不良」の「集会」も、公園で開かれる猫の集会と同じにされてしまうと、「ま、本質は同じだわな」といきなり怖さがなくなってお遊びのように聞こえてしまうから不思議です。

着地点がどこにあるとかまったく見当もつかない内容ですが、猫村さんの、がんばりつつも脱力した日常が笑いと癒しを誘う。まさにスローライフ漫画なのでありました。

今回残念だったのは、第2巻ではなんと、一度もあの「ネコムライス」が登場しなかったのです! わかる人にはわかってもらえる話で、失礼します。

ル・グランブルでランチ

2006-06-07 | 
もんろーさんのブログで昨日お勧めされていた銀座のフランス料理店「ル・グランブル」で早速ランチしてきました。期待にたがわぬ、アタリのお店でした。

銀座1丁目駅から数分。通りに面していないのでこれまで気づかなかったのでしょう。20人ほどで満席の店内はほの暗く、アンティーク家具を配したシックな作り。お昼時は列ができますが運よく5分ほど並んだだけで入店。

1050円のランチは、パンとメインの料理1品、カフェかワインがつきます。それにプラスアルファを支払えば、スープやデザートがつきます。2100円のコースもありました。

仔羊のギリシャ風なんたらや牛にも惹かれましたが、今日注文したのは地鶏の丸ごとローストとクレープのアイス乗せ。鶏は皮がぱりぱりで中も味がしみていてなかなか。添えつけのインゲンは旬だけに味がしっかりしているうえにガーリックソースがうまくからんでいます。やや香辛料がきつめかな、とは感じましたが、この値段でこの味、満足です。パンも風味が豊かで歯ごたえしっかり、おかわりしてしまいましたよ。

で、クレープがお勧めでした。パリパリの生地を自分でくるめていくうちに弾力がつく。ほのかな甘みとバターの香りが口いっぱいに広がる。おいしーー!

というわけで、幸せなランチタイムでありました。ただ惜しむらくは、人手が足りないのか、隣のお客さんはコースだったのですが、なかなかスープから先が出てこないで、ややいらいらされていた様子。ま、それも楽しみという余裕があればいいですけど、なかなか昼時はねえ。あとは入店のタイミングででしょうね。みていたら20分以上待っている人もいましたから。

ポンペイ展

2006-06-06 | つれづれ
Bunkamuraザ・ミュージアムで開催中の「ポンペイの輝き」展に行ってきました。西暦79年、ヴェスヴィオ火山の噴火で突然、消滅した古代ローマ都市遺跡から出土した品々を展示した企画です。

美術品で「これが!」というものがあるわけではありません。彫像や壁画もありますが、避難しようとした人々が身につけていた金を中心とする貴金属類、アクセサリーがメインです。火山のサージで亡くなった人々が、逃げる姿のままで発掘され、それを復元したものもあります。火山灰に埋もれていた寝椅子とナイトテーブル、燭台セットなど「生活」を感じさせるものも展示されています。

美術展というよりも、古代ローマの人々の生活がタイムカプセルに乗ったかのごとく復元されている様が興味深い展覧会です。人々が逃げ惑うさまが目に浮かぶよう。痛々しい。同時に2000年前の生活水準の高さに舌を巻きます。

個人的には外科医が逃げる際に持参したという器具セットと、酒屋の壁画が特に興味深かった。外科医は危険を顧みず最期まで負傷者の治療に当たったのだろうか、などと考えると人間ドラマに心惹かれます。また、メスなどの医療器具の原型はすでにこのころには出来上がっていたのだ、という驚きもあります(日本はまだ竪穴式住居の時代ですよ…)。

酒屋の壁画はまさに「生活臭」。「俺が先だ、いや俺だ」と飲み物の順番を争って酒屋の女性に叱られる場面、サイコロの目を争って言い合う場面、あげくは酒屋を追い出される。なんと人間くさいことか! 2000年経っても人の本質はぜんぜんかわっていないのだと思うと、とても親近感がわきます。

そんな生活が一瞬にして消滅する。あらためて自然の圧倒的な力に驚くばかり。これまた現代も2000年前となにも変わっていないなあ、と感じたのでした。お、きょうはひさーしぶりに2本アップです。

スズメ

2006-06-06 | つれづれ
お昼の一時、公園のベンチでボケーッとしているとスズメが寄ってきます。やに親しげ。怖くないのか?

