太田光さんのベタなCM「私はダリでしょう?」で宣伝中の「生誕100年記念 ダリ回顧展」に行きました。上野の森美術館で開催中。
とろけた時計のイメージが強いダリがなんとなく好きで、学生時代はポスターを部屋に貼って眺めたりしていました。久しぶりに本物とのご対面です。
「記憶の固執の崩壊」「奇妙な廃墟の中で自らの影の上を心配でふさぎがちに歩き回る、妊婦に形を変えるナポレオンの鼻」(←なんのこっちゃ?)などが出展されています。
で、感想。「あいかわらず何がなんだかわからん…」。でも、なんとなく心に引っかかるんですよね。不思議な絵。私にとって優れた画家という存在は、モノゴトの新しい見方・視点を開拓している人という印象があります。ダリにとって、世界はこのような見え方をしているのか、無意識の世界はこのように表現できるのかと、ただその才能、奇才に驚嘆するばかりです。
歪んだ空間、とろけた物体のかもし出すイメージ。自分自身がよって立っている強固なはずの「現実」が、実に虚であるか、空であるかを突きつけられる感じ。不安と、あらゆるものが一体化するような全能的感覚。ぜんぜんわからない絵だけど、わからないんだけれども、そんな感覚に時に身をゆだねることで得られる、自分という「存在」との向き合いの一瞬とでもいったらよいでしょうか。たぶん、それがダリになんとなく惹かれる理由なのかなあ、とつたない言葉を絞って思ったりします。ここまでわからないと、観る者の想像力に全部をゆだねているようで、何を考えても、感じても自由という、逆に開き直ったような感覚で絵に向き合えるから楽というか、堅苦しくない、というような感じも好きな理由なのかもしれません。
会場でダリが制作した短編映画が上映されています。これまたまったく不可思議な、わけのわからん映画ですが、冒頭の場面は衝撃的です。
とろけた時計のイメージが強いダリがなんとなく好きで、学生時代はポスターを部屋に貼って眺めたりしていました。久しぶりに本物とのご対面です。
「記憶の固執の崩壊」「奇妙な廃墟の中で自らの影の上を心配でふさぎがちに歩き回る、妊婦に形を変えるナポレオンの鼻」(←なんのこっちゃ?)などが出展されています。
で、感想。「あいかわらず何がなんだかわからん…」。でも、なんとなく心に引っかかるんですよね。不思議な絵。私にとって優れた画家という存在は、モノゴトの新しい見方・視点を開拓している人という印象があります。ダリにとって、世界はこのような見え方をしているのか、無意識の世界はこのように表現できるのかと、ただその才能、奇才に驚嘆するばかりです。
歪んだ空間、とろけた物体のかもし出すイメージ。自分自身がよって立っている強固なはずの「現実」が、実に虚であるか、空であるかを突きつけられる感じ。不安と、あらゆるものが一体化するような全能的感覚。ぜんぜんわからない絵だけど、わからないんだけれども、そんな感覚に時に身をゆだねることで得られる、自分という「存在」との向き合いの一瞬とでもいったらよいでしょうか。たぶん、それがダリになんとなく惹かれる理由なのかなあ、とつたない言葉を絞って思ったりします。ここまでわからないと、観る者の想像力に全部をゆだねているようで、何を考えても、感じても自由という、逆に開き直ったような感覚で絵に向き合えるから楽というか、堅苦しくない、というような感じも好きな理由なのかもしれません。
会場でダリが制作した短編映画が上映されています。これまたまったく不可思議な、わけのわからん映画ですが、冒頭の場面は衝撃的です。