クリンの広場

たまっこくりんのおもいのたけ

岡倉天心と九鬼周造~谷中散歩・16

2015-11-08 | クリン江戸散歩

東京のれきし(歴史)地区や

下町を おとずれるたび、

 いまだ、「江戸の粋」なるものを、かしこにかんじる・クリンたち。

さりとて、

それが、どのようなものか?

 言葉でせつめい(説明)するとなると、

なかなか・むずかしいものがあります。。


 (←千葉生まれ・埼玉育ち・多摩在住、というハンデ

 その、言葉足らずをおぎなって、「粋って、こんなことだよ

と、示してくれるのが

学者のしごと(仕事)だと、

 うちのチットは、言っています。

その学者の一人に、

くき・しゅうぞう(かんじ:九鬼周造)

という人が いるのですが、

 この人が、谷中にゆかりのある・人物なので、

ちょっと 

とりあげてみたい と思います

 <代表作は、「『いき』の構造」

くき・しゅうぞうは、

明治時代、

文部省の役人だった

「九鬼隆一」の 息子でした

 お父さんは、「日本美術を保護しよう」と、がんばった人で、「東京美術学校」(今の芸大)の

そうせつ(創設)にも

かかわりました

 「東京美術学校」の そうせつ(創設)者といえば、おかくら(岡倉)天心が 

いちばんの

功労者ですが、

おかくら天心は、

くき・りゅういちの 

部下だったのです

 ゆうしゅう(優秀)で、ねつい(熱意)ある・天心を 部下にもち、

アメリカ人・フェノロサと

関係をもったことで、

「九鬼隆一」は 出世し

文部省のトップに立つまでに

なりました

 くき(九鬼)と天心のチームは、まことに良いしごと(仕事)をし、

「西洋化一辺倒」に

なりかかっていた・日本から、

価値ある作品が

流出しないよう、

でんとう・びじゅつ(伝統美術)の後押しに、

全力を 注ぎました


そう・・・、

 2人が、ある事件をきっかけに、決定的にけつれつ(決裂)するまでは

 その事件とは、天心と、「九鬼夫人」が、男女の仲になってしまうという、

フリンでした

 くき(九鬼)と、夫人との間には、4人の子がいましたが、

くき(九鬼)はとかく・女好きで、

年中

よそで、

うわき(浮気)をしていました

 さらに、ていしゅ(亭主)関白で いばってるので、

そんな夫に 

イヤ気がさしてたところに、

 天心が、何かと 世話してくれたものだから、夫人は、天心のことが

好きになっちゃったのです


 二人の接近をしった・くき(九鬼)は、

ことが明るみに出る前に

二人を引きはなそうと しました

しかし!

 夫人は、天心にベタボレで

かんし(監視)の目をくぐりぬけて

天心に会ったり、

京都にかくり(隔離)されても、

すぐに

天心のいる東京にもどるなど、

おぼれていました

 天心は天心で、さいし(妻子)がいるのに、夫人にはまり込み

自分の立場も考えず、

上司(九鬼)の立場も考えず、

つま(妻)の逆上も

なんのその

 はめつ(破滅)的な恋に もえました

この事件は

まもなく スキャンダルとして

おおやけになり、

それがもとで

天心は

せっかく・なった、「東京美術学校校長」を

やめさせられたそうです

 それが、たまたま・学校うんえい(運営)でもめてる 時だったので、

天心派の「日本画科・教授」たちも

いっせいに

学校をやめる、

美校事件に

はってん(発展)してしまいます


 「男爵家の対面」を 保つため、なかなか・りこん(離婚)して

もらえなかった

くき(九鬼)夫人は、

数年かかって

りこん(離婚)を かちとります

が、

けっきょく

天心とは 引きさかれ、

ニ度と 会えませんでした

 さらに!この時のぜつぼう(絶望)から 気がおかしくなり

せいしん・びょういん(精神病院)に

入院させられて、

71さいで死ぬまで

そこで

さびしく くらしたそうです。。


 「お母さんは死んだ。」ときかされて育った・息子(九鬼周造)は、

「魅力的だった」とされる母を 

したいつづけ、

「美術界のドン」とされた

父の家で、

 おかくら(岡倉)天心のえいきょう(影響)をも、

つよくうけながら、

美的なものを 

追い求める、

てつがく(哲学)的な大人に

なったそうです


(つづく)











 

 


 






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