子供のころはスズメは近寄ってなんか絶対来なかった。こちらに邪心(笑)があったこともありましょうが、スズメは人を恐れるものだったような。

人がスズメを邪険にしなくなったこの数十年で種の本能が変わったのかなあ。そういえば先日、朝日新聞に最近のカルガモは人目につくところで子育てをわざとする、といった記事が出ていました。そのほうが安全だという種の本能だとか。だとすると、スズメもですが、意外と種の本能って簡単に変わるもの?

いずれが

2006-06-05 | つれづれ
昼の一時、お散歩でみつけた花。お恥ずかしながら「いずれが菖蒲かカキツバタ」(って本来の意味ではない使い方ですけど)状態です。どっちなんだろう…
(^_^;)


散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道

2006-06-04 | 
梯久美子さんが書かれた「散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道」。第37回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した作品です。戦史に残る大激戦の地、硫黄島の戦いを、総指揮官の人物像を描くことで現代に伝えます。作者は私と同世代。「戦争を知らない世代」が書くがゆえに、逆に今を生きる私たちにはわかりやすく、戦争の本質、帝国大本営の実態を伝えているように思えました。

=以下、アマゾンの紹介から=
東京を、日本を、空襲から守るために、玉砕を拒んだ総指揮官がいた-。軍人として父として命の一滴まで戦い、智謀を尽くした戦略で「米国を最も怖れさせた男」の姿を、家族への手紙とともに描く人物伝。


栗林が硫黄島から家族にあてた手紙は、留守宅の台所の隙間風を心配し、末娘の姿を夢にみたといっては喜ぶ。「帝国軍人」というより、家族おもいのどこにでもる父親であり、夫であるとことが浮かび上がります。当たり前ですが、一緒に戦った兵士にも同じように家族があり、生活があった、戦争を戦ったのがごく普通の市井の人間であったことが伝わってきます。

同時に、米国留学経験もある栗林は徹底した合理主義者でした(それゆえに中枢部から疎まれて硫黄島に「捨て」られたともいわれているそうです)。「帝国軍人かくあるべし」といった考え方よりも、「いまできる最善は何か」を重視。当時の大本営の方針には沿わない、徹底したゲリラ戦で一日でも長く生き延びて米国軍にダメージを与えることに心血を注ぎます。これは水さえ確保できない(雨がふって地面に水溜りができれば、それを甘露のように感謝して四つんばいになってなめる。そんな日々)、大本営からも見捨てられた状況では「バンザイ突撃」で死ぬよりもはるかに辛く厳しい選択であったといいます。

勝利の希望がゼロであることはみな認識している。それでも過酷な地獄のような環境の下、2万の兵士の士気を最後まで維持し、太平洋戦争の中でもっとも深刻なダメージを米軍に与えた。そのモチベーションとなったのが硫黄島が落ちれば東京・本土は空襲にさらされるという現実的判断から導かれる危機感と、軍人の使命は市井の人々の生活を守ることという信念でした。人的被害を極端に嫌う米国世論の特質を知る栗林には「徹底的にダメージを与え続けることで世論に厭戦気分が出れば、停戦交渉に少しでも有利な材料になる」という判断もあったといいます。

しかし、栗林の考えは大本営にはまったく通用しなかった。空襲のことを考えればありえない、硫黄島早期の「放棄」方針。戦い方の方針変更も徹底しない。米国との停戦交渉材料という考えかたも大本営にはまったく相手にされなかった。

一番悲劇的なのは、モチベーションの根本だった「自分たちが生きて戦っている間は東京は安全」ということが幻想でしかなくなってしまったことでしょう。戦いのさなか、滑走路は米軍に落ちた。3月10日の東京大空襲は硫黄島で戦いが続いている中、実施されました。栗林はおそらくこの事実を耳にしたと思われる。2万の将兵の死に少しでも意味づけをしたい、しなければ申し訳ないと考えた栗林には耐えられないほど過酷な現実だったのではないかと、想像します。また、栗林には知る由もなかったでしょうが、最期の総攻撃のその日には、「民」を見捨てた沖縄戦の最初となる慶良間への米軍の攻撃が始まった皮肉…

最期の電報で大本営にあてた辞世の句と戦況報告は、暗にというか、なかば公然と大本営の方針を批判した内容になっています。2万の将兵の無念を訴えなければいられなかった気持ちがにじみ出ます。しかし、その辞世の句さえ、大本営は改ざんして公表します。表題「散るぞ悲しき」とはその改ざんされた辞世の句の一部。「悲しき」は「口惜し」に書き換えられるのです。組織の無謬性神話を維持しようとすれば犠牲になるのは真実であることが淡々とつづられます。

戦争というもの、軍隊というものについて考えるひとつのきっかけになる本だと思いました。

風呂敷

2006-06-03 | つれづれ
はれっとさんのブログに影響されて「風呂敷が欲しいなあ」と思っていたところ東急ハンズでたまたま見つけたのが写真の風呂敷。

MOTTAINAIの商標がついた、その名も「もったいないふろしき」。小池環境大臣がそういえば、いつかエコライフの後押しとして宣伝していましたっけ。

なるほど確かにエコといえばその通りかも。でもそんなこと考えなくても今は和風がけっこうオシャレ。というわけで購入しました。

とりあえず持ち歩いてお買い物袋の代わりにしようかなあ。買ったのが「もったいない」とおもわないように(笑)、さて面白い使い方を考えようっと!


アンジェラ

2006-06-01 | 映画
「映画」というカテゴリーを作っていながら久しぶりの映画レビュー。今回はjamsessio123goさんも、さらささんもお勧めの映画「アンジェラ」です。

=以下goo映画から=
一旗あげようとアメリカからパリにやってきたものの、多額の借金を作ってしまったアンドレ。借金取りに「48時間以内に金を返さなければ、命はない」と言い渡された彼は、アレクサンドル三世橋からセーヌ川に身を乗り出す。その瞬間、隣に現れた長身の美女が「あなたと同じことをする」と告げると、突然川に飛び込んでしまう。死なせたくない。とっさにそう思ったアンドレは、彼女を追って川に飛び込むのだが…。

一言で言えば、切なくも素敵な映画でした。以下ネタバレっぽい部分もあります。

ウソと借金にまみれた生活をしているアンドレ。自分自身でももはやなにが本当で、自分がどうありたいのかがわからなくなっている、ただ流されるだけの日々。だが、アンドレ本人が自覚していない自分自身の魅力(内面の美しさ)を気づかせようとする「長身の美女」(実は天使)のアンジェラのおかげで、徐々にウソと決別して自分自身に素直に向き合うようになっていく。

彼女の手助けで鏡に映る自分自身に「ジュテーム」とアンドレがつぶやく場面は愁眉。実は自分自身をわかっていないのはむしろアンジェラであり、そのことに気づいて「永遠」を生きなければならない哀しみを語る最後の場面は切ない。大人のファンタジーといえましょう。

最後、墜落してセーヌから這い上がったアンジェラの背中からは羽根が消えています。さて、彼女はその後どう生きるのでしょう? 人間としてアンドレとともに生きていくのか? 「墜天使」としての諦観をもちながら生きていくのでしょうか、それとも希望が人生の同伴者になるのか…

モノクロの画面がうまく台詞への集中を引きだしています。パリの整然とした町並みと寂しげな雰囲気が光と影だけで描かれる。アンジェラが一瞬、「サモトラケのニケ」の彫像と重なる場面も印象的。見終わった後、余韻に浸ってしまいました。アタリの映画です。